生還、それから10☆
それからすぐ、俺たちは来た道を引き返していた。
背後では収容所全体に無数の光が舞い踊っている。あの衛兵隊長の自爆からすぐ、後を追ってきていたのだろう衛兵たちが押しかけてきて、俺たちは慌てて荒野へ飛び降りたのだった。
荒野を突っ切り、森を抜けて隠された穴のある洞窟へ。来た時と同じように進むが、そこには来た時と異なる点が一つ。
「……ここまでくれば、もう追ってはこないだろう」
遠くで蛍の群生地のようになっている収容所を振り返りながら呟いた人物=シギルさんがいる。
「さ、早く戻ろう」
彼を支えていたシェラさんが扉を開き、俺たちを洞窟の中へ案内する。
全員が入ったところで扉が閉じられると、外の――正確に言えば森のもっと向こうの大騒ぎは全く存在しなくなる。
ぼうっと灯った光に俺と姉妹が同時に息を漏らしたのが響いた。
とりあえず安全なところまで戻れた。
勿論まだ油断はできない――頭の中ではそういう声がするが、それでも全く安心できないなんてことはない。むしろそんな声が脳内で警告を発するぐらいには緊張を解いていた。
洞窟の中を町に向かって進む。
行き道に通ったそこを逆に歩き、そしてようやく長の屋敷の地下へ到達する。
「おおっ!!戻ってきたか!!」
迎え入れてくれたブレントは、明かりの下に俺たちが入ると飛び上がらんばかりの声を上げた。
「ああシギルも!ありがとう!本当にありがとう……!」
彼らの関係は分からない。
だが少なくとも、その生還をこうして喜べる仲なのだという事は明らかだった。
まるで握力の限界まで握ることが最大の感謝であるかのような彼の固い握手を受けた俺たちは、そこでようやく自分たちが無事に役目を果たしたことを実感したのだった。
「やりましたね。ショーマ」
「私たち、帰ってきたんだね」
姉妹が口々に――そして実感を噛み締めるように――そう声を発する。
「ああ……」
俺がすぐに発せられたのはそれだけ。だが、自分のその声にも十分すぎる程に達成感があふれている。
「……やったな」
そうだ。俺たちはやった。
俺はやったんだ。ラットスロンの主として、弱き者のための剣の主として。
同郷の仲間との再会を喜び合ったブレントが俺たちの方を振り返ったのは、その込み上げてくる実感を十分に味わってからだった。
「上でジェレミア様がお待ちだよ」
「ジェレミアさんが……?」
確かに送り出すときに協力してくれたのは事実だが、だからと言って彼が特別に待っているという事には心当たりがなかった。
いや、待っていてくれたのは嬉しいのだが、他のデンケ族の人々はどうしたのだろう?
だが聞き返したブレントも、彼と一緒にいるあと二人のデンケ族もその事を特に不思議には思っていないようだ。
そして不思議なもので、周囲からそういう反応をされてしまうと、中々詳しく聞き出そうという気にはならなくなる。
ブレントに返事もそこそこに、俺たちは階段を上って屋敷の中へ。
「あれ……?」
声を上げたのはセレネだった。
屋敷の明かりは消えていた。いや明かりだけではない。シギルさんの救出について話し合っていた時には聞こえてきた声も。そもそも屋敷に人がいるような感じがしないのだ。
「皆さんどこに行かれたのでしょう……?」
「帰っちゃったのかな?」
もう夜も遅い。あり得ない話ではないかもしれない。
そんな事を考えながら、全員に送り出された大広間の扉を開けると、そこだけはこの日の消えた屋敷の唯一の例外のように明るかった。
「やあ、戻ってきたか!!」
そう言って迎え入れてくれたのはジェレミアさんだった。
「皆様ご無事で何よりです」
横に控えていたアマキさんがそう付け足し、それからシギルさんの方に目をやる。
「無事に含めてくれて結構」
その視線ににっと不敵な笑みを浮かべながら答えるシギルさん。そんな光景に俺たちも思わず口元を緩ませた。
「さて、これで全員かな?」
後ろで扉の閉まる音。そちらに目を向けたジェレミアさんにつられて振り向くと、ブレントが俺たちの殿の位置に立っていた。
「それでは全員を穴に案内しよう」
「穴?」
問い返した俺に説明してくれたのはアマキさんだった。
「今はまだ襲撃の混乱が大きいでしょうが、衛兵隊はすぐにこの居住区に殺到するでしょう。この状況であそこを襲撃するものなど、他に考えられません」
そう言われて、俺は初めて自分が目の前の問題しか見ていなかったことに気が付いたように思えた。
あの時、シェラさんが一人でもシギルさんを助けに行くと言ったあの時に族長は言ったのだ。反乱の容疑をかけられる可能性について。
あの時はもしシェラさんが捕まればという話だったが、実際に族長の頭の中にはもっと悪いシミュレーション=現状があったのだろう。
つまり、救出に成功しても疑われる――厳密に言えば疑われるというより見抜かれると言った方が正しいのだろうが――という事が。
「他の者たちは既に隠れ村に逃がしてある。あとは君たちだけだ」
俺の頭の中で現状に思い至らなかった己自身をあざ笑う声が聞こえるが、それをいったん無視してジェレミアさんの言葉に耳を集中する。
「なに、大したことじゃない。それに既に告発は行われたのだ。奴らとてそう大それた真似はできまい。一日二日隠れていれば、後は堂々と昼間市場を歩いても連中は手を出せなくなるさ」
だから心配するな――そう言外に言っているような口調で。
「あの、隠れ村って?」
尋ねたセレネに答えたのはシェラさんだった。
「ジェレミア様が見つけてくださった土地だよ。地下道を抜けた森の中にあって、数日間なら村人が暮らしていくに困らないだけの物資を蓄えているのさ」
「そういう事だ。もっとも、そちらへの道は安全のために今回は既に閉鎖した。あとは我々が見張りになろう。町の様子はバスティオ市街に潜り込んだレジスタンスが報告してくれるだろう」
シェラさんの説明にジェレミアさんが、セレネを含む俺たち全員に告げるようにそう言った。
「さて、そう言う訳で善は急げだ。衛兵連中も今は収容所に出払っているだろうが、それもいつまで続くか分からん。診療所の裏が抜け穴になっておる。そこに向かおう」
そこで話を切り上げ、ジェレミアさんが先頭になって屋敷を出ることになった――念には念を入れて裏口から。
「よし、まだ静かなものだ」
俺たち全員が外に出るとジェレミアさんがそう言ってバスティオ市街の方に目をやった。
恐らく向こうは今頃蜂の巣をつついたような大騒ぎだろう――主に衛兵隊と領主たちが。
「さ、今のうちです」
殿を務めてくれたアマキさんの促されるように、俺たちは静まり返った夜の道を、診療所に向かって歩き始めた。
火の消えた、まるでこの世から人類の一切が消滅してしまったような、静まり返った町の中。しかし不思議と心強い気がしたのは、恐らく先頭を行くジェレミアさんの、その年齢を感じさせない素早い身のこなしで進んでいく背中を追っていたからだろうか。
「鍵は預かってきた」
そう言って、夜の闇に同化したようにひっそりと佇む診療所の扉を音もなく開錠するジェレミアさん。
彼の後に続いて滑り込むように進んだ診療所の中は、恐らくここが待合室なのだろうと思わせる長椅子が二つ、向かい合うようにして並んでいた。
壁際に置かれたテーブルの上にちょこんと乗せられた一輪挿しの花瓶と、恐らく子供の患者もいたのだろう、そこにもたれかかるように置かれたクマのぬいぐるみが、月明りに照らされていた。
何となくそれが、こんな隠れるような事態がすぐに終わることを=彼らが先程ジェレミアさんが言ったように堂々と市場を歩けるような自由を取り戻すことを祈らせた。
その診療所を抜けた先、裏口を出て広い裏庭の一番奥、山肌に密着するようなその一角に、ジェレミアさんは俺たちを連れてきた。
「さ、それでは――」
鍵を開けると、ぽっかり空いた穴が現れる。
「ようこそ。我らの世界へ」
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に




