生還、それから8
「まず、そうですな……」
何から話そうか――それを逡巡すること数秒。
天上に目をやり、髭を撫でながら続けていた編集作業はそこで終わったようだった。
「まず、彼らの歴史からお話ししましょうか。彼ら……デンケ族と、そう名乗っていたあの連中について」
デンケ族とそう名乗っていた連中。
どうやら、本当のデンケ族もこの町にはいたようだ。
「デンケ族というのは、本来この地より西に暮らしていた民族です。山脈を超えた森の向こう。バンナ半島の暮らしていた民族でした」
頭の中に地図が思い浮かぶ。この国の北西に伸びているその半島は、この大陸全体から見ても突き出した形をしていた。
「彼らはその昔、リュビ族という別の部族に追われてこの地に逃げてきたのです。森を超え山を越え……ようやくたどり着いたこの地で彼らが採った手は、当時この辺りを支配していたロストール帝国に庇護を求める事でした」
「ロストールに?」
尋ね返した私に、彼は小さく頷いた。
「当時ロストールは大陸最大最強の覇権国でしたが、それでもこの辺りの開発はまだ進んでおらず、そこに目を付けたデンケ族は彼らに労務と技術を提供することを見返りに反故かに入ることを望んでいたのです。形としては属州化ですが、それでもリュビ族の支配下に入るよりはまし……という事でしょう」
それほどリュビ族を恐れていたという事ですが、と付け加えてから、私たちが話しについてきているか一瞥して確認する。
「それによって、彼らはしばらくの間の安寧を得ました。しかし――」
「ロストールは滅亡してしまった」
以前に聞いた話を思い出す。200年以上前に滅んだ空前の大帝国ロストール。優れた魔術を有しながら、ある時突然歴史から姿を消した国。
結果論ではあるが、デンケ族の先祖というのは随分運のないことだ。
「彼らは随分困った事でしょう。何しろ、リュビ族の領土的野心はその時まだ消えてはいなかったのですから」
ライゴは更に続ける。
膨張を続けるかつての敵。
それから守ってくれるはずだった大帝国は突然滅亡した。
彼らの絶望はいかばかりか。
「ロストールは滅亡したとはいえ、皆死に絶えたという訳でもありません。生き残った臣民の一部はかつての帝国領や属州の各地で独立国を生み出し、その多くは歴史の中で消えていきましたが、今日まで残っている国もありました」
その一つがここですが、とテーブルをコツコツと指が叩く。
「デンケ族は徐々に勢いを強めてきたこの国に一縷の望みを託すことにしました。この地に進駐して、自分たちと同盟関係を築いてほしい、と」
どうやら彼らとて無私無欲の民族ではないようだ。
ロストールには庇護を求めていたが、その末裔とはいえそれほどまで大きくないこの国には同盟関係を持ちかける辺り、ロストールだってただ単に守ってくれる守護者というだけだった訳ではないのだろう。
「それが実行されるのには時間がかかりました。そして、その時間がデンケ族にとっては致命的だった」
そう言って、ライゴは私の後ろ=窓の外を見る。
もしかしたら、位置的に彼の席からはあの門の外にあった大きな六角柱が見えるのかもしれなかった。
致命的――その言葉から、彼の次の話が、そしてデンケ族の辿った末路が見えているような気がする。
「リュビ族というのは実のところ大規模な戦闘というのは決して得意な民族ではないようです。彼らはロストール時代に何度か切り崩しを仕掛けたようですが、局地戦では何度か勝利したものの、満を持しての決戦では大敗を喫して撤退しています。ですが、或いはそれゆえにか、彼らは浸透工作を最も得意としていました」
浸透工作が得意な民族。デンケ族と名乗っていた連中。
次の予想は簡単だ。
「リュビ族は庇護者のいなくなったデンケ族に接近しました。歴史を知らない若い世代を狙い、彼らに取り入ってデンケ族の社会に入り込みそして……完全に乗っ取った」
そこまで話すと、彼は辺りを見回し、それから私の隣で話を聞いていたスイの方をちらりと見た。
「あー……スイ君。少し頼まれてくれないかな」
「はい。なんでしょう?」
「私の部屋に青い表紙のこれぐらいの大きさの本がある。それを持ってきてほしい」
そう言って彼は指で空中に四角形を描く。
A5より少し大きいぐらいのそれがこれからの話に必要なのだろうか。
――或いは、私の考えている理由だとすれば、そんなものは存在しないのかもしれないが。
「分かりました」
素直に従って席を立つスイ。
「すまないな。部屋に入ってすぐのテーブルに置いてある」
「いえ。行ってきます」
このような雑用でも、その世界では権威であるライゴの役に立てるのが嬉しいのだろう。ぱっと立ち上がると、駆けるように階段の方に向かい、それを軽やかな足音で登っていった。
その足音が階段を登りきった事を確かめて、彼は一際声を落として続きを話し始めた。
「……デンケ族には狼の肉を食べる文化はない。彼らには『毛のある動物の肉を食ってはならない』という独自の戒律があった」
静かに、しかしはっきりと。狼の肉という部分を強調していることが分かる口調で。
「どうやら、リュビ族にはあったようだが」
本当のデンケ族がどうなってしまったのか――なんとなく想像がついた。
「その事実にここの領主殿が気付いて、ついでに衛兵隊長からの報告で町の中で女子供の行方不明者が続出しているという事を知ったのが、連中の居住区画閉鎖の少し前のこと」
そこでスイが降りてきた――往路よりも幾分元気のない足取りで。
「あの……すみません。青い表紙の本が見当たらないのですが……」
健全な青少年に聞かせたくない話をする上でのライゴの配慮だったのだろうが、その申し訳なさそうな、しょげてしまったような表情を見ていると、少しばかり気の毒にも思ってしまう。
「すまん。すまん。実は君の行ったあと思い出したのだが、その本は持ってきていなかった。申し訳ない」
そう言って謝りながら彼を再度座らせる。その姿に心の中で感謝したのは、一体どういう心境なのか、自分でもよく分からなかった。
私はスイのなんなのだろう。なんだと思っているのだろう。
「それで話を戻しますと、領主殿は領民の行方不明事件の背後にデンケ族を乗っ取ったリュビ族がいることを察した……までは良かった。ですが、その決定的証拠をつかむには至らなかった。しかし領民の被害をそのままにしておく訳にもいかず、彼らを閉じ込める手に出た。衛兵隊に追跡調査を命じてね」
しかし、連中の尻尾を掴むより、連中の反撃の方が速かった。
王宮に不正な迫害として訴える方法で、どちらがより悪党であるのかを宣伝したのだった――この辺は、あの間抜けがまんまと騙されて英雄扱いされた所からも明らかだろう。
通常、王家にとって地方の貴族や有力者というのは目障りな存在だ。
王家だけで支配するのが難しい場合には置かないわけにはいかないが、それでもその力を最大限削いでおくに越したことはない。
そしてその事を、実務を担当する役人たちは十分に理解しているだろう。
つまり、それを推し進めることが覚えめでたくするための近道であるということを。
リュビ族もそう考えた。
私のこの考えはどうやら外れてはいないようだ。
「ですが、彼らはその行為を不正な迫害として先に王宮に訴え、その証拠として衛兵隊長のサイドビジネスの証拠を告発した。そしてそれを受けて中央の役人が調査に派遣される。調査と言っても大方結論ありきだったのでしょう。彼らからすれば、地方領主の権力を削ぐ、即ち自分たちが手柄を立てる事の口実になればなんでもよかったのでしょうしね」
役人栄えて国滅ぶの実例という事だろうか。
リュビ族も流石に浸透工作を得意とするだけのことはある。この構造に目をつけ上手い事利用していたようだ。
「先代の衛兵隊長というのは決して一つも後ろめたい点のない人物だったという訳ではなかったようですが、それでも無能ではなかったようですな。少なくとも記録によれば、彼が隔離政策を主導した時には行方不明者は激減していますから。私腹を肥やすと言っても、一般的なバスティオ市民からすればそれほど生活に影響のないものでしたし」
善人であることは望ましいが、それが善政を敷く必須条件ではないということか。
少なくともあのギリガンという男は、多くのバスティオ市民にとっては頼もしい守護者だったのだろう。
「しかし、中央の役人にはそれだけでも批判の材料としては十分だった。領主殿も反論することはできたはずですが恐らくその時にはまだ決定的な証拠が挙がっていなかったのでしょう。それに正直あまり口の上手い方ではないお方だ……まあ、完全な人間などいないという事ですな」
(つづく)
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続きは明日に




