終着点5
「馬鹿野郎が……」
映像の終わりに私の口から出た声は、自分でも驚くほどに暗いものだった。
軽蔑、落胆、失望――そして少しだけの安堵。
前者三つ:奴の余りのどうしようもなさ。
無条件に自分だけを受け入れてくれる世界――そんなものどこにもありはしない。
その当たり前の事実を、奴は結局理解できなかったのだ。奴と同年代でとっくに当然のことと理解している者が大多数だろうに。
致命的な、あまりに致命的な認識の甘さ。
奴の過去――高校での孤立。なんとなくその原因を垣間見たような気さえした。
そしてその致命的な部分が、実際に奴の致命傷となった。正確に言えば奴と、それに不幸にもかかわった者たちの。
そして後者一つ:奴に対して多少芽生えかけていた殺すことへの躊躇が消滅したこと。
正直なところ、もし奴がアーミラにいた頃や、ラチェの森に入っていった頃のままだったとしたら、多少なりとも同情もしたかもしれなかった。
そしてもしあの姉妹が健在であったのなら、彼女らの事を少しばかり気にかけたかもしれなかった。
だが、もうその心配はない。
「……行くぞ」
ついてきているだろうスイを振り返らず、ただ一言そう告げて歩き出す。
奴が賢者の石の一部になったのなら、それを壊すだけだ。
賢者の石の一部になった結果があの異形なら、あれを殺すだけだ。
道なりは順調だった。
映像で見た通り林道は一本道で、その道が通じていた例の広場もまた、映像の中と何も変わっていない。
「……」
「メリルさ――ッ!!?」
その広場にたどり着いたと同時に、そこに放置された者達を見つけたスイが固まった。
まあ無理もない。異形にすらならず放置された、不幸な連中の成れの果ては、彼らの功績とその人当たりをすれば決して相応ではない、惨たらしい有様で放置されていた。
「……気の毒にな」
今の私たちには何もしてやることはできない。
若い夫婦とその良き友に対して抱いたのは、もしかしたらあの男と、それと共にいた姉妹に抱くことになったのかもしれない感情だった。
「行こう。私たちにはどうすることもできない」
「は、はい……」
彼らから正面の道へ。
どういう事か門は破壊され、自由に出入りできるようになっていた。
「斬ったか……」
その門の上側――というよりも膝より上の全ての部分がなくなっており、残された下の部分には、すっぱりと滑らかな断面が覗いていた。
その断面の状態からしてそこまで時間は経っていない。
「一体誰が……というより、こんなことが可能なのでしょうか?」
「ああ、出来るのだろうさ」
頭に思い浮かぶのは一人だけ。
そしてジェレミアの言葉――奴は剣を捧げた後も剣を振るうことが出来る。
重箱の隅をつつくような話――剣を振るう事は出来る。だが、元の肉体のままとは一言も言っていない。
その門の残骸を越え、階段を上り切った先の屋敷の玄関もまた、随分丹念に破壊された跡があった。
「油断するなよ。スイ」
鯉口を切って忍び寄りながら、後方に伝える。
「この先、あの異形とお前の兄を使っていたあの老人がいる」
「はい……、あの」
「ん?」
「やはりあの老人が、あの異形を差し向けたのでしょうか?」
それ以外にあるのか――そう答えようとした矢先、答えは奥からやってきた。
「半分は……そうだな」
「「!!?」」
同時に跳び下がる私たち。適当な遮蔽物に身を隠して様子をうかがう。
「こっちに来なさい。そうすれば詳しく教えよう。……もっとも、ここまで来て帰るつもりもないのだろう?」
「まあ、そうだがね」
答えながら私が先頭に立って屋敷に足を踏み入れた。
中は映像と同様に廃墟と変わらず、全体が植物の侵攻を受けて住居としての機能を失っていた。
その蔦に覆われた一本道の突き当り。
そこだけは往時のままなのだろう扉の両脇に、私たちはスタンバイする。
「覚悟はできたか?」
「はい……。行きましょう」
それが合図となった。
私が扉を蹴り破り、スイが谷底で使った布を広げて盾のように構えながら転がり込む。
「ようこそ。お二人さん」
中もまた映像と同じ――ではなかった。
「ジェレミア……」
一か所だけの明確な違い=賢者の石があった場所は安楽椅子に変わり、そこにあの老人が腰かけてこちらと相対していた。
「しっかりと名乗ったことはなかったな。我が名はジェレミア。栄えあるロストール帝国のメリガル伯ジェレミアだ」
「これはこれは、伯爵殿下。わざわざご丁寧にありがとうございます」
私の言葉に、その真意をくみ取ったジェレミアは少し苦笑交じりに言葉を続けた。
「信じられないのも無理はない。だが、私は事実として200年の時を生きているのだよ」
「賢者の石のために?」
スイの問いに老伯爵は一つ頷いた。
「いかにも。……かつて帝国はその魔術によって繁栄を手にし、その発展と普及とを国是としてきた。私はその先頭に立ち、あらゆる分野における魔術の活用を推進していたのだ」
昔話を聞きながら、目の前の机に広げられた沢山の書物に目をやる。ちょうど開かれたページに描かれていたのはラチェの森で遭遇した水鏡クラゲ。やはりロストール製だったのか、図面の横の書き込みには、こいつが人工的な魔物であることが示されていた。
そして私のそれをジェレミアも分かっているようだった。
「それを見れば分かる通り、帝国の魔術は魔物を人工的に生み出すところまで達していた。そうやって生み出した魔物を周辺諸国に輸出し、連中の軍を我々に依存させて戦わずに生殺与奪を奪う。これが当時私の担当していた仕事だ。難しい仕事ではあったが、だからと言って魔術師としての全身全霊をかけて打ち込むには少々退屈な仕事だった。そこで――」
「賢者の石という訳だ」
また一つ頷き。
「あれは私の夢だった。あらゆる方法を試し、そして人の命ではその研究を全うできないと知った私は、それまでに作成した試作のうちの一つを自らに使った。おかげで、遂に完成まで漕ぎつけたのだよ」
「ラットスロンを扱える者が現れるのを待っていた訳だ」
私がそう返すと、彼は少々意外そうな顔をしてみせた。
「ほう!奴の事を知っているのかね」
「あれは私の獲物でね」
成程、成程――分かっているのかいないのか、奴は繰り返す。
「そこまで知っているからには、君はどうして彼が賢者の石に必要だったのかも分かっているのか?」
あんたの口から出たことだけなら――とは言わないでおく。
話をややこしくしても仕方がないし、下手に正体を勘繰られるようなことを言う必要もない。
「賢者の石には神器と、それを扱える秘封破りの持ち主が必要だった……だっけ?」
「その通り。賢者の石の構造や原理自体は200年の間に何とか解明し再現に至ったがね、その賢者の石を覚醒させるための起爆剤には神器以外では足りなかったのだ。私のいくつか作り、その一つを少年の兄に貸し与えたのは、賢者の石の試作品。より正確に言えば賢者の石を模した、石を覚醒させるための起爆剤にする予定だったものだ」
いずれもそれには足りなかったがね――そう言って含み笑いが入る。
昔懐かしい思い出なのだろう。門外漢の私にはよく分からないが。
「で?あいつはどこにいる。賢者の石の一部になったのだろう?」
「この先だよ」
あっさりと自分の椅子の後ろを親指で指し示す。
「どうも」
「だが、行ってどうにかなるものでもあるまい。あれは今や賢者の石と一体化した、石そのものの防衛装置と言ってもいい。無限の力を持つ石から力を受けている最強の戦士だ。フフッ、最強というのは、あの男が求めていたものの一つだったようだが、ようやくそれを手にしているのだよ。君自身の身の安全だけでなく、その辺も汲んでやってはどうかね?」
そんなつもりは全くないというのは、奴の顔にありありと現れている。
どうせあれに勝てる訳もない――ただその思いだけが形を持って奴の表情を形成しているようにすら思える、自信にあふれた態度だ。
「そういう訳にもいかないな。私は――」
一歩進む。すぐにでも踏み込める間合まで。
「あいつを殺すためにここに来たのだからね」
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




