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ラチェ2

 アーミラを出てから体感で一時間ほど、特にトラブルもなく順調に進めている。

 この世界に呼び出された廃聖堂やスイと出会った辺りのような人の寄り付かない、或いは寄り付かなくなって放置された場所には実際に遭遇したようにモンスターもいるものだが、街道はその限りではない。

 単純に人の往来があるという事に加えて、町の近くであれば衛兵やそれに相当する自衛戦力が定期的に巡回しているし、主要街道には巡回衛兵隊と呼ばれる街道の保守と治安維持を専門にする部隊も存在する。


 それに加え冒険者たちもこうした街道を利用するとあって、モンスターからすればわざわざ危険な場所に近づくようなリスクを冒せないといったところだろう。


 おかげで、こっちはハイキング感覚で足を動かせる。

 本日は晴天。風もなし。

 絶好の行楽日和。


 「まあ、遊びではないのだがな」

 「何か言いました?」

 「いや」

 つい漏らした言葉に続いてあくびを一つ。ついでに歩きながら伸び。

 少しずつ近づいている正面の山脈を眺めながら、足は止めずに一定のペースで歩を進める。


 考えてみれば妙な世界ではある。

 少し野原や人里離れた場所に足を伸ばせば魑魅魍魎が徘徊していて、うかつな侵入者には容赦なく襲い掛かるというのに、こうして街道を歩いている限りは平和でのどかな景色が延々と続いている。

 もし、現代の日本人にこの道と、周囲の景色を見せることが出来れば、どこか外国のリゾート地と思われるかもしれない――まあそんなところ行ったことないのであくまでイメージだが。


 「あっ!」

 「うん?どうした?」

 隣を歩いていたスイが足を止めて屈みこむ。

 石畳で舗装された街道と、雑草の伸びた周囲の草むらとの境目付近で何かを見つけたのだろうか、屈みこんで何やら触っている。

 そしてその姿を私が見下ろしていることに気づいたようだ。


 「あっ、すいません。すぐ終わります」

 「いや構わんが。何かあったのか?」

 彼が立ち上がり、たすき掛けにした鞄に何かをしまい込もうとする瞬間、彼の手の中に何かが揺れているのが見えた。

 六枚の花弁を持つピンク色の花。

 恐らく彼の足元に咲いていたのだろうそれが、根元から二輪引き抜かれていた。


 「それも薬になるのか?」

 鞄の蓋を閉じながらうなずく。

 「ええ。どうしてもこの辺りにある植物に目が行ってしまって……。国元には中々見かけないものも多いのでつい」

 すいません。と小さく頭を下げながらそう説明してくれる。


 彼の出身地であるファスという国については、あくまで地図を見ればその場所を指し示せて、何が有名かをしっているぐらいの知識でしかない――それこそ、高等術官についての知識ぐらいしか。

 なので今彼の手の中にある、どこにでもありそうな花がどれほど興味を惹かれるものなのかは分からないが、本人にとっては大変有意義なものであるということは、その表情でなんとなくわかった。


 それからしばらく歩いて道が山にぶつかって南に折れると、それまでと周囲の景色が変わった。

 周囲に広がっていた広い荒野というか草原は背の高い雑木林に代わり、それが山脈との間に緩衝材のようにして広がっている。

 道はその雑木林の間を縫うように進み、木々に埋もれないようにか、土手のように盛り上がった形をとった。


 と言っても、何か変わるわけではない。

 ただ道沿いに進み続けるだけだ。


 「……」

 何度か休憩を挟んで水分補給を行い、市場で買った干し肉とドライフルーツを昼飯にしてまた歩く。

 「……」

 ――なんか飽きてきた。

 雑木林の中に入ってから景色がほとんど変わらず、時間の経過によってアーミラの方から徐々に空がオレンジになっていくのに従い、少しずつ薄暗くなってくる。


 「もうすぐ宿場ですね……」

 山脈の南端が前方に見えてきた頃にスイが呟いた。

 街道が回り込むように迂回しているこの山脈にはちょうど今前方に見えている南端の真下辺りに小さな宿場が存在するらしい。

 それを思い出した彼の声はどこか疲れた感じだった。


 「大丈夫か?」

 「あっ、はい。大丈夫です」

 そうは言っているが、その表情には疲れが見え始めている。

 「……そうか」

 が、それ以上は言わない。

 彼だって疲れたとは言えないだろうから、余りその辺を突っ込むのは可哀想だ。


 幸い――主にスイにとって――にも、それから宿場の明かりが見えたのはすぐだった。

 周囲に材料はいくらでもあるとでも言わんばかりに丸太を組んで作られた壁の向こうから、わずかに見える人家の光。

 少しずつ薄暗くなってくる雑木林の中にそれを見つけた時に、私は安堵という感情を知った。成程、人間というのはこういう状況で見える光に惹かれるものなのか。

 ――もし今回の一件が終わって元の世界に帰ったら、この経験を活かせるかもしれない。


 人間が安心する状況が分かるという事は、つまり人間が油断する状況が分かるという事だ。


 そんなことを考えて暇を紛らわせながら宿場へ近づくと、その規模の割りに人が多いのに気づく。


 「随分人が多いですね」

 同じことをスイも感じたらしい。丸太の壁をくぐってすぐに見えた、雑木林の中の小さな宿場には不釣り合いなほどの人ごみに目をきょろきょろしている。

 「確かにな」

 答えながら同様に周囲に目を向ける。

 宿場と言えば宿場だが、その実態は一本道の街道の左右に何軒か建物があるだけの小さな集落だ。

 入ってきたアーミラ側と同様にラチェ側にも丸太の壁があり、その壁で囲まれた範囲内だけで完結している集落。

 内容は木賃宿が二軒に小さな雑貨商が一軒。あと何軒か建物があるが、それらの倉庫か何かだろうという事はその人だかりと光が見えるのが今の三軒以外にないことからすぐに分かった。


 「今日はここで一泊だな」

 「ですね」

 山脈側にある木賃宿を覗き、それからはす向かいに建っているもう一軒を覗く。

 扉の前にかけられた宿泊料金はどちらも同じ額だ。


 「いらっしゃい」

 二軒目の方に入ると、陰気な婆さんが小さなカウンターから顔をのぞかせた。

 「二人です。ハンモックを」

 此処にはベッド部屋はない。

 そんなものを複数置くほどのスペースを確保するのは難しい――というより、そんなものなくても他に選択肢のないここでは商売は成り立つ。


 「ハンモックは満員だよ」

 だが返ってきた無愛想な声は、それより安い選択肢すらないと言っている。

 表の看板の内容は思い出すというほど古くもない。残っている選択肢は一つだけだ。


 「じゃあ藁敷きなら大丈夫?」

 「ああ、まだ空きがあるね。残念だが、もう一軒の方も同じようだよ」

 つまらなそうに付け足された部分を聞き流し、それから財布を出す。

 藁敷きとはその名の通り、床にむしろや藁を敷いて、それにくるまって眠るだけのもの。

 ハンモックより安いが、それで休まるかと言われれば、当然ながら馬小屋に毛が生えた程度のものと認識するべきだろう。

 ――とはいえ、それでも馬小屋よりましだ。そして言うまでもないことだが、馬小屋だって無装備での野宿よりましだ。


 「ならそれで」

 「はい毎度。空いているとこ勝手に使って」

 二人分を置くと婆さんらしからぬ素早い動きでそれを数えてしまい込んだ。

 カウンターのすぐ横には暖炉が一つあるが、今は火が入っていない。恐らくもっと寒い時期か、或いは完全に日が沈めばこの周りに人が集まるのだろう。

 ――今も既に同じような旅装の連中が屯しているが。


 「随分混んでいるな」

 呟きに婆さんが独り言のように答える。

 「ラチェ近くのデンケ川に架かる橋が、何日か前に落ちてね。それからこの辺はこんな有様さ。ま、ありがたくはあるがね」

 ――アーミラを出る前に聞きたかった情報。


 「川沿いに少し下れば古い橋が残っているよ。あんたらみたいな冒険者にはね」

 冒険者になら。

 つまりこういう事――モンスターの徘徊する中を突破していけ。


(つづく)

結局昨日と同じような時間になってしまった

続きは明日に

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