再会10
「えっ、いや――」
何か言いかけるスイを制して言葉を続ける。
「君だって、本当に兄を殺したい訳じゃないだろう?」
「それは……そうですが……」
躊躇いがちに答えながら、ちらりと私の方を見る。
何となく彼の言いたいことは分かってきている。
「大丈夫だよ。私がそこまで余裕がないように思えるか?」
「い、いえ!決してそう言う訳じゃ――」
「なら大丈夫だ。……それに、私だって仕事以外で人を殺すのはあまり気分が乗らない」
嘘は言っていない。
私は自らの意思で私に接近した相手は手にかけてきたが、少なくとも無関係の誰かを手あたり次第に殺すつもりなどない。
自分の身を護るためにやむを得ない場合を除き、ターゲット以外の人命は奪わない。
「幸い君の表情を見ていると、私は嫌いなことをしないで済みそうだしね」
もう一度ダメ押し。
スイは兄を殺せない。その気は恐らくない。
なら私が横から口出ししたり殺したりする訳にはいかないだろう。
人は殺す。だがそれには理由がいる。誰彼構わず手にかける気はない。
「……ありがとうございます」
きっと図星だったのだろう。スイの声はどこか恥ずかしそうで、しかし別のどこか――というよりも恥ずかしがる場所以外の全てで――安心しているようだった。
とりあえず、これで一通りは終わりだ。
「それにしても、全て幻だったとはな……」
「すいません。もっと早く気付くべきでした。兄の性格を知っていたのに……」
「君のせいじゃないさ。弟相手に本気で殺しに来るような相手のことなど、完全に理解するのは不可能だよ」
慰めるようにそう言って、自分の口から出た言葉の異常さを改めて実感する。
赤の他人である私が敵対している相手を殺さないと宣言したのに対して、血を分けた弟を本気で殺しに来る兄。身内の方が憎いというのは本当なのだろうかなどと考える。
「……恐らく兄も、本気で殺しに来てはいないと思います」
そんな私の考えはスイのその呟きによって打ち消された。
「そう思うか?」
今の攻撃はまさしく殺しに来ていたと思うが。
「いえ、分かりません。分かりませんが……なんとなくそう思いたいのです」
思いたい――なんとなく頭に浮かんだのは、過去の映像で何度も見たあいつらの顔。
「……酷かもしれないが」
そして過敏かもしれないが。
「願望と現実は分けて考えるべきだ」
「こうであってほしい」が強くなりすぎると、やがて「実際はこうだ」と混同し始める。
そしてその混同の危険性に気づくのは、それを身をもって知った時だ。
「そうですね……」
だが、それを言ったところで、恐らくすぐにそう切り替えられるものでもあるまい。
アマキとかいうあの男が何を考えているのかは分からないが、少なくともスイには彼を殺すつもりはないのだ。私にはそれだけ分かれば十分だ。
「ところで――」
なので話題を変える――気分も変えるために。
私は努めて声のトーンを変えて、先程消し炭になる未来から私を救ってくれたシートを拾い上げた。
「これ、助かったよ。ありがとう」
炎の塊を叩きつけられたはずのそのシートはしかし、どこも焦げるどころか熱すら持っていなかった。
そしてそれどころか、あれほどの炎に触れながらも、その表面は僅かに湿っていた。
その優れモノのシートを受け取りながら、スイが僅かに誇らし気が同居した照れ笑いを浮かべた――恐らく、彼もまた空気を変えるのに協力的だったのだろう。
「間に合ってよかったです。正直、作った時には過剰だと思っていましたが、持ってきて正解でした」
「作ったって……これ、君が作ったのか!?」
受け取ったシートを折りたたみながらスイは頷く。誇らし気が同居人から主人へと変わる程の照れ笑い。
「以前樹人などに使ったあのネットと原理は同じです。あのネットを編み込んで、この生地にも魔力を奪う効果や魔力を弾く効果を与える魔術薬を何度も繰り返ししみ込ませて作ります。しみ込ませた薬がなくなるまで何度でも使えますよ」
正直なところ、私には彼の魔術は兄のそれより凄いと思うのだが、ファスの魔術師の世界ではそうではないらしい。
「また今度、なにかあったら頼むよ」
「ええ。……任せてください」
最後の言葉は小さかったが、しかし谷を吹き抜ける冷たい風にかき消されることなくしっかりと聞こえてきた。
「ああ。頼りにしているよ」
握手を差し出すと、私とどちらが女の手か分からないような細いそれが、躊躇いがちに受け入れてくれた。
そのやり取りの後、私たちは再び歩き出した。
向かうはここの更に奥、上に登る階段のある塔だ。
「トラップがあるかもしれません。警戒していきましょう」
そう言ってスイが先頭に立つと、杖を地面に突き立てて何か口の中で静かに詠唱を始めた。
「魔術的トラップ探知用の魔術を使いました。恐らく兄が仕掛けてくるとしたら魔術を用いたトラップになるはずです」
罠猟師のような技術は持っていないはずですから、と付け加えながらそう説明してくれた。
なんとなく、スイはそっちの能力がありそうな気がするが、今はそんな事を考えている場合ではない。彼の後ろに続いて、周囲や足元に注意を向ける。
警戒を緩めずに歩く事数分。
靄の向こうに見えてきた塔は、過去の映像のものと何ら変わらない。
「あれだ。あそこから上に登れるはずだ」
私が塔を指さすと、ハッと驚いたようにスイがそちらに顔を向けた。
「あっ!は、はい……」
ぼうっとしていた。或いは何か考え事をしていた。
それが一目でわかるリアクションだ。
「おいおい。しっかりしてくれよ?トラップがあるかもしれないのだろう?」
「す、すいません。少し考え事を……」
そしてそのリアクションを全く裏切らない答えが返ってくる。
「何を?」
「……どうして兄はここで仕掛けてきたのか、という点です」
そう言って足を止めたスイはこれまで進んできた谷底を振り返る。
「僕たちがこっちに来るというのを知っていなければ、ここで迎撃は出来ないはずです」
「もう片方の道にも同じように配置して、どちらに通りかかっても襲撃できるようにしてあったとか?」
「それもあるかもしれません。……ただ、もう一つの可能性として、誰かが僕たちを見張っていた可能性はあります」
まあその可能性はあるだろう――言われてから初めて気づいたというのは伏せておく。
「それが誰かまでは?」
「分かりません。誰か兄の協力者がいるのか、或いは使い魔の類を使って偵察させているのか」
しばし沈黙。
しかし、ここでこうして止まっていても意味がない。
「……まあとにかくだ」
彼がこちらを見る。
それを受けて私は彼の向こうを見る。
「どの道奴の襲撃を打ち破ったんだ。今後は奴のマークは厳しくなるだろう。なら今更考えても仕方がない」
幸いその使い魔を使用しての攻撃は仕掛けてきていないのだ。
ならまだ望みはある。
「奴が防御を固める前に遭遇するといいね。まあ、恐らく頭に来ているだろうから、向こうから会いに来る可能性もあるが」
そうであってくれることを望みながら塔の足元まで進む。
そこを過去にも利用した者があるという事を、その開きっぱなしになった扉と、無数の足跡、そしてその足跡に混じって光る連中の足跡が示していた。
(つづく)
今日も短め
続きは明日に




