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一話 予兆


 西に傾く日が差しこむ大学の教室。


「お前、夢はあるか?」


 走らせていたシャーペンの芯が、ポキっと折れる。


「……なんだよ、急に」


 教壇とは最も遠い長机に座る立花が、シャーペンの芯を出しながら隣の友人を見る。


 同年代より一回り大きな体を必死に縮ませながら、大野淳が前から見えないように携帯をいじっていた。


「いいから、答えろって」


「別にねえけど」


「やっぱ、そうだよなー」


 携帯をポケットに入れると、大野は力が抜けたように息を吐く。


「実はな、この間合コンに行ったんだけどさー」


「フラれた話なら、もう聞き飽きてるけど」


「まだフラれたって言ってないだろうが」


「じゃあ、フラれてねえのか?」


 ゆっくりと、大野が視線をそらす。全てを理解した立花は教壇の方を見る。


 教室が暖かいのと昼食後の講義のせいか、ほとんどの学生が机に突っ伏して眠っていた。起きている学生も、授業を真面目に聞いている様子はない。


 無気力が蔓延している教室では、前の教壇に立つ初老の教授だけが動いている。黒板にチョークで書く音だけが響く。


 いつの間にか教授が続きを書いていたことに気づき、立花は再度シャーペンをノートに走らせる。


「今度はなんて言われたんだ?」


「それがな、『あたし、夢をひたむきに追っている人が好きだから、チャラそうな大野くんはタイプじゃないの』って」


「その女子の声真似、やめたほうがいいぞ。マジで気持ち悪い」


 女言葉を話す野太い声を聞かされて立花の背筋に悪寒が走り、冷静に指摘する。


 よほど自信があるのか、大野が肩を落とす。


「夢を持ってる人が好きってなんなんだよ。わかるかっての」


「確かにな」


「それに俺はチャラくないし」


「それはない」


 立花が鋭く否定する。


「ああ、彼女欲しいー」


 机の上に置かれた何も入っていないであろう薄いカバンの上に、大野が頬杖をつく。


 しばらくして、チャイムの音が鳴り響く。さっきまで静かだった教室が、一瞬で活気を取り戻す。


 教授が次の授業で話す内容を話している途中で、学生たちが散り散りに教室から出て行く。


 立花がノートを片付けていると、大野が大きな体を伸ばして立ち上がる。


「やっと冬休みだぜ」


「二週間だけどな」


 立花も立ち上がると、大野と共に教室を出る。気分が悪くなるほど暖かかった教室とは違い、廊下は冷気が広まっていた。


 大野と並びながら、冷たいコンクリートの廊下を歩いて、外へと向かう。


「冬休み、どっか行かね。深月と三人でさ」


「バイトがない日にしてくれよ」


「じゃあ、いつ空いてるんだよ?」


 立花が携帯を出して、予定を確認する。


「1月3日まではバイトだ」


「……労働基準法的にどうなんだよ、それ」


 大野がその言葉を知っていたことに密かに驚く。立花が前から来た腕を組む男女を避ける。


「冗談だけどな」


「お前の冗談、表情が変わらんからわかんねえよ」


 大野が苦笑する。


「今日とか空いてるか? 飲みに行きたいんだけど」


「今日もバイト」


「バイトって、駅前の本屋だっけ?」


 廊下に広がった男女のグループの間をすり抜けて、立花は頷く。


 不意に立花が辺りを見渡すと、いつもと変わらない景色のはずが、仲睦まじい男女の割合が多い気がする。


「今日って、何か学内でイベントでもあったっけ?」


 真顔で尋ねると、大野の顔から表情が抜けていく。気のせいか、周りの気温が下がったように感じた。


「忌々しいクリスマスイブですけど、何か?」


 暗い影をまとった大野が、力ない笑みを浮かべる。


「羨ましいなら水原を呼べば? 中身はともかく、外見だけは美人だろ」


 何の考えもなしに思ったことを立花が言う。


 すると、大野が親に怯える子どものように首を何度も横にふる。


「あいつを誘ったら、全額奢らされるって」


「全額はさすがに言い過ぎだろ」


「だって、あいつにまだ返してねえ金があるんだぞ。しかも、去年からの」


「……自業自得だろ、それ」


 二人が扉を開けて外に出ると、一気に風が顔を叩いた。風を阻む建物がなくなったため、一段と寒くなる。


 並びながら駅へと向かっていこうとして、



 ――前をギターケースが歩いていた。



「あれって」


「ああ、深月だな」


 大野がそう返して、ギターケースの背後に忍び足で近づく。そして、耳元まで近づくと、


「わ!」


「きゃ!」


 甲高い悲鳴と共に、跳び上がったギターケースの突起部が大野の顔面に激突する。


 痛みで悶絶する大野を背にギターケースが振り返る。そこには小柄な女子がいた。


 肩まで伸びた黒髪は毛先まで整えられている。子供っぽさが残る餅のように白い顔は、驚いたせいか、頰がリンゴのように赤くなっている。


 控えめな胸と小さな手足のせいで全体的に小学生のように見える。そのせいか、ギターケースに背負われているような印象がある。


 鼻を押さえる大野に気づくと、女子――水原深月が冷めた目で見下ろす。


「次にやったら借金倍だから」


「す、すいません」


 見上げている大野を横目に水原は立花に気がつくと、黒髪を揺らしながら、ずかずかと歩み寄る。


「ちょっと! なんで、このバカを止めなかったのよ」


「言う暇がなかったんだよ」


 頭をかきながら言うと、水原がふんと鼻を鳴らす。立花の視線が、水原の背負うギターケースに動く。


「軽音部は休みなのか?」


「そう。冬休みの間はみんなゆっくりしたいらしいの」


 涙目で立ち上がる大野と不機嫌そうに眉を寄せる水原と並んで、今度こそ駅へと向かう。


 コンクリートの歩道を歩きながら、色とりどりの光が街を鮮やかにしていた。サンタクロースの衣装を着たマネキンを

見て、笑いあうカップルを大野が睨みつける。


 隣の水原がいたずらっ子のように笑みを浮かべる


「そういえば、この間の合コンはどうだったの?」


「なんで、知ってんだよ」


「友達に聞いたの。で、やっぱりフラれた?」


 水原の楽しげな声に、大野が不機嫌そうに視線をそらす。


「やっぱりね。あんた、大学に入って何回目よ」


「……二十三回」


 大野が絞り出した言葉に、水原が吹き出す。


「まだ一年も経ってないのにすごいわね。尊敬はしないけど」


「そんなに言ってやるな、いくら何でもかわいそうだろ。否定はしないけど」


「お前らは慰める気はないのか」


 大野が呆れたように言うと、水原が勢い良く大野に振り向く。背中のギターケースが、一段と高く飛び上がる。


「今日サークルないから、やけ酒には付き合うわよ。もちろん奢りだけど」


「断る。お前と飲んだらまずくなるし、奢る金がないんだよ」


「でもでも、奢ってくれたら、あんたの借金減らしてあげてもいいけど」


 水原がずり落ちそうなギターケースを背負い直す。その間、大野が今までになく真剣な表情で考え込む。


「割り勘まででどうだ?」


「それなら、借金は半分だけチャラよ」


「……わかった。後で下ろしてくる」


 冷や汗をかいて声を絞り出す大野を見て、立花は心中で手を合わせた。


 項垂れている大野を見て、水原が天使のような笑みを浮かべる。だが、目は確実に悪魔だった。


 その時、遠くから騒がしい高い声が近づいているのに気づく。


 声の方に顔を向けると、小学生の集団が一心不乱に走っていた。一番大きい男子が脇を通り過ぎ、三人の男子が必死に追いかける。


 上気した顔の子供たちが白い息を吐き出しながら、走り去る。子供達の声を聞く限り、鬼ごっこをしているらしい。


「あのときはサッカー選手になりたかったんだよなー」


 遠い目をしながら、大野がしみじみと言う。


「子供の頃はそういう夢が多いよな」


 凍えてきた手に息を吐きながら、立花が言う。


「そういえば、立花って小説家になりたいって言ってなかった?」


「え、マジ!」


 水野の言葉を聞いて、大野が目を見開く。


 大野が振り返って、立花に詰め寄る。日に焼けた顔が間近に迫り、立花が顔を仰け反らせる。


「小学生の頃の話だろ、それ」


 水野の大きな黒い目が、思い出すように空を見る。


「四年生の時の国語の授業で、写真から小説を書くって宿題があったんだけど、立花の小説がクラスで一番上手いって先

生に褒められて、話題になったの」


「数日で消えたけどな」


 立花が白い息を吐く。大野がなぜか納得したように、何度も頷く。


「確かに、休憩時間の時によく小説とか読んでるもんな」


「そうそう。小学生の時もいつも一人で読んでて、友達がいなかったもんね」


「余計なお世話だ」


 仏頂面でそう返すと、ちょうど駅前にたどり着く。


「じゃあ、俺バイト行くから」


「おう、また連絡するわ」


 大野と水野に手を振って見送った後、駅の改札を通る。


 人が行き交う階段を登ってホームまで来ると、いつの間にか空が曇っていることに気づく。


 雪が降らないように願いながら、電車が来るまでに小説を読もうとして、リュックを肩から下ろした。


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