走るとは逃げるだよ
12時20分
6×6席の机はところどころでその相棒たる椅子をなくしている。
相棒を一人にした椅子たちは向きを変え、場所を変え、思い思いのたまり場を形成し、団らんしている。
一日のオアシスともいえる昼休みが始まっていた。
俺がいるのはそのたまり場の1箇所。
机一つと、椅子三つで形成されたわりと小さな団らん場。
俺は無造作に椅子に座ると、一息をつく。
待ちに待った飯の時間だ。
取り敢えず、1時間程前から悲鳴を上げているお腹を急いで落ち着かせなければならない。
が、しかし、早速俺の食事と休息を邪魔をするのが2人。
どちらも同じ陸上部で片方が長距離、もう片方はは短距離のやつである。
「おい、純。 お前今日の朝、女子と2人で登校してきたそうだな〜?」
肩が重い。それと首……。
肩に回された腕はそのまま曲げられ、その間に俺の首が挟まっている。
「……おい、和也! なにしやがる!」
佐藤和也。こちらのスキンシップも甚だしいほうが短距離所属の友であり。
そして、その横で眼鏡をかけてまさに優等生ぽさをだす男────
「湊汰も助けてくれよ!……て、もうまじでギブ! 死ぬーっ!」
山本湊汰。こちらの現在進行形で冷たく見下ろしているほうが長距離所属の友である。
2人とも中学からの付き合いで、前半の首絞めにしろ、後半の殺気のような視線にしても根底には信頼関係のある、まさに気の知れた関係である。
「ほら、湊汰も一旦拘束を解きましょうか」
だからこそか、さっきまでの殺気は何処とやら、その眼に柔らかさが残りて、あれ?
なんか口が笑って……る? て、
「後は私が拷問してきますから心配無用ですよ〜」
いやいやいや、どこが心配無用かよ! 逆に心配度は増してるよっ……!
この2人が敵な以上更なる助けは期待できない。
周りは自分達のおしゃべりに夢中で気付く素振りはない。
仮に気付いたとしても既に創られたコミュニティに割り込むような奴はいない。
「いや、まあこれには事情がありましてね……実は────と言うわけでな」
で、話したのが、彼女は隣に引っ越してきたご近所さんであること。
そして、陸上経験者であって、一緒に朝練をしていた事など。
「なんだそんな事かよー、こいつ一人で抜け駆けしやがったのかと思ったぜっ!」
「ふっ」
誤解が解けたためか、彼らの瞳の剣呑さは消えている。
さて、そうこうしている間に、時計の針は右回りの運動を続けており。
(やべ、急がないと、時間がない)
そして、その時間ロスこそがその事実を更に拡散させる事となる。
「失礼します〜、えと、純先輩っていらっしゃいます……っ! みーつけた〜! 純先輩ーっ!」
割と大きな声は、昼休みの喧騒の中でもよく響く。
更にそこに立っているのはカリスマ性さえ見せる満面の笑み。
「待ってたのに来ないから心配しましたよ?」
この時点でクラスの視点は大きく2つに分断する。
1つは教室のドアに立つ彼女へ
もちろんもう1つは俺へと……
目の前で友人2人が凍りつく。
しかし、その2人の目線は前者の方を向いている。
と言うか、男子の目線は全てそちらに集中している。
俺への視線はその姿に少しは耐性を持つ女子達が、俺と彼女を行き来するもの。
パアンッ
頭の中で走りのスタートの合図が聞こえた。
まず、右足のつま先に力を込めて後ろへの重心移動を測りながら、椅子を引く。
そのままの勢いで椅子から立ち上がると、次は身をよじって友を回避し、回転した身体の勢いを左足に込めて地面を踏み込む。
踏み込んだ足は教室の床を垂直に叩き、その反動を全身に伝える。
それを交互に行うこと数歩。
彼女の前に立つまでにおよそ3秒。
(よし、まだ教室の連中は半放心状態である)
「走るぞ」
彼女もその突然の事態を把握出来ていないのだろう、気の抜けたような顔が俺を見上げている。
だか、彼女に流れるランナーの血が〝走る〟というワードを認識し、本能的に体を動かす。
「行くぞ」
手を握る。この時点で彼女の身体に筋肉の緊張は見られない。
2人が〝逃げて〟10秒後。
教室の時はやっとの事で動き出す。
笑顔を思い出し、再度デレる男子。
どこか青春ドラマの一場面のように逃げた彼らへ黄色い声を上げる女子。
あまりの突然の事に敢えて何事も無かったかのように弁当を食べ始めるもの。
「「話が違うじゃねえか(ないか)!!」」
そして仲良く叫ぶ男2人。
もちろん、教室に戻ってくる純が質問攻めにされる未来が確定した瞬間だった。