森の影を追って6☆
セレネを先頭にして俺、フレイと見知らぬ少女を追う。
ラチェの迷子――見えたのは一瞬だったが、セレネのその見立ては間違いとは思えないいで立ちだった。
ボロボロの服に、あまり健康状態はよさそうには思えない青白い肌。肩の辺りまで伸びた黒髪は水気を吸ったのかしっとりと首に吸い付いていた。恐らく川の水だろう。
そんな状態で――いや、仮にそうでなくても――モンスターが徘徊するこの森の中を子供一人で歩き回るのは危険すぎる。
「ねえ、待って!」
フレイが声を上げ、それにつられて俺も木の根が張り巡らされた足元から前へと意識を向ける――少しだけ転びそうになる。
少女は茂みの向こうにひょいと消え、その瞬間に首を右へひねった。まるで知り合いにばったり会ったように、なにか心当たりのあるものを見つけたように。
「敵ッ!」
それにつられてそちらに目をやったセレネが短く叫び、そして杖を構える。
「下がって!」
その彼女にそう叫ぶ俺。
同時に剣を抜き、彼女の横に立つ。
湾曲した川がそれまでの進路をふさぐように方向を変え、その手前の木からするすると巨大な八本足が降りてくる。
「くっ!」
デモンスパイダー。それも一匹ではない。
最初の少女に反応したか、他の木から降りてきた連中が俺たちと鉢合わせしたようだ。
合計三匹。二十四の足がわさわさとこちらへ向かって波打っている。
「雷よ、その光破邪の刃となり、我に迫りし敵を討て!」
背後からの声。同時に駆け抜ける閃光。残りは二匹。
「はああっ!!」
動物的直感というものか、突然の雷で吹き飛んだ仲間に油断ならないと足を止めた手近な一匹に切りかかる。
「ギィッ!」
蜘蛛とは思えない声というか音というかを残してもう一匹が息絶え、そこでようやく勝ち目がないと悟ったか、もう一匹は木の上に戻ろうと向きを変える。
「逃がすか!」
だがそれを許すわけにもいかない。
剣を死体から引き抜き、その勢いのまま真一文字に振りぬく。
ごとん、とそのサイズに相応しい音を立てて奴の体の後ろ半分が木の根元に落ち、数歩だけそこから上に登った上半身が力尽きてそれを追うように落ちてきた。
ひっくり返り、空に向かってわさわさ動かしていた足は、すぐに動きを止める――前の六本も後ろの二本も。
「よし……」
「あの子は……?」
追いついたフレイが目を凝らす。
だが見つけたのはやはりセレネの方が早かった。
「あ、いた!」
彼女が指を差した方向に俺たち二人の眼も集中する。
ここから少し進んだ川の真ん中辺り、少女は一人立ち尽くしてこちらを見ている。
「君、危ないよ!」
セレネが大きな声でそう呼びかけながら近づいていく。
それに俺も続く――声も同様に。
「君はラチェの子?名前は?」
その問いへの返答は小さく、短く、しかし不思議と良く聞こえた。
「ヴィーラ……」
ヴィーラ。それが彼女の名前なのだろう。
「ヴィーラ、落ち着いて。俺たちは敵じゃない」
言いながら、自分の右手には抜身の剣が握られていることに気づく。
今しがたモンスターを倒したところだから仕方なくはあるが、もしかしたら怖がらせているかもしれない。
「ほら、こっちおいで。大丈夫だから」
剣を鞘に納めてそれから手を伸ばす。
だが少女はぼうっとこちらを見ているだけだ――まだ警戒されているのか。
「そこは危ないよ。この辺りに――」
モンスターがうろついている――それを言おうとした。
しかしすぐにそれを中断して、今しがた納めたばかりの剣を再び引き抜いた。
「何あれ!?」
「気を付けて二人とも!」
隣でセレネ。後ろからフレイ。
そして前=ヴィーラと俺との間に、川を挟んだ両岸の茂みからのたくる何かが飛び出してきた。
大蛇?いや、それは蔦だった。
植物の巨大な蔦。人間の腰回り?いやもっとだ。下手したら馬の胴体ぐらいはありそうな太いそれが、生き物のように左右から飛び出して、ヴィーラを取り囲む。
「あれは!」
だがそれは本体ではない。
それに気づいたフレイの声に、俺もセレネもすぐにその正体を理解した。
巨大すぎて気が付かなかった。周囲の木々や茂みと同じように見えていた、巨大な草の塊。
それは巨大な花と葉っぱだった。縮尺がおかしくなってしまったとさえ思うほどに巨大な。
そしてその巨大な葉っぱの下が巨大な蔦の出発地点だった。
「アルラウネ!」
蔦が動く。
巻き取られたヴィーラが成すすべもなく巨大な赤いつぼみの後ろに持ち去られる。
「くそっ……」
そして“荷物”を置いてきた蔦はつぼみの両脇で天を指す。恐らく人間で言えば大上段へ振りかぶった形なのだろうか。
そして更にダメ押し=もう一対の蔦がつぼみの左右に大きく広がる。
その上にはここに来る途中に見つけた、枯れた木の上に咲いていたのと同じ、大きな赤い花。
直感する。あの花は、そしてあの枯れた木はこいつがやったのだ。
綺麗な花ではあった――今はとてもそうは思えないが。
その赤い一対の花を自分の左右に展開したことで、奴は戦闘態勢への移行を完了したのだという事は直感的に分かった。
黄緑色の花粉が一筋の煙となって、それぞれの花から立ち昇る――まるで煙突。
そしてそれに合わせ、ヴィーラが消えた奴後方の茂みから次々と増援が現れる――無数の樹人たちが。
「あんなにいっぱい……」
驚嘆とも怯えともつかない声をあげるセレネ。
俺たちとアルラウネの間に横たわる川。それを埋め立てる勢いで樹人たちが湧き上がってくる。
「くっ……」
言葉にはならないが、俺の心の中もセレネのそれと一緒だった。
驚き、怯え――或いはその両方。
勝てるのか?これだけの数に。
「……ッ!?」
剣を握る指が白くなっているのに気づく。
力を入れる原因:興奮、緊張、恐怖――それらの混合物。
その手を視野に入れると、当然ながら見えてくるのはラットスロン=弱き者のための剣。
俺はこの剣を持っている。
そして今、ヴィーラが奴に捕らわれている。
ラットスロン=弱き者のための剣。
それを持っている俺。
「よし……」
そっと右手を剣から離して腰にやる。
日本からこちらに来た時以来ずっと身に着けているお守り。その布の感触が柔らかく指先に触れる。
「落ち着け。落ち着け。大丈夫」
「「ショーマ?」」
俺の声に姉妹が反応する。
慌てず、静かに深く息を吐く。
「よし、もう大丈夫!」
俺はやる。
俺は出来る。
剣を構える。もう力は抜けている。
「セレネ、防護を頼む」
「えっ……」
戦闘用の魔術は何も攻撃魔術だけではない。
そしてそうしたサポート用の魔術はセレネの得意技だった。
それを依頼する俺の声は、自分でも驚くほどに落ち着いている。
「……うん!清き光よ、わが朋友を照らし慈しみ守り給え!」
詠唱と共にオーロラのような光が俺を包む。
万能という訳ではないが、それでも鎧としては十分すぎる性能だ。
少なくとも、目の前の植物の化け物や、その取り巻きの大群に向かい合う際に絶大な安心感を得られるぐらいには。
「よしっ、行くぞ!」
そのまま樹人の先陣に向かって突進する。
「たあああっ!!」
突撃に反応した先頭の個体が身構える――が、遅い。
走り幅跳びのように飛び、その勢いのまま兜割り。苔玉の頭の半分ぐらいまでに剣がめり込み、体ごとの勢いで後ろへ突き倒して剣を引き抜く。
まず一匹。
「おおあっ!!」
止まらず右へ一歩。
転身と同時にその勢いで右隣の樹人の脇の下へ切り上げると、腕に当たる部分が宙を舞った。
「たっ!!」
花粉と同じ色の胞子を吹き出す樹人に蹴りをくれて転ばせ、それを飛び越えて後ろの個体へ切りかかる。
袈裟懸けの一撃は奴の首の下にめり込んだが、流石に一撃での寸断は不可能だ。
「ちぃっ!!」
とはいえ衝撃で動きを止めた。
そこですぐに剣を手放して後ろへ蹴りを放つ――剣の加護というものか、剣を抜いている間はあらゆる戦闘技術が自然と体を動かしている。
後ろに回り込もうとした樹人の動きをそれで一瞬だけ遅らせ、その隙に前の奴に刺さったままの剣を引き抜く――抜くための勢い付けを兼ねてタックルで崩しておく。
「はあっ!」
抜いた勢いを殺さずに反転。蹴りで体勢を崩していた背後の個体の首――人間で言えばだが――に横薙ぎの一撃を加えると、苔玉が後ろに吹き飛んだ。
とんとんと奇妙なステップと共に崩れ落ちる首無し樹人。それを尻目に再度反転し、反撃を試みる先程タックルした個体の股間を切り上げつつ背後に回る。
「よっ……」
膝――これまた人間で言えば――の後ろを蹴り飛ばし、片足だけ膝カックンのような形で再度動きを止める。
立とうとする相手――だが立てない。股間の傷から滝のように黄緑の胞子が流れ落ちる。
「っと!」
下がった頭に、着地していない蹴り足を更に叩き込んで蹴り飛ばす。
うつ伏せに倒れた時には、既に股間の流出が致死量に達したのか、奴はピクリとも動かなかった。
「さて……」
振り向き、中段に構える。
「後何匹だ……?」
数えようとしてすぐ諦める。
もう一度お守りに手。すぐに剣へ戻す。
――まあいい、出てくるだけやってやる。
(つづく)
投稿遅くなりまして申し訳ございません。
今日はここまで。
続きは明日に。




