終着点6
「殺す……か」
私の言葉を反芻する様に奴が呟く。
それからふと天井を仰ぎ見ると、少し何かを思案するようなそぶりを見せてからもう一度こちらを見直した。
「もし本気なら、どうだろう?私を見逃してはくれないかな?」
その申し出に真っ先に食いついたのはスイだった。
「なっ!?何を言っている!!」
「それほどおかしい話ではあるまい。私は君たちではあれをどうかすることは出来ないと思っている。そしてそちらのお嬢さんはあれを殺したいと来ている。さしずめ君は……自分の兄の仇を討ちに来たといったところかな?私としてはここで殺されるのは困る。何しろ、今後あれの改良を続けなくてはならないのだからね」
「今のところ、こちらがその提案を飲むメリットは何もないようだけど?」
私が横やりを入れると、奴はそれを忘れていたとばかりにパンと手を叩いた。
「おう、そうだった。なあ少年。賢者の石の研究とはつまり、無尽蔵の魔力の研究に他ならない。どうだろう?君の兄に魔力を返すというのは」
魔力を返す。そんなことが出来るのかどうかは知らない。
いや、そもそも奪い取ったことによって奴の魔力は失われたのだろうか。
それとも破壊したアマキの体内の魔力の流れを回復させる手段があるとでも言うのだろうか。
「私には彼に貸していた試作品が必要だった。今は本物の神器と秘封破りを持つ者がセットでなければ起動しない賢者の石を、将来的には使用者を選ばない人工神器で代用するつもりだった。試作品のコピーさえ作れれば、彼にまた渡しても構わない。どうだろう?必要ならば、君の魔力を今より更に強力なものに――」
「よし。分かった」
「メリルさん!?」
回答権を奪い、スイの困惑と抗議が混じった声を無視しながら納刀する。
「スイ。こいつの武器を取り上げろ。それとあの網がまだあったらそれで魔封じを」
「で、でも――」
当然ながら納得できないでいる彼に耳打ちする。
「考えてもみろ。抵抗を奪った後ならいくらでも始末をつけられる」
彼の反論が来る前に奴の方へと歩み寄る。
「おお、分かってくれるとは有り難い」
「私の目的はあれを殺すことだ。あんたは別にどうでもいい」
背後の気配=スイがついてきている。
「スイ。頼むぞ」
そう言いながら、私の眼はジェレミアのそれを見ていた。
奴は座ったままひらひらと両手を頭の高さに上げて無抵抗をアピールしている。
「さ、この通り抵抗するつもりはないよ。君のお目当てはこの扉の向こうにいる」
「だってさ」
スイに同意を求め、老人の様子を顎でしゃくって示す――よく見ろ。お前なら分かってくれるだろう。
「それじゃ――」
老人をスイに任せて扉の方に向きを変え――ようとするその瞬間、抜き放った私の刃が飛んできた何かを真っ二つにしていた。
「シャッ!!!」
体の向きを変え、その勢いと抜き打ちの勢いとを活かしたまま袈裟懸けに斬りつける。
ジェレミアの体にスラッシュが一つ駆け抜けた。
と、同時にその軌道から湧き上がってくる無数の巨大蜂。
バンディットワスプ――かつてラチェに向かう道すがら遭遇したモルモット大の蜂の化け物は主の体に纏わりついて休眠状態に入っていたのだろう。こうした場合に覚醒し、至近距離の相手に発射する暗器として。
「な……っ」
だが、奴の運は尽きた。
私の斬撃は奴の思っているよりも速く、そして長い。
放たれたバンディットワスプはまた、どこまで上手く扱えても蜂型のモンスターだ。
「ナイスだ。スイ」
薄紅色の煙が私と死に向かっているジェレミアの間に広がっていた。
あの日、野生のこいつらに襲われた時に彼が使ったこの薬は、奴が飼いならしたものにも有効だった。
「がうっ!?ばっ……」
死にかけの主を敵と認識したのか、一斉に蜂の大群が襲い掛かる。
すぐに青い煙を放つ玉が投入され、その青に飲まれた蜂がボトボトと床に落ちては光となって消えていく。虫よけの次には殺虫剤もあったようだ。
二色の煙の漂う中で、まだ奴は生きていた。
だがもう長くないのは明らかだ。
「はっ……はっ……」
喘ぐように短い呼吸を繰り返し、しかし体は大の字に倒れたまま動かない。
袈裟懸けに切り裂いた体からは、意外にもほとんど血は出ていなかった。代わりに、赤い粒子のようなもの――あの異形の羽から撒かれていたものよりも色の薄い――が、奴の胸が苦しそうに上下するのに合わせて噴き出ていた。
「まさか……虫よけ……は……」
「残念だったな。こいつの薬は良く効くぞ」
ジェレミアの急激に萎んだように思える顔が、僅かに笑った。
「ハ……ハ……、確……に……。賢者の石……勝るとも……」
それきり、時が止まったようだった。
――いや、実際には止まっていた時が一気に流れたのだという事をその後知らされたのだが。
「なんだ?」
動きを止めた奴の体が、魔物のそれのように光に包まれて消えていく。
残されたのはボロボロのローブと、それを纏った小さな白骨死体。そして二つに割れた魔石のようなもの。
「恐らくこの石が、賢者の石の試作品だったのでしょう」
「これが割れたことで死んだ……と?」
少年は頷いた。その表情は青い。
「恐らく、この石の力で200年もの間生き続けたのでしょうから」
「そうか……」
しばし互いに無言。
目の前で起こった一瞬の攻防に何を感じたのか、彼の血の気の退いた顔を見れば言葉を交わさずとも分かる。
「よくあの瞬間に分かったな。ありがとう」
だからこちらから発するのは感謝の声。
「いっ、いえ」
それに対して少年は無理に笑って見せた。
「メリルさんと一緒にいたら……ああいうだまし討ちとか不意打ち?の感じも……なんとなく……」
「そうか、悪い大人だな。私は」
そう言って笑うと、彼もまた合わせて笑って見せた――青白い顔のまま。
「よし、それじゃあスイ。一つ頼まれてくれないか」
「えっ、何でしょう」
しばしの笑いの後、私は覚悟を決して彼に切り出した。
一度扉を、奴へと通じる扉を見てから。
私が私として、この先に進むために。
そして彼と一緒に、ここから帰るために。
「ここから先は一人で行かせてくれ」
それは唐突な頼みだった。
だが、どうしても飲んでほしかった。
「えっ、なっ、何を――」
理解できていないスイに更に畳みかける。
「ここから先は、今見たのよりももっと嫌なものを見ることになると思う。それに、正直なところ君を守りながら戦うのには危険な相手だ」
それに関しては今まで随分そういう展開もあったのだが、この先は別だ。
――いや、そうではない。本当に危険なのは私だ。
奴を仕留めるのには、恐らく私は本当の力を出さねばならないだろう。
今までだってやってきたが、それが彼にばれない範囲だっただけだ。
今度はむき出しになる。メリルではなくメリーとして、奴を殺さなければいけないから。
「それにね、私は君が隣や前に立っている時よりも、君が背中にいた時の方が調子がいい」
だからこんな照れ隠し風の理由もつけておく。
――私は彼に背中を向ける。
恐ろしいメリーではなく、優しいメリルさんとして。
「こうありたい、こうであってほしい」を目の前の現実と混同してはならない――今から殺しに行く相手の映像を見た時に感じたその思いを、今度は自分にあてはめる。
現実の私は化け物だ。人間を追いかけ、殺すためにいる。
だがおかしなことに、今の私は彼にとって、頼りになるお姉さん「でいたい」と思っている。
だから、ここでお別れだ。
こうありたい、理想の自分はここで、彼と一緒に置いていく。
ここから先は、ただのメリー。
ただひたすらに、対象を殺すシステムだ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に
今週中に最終回を迎えます




