生還、それから4
「おっ、長!?」
取り囲んだ中から声が上がる。
後ろにまだおかわりがいたのか、松明を持った連中が何人も入り込み、手に持ったそれで状況を照らし出している。
「さ……下がれ……」
レオスが切っ先で僅かに促したのが、刃に反射したその松明の光の動きで分かった。
「下がれ……皆下がれ……」
私たちと向かい合っていた時とも、スイたちを使った取引をしていた時とも違う、弱々しく震えた情けない声。姿を隠して声だけ聞かせて同じ人物だと気づいた人間は自分の耳を誇るべきだろう。
「ほら長の命令だぜ?下がれ下がれ」
覆いかぶせるようなレオスの声。彼らの左右をスイとライゴが囲んでいて、わずか三人だが一つの集団として威圧し、この何倍か、下手すれば十倍以上の兵力を向こうに回している。
「皆下がれ……下がれぇ……」
それを可能とするほどに強力な盾は、それに全く相応しくない――或いはこれ以上ない程に相応しい――情けない声で命じている。
そしてその蚊の鳴くような声は、確実にさっきまで決死の覚悟で向かってきた集団を、その円を維持したままだが後退させていく。
部屋の入り口まで押し返し、それから外へ。建物の中に残った連中も手を出してこない。
「お、長!!」
「長!しっかりなさって!!」
周囲が声を発するが、誰一人として口以外を動かす様子はない。
無理もない。人質に取られてしまった以上は自力で脱出してくれることを願っているより他にない――たとえその可能性が万に一つもないとしても。
だがだからと言って言われた通りすんなり通してしまう訳にもいかない。
恐らくだが、頭の中では今の自分たちにはそれしか取れる行動のないことなど分かっている者もいるだろう。
だがそれを認めて素直に下がってしまえば、それはどんな言葉よりも明確に自分が最低の裏切り者だと宣言することになってしまう。
この長がどれほどの忠誠心を持って担がれていたのかは分からないが、恐らくその思いが全くない者たちだけという事はあるまい。
なら、一人が崩れればいい。最初の負け犬、最初の裏切り者にならないと分かれば逃げていく者もいるだろう。
「下がれ下がれ!道を開けろ!こいつぶち殺すぞこの野郎!!」
叫びながら切っ先で喉仏を撫でていくレオス。器用にもひきつった悲鳴を上げたことで動いたそれを傷つけないように。
それまでより興奮した様子――恐らくは演技だろうが――のこの男に、取り囲んだデンケ族たちの輪が、それまでより大きく下がった。
「さ、下がれぇ!!言うとおりにしろぉぉっ!!」
情けない絶叫がその後に続く。
「……ッ!」
その後退を続ける集団の中に、一つの影が浮かびあがってくるのが見えた。
「!!」
他の連中も、そしてデンケ族たち自身も気が付き、そして道を開けた。
その影の名を呼んだのは、私と長とで同時だった。
「「シギル……」」
あの男が立っていた。
あの映像の時より時間が経って腫れの引いた瞼の下、どろりとした双眸がこちらに投げかけられている。
衣服は他の連中と同じだが、顔の下半分を衛兵隊長がつけていたような頬当てで隠している。
かがり火に照らし出されたその頬当てはどことなく般若面をイメージさせるような牙のある口がデザインされていて、その眼光とセットで随分と物騒な、血なまぐさい印象を与える。
そして最も特徴的なのは、その腰の革帯にぶち込まれた得物だろう。
「二本差しとは……」
あの長の家の武器庫にあったものだろうか。私が今手に持っているものと同様に柄や鍔などの拵えこそ異なるが、鞘に収まって緩やかな上向きの反りを持った長短一本ずつの鞘は、まさしく時代劇の武士のそれのように思えた。
「シギル、下がれ……」
長のその一言を合図にしたように彼の足も周囲のデンケ族と同時に動き出した――ただし反対に。
「!?」
足早に、ほぼ走るように距離を詰めてくる。
「ちぃっ!!」
応戦か――刀を振り上げた瞬間、奴の手が小刀の方に伸びた。
そしてそれを認識した次の瞬間、一歩踏み出すのと同時に奴はそれを投げつけた。
「くっ!!」
身を縮こませるしかできない人質のぎりぎり横=自身に向かって一直線に飛んでくるその刃を危うく躱したレオス。それを織り込み済みか、シギルは一気に詰め寄ってきた――今度は大の方に手をかけて。
「おおおっ!!」
奴の気勢。カッという金属音。そして一瞬散った火花。
奴の居合と私の斬撃とがそれらを起こした。
「ぐっ」
一瞬の攻防――片手で抜き放ったままの形で両手でもって構えている相手と競り合うのは不利だと奴が一瞬で判断を行えたが故の。
しかし奴が飛び下がった瞬間には他の連中の眼にも何が起きているのかが分かったようだった。
何が起きているのか――つまり、今自分たちの長に向けられた脅威は離れているという事が。
「ちっ!!動くなてめえら!!」
怒鳴りつけるレオス。
しかし複数人が同時に動いた以上、簡単には止まらない。
いかに腕に自身がある彼といえど、武装した複数人から一人を守り切るのは難しい。
「う、う、動くな!!」
「……お?」
思わず間抜けな声を上げたのは、そんな状況で聞こえてきた上ずって震えた声が耳に届いたからだった。
聞き覚えのある、というかこちらの世界で一番聞き慣れたかもしれない声。
その声の主は、慣れないのだろう荒事に身を投じた。
飛んできた刃物を拾い上げるとアイスピックのように逆手に握り、一瞬拘束の緩んだ人質を渾身のタックルで押し倒し、その首筋に件の刃物を突き付ける。
「全員動くな!!う、動いたら……動いたら……殺すぞ……」
一生懸命という言葉がぴったりな脅し文句。
だが、手のそれに合わせて小刻みに震える刃は却って本当に刺しそうな危うさがある。
「いいぞ!スイ」
多分初めての行動にしては十分すぎる程に上出来。
実際、一度は盛り返しかけた連中も、中途半端な位置で止まらざるを得なかった。
「メリルさん……ッ」
シギルと彼らとの間に立ち、シギルから隠すように背中を向ける。
「そのままもう少しだけ耐えてくれ」
少しだけでどうするつもりかなど、すぐには思いつかない。
だが、それ以外に言葉など出てこない。
――そして勿論、その通りにするつもりなど、目の前の男には皆目ないようだった。
「……メリル?」
大刀を八相に構えたシギルの声が一気に殺気立つ。
「お前……お前は……」
「どこかでお会いしましたか?」
からかう口調で挑発。
しかし返ってきた声には、今度は一切の感情が感じられなかった。
「お前が脱走者……お前が……」
しかし無感情も長くは続かなかった。
ぶつぶつと言葉を続けるうちにしっかりと心のこもった声になった――より正確に言えば憎しみのこもった声に。
「お前が……妹を殺した」
(つづく)
今日は短め
続きは明日に




