決意の血 返すはウインク
「俺を出させて下さい」
誰もが言い返す事が出来ない。
皆、分かっている。
いや、本人こそが一番分かっている。
だから、彩光は黙って彼を抱きしめた。
★
30分前。彼は準決勝一位のタイムで決勝進出を決めた。
それは、歴代の決勝タイムを見ても十分に優勝を狙えるタイムだった。
だが、彼はゴール直後、意識を失い、即救護室に担ぎ込まれ、現在に至っている。
意識を取り戻したのもほんの数分前。
目を覚まし、周囲を見渡した彼はすぐに自分の身に何が起こったのかを悟った。
そして、第一声。
彼は〝走ります〟そう呟いた。
もちろん、その場にいた顧問、親が反対。
それでも静かに、その瞳に彼女と同じ、光を宿した瞳。
その瞳で、再度頭を下げて頼む彼に、部屋は音を失った。
動いたのは、いや、動けたのは私だけだった。
同じ瞳をもつ私。
不思議な引力が、意識に関わらず、私と彼の距離をゼロにした。
抱きしめた腕の中。
彼の鼓動が伝わってくる。
とてもゆっくりな鼓動。
それでいて、1回1回を丁寧に、力強く刻んでいる。
1度、龍がいつその力を解き放つ機会を伺うように。
もう彼は止まらない。
止めることは許されない。
それに、多分私でもそうする。
だから────
「先輩、試合に出てください」
反応はない。
それでも聴いてくれているのは伝わってくる。
彼の心臓が1回、大きく脈をうった。
「ただし、条件付きです。2つあります。1つ目は……────です」
私が出した条件の1つ目は、試合が始まる直前まで観客席でドクターのケアを受けること。
そして、2つ目は……、
『先輩が魅せたいもの、私に魅せて下さい』
心の臓が、再び大きく脈をうった。
密着した身体は、私に彼の血流を教えてくれる。
彼の血が全身をまわる。
決意の血。
見えない血管が、2人の間を繋いでいる。
決意の血が、彼の全身を回りきる前に、私にも流れ込む。
熱い。とてつもなく熱い血。
闘志により、沸騰しているのだろうか。
力がみなぎるのを感じる。
確かに身体が軽くなる感触。
連戦の疲れが嘘のように引いていく。
決意が精神力を回復させているのだ。
非科学的と呼ばれるかもしれない。それでも現実に私の身体は全開の出力を取り戻していく。
1、2、3、……。無意識下でカウントが始まる。
少しずつ、己の好きなペースで数字は刻まれていく。
49、50、……肌の感触が曖昧になってきた。
99、100、……もう自分がなにをしているのかも分からない。
199、200、……心地よい風を感じる。肌じゃない、直接心に届くような。
399、400、……彼の鼓動が聴こえる。
999、1000、……私はトラックに立っていた。
『第4レーン。江川 彩光。霞駆高校』
選手紹介のアナウンスが流れた。
「「「あかねぇーーーっ!」」」
一拍遅れて届く歓声。
先に、また先に行ってますから。必ず来てくださいね。
ジャンプと体ほぐしを終えて、スタートラインへと足を運ぶ。
さて、ちゃーんと条件を守っているかどうかの確認をしないとね〜
捉えた。彼だ。
いい表情をいている。
時間はない。
すかさず片目だけで彼を見つめること、一瞬。
決意の血。
決意のウインクでお返しです。
オン ユア マークス
パァン!
女子800メートル 決勝が始まる。




