プロローグ
「お客様のおかけになった電話は、現在電波の届かない所にあるか、電源を――」
何度聞いても無機質な音声アナウンスは変わらない。
「おかしいな……」
こんなことは初めてだ。
人のまばらな郊外の駅前。押し込められていた寺を脱走して半年ぶりに舞い戻った娑婆は、これと言って変化は見られなかった。
ならここから再開だ。
公衆電話は使い方を知らない世代まで現れ、固定電話を持たないことが珍しくなくなった時代でも、私のやり方は変わらない――私自身がスマートフォンを持つようになっても。
こうして相手の最寄り駅から連絡し、少しずつ距離を詰めていきながら都度電話をかける。
宣言し、脅し、追い詰め、そして狩る。
今まで何度も繰り返した、一線を越えた者たちへの対処。
それが今、初めての事態に直面している。
もう一度見下ろすスマートフォンの画面。
手の中で機械音声を流しているスマートフォンに目をやる。
アイコンが設定されていないことを意味するシルエットと、表示されている二階堂翔馬という文字――今回のターゲットの名前。
こいつはただのスマートフォンではない。地球上にいる限りどこにいても、着信拒否に設定されていても必ずコールする、私の力の象徴。
誤解を恐れずに言えば、この電話こそが私を私たらしめている。
時代が変わり、使用するデバイスが変わっても、私=メリーさんと呼ばれている都市伝説からは逃げられない。
そのはずだったのだ。
今日この瞬間、初めてのアナウンスを聞く瞬間までは。
「どういうこと……?」
私、そしてこの電話は一種の呪いだ。一般的にイメージされる呪い=藁人形にターゲットの名前を書いて釘で打つあれとは違い、呼び出した本人しか狙わない、言うなれば自滅用のものではあるが。
そして呪いをかけたのなら、それを解くには術者を始末するか――この場合被術者と同じなので不可能だが――手順を踏んで解呪するか、もしくはどこかに私を封じておくかが必要になってくる。
その対処の一つはすでに破った。即ち怖気づいたターゲットが私を預けたあの寺からの脱出である。
しかしそうしてみたら、何らかの方法でこちらの追尾を振り切られていた。
手順を踏んで対処したのか?いや、ありえない。いくつかある対処法のうち、今の段階でのものを採られていたとしたら、そもそも私はここ=奴の最寄り駅まで移動できない。
ならどうやって?
「……まあ、考えていても仕方ないか」
小さく息を吐き、思考を中断して辺りに目を向ける。
郊外の小さな駅。
駅前には牛丼屋とコンビニが一軒。
状況:何らかの理由によりデバイスが使用できない。故障か、何らかの妨害を受けているのかは不明。
だが、これで万事休すという訳ではない。
「久しぶりにあれ使うか……」
スマートフォンをしまい、昔ながらの方法に切り替える。
どんな場合でも冗長性は重要だ。意識を周囲に集中する。
奴が消え去ったのでなければ、必ず見つかるはずだ。
意識:駅の周囲。
この小さな郊外の駅。市営の駐輪場。バスロータリー。英会話教室の入っている二階建てのビル。コンビニ――見つけた。
「そこだな」
およそこの駅前の全てと言っていい範囲を走査したその先を見ると、店舗の倍はありそうなコンビニの駐車場にネオンのように光が浮かび上がっていた。
足跡の形をした光。足取りを表すように進行方向に向かって緩やかに明滅するそれに触れる。
こうすることで、ターゲットが何を考え、どこに向かったのかをターゲットの視点で追体験できる。
「ん……」
触れた光が増幅し、私の視界一杯にそれが広がっていく。
※ ※ ※
「ふぅ……」
駅前のコンビニにて、今しがた出てきた店舗の方に振り返って、扉の横の、あふれそうなゴミ箱へ空のペットボトルをねじ込む。
とりあえずこれで一安心だ――そう思いたいというのが本当のところだが。
「……」
ズボンのポケットから今日貰ったお守りを取り出し、そこに視線を落とす。
包み込む指先に返ってくる柔らかな感触。今はこれをくれた住職と、ネットの評判を信じるより他にない。
「大丈夫。きっと大丈夫だ」
息を吐くように静かに、自分にそう言い聞かせる。
そうだ。大丈夫、きっと大丈夫だ。
――今回こそは。
以前、こう呟いた時にはこんなことになるとは思っていなかった。
俺は大学生になっているはずだった。
だが、落ちた。本命も、滑り止めも。
高校ではクラスで孤立し――実態に即していえばいじめを受けていた――三年になってから休みがちになって、出席日数ぎりぎりでの卒業だった俺が引きこもりがちになって、もうすぐ一年が経とうとしている。
それ以降の俺=ネットでオカルト関係の話題に没頭し、掲示板で得たメリーさんを呼ぶ儀式とやらを好奇心でやってみたのが一週間ほど前。
好奇心。そう好奇心だ。
なんとなく、非日常というものを欲していた。何もかもうまくいかない閉塞感が嫌だった。
そしてその結果、触れてはいけない世界に触れてしまったのが三日前。
家の近くのゴミ捨て場の前を通った時に感じた強烈な視線。その主がゴミ山の頂上のフランス人形であることはすぐに分かった。
そしてそれが、儀式の成功を意味していることも。
一瞬迷い、しかし拾うしかなかった。儀式は成功してしまった。奴と目を合わせてしまった。
ここで踵を返すのが、あまりにも恐ろしかった。
それから、自室の出来るだけ目につかないところにその人形を隠し、背後に感じる妙な視線を全力で意識から弾き出し、いつの間にか背後に這い出してくるその人形をもとの位置に隠しながら、俺は曰く付きの品を預かってくれる寺を見つけ、そこに駆け込んだのが今日だ。
大丈夫。今度こそ大丈夫だ。
本命と滑り止め、その両方ともダメだったが、今回は、今回こそは三度目の正直という奴だ。
「……帰るか」
大丈夫。全部終わった。
そう結論付けて思考を打ち切る。
気を紛らわせるためにスマートフォンを取り出して時刻を確認し――そこで視界に飛び込んできた閃光に目を眩ませた。
「なっ!?」
一瞬後、反射的に見た光の方向。
そこには人一人分の宇宙が広がっていた。
「え……うわっ!!」
空間の裂け目と言えばいいのだろうか。目の前の景色がなくなって、地球の向こう側の宇宙が見えてしまっているかのようなその空間に、俺は吸い込まれていった。
※ ※ ※
……なんだこれは。
私のような存在が言うべきではないのかもしれないが、ありえない。信じられない。
だが、実際にそうだったのなら、そうだったのだと受け入れるより他にない。
なにしろ電話が繋がらない=地球上に存在しないのだ。これぐらいのことが起きていないと説明がつかないとさえ言える。
それに奴の視点の終盤で一瞬だけ見えたスマートフォンの画面に表示されていた日付は、確かに今から半年前のものだった。
つまりこうだ――奴は半年前から今までずっとあの亜空間に吸い込まれたまま。
「どうする?」
と、口に出してはみたものの、どうするもこうするも思いつかない。
まだ呪いは効いている。そしてそこから考えるに、恐らく奴はまだ生きている。それなら追わねばならないが、あの亜空間に入り込む方法などわからない。
逃げ切られる――その言葉が頭をよぎり、それをなんとか否定しようとする前に、別の衝撃が割り込んできた。
「ッ!?」
無機質な、初期設定のままの着信音。
紛れもなく私の手の中で鳴っている。
「……ッ」
電話が鳴る――普通なら疑いなく出る。
だが、私に限ってそれはない。
この電話の番号など誰も知るはずがない。何しろこれは電話の形をしただけの私の呪いそのものだ。ターゲットからはおろか、この世の誰からもこの番号にかけることはできない。
それに、かけてきているのは見覚えのある番号=このスマートフォンの番号だ。
(つづく)
始めて長文タイトルなるものに手を出した結果、自分のひねくれ具合を再認識した。
そんなひねくれ者のひねくれ物語、生暖かく見守って頂ければ幸いです。
それでは、よろしくお願いいたします。