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158/173

それぞれの取り分5☆

 遠くで兄弟団の魔術師たちが何かを叫んでいる。

 俺たちと一緒にあそこにいて、同じように逃げてきた連中がそこに混じっていく。


 「……フレイ」

 俺はただ、自分の足元を見つめていた。

 緑色の濁流となった、ついさっきまで不通の地面だった場所を。

 ――ついさっきまでいたはずの仲間を。


 濁流は不思議なほどに静かだった。まるで雲で満ちているように、何の声も、音も聞こえてこない。

 その下には何もないように。ただゆらゆらと濃密な緑が揺れて、流れていく。

 「……」

 何か言おうとした。

 確かに言わなければいけない言葉が喉元まで浮かびあがっていたような気がしていた。

 だが、実際には何も出てこなかった。

 ただ落ちていった仲間の名がぽつりと、口から不意に漏れただけだった。


 彼女は落ちていった。

 彼女は俺と共に戦った。

 彼女は俺についてきてくれた。

 彼女は妹を失った。

 彼女は俺の仲間だった。


 頭の中にはぼんやりと彼女の顔が思い浮かぶ。

 その彼女の今の姿=目の前に広がる緑の濁流。


 「……」

 膝が地面につく。

 しばらくそのまま、俺は濁流を眺めていた。

 「……」

 一体どれぐらいそうしていただろうか。

 マンティコアの置き土産は、少しずつ崖の下に落ちているが、それでもまだ緑の世界は底が見えず、独特の臭いが辺りに充満していた。


 「おい、あんた」

 誰かに声をかけられた。

 その声の方向に顔を向ける。知っている相手か、或いは知らない相手か――もうそれすらも分からない。

 いや、分かるとか分からないではない。どうでもいい。

 「あんたはどうする気だ」

 その人物は俺を見下ろしながらそう尋ねた。

 「どうする……」

 言われた言葉を反芻する。

 その人物=恐らく兄弟団の一員と思われる男は、自分の仲間が集まっているのを一度振り返る。

 「俺たちは恐らく退くことになる。あとはあんたの判断だが、帰った方がいいと思うけどな」

 それだけ言うと、彼は踵を返して仲間たちが集まっている方へと戻っていく。

 その背中に背負われたクロスボウから見て、一緒に走って逃げてきたのだろう。


 別に彼らについていきたいと思った訳ではない。

 ただ、その一言が俺に孤独を味あわせていた。

 そしてそれゆえに、彼らがどうするのかを見ていたかった――いや、厳密に言えば違うだろう。俺は自分を見たくなかった。自分の現状を考えたくなかった。

 自分以外の何かに意識を向けていたいという強烈な衝動が、彼らから目を離させなかった。


 彼が去っていった方から、ゲイルに副長と呼ばれた人物の声がした。

 「被害状況を」

 近くにいた者が何事かを彼に伝えているが、ここからでは良く聞こえない。

 そしてその報告が、それを受けた副長にどういう感情を抱かせたのかもまた、ここからでは分からない。

 「……」

 しばし副長は黙っていた。

 ――そこで、ゲイルの姿が見えないことに気づいた。ゲイルに替わり副長が指揮を執っているらしいことも。


 「回復術の使える者に被害は?」

 「ブルーノとクレアが傷を負い、現在それぞれに回復術の使える魔術師がついて治療しています。幸い命に別状はないようです」

 今度は聞こえた。

 「……他に手の空いている回復術の使える者はいるか?」

 「ラナが使えます」

 そのやり取りの最中に副長に受け答えしている人物の横に女性の魔術師が一人近づいた。

 恐らく彼女がラナという人物なのだろう。

 「よし、ラナ。ディンゴの傷を見てやってくれ」

 「了解しました」

 彼女が他の者に背負われて崖の上まで逃げおおせ、今は寝かされている男のそばに向かう。

 それを見送って副長は声のボリュームを上げた。

 「他の者は所持している傷薬を使用しろ。治療を終え次第、わが隊は撤退する」

 そう言うと、自身の横に控えていたまだ少年と言っていい若い魔術師に何かを告げる。


 「……了解しました」

 その魔術師――ここから見ても青ざめているのが分かる――は何かを詠唱し、それから自らの肩に止まっていた使い魔の鳥を空に放つ。

 鳥は一度大きく円を描くと、谷と反対側へと飛び去り、この山のすぐ奥に広がる林の向こうへ消えていった。


 「……」

 彼らは退く。

 最初にあった時よりも――その時彼らを率いていたゲイルを含めて――少なくなっているのは俺の眼にも分かる。

 きっとそれが冷静な判断というものだろう。

 この戦いで彼らは多くを失った。

 これ以上強行するのはあまりに危険だ。

 それが正しいのだろう――普通は。


 「……」

 もう一度崖の下に目をやる。

 緑の濁流はまだ渦巻いている。

 俺は無意識に腰のお守りに手を触れていた――大丈夫。きっと大丈夫だ。

 「……待っていてくれ」

 ぼそりと呟いた自分の声は、老人のようにぼそぼそと聞き取りづらいものだった。

 普通は退くしかない。

 だって俺にはもうフレイもセレネもいないのだから。

 俺は二人を失ってしまったのだから。

 俺が無理に進もうとしたから、俺が止めを刺したと思い込んで背を向けたから、俺が守ってやれなかったから、俺が腕を伸ばしてやれなかったから。


 だが、俺はまだ取り返せる。

 賢者の石。それさえあれば俺は二人を蘇らせることが出来る。


 俺は二人を失った。

 だがまだ失ったと決まった訳じゃない。

 俺は二人を取り戻す。二人を必ず蘇らせる。


 「――よし、各隊点呼」

 生存者の回復が終わったのだろう。副長の声がする。それに答える声がいくつか返ってきている。

 「では撤退を開始する。マルコ、ディーコン、お前たちが先頭に立て。魔術師隊がその後ろに着け。その後ろ、戦士隊と弓兵隊で各隊の装備を喪失した者を囲え。殿は私が立つ。ジョイス」

 「あっ、はい」

 びくりと驚いたように返事をしたのはあの若い魔術師だった。

 「先遣隊からの返答はあったか?」

 「はい。ちょうど今」

 「読み上げてくれ」

 「了解しました。『委細承知した。以降我々は我々の判断で行動する。無事の帰還を』以上です」

 先遣隊――その言葉に、俺の頭の中に浮かぶ顔はもう決まっている。

 彼らに勝たなくてはならない。

 彼らより先に賢者の石を手に入れなければならない。


 「待っていろよ……」

 俺は歩き出す。

 撤退を始めた連中のすぐ後ろを横切って、彼らが向かうはずだったのだろう、林の向こうへ。

 賢者の石だ。それさえ手に入れれば俺は二人を蘇らせられる。

 それさえあれば、俺は取り戻せる。

 俺は――。


(つづく)

今日も短め

続きは明日に

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