限界無き〇〇を求め
残り100メートルで1周目が終わる。
ピキっ
小さな音が鼓膜をノックする。
関節か、筋肉か、何処から聞こえた音。
その正体は分からない。
でも……、その主の目的は分かる。
ピキっ、ピキっ
音の出どころは1つではない。
前も後ろも、何かの準備をするようにその音は続く。
俺も同じだ。
集中。俺達は気配を聴く。
〝決して乗り遅れないために〟
水面の上に枝が一本。
その先に今にも落ちそうな雫が1つ。
いつ落ちるのか?
8つの影は更に小さな塊になる。
2列、もしくは3列に。
影は横に広がっていく。
誰かの息が、前の影の方に触れ、雫が揺れた。
まだ落ちない
視線の奥に、フィールド外の姿が見えた。
小さな黄金、そこから下がる細いロープを握る競技員だ。
再度雫が揺れた。
10メートル。
競技員の表情が見える。
目にシワが寄っている。
決して〝タイミング〟を違えぬために。
決して、〝スタート〟を遅らせぬために。
競技場の皆がそれを分かっている。
残り3メートル。
他の7人の鼓動が聴こえる。
他の7人の血の流れが聴こえる。
残り1メートル。
一瞬────他の7人の全てが聴こえなくなった。
耳に届くのは、鳴り響く甲高いスタート音。
鐘の音だ。
黄金の鐘が、全ての音をかき消して競技場に響きわたる。
何よりも速く、何よりも大きく鳴り響く黄金色。
それは、競技者が、戦士が求める理想を奏でる。
戦士を鼓舞する鬨の音。
それだけを残し、消え去っていく音。
その主たる影達。
彼らの鼓膜が黄金に触れる。
時が加速する。
雫が落ちた。
同心円の揺らぎが、水面に描かれた。
★
ラスト一周。
脳が意識した時。既に鐘は数メートル後方に。
そして色の付いた影達。
黄金に魅せられ、ただそれを追い求めようとする彼らは等しくその牙を見せる。
会場が震える。
文字通り、俺も含めた8人の足音が競技場を揺らす。
そこに駆け引きは存在しない。
理由、理屈。そんなものはない。
でも、走る者には、走りに魅せられた者は分かるのだ。
〝残った者が勝つ〟
一度。そう、一度置いていかれた者はもう追いつけない。
結果的に一周目に体力を温存したのは8人共通の条件。
それであるのならば、ラスト一周が問答無用の全力疾走になるのは必然の解。
意識せず、口角が上がった。
楽しい。
数瞬で劇的な変化を見せる加速世界。
目に見えぬ〝ふるい〟が亡者を受け止めるネットのように忍び寄ってくる。
心臓がうるさい。
わくわくする。
足に腕に血管が浮き出ている。
波打つ血液が全身を駆け巡る。
高鳴る心臓が濃い血液を流した。
指先にとどまらず、毛の先の感覚まで鮮明になる。
分からないところがない。
己の身体を完全に理解、一体化する感覚。
奥に眠る何かを呼び起こす。
そう念じ、リミッターが解除される。
アドレナリンの放出を確認。
副腎から分泌されたそれ、血液に運ばれたアドレナリンが、一体化した身体を上書きする。
瞳は閉じることを忘れた。
涙が潤いだ。
腕が関節の稼働角度を忘れた。
風がクッションにでもなるだろう。
足の骨が、地面へ打ち付けられる重みを忘れた。
足の筋肉は、骨の強度を忘れた。
なぁに、歩幅が広がれば、地面接地の回数は減る。
全身が熱くなる。
自然と身体が弛む。
いけない。
それを認識したがために、全ての筋肉が更に引き締まり強度をあげる。
表面積が小さくなり、風の抵抗が減った。
『楽しい』
彼の頭にはそれしかない
残り300メートル




