風の如く 気ままにね
放課後 陸上競技場
学校に隣接しているこの陸上トラックは、市の所有物。
その為、土曜日ともなれば近くの小学校、中学校、高校が集まり、なかなかの繁盛具合を見せる。
しかし、ここは田舎。平日の午後では学校毎の終礼時間がまちまちな為、人が少ない。
運が良ければ貸切になっていることさえある程である。
さて、今日はそんな確率で訪れる貸切の日。
その競技場にあるちょっとした休憩スペース。
普段は、そこに常置してある氷をアイシングに利用させて貰っている。
アイシングとは氷を足に当てて疲労をとるケアの事で、練習終了後に行われる。
だから、そのスペースに練習前の陸上部が集まるのは稀な事であった。
「本日集まってもらったのは君達に一つ、紹介する人物がいるからだ」
話し始めたのは、俺達部員の前に立つ、肌のよく焼けた健康的な男の先生。
陸上部の顧問である。
「じゃあ前に出て」
促されて出てくるのは、先生の後ろで一歩下がって控えていた女の子。
緊張しているのか、その顔は若干堅い。
「えっ、えと、……本日より入部します、2年の江川彩光です。800メートルを専門種目としています。至らぬこともあると思いますが、どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」
その様子から裏切ることのない堅い言葉のオンパレード。
更に、極めつけに添えられた直角のお辞儀。
ぷっ
控えめな笑い声が耳に届いた。
別に貶している訳では無い。ただあまりに一直線すぎる生真面目さと、それを行っている人物に、子供を見守る親のような気持ちを錯覚したのだ。
1人が我慢出来なくなれば、それは連鎖的な笑いを生む。
そこに顧問の声まで混じり始めれば、笑っていない者はもういない。
その笑いの渦の中心、そこにいるのはもちろん彼女だ。
女子部員に囲まれた少女は本来の明るさを発揮して、もう場に溶け込み始めている。
既にミーティングの形は崩れ、それについても先生は仕方がないと言ったように苦笑している。
それに本日の練習は雪のために完全フリー練習となっている。
つまり、怪我のないように各自で練習メニューを考えて練習せろと言うことだ。
顧問の方針で陸上部は生徒を自主性を重んじている。
今、創られている〝緩さ〟は部員と顧問の間の確かな信頼関係が成り立たせているのだ。
だから────鍛えられた彼らの〝切り替え〟は早い。
少しのおしゃべりを済ませると、1人、また1人と練習に散っていく。
長距離、短距離は結局塊を作って練習を始めている。
雪で制限された日であれば個人の練習が被るのも無理の無いことである。
最終的にスペースに残ったのは3人。
顧問と江川と俺である。
この陸上部で年間を通して中距離を特に800メートルを専門としているのは俺だけである。
顧問からのアイコンタクトを受けると、てまねきをして彼女を呼び寄せる。
「3年の小泉純だ。〝改めて〟よろしく頼む」
敢えて一部を強調し、いたずらっぽい顔を浮かべた男は彼女の反応を期待するように手を伸ばす。
「よろしくお願いします、純先輩!」
彼女は両手で男の手を掴み、それを胸元までもっていきそして────極上の笑顔で口を開く。
掴む手は強く、その圧倒的な笑顔もあって目がそらせない。
自分で仕掛けておきながら全く不甲斐ない話である。
暫くお互い視線が外れず、思わず見つめあう構図で固まってしまう。
「ごほんっ!」
その空気の揺らぎにやっとの事で視線が外される。
完璧に忘れかけていたがこの場にはまだ顧問も居る。
最後にもう一度目を合わせると、俺たちは顧問には何も言わず、一緒に雪のトラックへと踏み出す。
ランニングシューズのグリップに雪が挟まり、僅かな抵抗を残し消えていく。
取り敢えず、一直線にトラックの端まで走りると、身体を反転させて彼女の到着を待つ。
数歩後ろから追いかけてきた彼女の息は全くの乱れを見せない。
それもその筈であり、先日彼女から800メートルの自己ベスト記録を聞いたのだが、俺とのタイム差は殆ど無かった。
単純に練習面だけで見ても刺激的な練習が期待できるだろう事は間違いなさそうである。
男子で中の上程度の俺と同じという事。それはつまり、女子のトップレベルである事を表している。
けど、彼女から偉ぶるような気配は微塵も感じられない。
彼女が追いついたのを確認すると、敢えて何も言わずにトラックの外側を走り始める。
気ままな走りだ。
ただ気の向くままにスピードやフォームを変えてトラックを回っていく。
時に後ろ向きに、時にケンケン、時にサイドステップも混じえる。
足の動きに抑揚をつけて、地面との設置を確認する。
最大限地面からの反発をもらえる角度を模索しているのだ。
一応、そんな意味もあるが、しかし、今はどちらかと言えば息抜きの意味が強い。
気ままに気ままに、まさに風が吹くが如く。
2つの風が舞っている。
出会いを祝して
舞は何度も何度もトラックを回り踊り続けた。
粉雪積もる冬のある日
一つの舞に雪が微笑む