途切れた道を探して10☆
翌朝早く、まだ人のまばらな時間に俺たちは起きだした。
ギルドもまだ開いておらず、例外的措置として市壁の通用口を通って町に入った周辺の農家が、市場で出店の準備をしている以外にはどこも人気は感じない。
町に活気が戻るのは、あと少しだけ後の時間だ。
「よし、行こう」
そんな時間に俺たちは支度を終えて町へ出た。
向かうはギルド――ではない。
まだ人のいない道を通り、昨日の夕食を済ませた安酒場の前を通り抜けてすぐの、大きな木戸と、それ以外での進入も脱出も許さないという背の高い柵で区切られたエリアへと足を踏み入れる。
「離れないようにね」
「う、うん……」
柵にチェーンを巻き付けただけの簡単な閉鎖を解いて木戸を開け、振り返ってセレネに念を押す。
普段は元気な彼女も、流石に緊張した面持ちで静かに答えるだけだった。
ここから先は旧市場。今やまともな人間は足を踏み入れず、衛兵も巡回に来ない、正真正銘のスラム街だ。
だがそれ故に、人に見られない取引には適している――例えば、禁制品を密輸入する取引とか。
「本当に、いいのですね……?」
フレイが妹同様に硬い声で尋ねる。
だがそこにあるがただスラムに足を踏み入れる事への不安だけではないという事は、昨日のうちに分かっていた。
――あの依頼の話を聞いた時、最後まで乗り気でなかったのが彼女だ。
「ショーマ、本当に法を破るつもりですか?」
彼の話に乗ろうとしていた俺――と義憤からそれに賛同したセレネ――と持ち掛けてきたギルドの男の顔も見合わせてから、彼女は静かに、しかししっかりと、万一にも聞き間違いのないようにそう問いただしてきた。
「……ああ。そういう事になるね」
俺もそう答えるより他になかった。
だが、自分で口にして初めて、彼女の言わんとしているのだろうその重大さを実感する。
今回の件への協力は正しいことだと思う。運ぶものだって怪しい代物じゃない。病気を治すための薬の材料だ。それについてはフレイも分かっている。「私は魔術薬学には詳しくありませんが、麦脳症への特効薬になる魔術薬があると聞いたことがあります」と、言ってもいた。
だが、それでも今回の件は俺たちにとって初めてのケースとなる。
知らない内に違反していた――ではない。初めから明確に理解したうえで罪を犯すのだ。
「君の心配はもっともだよ」
そんな彼女の心中を察したのか、持ち掛けてきた彼が口を挟む。
「はっきり認めよう。これは犯罪だ。バスティオの領主が定めた法に違反する行為だ」
その宣言が、一際強く俺にその重大さを刻み付ける。
だが、それを受け入れる決断を、自分でも中々言葉にできなかったそれを、その後彼ははっきりと言語化した。
「だがそもそもその法そのものが不当なものなんだ。ただデンケ族を苦しめる事だけを目的に作られたものなのだから」
「それは……」
そう、それだ。
そもそもなぜそのような法を制定したのかは分からないが、ただ特定の人間を不利にするためだけに作られたようにしか思えない法律だ。
「勿論君の言う通り、それでも違法行為は違法行為だ。だからどうか安心してほしい。もし君たちに衛兵が詰め寄ることがあっても、俺たちが騙して君たちを利用したという事になるよう、依頼人にも話を通してある」
つまりいざという時は俺たちだけでも逃がしてくれるという事か――そんな事を頼むつもりはなかったが。
「無理にとは言わない。だがどうか、もし少しでも同情してくれるのなら、デンケ族を助けてほしい」
「……」
しばし沈黙。
それからもう一度、フレイは俺たちの方に目を向ける。
「ショーマは……」
「うん」
「ショーマは……、本当に行くつもりですか?」
行けば犯罪だ。仮に上手くいって捕まらず、発覚もしなかったとしても、やらかしたという事実は消えず、記憶の中にも永遠に残り続ける。
「……」
今度はこちらが沈黙する番だった。
無意識のうちに手を腰のお守りに伸ばしていたことに、その布の質感を指先に感じたところで初めて気が付いた。
落ち着け。落ち着け。大丈夫――自分に言い聞かせ、心が静まるのを待つ。
これまで何度か使ったこのおまじないは、今回もいかんなくその威力を発揮してくれた。
小さく息を吐く。自分の思いを伝える覚悟が整った合図。
――ほんの一瞬だけ、どういう訳かアベルの顔が浮かんだが、それも吐いた息とともに消えていった。
「俺は行こうと思う」
その言葉を改めて口にする勇気が、指先から登ってくる。
「間違った法律に従うべきかどうか、それは正直俺には分からない――」
一度口を開いてしまうと、不思議なほどにそれ以降は口が軽かった。まるで大きなつまりが流れをせき止めていたのが、その詰まりが除去されることで一気に溜まっていたものが流れ出るように、言葉が次々に湧き上がってきた。
「分からないけど……俺は今知った。だから彼らを助けたい。何かをしたい」
そうだ。俺はきっとそうしたかった。
何かをしたかった。
何か正しいことが、自分にもできるそれが。
「……セレネは?セレネもそれでいいの?」
「うん!私もそうしたい。だって、あんまりにデンケ族の人が可哀想だよ」
こちらは俺よりはるかに速い返事だった。
俺より勇気があるのか、或いは意志が固いのか、もしくは、それ以外のことを考えていないのか。
恐らくその全部だろう――そんな風に考えたところで、今度はフレイが小さく息を吐いた。
「よし……なら分かりました」
それから、彼の方へ向き直る。
「私も協力させてください」
その言葉に真っ先に反応したのは、言われた当人ではなく俺だったが。
「本当に……いいのか?」
ありがたいことなのだが、どうしてもその言葉にそう尋ねずにはいられなかった。
もし無理強いしてしまっているのなら、それで協力を引き出すのはあまりに悪い。なにしろことが事なのだ。
だが、それに返ってきたのは少し冗談めかした笑顔と、それにふさわしい調子の声だった。
「ええ。セレネから目を放すのは少し不安ですし――」
「ええっ!?なんでよう!?」
抗議する妹に少しだけ吹き出してから、少し頬を赤らめて視線を下に向けて続きを――消えてしまいそうな小さな声で――続ける。
「それに……二人とも、私の大事なひと……あっ、パーティーですし」
そんなこんなで一夜明け、俺たちは指定された合流地点に向かっている。
スラム街という言葉を具現化したようなバラックが並ぶこの川原に降りてすぐ、リュビン商会という看板を下げた川岸の建物の横にある桟橋の先――指定された場所はすぐに見つかった。
「誰かいますね」
その桟橋のたもとに二人の男がこちらをじっと見つめている。
そちらの方に足を向けると、二人の眼に露骨な警戒が浮かんだのが分かった。
「なんだてめえら……」
「上のガキがうろつく場所じゃねえよ」
口々に吐き捨てる男たち。
上=アーミラの町とは別世界だと断定するような言い方に思わずたじろぐが、ここで引き返す訳にもいかない。
「リュビン商会の仕事だ。請負に来た」
「ああ、その人らは大丈夫だ」
男たちが何か言う前に、二人の後ろから声がした。
女の声――それを理解すると同時に桟橋の向こうからやってきたその人物が二人の男を下がらせた。
「話は聞いているよ。協力してくれて本当に感謝する」
女性だが、声は低くややかすれていて、身に着けているものにも飾り気がなく、遠くから見ると男性にも見える気がした。
フードを外した外套を羽織っており、短く切られた真鍮色の髪とライトグリーンの瞳からはさばさばした印象を受ける。
「こっちへ」
案内されて桟橋の奥=川の上に立つ小屋へ。
元々何かの倉庫だったのだろうそこに押し込められていた様々な荷物の中から、今回の荷物である麻袋を二つ取り出して自分の足元に置く。
「まずは挨拶を」
そう言ってこちらに振り返った彼女はさっとその細長い指の手を差し出してきた。
「シェラだ。よろしく。今回は本当にありがとう。全てのデンケ族を代表して、まずはお礼を申し上げる」
手を握り返すと、少し硬くなった掌の感触が返ってきた。
それからは早い。報酬の確認=全自弁で一人当たり600バノンと使用するルートの確認=ラチェに向かうルートを進んだのちデンケ川を北上。途中で差し掛かる大石柱の前で抜け道に入る――この二点を確かめたら、早速出発だ。
「それじゃあ、今回は本当にご協力感謝します。皆さんに期待していますよ」
手筈を決めて外に出ると、既に上の方=アーミラの町には朝の活気に包まれつつあった。
もう一度お守りに手を触れる。大丈夫。きっと大丈夫だ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に。




