ラチェ1
過去の奴から今の私へ。
先程までの決闘で湧き上がっていた『豊穣の女神』亭の前の道は、今ではただの未舗装の地面に過ぎない。
「ふぅん……」
立ち上がり、先程の――と言っても実際は過去の出来事なのだが――決闘が行われていた辺りに目をやる。あのゲイルとかいう男が目つぶしに使ってほじくられたはずの地面の抉れすらも、今ここからでは分からない。
奴の視点で戦いを知った今となっては、なんとなく古戦場のようにさえ思える、ただの道端。
奴はあの日、ここでの決闘に勝利し、新たに得た二人の仲間を守り切った。
勝利の原動力があの剣=ラットスロンであったことは疑いようがない――奴自身実感しているだろうが。
二階堂翔馬:一発逆転の馬鹿ツキ野郎。
今のところハッピーエンドに向かっている。今のところ順風満帆。
故に合致しない=今しがたの光景と消息を絶ったという事実。
「行くしかないか」
呟いてから目の前のドアを開ける。
まあいい。どの道ここで全ての決着がついている訳ではないことは分かっている。気長にやるしかない。
朝食時を過ぎ、しかし昼飯にはまだ早い時間。店内は一時の小康状態。
客の姿もまばらにしか見えない中で、先行したスイは最初に彼に声をかけた物品販売のコーナーに足を向けて何か小物を買っている。
片手に財布。もう片方に例の人相書き。
「いらっしゃい」
私の方も私の聞き込みを開始しよう。
声をかけてきたバーテンの方へ歩いていき、カウンターへ。
「何にしましょう?」
スイに倣う訳ではないが、いくらか質問料を納めておく。
「じゃあ、絞り水を」
一番安いメニューを選択。追加注文があるかはこの後次第。
ことりと置かれたコップの中身を半分ほど干してからこちらも人相書きを取り出す。
「ご主人、少しお尋ねしますが――」
恐らくだが慣れている。
私が手の中の羊皮紙を広げようとした時には既にそちらに注目していた。
「この男をご存じですか?」
「ああ、ちょっと前に店の前で決闘していた。伝説の剣を抜いた男でしたか。名前はえっと……何だったかな?」
剣と決闘。やはりその二つの印象が強いようだ。
というか、それ以外には知られていないのかもしれない。
「二階堂翔馬」
「そうそう、そんな名前だったような気がしますな。この店の前で決闘があったのはご存じですか?今から何か月か前だったか……確か、荒鷲の兄弟団の人間を相手にして大立ち回りをしたとか」
流石にあの決闘についてはこの店でも大きな事件だったのだろう。
――多分だが、あの後野次馬や通行人がここの臨時収入になっている。
「その決闘の後、この男がどこに行ったのかはご存じですか?」
答えはノーだった。
数秒の沈黙の後に諦めたように小さく首を横に振った。
「……いや、それ以降は聞きませんな」
一瞬の邪推――奴を匿っている?
だがすぐに考え直す。嘘を言っている様子はない。
先程の沈黙は単純に記憶を辿っていたのだろう。
「そうですか。ありがとうございました」
仕方ない。あとはラチェに行って足跡を確認するだけだ。
そう考えてコップの中の残りを一気に煽る。
「メリルさん」
丁度飲み終わったところでスイに声をかけられた。
「どうだった?」
小さく首を横へ。手には小さな木の実が二つ。
「どうも誰も覚えていないようです。兄もフードの男も」
「まあ、仕方ないさ。気長にやろう」
もしかしたら自分に言い聞かせているように見えたかもしれない。
「ところでそれは?」
「ああ、これですか?これはナミザの実という木の実で、薬の材料になります」
ナミザについては知識があったが、こんな実がなるという事までは入っていない。
ナミザはこの国ではありふれた植物で、大人の背丈より低い木に薄黄色の花が咲くという知識しか用意されていない。
「ナミザが実をつけるのか?」
「ええ。花が枯れてからしばらくは葉っぱだけですが、冬の間の短い期間だけこんな実を枝いっぱいに。これはそれを収穫して乾燥させたものですね」
言いながら、手の中のそれを私に見せてくれる。
殻付きの落花生に似ているその実を手の中でカサカサ鳴らすと、それからたすき掛けにしていた鞄のポケットにしまい込んだ。
「成程、流石は薬師だな」
そう言うと少し照れ臭そうにはにかんだ。
自分のその声で勢いをつけるように立ち上がり、絞り水の代金を支払う。
後は市場で物資を揃えて出発だ。
「ああ、そうそう」
代金の生産を終えた時にバーテンが思い出したように切り出した。
「さっきの男、ラチェで一山当てたとかいう話を聞いたことがありますな。詳しくは分かりませんが」
店を出て市場へ。
朝市の喧騒は既に落ち着いているが、それでもまだまだ活気がある。
私たちのような冒険者や、行商人なんかを相手にしたこれらの店が左右から呼び止めてくるのを或いは冷やかし、或いは足早に通り抜けながら必要な物資一式を揃えておく。
「どうです?切れ味は保証しますよ」
「うーん……そっちのも見せて」
それとナイフも用意しておく。
「その砥石は?そこの……その荒いやつ」
いくつか手にしてみて、それと一緒に使う砥石も購入。
どれだけ使うことになるのかは分からないが、ものがものだけに戦闘だけでなく料理や山歩きなど多様なニーズが発生する可能性を考えると切れ味だけでなく研ぎやすい硬さの鋼を選びたい。
「毎度あり!」
11~12cmほどの刃渡りのシースナイフを砥石と一緒に購入し、股間と右太ももの間あたりに吊るす。こうしておくと咄嗟の際に抜きやすい。
「さて、私はもう準備はできたが……」
「はい。僕も大丈夫です」
日用品から冒険者用の各種消耗品まで、それぞれ必要と思われるものを纏めて町の門へ向かう。流石にラチェまでならそこまで大荷物にならない。
ラチェは近い。が、直線ではない。
アーミラを街道沿いに東へ進み、南北にのびる山脈にぶつかったら、その山裾に沿って山脈の南端を迂回する形をとる。
山脈南端には小さな宿場というか村落というかがあり、今日の目標は日没までにそこに到着することだ。
まだ太陽が東に傾いている――この世界でも太陽と月は同じ動きをするらしい――上に、天気もいい。まあそこまで焦る必要もないだろう。
門の前の衛兵に出来立てほやほやのギルド発行の証明書を提示するとあっさり通してもらえた。入るのに比べてなんとも簡単なことだ。
「さて、それじゃ改めてよろしくな。少年」
「はい。こちらこそ」
次の目的地へ歩き出す。
今度こそ、何か手掛かりがあるといいのだが。
(つづく)
今日は短め
続きは明日に
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