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得られたもの、求めたもの6

 「昼のこと……ですか?」

 「あのヴィーラとか名乗ったモンスターのことだ」

 まあ忘れるはずもないだろう。

 彼が頷いたのを確認してから続きを話す。


 「奴が君を深みに引きずり込んで溺れさせようとしていた時、私は奴の顔面に向かってナイフを投げた」

 「あの時はありがとうございました」

 「あ、いや。そうではなく……。あのナイフだがね――」

 じっと正面から彼を見つめる。

 責めている訳でも非難している訳でも、ましてや説教している訳でもない。ただここからが大事だと分かるように体で表す。

 彼の頬が少し朱を帯びて僅かに視線がコップへと落ちた――やりすぎたか。まあ仕方ない。


 「あれは君も知っての通り、アーミラの市場で買った安物だ」

 まだ真意は伝わっていない。

 「初めから切れ味はあまりよくなかった。まあ刃物なんて使っていれば切れなくなる。そうなった時にすぐ研げるように一緒に砥石を買ってきたからね、合わせて切れ味よりも研ぎやすい柔らかさのものを選んできた。っと、まあそれはいいんだが、要するに抜けば玉散る氷の刃という訳ではない。あれより切れ味のいいナイフはいくらでもあるだろうし、あれより良質な鋼を使ったナイフもいくらでもあるだろう。多分使いやすさでも研ぎやすさでも、上を見上げれば限りがないだろう」


 少しわき道に逸れてしまったが、本題に移る。

 「だがそんなナイフでも、あの時あそこにあったから役に立った」

 はっと彼が私を見つめ直す。


 直感:理解しているわけではないが、無関係な話という訳ではないという事は分かっている。


 「世界一でなくても唯一無二でなくても、存在していればいずれ何かしら役に立つこともあるものだよ。小さなナイフでそうなのだ。いわんや人間をや、だ」

 この世の99%は凡人だ――何かで聞いたのか、或いはこの体にインプットされていた知識なのかは分からないが、そんな言葉が頭をよぎる。


 「それに君はこれまで私と一緒にいて、随分私を助けてくれた」

 「でも、でも僕は……」

 落ちこぼれ――多分そういった意味の言葉を続けようとしたのだろうが、それを言わせるつもりはない。

 ここで一気に話をつける。

 ――はったりなのだ。理路整然と合理的である必要はない。今ここでスイが安心できればそれでいい。


 「世界一でなくてもいい。今そこにいる、即応できる、というのは十分に立派だと思うがね」

 更にダメ押しをもう一度。

 「仮に君が重い病気を患って、誰か医者なり魔術薬師なりに助けを求めたとして、その人物が『自分より優秀なものはいくらでもいるから助けられない』と言い出したら、君は諦めてそのまま死ねるかな?」

 「それは……」

 私には魔術の世界はよく分からないが――そう前置きして結びに入る。

 「オンリーワン、ナンバーワン、大いに結構。確かにそれは素晴らしい。ぜひそうあるべきだろう。だけどね、そうでなくても必要十分を満たせるのなら、私はそれでいいと思っているよ」


 そこで初めて、彼は私が言っていることの意味を理解したようだった。

 小さく、本当に小さく頷いているのが、テーブルの上の影の動きで分かった。

 ありがとうございます――静かに漏れたその声はしかし、私の耳に確かに届いていた。


 「よし、じゃあ一つ片付いたな」

 先程は同時に口にしていたが、こいつの悩みは二つだ。

 一つは今しがた話した自身が周りの期待したような――そして自分でもどこかで望んでいた――能力を持っていないこと。

 そしてもう一つは、故郷を出奔してしまった=彼風の言い方をすれば逃げてしまったことへの後悔だ。


 「君は、自分が故郷を飛び出したことを後悔している」

 「そう……なるのでしょうか。正直、よくわかりません」

 眼を落したまま僅かに首が横に動く。

 「確かにそうも思います。でも……でも……今の暮らしを受け入れてしまった自分がいるんです。家族といたって、術官院にいたって、何も変わらなかったじゃないかって……」

気持ちの整理がついていないという事か。

 ――まあ、無理もない。ちゃんと年齢を聞いたことはなかったが、多分15か6かそのぐらいの少年に自分の気持ちを明確に説明しろなどという方が無理なのだ。


 「成程な……。じゃあ、もし仮にだ、時間が巻き戻せるとして、君の兄貴が失踪した時に戻ったとして、君は今とは違う判断を下したかな?」

 「それは……わかりません」

 「故郷に残っていたとして、後悔はしなかった?自分もここを離れたいと思っていた場所にいても?」

 「わかりません。本当に離れたいと思っていたのか、ただ上手くいかない自分が嫌だったのか……」


 ああ、そういう事もあるか。

 なら別の方向から行くしかない。


 「……もし私が君の立場なら」

 「え?」

 声のトーンが変わったことに彼はすぐに気付いた。

 これまでの話しかける時のそれとは違う、朗読するようなそれ――実際思いついた話の、頭の中の台本を読んでいるような状況なのだ。むしろ自然な声かもしれない。


 「とりあえず過去の自分は見なかったことにして今何をするべきか考える」

 思い付き――しかし悪くないような気がしてきた。

 目の前の何か――仕事でもなんでもいいのだが――に集中している時は、とりあえずその事だけ考えていればいいからだ。


 「それって……」

 「目の前のことに集中している間は他のことを考えずに済むからね。で、次の選択肢が――」

 一瞬戸惑う。

 思い浮かんだ話は帰れと言っているようなものだ。

 しかし、ここまで言ってしまってからやっぱなしは成立しない。

 ――上手いことごまかせ。はったりだ。


 「しれっと帰る」

 リアクションはない。

 ――滑った?

 まあいい。最後までやれば格好はつく。


 「答えが出ないことで思い悩んでいるなら一回振出しに戻れ。勿論全て元通りにはならないだろうが、少なくとも『一度兄を探しに行って戻ってきた奴』という者を君の周りの人間がどう扱うかが分かる。そうなれば、それに対してどうすればいいのか、どうしたいのか。もっと言えばそいつらが気に入るか気に入らないかは分かるだろう」

 その時に最善と思える選択をすればいい。最後にそう言って無理矢理締めとする。


 ネタ切れ。はったりの限界。


 「気に入るか、気に入らないか……ですか」

 「ああ」

 まさか、誰かに関する好悪まで制限されている――とかではないよな?

 「とにかく、今すぐに結論が出せないことで思い悩んでいても仕方がないってことだ。幸い君は政治家でも将軍でもない。君の決断や一挙手一投足が世界を動かすことにはならないさ。すぐなんとかできる話、目の前の問題に集中していれば、そのうち今分からない問題も条件が変わってくるかもしれないぞ」


 要約:とりあえずおいておけ。

 もっと身も蓋もない要約:私に言われても分からない。


 これがまっとうな人生相談の回答だとは思えない――当然だ。なにしろはったりなのだから。

 罪悪感を覚えないといえば噓になる。だが、人の進路について適当な事を言っていいとも思えない。

 分からない以上、出来ることはただ不安を軽くしてやるだけだ。

 根本治療ではないと言って鎮痛剤を処方しないのは酷というものだろう――多分に自己弁護を含む理由。


 「そう……ですね。そうかもしれません」

 その鎮痛剤がそれなりの効果を発揮したかもしれないという事は、なんとなく彼の声の調子から察した――多少そう思いたかったというのもあるのだが。


 「よし!なら早速目下の問題だ」

 再び転調。努めて明るいトーンへ。

 真剣にこちらに目を向けた彼に、その下で湯気を立てている皿をすすめて続ける。

 「温かいうちに頂こう」

 一瞬の沈黙。それを生み出した主に逆らって音を立てる少年の腹の虫。

 それを認識したのとほぼ同時に、スイが吹き出したことでそれは打ち切られた。


 「フフッ、そうですね。えっと……イタダキマス」

 「頂きます」

 その笑いを見たところで私もなんだか重荷がおりたような気がした。

 「はぁい、アルザンスープと塩漬け肉のクロッカおまちどう」

 女将が次の料理を運んできて、私たちはそれから目下の幸福な問題=空腹と目の前の温かい食事に没頭することになった。


 ふと思う。彼の声に私もまた救われた気がしたのは、ここまでの言葉がはったりだったという罪悪感からだけだろうか。それとも――。


 「……今悩むべきではない、か」

 つい今口にした自分の理論が再度頭の中で再生された。

 「何か言いました?」

 「いや、なんでもない」

 小さく首を横に振ってから、私は緩めた頬の中に煮込まれたスープの具材を放り込んだ。


(つづく)

投稿遅くなりまして申し訳ございません。

続きは明日に。

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