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「リオン様、そのようにきつく締めてはなりません。アスコットタイはふわりと余裕をもたせるのです」
「わかってる! 今やり直そうと思ってたとこだから!」
薄ピンクのタイを解き、鏡に向き直るリオンは茶会の為に着替えている所だ。
漆黒の上下に、シルクのシルバーのベスト。
短く切られた濃紺の髪を軽く撫で付け、洒落っ気を出している。
「全部リボン結びだったらいいのに…タイは結び方も多いし苦手だよ」
事情が事情なので、リオンは服を自分で着るようにしていた。
タイ等の装飾品は従者に手伝ってもらうこともできたが、いざという時に自分で出来ないのは困る。
「ではドレスを着られますか?」
「着ない。リドー、いい加減諦めたらどうなんだ」
兄であるセルゲイの従者の1人だったリドーはリオンが男装をしたことにより、主人が変更された。
リオンの事情を知る数少ない人物であり、王宮に出仕するリオンの生活を支える協力者である。
「私はリオン様のことは認めておりませんから。タイが苦手なら、諦めてリオ様へと戻れば良いのです。あぁ! 主がリオ様へ変更となったと聞いた時は小躍りして喜んだというのに…」
「戻らないってば! 俺はこれでいいの。タイもすぐ結べるようになる」
タイと格闘しているリオンを見て、リドーは青色の双方を眇めた。
「ハァ…。私は冷たく艶やかなリオ様がお好きでしたのに…。男の格好をして俺だなんて…ハァ…。リオン様になると宣言された時のセルゲイ様、ものすごいお顔をされていましたよ」
「五月蝿いなぁ」
鏡越しにリドーをちらりと見上げて、リオンは続ける。
「そもそも一人称に『俺』を使わないといけないって決めたのセルゲイ兄上だからね。 兄上は反対していない!むしろ応援してくれている」
「セルゲイ様のは応援は応援ですが、ねぇ…。リオン様、私といる時は『私』って言ってもいいんですよ? あ、ピンはこちらのルビーのをお使い下さい。どうぞ。…その格好で今まで通りの『私』は違和感がありますが、でもなんとか、うん。いいですよ?」
「リドー、しつこい。兄上からは私室でも気を抜くなと言われている。ほらできた!」
「ハァ…。よござんすよー。立派な青年紳士ですねー」
やる気なくそう言いながらも、リドーはタイの歪みを直して整える。
「まぁやれる所まで頑張ってくださいー」
へらりと言ったあと、タイから手を離す。
そして従者らしく行ってらっしゃいませとピシリとお辞儀をしてリオンを送り出した。
今日は久々のお茶会だ。
持ち回りで毎月のように開催される仲良し令嬢達の気兼ねない集まりだ。
そして久々にゆっくりアンジェリカと話せる日でもある。
あの婚約の話以降、リオンは執務の時間以外はアンジェリカから避けられていた。
…まぁ、アンジェにも考える時間は必要だしね。いつものメンバーならアンジェもいつも通り振舞うだろうし…。
いつもと違うのは、リオがリオンになったということ。
…ちょっと緊張するなぁ。
会場であるサロンの前で待機していたアンジェリカの護衛騎士に声をかける。
「レイ、お疲れ様」
「アンジェリカ様のご機嫌はあまりよろしくないぞ」
幼馴染みでもある赤毛の騎士はくくっと喉を鳴らして笑った。
「…だろうねぇ」
リオは小さく深呼吸をし、扉の前にいたメイドに視線を向けた。
黙礼をしてメイドが静かに扉を開けた。
音を奏でる魔石が部屋の隅に置かれ、軽やかなメロディーが流れている。
テーブルには既に参加者が揃っていた。
「お待たせ。みんな久しぶり。アンジェリカ、お招きありがとう」
席についていた2人の令嬢と主催者であるアンジェリカに挨拶をする。
「まぁ!!!!!リオ様!本当に男性でしたのね!私達とっても驚きましたのよ! 」
「あんなに女性らしかったのに、こうしてみるともう男性にしか見えませんわ!」
「…本当にねぇ。…はぁ」
最後のはアンジェリカである。
「びっくりさせてごめんね?」
リオンはメイドに椅子を引かれてアンジェリカの正面の席に着く。
「こんな事になっちゃったんだけど、これまで通り接してくれると嬉しいな」
両隣の令嬢と目を合わせてから微笑んだ。
タイミングよく窓から風が吹きこみ、リオンの濃紺の髪を揺らす。
「も、もも、もちろんですわ!大魔女エリーズ様の予言でしたら事情を話せない事も仕方がありませんもの!」
うんうんと2人の令嬢も頷くが、アンジェはあの風はエリーズの仕業じゃないかしら、と白けた目でリオンを見ていた。
お茶が入れられ、お菓子に手を伸ばす。
「リオ様、あ、リオン様でしたわね。これまで通りアンジェリカ様の補佐をなさいますの?」
「今まで通りリオでいいよ。うん。格好が変わっても中身は変わらないし。ただちょっと力仕事が増えそうかなぁ。それに剣の稽古も」
「もともと剣を嗜われていらっしゃたのはこのためでしたのね」
「うーん。まぁそうなる…かな」
リオンの右隣に座っていた令嬢がアンジェリカに話しかけた。
「アンジェリカ様はリオ様の予言はご存知でしたの?」
「知らなかったわ。ついこの間知ったの。ついこの間、ね。それはそれは驚いたのよ。全くとんでもない予言だわ!」
リオンをじっとり睨みつけると、桜色の唇からは無意識にため息がでた。
リオンはその視線を口の端を上げて受け流した。
「こんなにステキな男性だったなんてドキドキしちゃいますわね」
「あら?でもアンジェリカ様は殿方は苦手でいらっしゃいますわよね。リオ様を前にして言うのもなんですが、その、大丈夫ですの?」
小さい頃からの付き合いのある令嬢達である。
公にはしていないアンジェリカの事情も知っている。
「えぇ。なんとも憎たらしいことに大丈夫なのよ。ねぇリオ?」
「ははっ。手も繋げるし、夜会で一緒に踊れるし、嬉しい限りだよ。ねぇアンジェ?」
「それではもう結婚相手はリオ様に決まりではなくて?」
「そうですわね!アンジェリカ様の手を取れる殿方はこれまで王太子様と陛下しかございませんでしたものね」
きゃあきゃあと頬を染めてはしゃぐ令嬢達にアンジェリカは黙り込んだ。
「……」
「あら?どうなさいましたの? リオ様とは気心も知れていますしとっても仲良しですので、ぴったりだと思いますが…」
「……それがそうでもな「正式発表は少し先なんだけどね、俺達婚約したんだよ」
リオンがアンジェリカを遮った。
「わぁ!おめでとうございます!」
口々に祝いの言葉を述べる令嬢達と、ありがとうと満足そうなリオン。
「違うのよ!婚約はしたけれど、結婚はしないの!」
アンジェリカはこの雰囲気に呑まれてたまるかと声をあげる。
「あらまぁ!そうですわよね!女性のお友達だと思っていた方が、実は男性でしかも結婚だなんて心の整理がつかないですわよね。まずは婚約をされてゆっくり愛を育むということですわね」
「ち、違…」
「でもアンジェリカ様はリオ様のお人柄もよくご存知ですし、すぐに受け入れられると思いますわ」
「そうじゃなくて…」
「今は男性のリオ様に慣れる事が大切ですわね」
うんうんと頷きあう令嬢達。
「そうなんだ。結婚はアンジェが俺に恋愛の感情を持つまで待つもりだよ」
「男性でも女性でもリオ様は素敵ですもの!私達、心から応援していますわ!」
「ありがとう。アンジェ、俺頑張るからね」
とろけるような笑みを向けられ、アンジェリカは黙り込んだ。
…あぁ駄目だわ。外堀がどんどん埋まっていく…。
アンジェリカは天井をそっと仰ぎ、紅茶を一口飲んだ。
「ところで、あの…、リオ様」
「ん?」
「男性にお聞きするのははしたないと思うのですが…」
もじもじと令嬢が語尾を濁す。
「なあに?今更躊躇う間柄でもないと思うけど…」
「あ、あの、以前夜会に出席された際は、胸元の開いたドレスを着られてましたわよね」
細い腰はコルセットで作れるとは思うのですが、胸はそうもいかないですわよねと続けると
もう1人の令嬢もはっと顔を上げた。
「うん。俺は女性にしては背が高かったからなるべく大人びているデザインを選んでいたんだ」
リオンはふんわり広がるスカートではなく、ストンと縦を強調するデザインのドレスをよく着ていた。
「それで、あの、膨よかなお胸はどうされてたのかと思いまして…」
それらのドレスは谷間を見せるデザインが多かったのである。
「あぁ!あれね!」
笑いながらリオンは人差し指で空中にくるりと円を描いた。
なぞられた部分が淡く円形に光る。
そこに手をつっこみ、えっとこれかな?とごそごすると、ティーカップが二つ入るほどの箱を取り出した。
「開けてみて」と差し出された令嬢が蓋を開けてみると、そこには半円のボールが二つ入っていた。
「出していいよ」
「わわわ!何かしらこれは!柔らかいですわ!」
「本当ね!それにふにふにとしてて、吸い付くような感触」
「両手を上に向けて差し出してくれる?そうそう、隙間の無いように。これをね、こうやって…」
リオンは令嬢の手のひらにボールをひとつ乗せ、周りを指でなぞった。
「境目が消えましたわ!手のひらとボールが一体に!」
「これを胸につけていたんだ」
つんつんとボールをつつく。
「あら?自分の体にように触れられた感触がありますわ!」
「今うちで開発してる義手や義指に使おうと思っている魔法陣なんだ。自分のからだの一部として身につけるのだから感覚があった方がいいだろう?」
「ほぅっ。流石魔法の商品を生み出す事に長けているジェブエリ家ですわね!」
「すごいですわ!これなら本物の胸と変わりませんわ!」
むにむにともう1つのボールを揉んでいた令嬢も感嘆の声をあげる。
「リオ様こちらは商品化はされてますの? 私も使いたいのですが…」
恥ずかしそうに言う令嬢に、反対側の令嬢が相槌を打つ。
「あなたの婚約者様は大きい方が好みとおっしゃってましたものね」
「俺で実験は済んだし、もうすぐ商品化するつもりだよ。その際はプレゼントするよ!」
「ありがとうございます!」
実際のリオンの胸は手のひらからこぼれ落ちるほどなのだが、今は自社で開発したコルセットで平に押さえてある。
このコルセットはウエストのくびれも無くし、男性的なシルエットを作り上げる優れものだ。
「あ、アンジェもいる??」
リオンはアンジェリカのぺったんこの胸に視線を向けた。
「い、いらないわよ! それよりも! 春先から流行しだしたトリィナ地方の布はご覧になって? 今までシルクは無地が主流でしたのに、模様が織り込まれていて本当に素敵なの。新しい布を作ると職人達と頑張っていたトリィナ伯爵の苦労が報われて良かったわ」
アンジェリカは赤面して大慌てで話題を変えた。
「そうなのですの!? まだ拝見していないのです。明後日来る生地商人が持ってくるかしら?」
「私は昨日手に取りましたわ。派手な模様ではなかったので、どんなデザインにも似合う布だわとうっとりしましたの。トリィナ伯爵は良いデザイナーをお持ちですわ」
布のこと、ドレスのこと、自領や他領のこと、いつも通りにたわいないお喋りに花が咲き、あっという間にお茶会が終わった。
それでは次回は私の番ですね、その次は私ですわと2人の令嬢が退席し、「じゃぁまた執務室で」とリオンも部屋を出ていこうとするとアンジェリカが待ったをかけた。
「来月のお父様の誕生日をお祝いする夜会について話があるの」
国王の誕生日を祝う夜会。
そこでリオンとアンジェリカの婚約発表が行われる予定なのである。