最初の一歩2
「……いいセンスをお持ちで」
首を動かして映る角度を変えながら呟く。年の頃は二十代前半から半ばぐらい。徒っぽいが地がいい、男受けしそうな顔立ち。
ちらりと下に向けた視線――感覚で分かる大きくも小さくもない胸。この世界の基準でもそうなのかはわからないが、少なくとも私には。
まあ、いで立ちそこまで誘惑するような要素がない――と思う――のでその辺は別に重要でもないだろう。
してその内容:小袖に四幅袴のような腰巻。革製の胸当て。ご丁寧に財布をはじめ日用品もセット。
顔立ちと相まって髪と瞳の色を別にすれば戦国時代の野盗か足軽――もしかしたらこっちの世界でもそれで通るかもしれない。
「その肉体にはこちらの世界で必要になると思われる知識や技術はあらかじめ刻み込んであります。通常のコミュニケーション……も……戦闘時の……キル……」
「ん……?あの、もしもし?」
突然、天からの声にノイズが混じる。
「急に声が遠く……ッ!!」
自然に上を見上げたのと同時に、穴から見えていた青い空が黒い何かに変わった。
そしてそれが落ちてくるのに咄嗟に反応できたのは、もしかしたらこの体のおかげかもしれなかった。
「ちぃっ!!」
跳び下がり、祭壇と私との間にその落下物を挟む。
元々は長椅子だったのだろう瓦礫の隙間、バージンロードにでもなりそうなそこに転がって起き上がり、落下物と対峙。
「その魔物……倒して……ノイズは……恐らく……」
ああ、そういうことか。
こちらに向き直る落下物――絵に描かれる悪魔のような胴体と頭、蝙蝠のそれに似た羽を持つ石像。
ガーゴイル。建物の屋上に設置されているこれが偶然落下したのではないという事は、こちらに振り返ったことと、片方しかない赤く光る眼が雄弁に物語っている。
「逃がしてはくれそうにないな……」
漏らしながら、自分の内側を血が高速で巡るのを感じる。
――そうか、これが血か。散々流させたことはあったが、自分の中に感じる日が来ようとは。
「っと!」
感心ばかりしてもいられない。大股で距離を詰めてきた怪物に意識を切り替え、振り下ろされた爪を飛び退いてかわす。
空を切ったやつの腕――身長差があるから当然だが私のそれよりかなり長い=リーチでは向こうに分がある。
「どうする……?」
声を漏らす。その間も奴から目を逸らさずに。
逃げようにもどこに行っていいか分からない。そもそも――落下してきたときの様子から恐らく――飛べるこいつに対し、道も分からないまま走って逃げきるというのは現実的ではない。
「戦闘は可……それを……倒し……」
ノイズ交じりの声が再び落ちてくる。
これまでの会話と今の言葉からの推測:戦って倒せ。
幸い戦闘に関してのスキルも与えられているらしい。
「なら、やるか」
覚悟を決める。
――これが恐怖か。これが興奮か。
奴に向き直り、体が自然と腰を落として対峙する。確かに戦えるようだ。
「試運転させてもらうぞ化け物!」
血、恐怖、興奮。立て続けに三つの初体験。
なら四つも五つも一緒だ。化け物殺しの初体験も追加してやる。
奴の咆哮、突進。
距離を詰めて頭を狙い、横なぎに右腕を振りぬく――左へダッキングして通過した腕をくぐる。
「っと!」
そのまま奴の脇を走り抜け、振り向くより速くアースのようなしっぽを飛び越えて祭壇にかぶりつく。
「これこれ」
背後に気配――足を止めず、給水所のマラソンランナーの要領で大剣をひったくる。
直後に聞こえる耳障りな轟音=視界の隅で祭壇がひしゃげる。
「もらっ――」
体ごと押し潰そうとしたのだろう、祭壇にタックルしたままどてっ腹を晒している奴に大剣を叩きこもう――と、したのだが。
「重!?」
見た目以上の重さに思わず動作が遅れる。
「くうっ!!」
再び咆哮。再び右。再び――しかし危うく――飛び下がって回避。
「なんだこれ、偽物か」
恐らく、この体が非力な訳ではない。
これを握った瞬間に大剣を使う剣術はしっかりと刻み込まれているのが分かったし、間違いなく十分に使いこなせるという確信もあった。
そしてその体が伝えている。こいつは実用品ではないと。
「紛らわしい!」
思わず吐き捨てながら奴から離れる。
瞬間的に柄を握っていたが、よく見ると刃もついていない。完全に剣の形をしただけの鉄の棒だ。恐らく儀式用か何かだったのだろう。
「とはいえ……」
また咆哮。ちょこまか動く相手にガーゴイルはお怒りだ。
そして他には武器になりそうなものはない。
なら、これでどうにかする他あるまい。
幸い先端はかなり鋭く尖っている。杭のように打ち込むことは出来るだろう――とんでもない馬鹿力があれば、だが。
「どうだ……?」
体に問い合わせ。回答は一瞬だ。聞いた瞬間にはもう帰ってきている。
その内容は、恐らく元の私の能力をこの体で再現したのだろうものだった――どうも面白がってこの体作ったような気がしないでもない。
「……まあいいか」
使えるものならこの際何でもいい。
今頭に浮かんでいるこれなら確実にこの石の化け物も仕留められるだろう。
――問題はそこまでのお膳立てなのだが。
「どうする……?」
辺りに目をやる。
この聖堂はそこまで広くない。よって逃げ回るのには限界がある。
そして現在分かっている唯一の出入り口=祭壇とは反対側にある扉の周辺には破壊された長椅子の残骸が転がっていて、奴が暴れたおかげでそれらがある程度片付いたこちら側より立ち回りには不便だろう。
よって、必然的にインファイト。
それには頼りない武器だけで。
「ッ!」
そこでぼやきを中断する。奴がふわりと浮かび上がり、私の頭の高さにその足の鋭い爪が並ぶ。
そしてそれを認識した瞬間、獲物を狙う猛禽のようにその爪が殺到してくる。
「くうっ!!」
右に飛び込んだ瞬間、左の首筋を冷たい感触がわずかにかすめていく。
すぐに立ち上がりながら振り向くと、着地と同時に向き直る奴と目が合った。
奴――何らかの事情で失われた目を隠すように首を傾げている。
「いや……」
その印象を打ち消す。ここまで奴が優勢。今の奴に私を恐れる理由などないだろう。
なら、もう一つの理由だ。即ち、眼窩を隠すのではなく、見えている方の目の限られた視界でこちらを確実に捉えるため。
それを表すように、もう一度飛び込んできた奴は同じように首を傾げたままだった。
「ぐっ!!」
振り下ろされた腕を、頭上に掲げた大剣――というか剣の形をした杭で受け止める。
両手で剣を持ち、その手のちょうど中間の辺りで奴の爪を食い止める――先端を奴に向けて。
「……っの!」
奴が爪を退く――それよりわずかに前、まだこちらに力をかけているうちにわずかに押し返すと、それが反撃に通じると思ったのだろう、更に強い力で押しつぶそうとしてきた。
逃すわけにはいかない好機だ。
「うらぁ!!」
奴が怯んだのが一瞬だけでもしっかりと分かった。
爪を受け流し、一気に懐に飛び込むその一瞬だけでも。
そして、その一瞬のうちに剣の切っ先をこちらに向けられている赤い眼球へと抉り込んだ。
「ギイィィィィィィィィ!!!!」
奴の絶叫。ただの石の像のどこに声帯なんてあるのやら。
奴の胸を蹴り飛ばして、石の体に相応しい固い玉から剣を引き抜くと、新品の鼓膜が早速駄目になりそうな咆哮と共に左右お揃いとなった穴ぼこを両手で抑え、その場に崩れ落ちる。
この隙も見逃す手はない。
崩れ落ちた奴の背後に周り、仔馬ぐらいある巨大な背中に飛び乗る――今回も切っ先を奴に向けて。
動きに合わせて顔に長い髪の毛がまとわりつくのを、乱暴に顔を振ってどかしながら切っ先を奴の首に押し付ける。
「……こんにちは」
この体に刻み込まれた力――私の本領を再現しようとしたもの。
「私メリーさん――」
体内で巨大な波が生まれるのを感じる。
それが剣を伝い――その中を血管のように駆け巡りながら――切っ先にまで行き渡っていく。
確信:今この瞬間、剣と私は一つとなっている。何度も体験した「あの瞬間」を実行する装置として。
「――今あなたの後ろにいるの」
剣が奴の首にめり込む。
力が、刃が、私自身が、奔流となって奴に流れ込む。
石の首は霧のように手応えなく寸断され、そして床に落ちて砕け散った――同時にその力に耐えられなかったのだろう剣もまた。
(つづく)