最初の一歩1
「……」
こくり、と喉が鳴る。
ただの人形のはずの喉が。
明らかに異常――しかし……。
「……もしもし?」
普通なら諦めて切られるぐらいの呼び出しの後、私は恐る恐る未知の相手に応じた。
この世の誰もかける事のできない電話=「この世」以外からならかけられる電話。
「こちらはメリーさんの電話でしょうか?」
「……どちら様?」
電話を通してだからだろうか、相手の声はどうも女であるという事が分かる以外には何もイメージできないものだった。
若いようにも、老人のようにも、子供の悪戯のようにも、保険のセールスのようにも、不思議なことに如何様にも解釈できそうな声。
「突然のご連絡をお許しください。私は……あなたの追っている人物が向かった世界の者です」
その不思議な声は、その不思議な正体を、何の不思議もないことのように語った。
「彼、二階堂翔馬はこちらの世界に転移いたしました……あなたもご存じのように」
どうやら電話の相手はただ者ではない。
私の正体も、どう動いているのかも全て手の内という訳だ。
「……ええ。それで?」
だが、そこで引く訳にもいかない。
呪いの渡世は――この例えが適切かどうかは知らないが――武士ややくざ者のそれと同じだ。舐められた終わりなのだ。
「そちらの世界に亡命したから見逃せ……という話ですか?」
私のその問いに、相手は若干なだめるような口調で応じた。
「いいえ。……単刀直入に申し上げます。あなたにもこちらに来て彼を追って頂きたいのです」
好都合――といえばそうなのだろう。
「……なぜ?」
だが故に疑わしい。
「詳しくは申し上げられません。ですが、彼の存在は私の予想を超えた方向に進んでいます。はっきり申しますと、彼は世界に危険をもたらしかねない存在です」
半年間で何があったのやら。
「そしてお恥ずかしいお話なのですが、秘封破りという特殊能力に目覚め、それを用いての活動を始めたのを最後に私には今彼がどこで何をしているのか把握できていないのです。故にどうかあなたに、こちらの世界に渡って、その能力を持ってかれの居場所を突き止めて頂きたいのです」
突き止める……ねぇ。
「成程」
小さく息をついてから返事を続ける。
「そちらの仰りたいことは分かりました。ですが、私の名をご存じという事は、私が見つけ出した相手をどうするのかはお判りですね?」
「ええ。存じております。あなたのなさりたいようになさって結構です」
つまりこうだ。異世界に来て奴を殺せ。
「……どういう訳か、教えていただけます?」
一応念のため確認しておく。
単純な興味:一体奴は何をしでかして私による追跡を依頼されるようになったのか。
「もし引き受けてくださるのでしたら、こちらの世界で説明させていただきます。了承していただけるのなら、ワームホール――彼がこちらに転移してきたあの空間の歪みをこちらで開き、こちらで活動するための人間の肉体をご用意いたします」
どうやら引き受けなければ教えてはくれないらしい。
――まあいい。どの道やるのだ。
「人間の体?」
それに、相手が提示してきたこの条件も気になる。
「こちらの世界というのはそちらとは異なっておりまして、そちらで言う剣と魔法のファンタジーと呼ばれるようなものです。呪いや魔術といったものは普遍の技術として存在してしまうため、あなたを探知する方法や無効化する手段も存在します。そのため、特に市街地などで怪しまれることなく行動するには人体が必要になります」
成程。化け物として退治されないように、という事か。
特殊能力がどうのこうの言っていたことと合わせて、そういう世界なのだろう。
「手配する肉体にはこちらの世界での追跡に必要となるだろう能力を事前に付与しておきます」
「成程……ところで」
「はい?」
肝心の部分を確かめる。
「その話が信じられる根拠は?」
呪いや魔術が普遍的に存在する剣と魔法のファンタジー世界。
呪いや魔術を無効化する手段が存在する世界。
奴がそちらに向かって半年=こちらが追えない空白の期間。
その間に何があって、どういう仲間ができたのかわからない。
つまり、こいつの話が罠である可能性もあるという事だ。
「根拠……そうですね」
電話の声が一瞬消える。
「私はあなたと似たような存在である……というのはいかがでしょうか?」
「……というと?」
その答えは聴覚ではなく視覚にもたらされた。
「ッ!!」
ただのコンビニの駐車場。
そこに現れた、奴を飲み込んだようなワームホール。
その真ん中に見える、緩やかなローブを纏った恐らくは女と思われる人物。
「これが私の姿です」
わーん、と頭の中に響く声がそう告げる。
何故かその声が目の前の人物から発せられていると確信している自分に気づく。
「あなたが捨てた相手を追いかけて殺すという決まりから逃れられないように、私もまた与えられた役割以外はすることが出来ないのです。そして私は私の管轄においてでしかあなたに干渉できません。こちらの世界に招いて肉体と能力とを付与するのは、その管轄の限界なのです」
口ではいくらでも言える――と、普通なら考えるところだろうが、私には十分な説明だった。
確かに言う通り、私は決まりから逃げることはできない。私は『メリーさん』であると同時に『メリーさん』という存在に一線を越えて近づいた者をターゲットとして始末するために造られたシステムだ。
射手が引き金を引けば、撃鉄が動いて装薬が発火して弾丸が銃口から飛び出す――この一連の流れの、引き金以降が私なのだ。
そして目の前の相手は、自分がそれと同じだという。
その申告が嘘であるとするには、余りに私の直感が強く否定を示している――或いはそれすらも奴の術中に落ちたが故かもしれないが、そこまで掌握されてしまっていればどの道逃げる術などない。
つまり、どちらにしろ答えは決まっている。
システムは確実に動作しなければならない。撃発不良を起こす訳にはいかない。
「分かりました。そちらに行きましょう」
その答えと同時に、奴自身がまばゆいシルエットに変わり、それが無限に広がって私を飲み込んだ。
「成功しました」
光に眩んでいた視界が徐々に回復していく中で聞こえた声は、頭の中からではなく上から聞こえてきた。
「おお……」
思わず声を漏らす。確かに成功だ。
それまでいたはずの駐車場は、荒れ果ててはいるがかつては私なんかがいるべきではない神聖な場所だったのだろうというのが分かる礼拝堂のような場所になっていた。
それを表すように、コンビニの店舗があった方向を見ると、仰々しい――しかし朽ち果てた――祭壇を前にして膝のあたりまでしか残っていない石像が一つ。
残っている部分からして、恐らく先程まで話していた、光が収まってからは姿の見えない相手を祀っている場所なのだろう。
――そしてこの荒れ方を見るに、どうも壊れたドーム状の天井の、そのはるか上から聞こえてくる声の主は、今や時代遅れの存在なのだろう。
「このようなところしか用意できず申し訳ありません。ご覧いただいている通り、この時代の私はすでに昔話の存在です。力が及ぶ場所は多くありません」
自覚はあったらしい。
まあ、今は宗教学や民俗学を研究している訳ではない。一体どれほどのご加護が与えられているのか、大事なのはそこだ。
「そこの鏡をご覧ください。人間の肉体を用意いたしました」
その言葉に反応したように、祭壇の上の古い鏡が光を反射した。
周囲を複雑な銅細工に囲まれたその鏡は、相当の年代物でありながらしっかりと私と、鏡の前に安置された――より実態に即していえば転がっている――いかめしい大剣を映し出している。
「容姿に関しては、あちらでのあなたのそれをもとにこちらで都合のいいように編集いたしました」
元の容姿からの部分=腰の辺りまである金色の髪。ライトブルーの瞳
編集されただろう部分=徒っぽい顔立ちと動きやすさ重視な衣服。
(つづく)