生還、それから12☆
四方を囲まれた山小屋へ。
中は意外にも綺麗だった。綺麗、というよりもよく人が使っていると言った方がいいだろうか。放置されて蜘蛛の巣まみれ――とかそういう状態ではない。
小屋は扉を開けて直ぐの部屋と、その奥の扉の向こうの二部屋で構成されていて、どちらも広さは同じぐらいだ。
俺たちを最初の部屋に入れると、ジェレミアさんはアマキさんを呼び寄せて一言告げた。
「さて、まずは治療だ」
それだけで意味は通った。というより、俺たちも状況から今一番治療の必要な人間は分かっていた。
「さ、シギルさん。こちらへ」
その人物をアマキさんが呼び、彼をその場に座らせると、その前で杖を天井に向けてかざし、静かな声ですらすらと滑らかな詠唱を始める。
「生きとし生ける者の根源よ、わが呼び声に応えよ。その力今目覚めん。全ての清浄を受け入れ、再び輝かんことを」
それが回復のための詠唱であることは、シギルさんを包む柔らかな光と、それによって自らの体に起きている現象に驚いた様子の彼の表情で分かった。
だが、以前セレネに使ってもらった詠唱とはだいぶ違う。
その事に気づいたのは、やはり餅は餅屋という事か、横で見ていた魔術師の姉妹だった。
「凄い……」
思わず声を漏らしながら見とれていたセレネに尋ねる。
「普段使っている詠唱とは違うの?」
「こっちの方が上位の魔術だよ……というか、回復魔術では最上位のもの」
言われてから改めてシギルさんを見る。
彼を包み込むオーロラの向こうで、既に受けた傷はほとんどが癒えていた。
やがてその光が消える頃には、彼がつい先ほどまで何をされていたのかなど誰にも――下手すれば本人でさえ悪い夢だったと思うかもしれない――分からないぐらいに、体中の傷が消え去っていた。
「さ、もう大丈夫です」
そう言ったアマキさんの表情は、ギャラリーの反応からかどこかこそばゆいような、しかしどこか誇らし気なものだった。
何となく、日本にいる時にはまっていたRPGを思い出す。
レベルが上がると新たな回復魔法を覚えられて、上位のものになればなるほど回復量が増えていく。
「他に治療が必要な方は?」
アマキさんが辺りを見回すが、幸い誰もその必要はない。
「ありがとう。助かったよ」
体が問題なく動くことを確かめながら立ち上がったシギルさんが深々と頭を下げるのに、アマキさんは笑いながら応じていた。
「いえ、お役に立ててよかったです」
そんなやり取りの後、部屋を男女で分かれて眠ることになった。
手前の、今いる部屋を俺たちが、奥の部屋を女性陣が使うことに落ち着くと、ジェレミアさんの案内で一度全員が奥へと入る。
奥の部屋にはもう一つ更に奥への扉があり、そこの先は物置になっていた。
「すこしかび臭いが……まあ、我慢してくれ」
そう言って彼が出してきたのは古い寝袋。それに倣って全員がそれぞれ自分で使う寝袋を引っ張り出す。
「寝袋しかないが、それでも何もないよりましなはずだ。少しでも休んでくれ」
そう言って全員を見回したジェレミアさん。
それからすぐ、部屋割り通りに別れると、彼は不意に俺の方を見た。
「しかし、流石はラットスロンの英雄殿だ」
「えっ、あっ、いや……」
ラットスロンの英雄。そう言われても今の俺には何か気の利いた言葉を返すような起点はない――なんとなく、さっきアマキさんはこんな気分だったのだろうかなどと考える。
そんな俺の気持ちなど知ってか知らずか、更にジェレミアさんは続ける。
「ところで、君たちはこれからどうするつもりかな?やはり、ロストールに?」
「そうですね……」
実際にはまだ何も決まっていない。
ただデンケ族の人々を助けたいという思いだけで飛び出してきたようなものなのだ。
だが、先程まで歩いていた道を進めばロストールに行けるという言葉が、このまま帰るという判断に待ったをかけている。
ロストール=アベル達が賢者の石を探しに向かった先。
先程その地名を聞いてから、彼らの顔がどうしてもセットで浮かんでくる。
「ロストールと言えば賢者の石。そして賢者の石と言えば神器の中の神器などとも言われる神秘の逸品だ。そう簡単に見つけられるとは思えないが――」
そこで言葉を切るジェレミアさん。
その目が一度俺の腰に下がっているラットスロンに行く。
「仮に見つけられたとして、誰でもその力を使えるものでもあるまいよ」
その先、言わんとしていることは何となくわかった――自惚れているように思われるかもしれないが。
「だがどうだろう。神器であるラットスロンの秘封を破り、その力を引き出せる君であれば、或いは……と私は思うのだがね」
すぐには答えられなかった。恥ずかしさを誤魔化して口の中でもごもご言うだけだ。
だがその可能性は自分でも考えたことがなかったかと言えば嘘になる。
おかしな話だ。アベル達から切り捨てられた俺が、連中の探している賢者の石の力を引き出すには必要になるとは。
そこまで頭の中を巡っている時、ジェレミアさんは小さく咳ばらいを一つして、それからじっと俺を見つめて再び口を開いた。
「率直に言おう。私は君たちなら賢者の石を手に入れられると思っている」
「そ、それは……ありがとうございます」
正直ストレートにそう言ってもらうことがこんなに嬉しく思うとは自分でも意外だった。
だが、彼のそれはただ社交辞令を言いたかった訳ではないとでも言うようにさらに続く。
「冒険者である君には釈迦に説法かもしれないが、今も言った通り、賢者の石は神器の中の神器と呼ばれる存在だ。確かに存在は語られているが、実のところそれを手に入れた者がいるという話は未だに聞いたことがない。あるのは古今のあらゆる知識を与えるとか、絶大な魔力を得られるとか、巨万の富を生み出すとか、死者すらも蘇らせる力があるとか、そういう怪しげな噂だけだ」
そう言われて、こちらに来てからの記憶を思い出す。
確かに賢者の石の話は聞いたことがあったが、その正体が何なのかについては一度も確かな話に当たったためしがなかった。
そんな怪しい存在であっても探し求める者が後を絶たないという話はいくらでも聞いたが――そして身近にまさにその例があった訳だが。
「だが私には、君であればそれを見つけ出し、使いこなせる気がするのさ。考えてもみたまえ、世界広しといえど君の他に見たことがない程珍しい秘封破りという能力。あらゆる神器を扱い、力を引き出せるというそれを手に入れた君が現実にいるのだ。そんなことが起こり得るなら、賢者の石だって実際にあるとは思えないかい?」
そこで一息入れてから、更に続けるジェレミアさん――何も煽るつもりは毛頭ないがと付け加えて。
「そう思っているのは私だけではないようでね、あの『荒鷲の兄弟団』が現地入りして調査に乗り出したという話も聞いた」
「本当ですか!?」
その名前を忘れたりはしない。
かつてフレイとセレネを追いかけてきた冒険者たちの団体であり、二人の育った場所でもあり、二人の父が率いている組織でもある。
そのしがらみを嫌い、組織を抜けようとした姉妹を連れ戻すべく追いかけてきたその兄弟団の一人と、彼女らを巡って争ったのだった。
「その兄弟団だがね、君はかつてそのメンバーと出会ったのだろう?彼ら、おとぎ話だと思っていた秘封破りの使い手が存在するのなら……と、賢者の石捜索に向かっているようだよ」
どうやらあの戦いが影響しているようだ。
「勿論最終的には君の判断だ。だが、私はそういう連中よりも君がそれを手に入れると踏んでいるのさ。いくらか賭けてもいいくらいだ。それに、そうした方がきっとあの姉妹も、デンケ族のみんなも喜ぶと思うよ」
その言葉に弾かれたように奥の部屋に通じる扉を見る。
当然ながら閉じられて、疲れが出たのか、すでに物音ひとつない。
それから視線を目の前の人物に戻す。彼の駄目押しのような先程の一言が、俺の頭の中に一際強い残響となって残っていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




