ロストール3☆
声の主を探して崖に近づいていく。念のため足音を忍ばせて。
どうやら元々この場所は何らかの建物で、崖の向こう側と繋がっていたらしい。それなりの距離が開いている対岸に向かって伸びていたらしき橋の残骸が、今は朽ち果て、たもとだけが辛うじて残っていた。
崖の向こうにも建物があるようだが、こちらより高くなっていて全容を望むことはできない。
そこに向けられていた橋の残骸の影に隠れるようにして声のした方向=崖の下を覗き込むと、同時に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「少し急ぐぞ。先遣隊は既にこの先に到着しているはずだ」
「!?」
はっと息をのむ音が横から聞こえてきた。
その音の主=フレイに目をやると、彼女は妹と顔を見合わせている。
自分の聞いた声がただの空耳ではないという事を確かめあおうとしているのだろう。恐らく同じ理由で姉の方を見ていたセレネと小さく頷きあう。
「この声……」
「ええ。間違いないと思います」
俺と同じものが聞こえていた。
声を潜めて問いかけに肯定しながら、視線は崖の下、声の主に注がれている。
何人かの集団、恐らくその全員が冒険者だろうと分かるいで立ちのその集団の先頭にその人物は立っていた。
動きやすさと両立するために手足などを省略した鎧を着こみ、腰に長剣を提げた金髪の男。すらりと背の高い彼が後続に何かを伝えようと振り向いた時に見えたその瞳はブルーだった。
白い刃のゲイル――フレイとセレネの古巣にして、彼女たちが逃げてきた実家でもある冒険者の組織『荒鷲の兄弟団』のメンバーにして剣の使い手だ。
以前組織を抜けようとした姉妹を追ってアーミラの町までやってきた男で、俺と彼女たちを巡って決闘した相手だった。
その人物が今、眼下を歩いている。
そう言えば、兄弟団もロストールの賢者の石探しに参加しているとジェレミアさんが言っていた。
「凄い量だな……」
「あれでも全体のごく一部に過ぎません。恐らくゲイルが選別したメンバーでしょう。彼らがどういう経緯で賢者の石捜索に関わるようになったのかは分かりませんが、指揮官にあの男をつけるという事はそれなり以上に本気だと思います」
俺の呟きにフレイがそっと告げる。
言われて改めてゲイルの後に続く団員達に目をやる。それぞれ装備はバラバラだが、誰一人遅れることなく一定のペースで進み続けるところを見るに選別メンバーだけあって統率はしっかりととれているようだ。
その様子を見る限り、フレイの言うとおり彼らは本気だろう。それに聞こえてきた情報からするに、ロストールに来ているのはこれで全てではなく、先遣隊が先に現地入りしているらしい。
どうする?彼らはこちらに気づいていない。
頭の中にある考えがよぎる――彼らは俺たちを敵と見ているかもしれない。
組織を抜けた姉妹と、それを匿い、あろうことか連れ戻しに来たゲイルを返り討ちにしてしまった。
組織からすれば俺は邪魔者だろうし、ゲイルからすれば大勢の人々の前で恥をかかせた憎い相手だろう。
それに、何かあった場合に姉妹を再度連れ戻す可能性も否定できない。
「姿を見せない方が賢明か……」
そんな事を呟きながら、しかし同時に周囲を見て反対意見が頭の中に湧き上がる。
反論:そうはいっても他に道はなさそうだ。
この目の前の崖はなだらかな部分や足場になりそうな岩が多数転がっていて、降りようと思えば今彼らがいる辺りに降りることも可能だ。
そしてこの辺りから更に先に進むには他に道は見当たらない。
一度地下道に引き返して反対側の階段を登れば別のルートがあるのかもしれないが、それをしている間に連中が先行する可能性もある。
先行――それの一体何が問題なのかは俺自身よく分からないが、なんとなく連中だけでなく誰かに後れを取ることに強い忌避感がある。
この謎の感情の原因が良く分からないのだが、なんとなく湧き上がってくるそれが決断を躊躇させるぐらいには強い。
その不思議な葛藤を唐突に、そして強制的に終わらせたのは木が折れる湿った音だった。
「やばっ!!」
その直後にセレネの声。
音でびくりとなりながら彼女の方に目をやると、彼女本人よりも先に斜面を転がっていく橋の残骸の一部が目に入った――そしてその音と、頭上から降ってくるそれにこちらを見上げる無数の眼にも。
「誰だ!?」
最初に、というかほぼ反射的に声を発したのはゲイルだった。
誰だ――その問いに反し、誰が答えるまでもなく自身で頭上にいる相手の正体は理解したようだ。
「お前たち……」
「やばい!ショーマ!逃げよう!」
まるで悪戯が発覚したかのような様子で飛び上がるセレネ。驚くべき身軽さで俺の背後に隠れながら袖をくいくいと引っ張る。
「あっ、ちょっと――」
「待て待て。落ち着けよ」
俺の声を遮って聞こえてきた制止は、彼女が逃げようとした人物のものだった。
「もうお前たちの敵じゃない。兄弟団に連れ戻すつもりももうないよ。安心していい」
顔を見合わせる俺たち。信用できるかどうかは五分五分と言ったところ。
その間、彼は後続の味方に今話している相手=俺たちが敵ではないことを伝えている。
「大丈夫だ。こいつらは敵じゃない」
その声に、背後の連中は多少動揺してはいるようだが、それでもリーダーの意見を信じることにしたようだ。
そしてどうやら――当然と言えば当然だが――フレイとセレネを知っている者もいるようだった。ひそひそとこちらを指さしながら近くの者と何かを囁きあっている者達もチラホラ見える。
「こんなところに来る目的などそれほど多くあるまい。お前たちも賢者の石が目当てだろう?」
敵意はない――それをアピールする様に両掌を上に向けて大きく腕を開いて見せるゲイル。当たってはいるが答えていいものかどうか決めかねていた俺たちに、今度はそのまま小さく肩を竦める。
「どうだ?一緒に来ないか?」
何だと?
再び姉妹と顔を見合わせる。今度も聞き間違いではない。
「どの道、そこから先に進むにはこっちに降りてこなければならない。ならどうだ?」
「もう敵対する気はない……本当に信じてもいいんだね?」
聞き返したセレネに、奴はそうだと返す。
「ちょっとセレネ!?」
「それなら降りてみようよ」
「おい本気か!?」
俺とフレイがたしなめと驚きと半分ずつなのを尻目に、彼女は足場になる石に見当をつけ始めている。
「待て待てセレネ!本気で信じるのか!?」
思わずその肩に手を伸ばすと、彼女はそれに逆らう様子もなく振り返った。
その目はしっかりと俺と――その隣にいる自らの姉を見ている。
「あいつ……あんな風に言っている時には嘘はつかないよ」
知っているでしょ?と、姉の方に視線が向く。
「そう……だったわね」
彼女たちとゲイルがどういう関係なのかは分からない。だが、恐らく一緒にいる時間は十分にあったのだろう。
その彼女らがどちらも嘘ではないと言っているのなら、それは信じられると言える。
「よし……わかった」
俺のその声はここにいる誰よりも小さく漏れただけだったが、それでも姉妹にはしっかり聞こえていたようだった。
アイコンタクト。二人が俺の考えていることを理解したことを悟る。そして二人ともそれに異議がないこともまた。
それを確かめてから、俺は再度崖の下の、かつて剣を交えた男の方に目を向けた。
「分かった。今からそちらに降りる」
今度はしっかり彼にも聞こえる声で。
この後どうするかは未定だ。
或いはフレイの先程の提案通り一度撤退するかもしれないし、また或いはそうではないかもしれない。
その判断もかねて一度連中と話をしよう。もし何か情報が得られればそれを判断材料にすればいい。
そう結論付けた俺の答えにゲイルが応じるのと同時に、セレネが見当をつけていた岩に足を乗せていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




