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音ならない声

  夢か現実か、境のわからないような。

  でも、確かにあった二人の記憶。


  まだ出会って間もなかった頃のある冬の日の記憶。



  自覚するまでもなく、努力は俺の土台だった。



  でも、だからこそ、俺は過程を否定する。


  一度気づいたなら。積み上がった存在を確信したのなら、もうそこに用はない。


  俺は昔ではなく未来を。

  下でなく上を。

 それだけを見つめたい。


  振り返り、見つけたのは俺の足跡だった。

  今、空を仰ぎ、見つめる先にあるのは一本の飛行機雲。


  遥か彼方に残った、〝あいつ〟の足跡。





「「「じゅんーーーーーー!!!!」」」


  客席から数十の声が上がった。


  俺は既にスタートラインに立っている。


  遥か彼方の雲。

  それを掴むように俺は手を伸ばす。


  ぎゅっと


  それを手に入れる。その宣告を自身に向け、確約する。


  手を挙げた姿勢のまま、俺は数十人の仲間へと胸を向ける。



  ありがとう



  音ならない声をつぶやき、俺は静かに姿勢を戻す。



  オン・ユア・マークス


「お願いします」


  ためらいなく、俺の身体はスタート姿勢をつくる。


  よろめく事はない。


  足裏を100パーセント地面につけ、右手を前に出した左足にそえ、深く前傾姿勢をとる。

  前に傾き過ぎないよう、左手は後ろ上方に上げておく。


  後はイメージ。

  スタート直後コンマ数秒のイメージを組み立てる。



  後に伸ばした左手を振り子の原理で思いっきり前へと振り抜き、同時に地面を蹴った右足は、すでに宙を飛んでいる。

  そんな未来像。


  蘇る無数の記憶。


  何度も何度も繰り返してきた足運び。

  その中で最善、最速の動きをシュミレートし、さらに今流れる一瞬のうちにより速い動きを求め続ける。


  陸上とは簡単なものだ。

  過去に存在する、過去最高の自分を超えていく。

  それが陸上だ。


 

 

  音、それには気配。

  鼓膜か振動するタイミングを予測し、空気の振動を感じる前に脳は命令を出す。



 パァンッ!



  スタートライン、一瞬前まであった存在は、既にトラックの彼方へと飛び出している。


  スタートラインに音が残った。


  スタート音の余韻だ。

  それに混じる、ひとつの言霊。


  戦士が残した音ならぬ声、




  風に乗り、音ならぬ声がお天道様に届いた。


『優勝します』 俺の宣告。いや、自身への宣戦布告である。

 



  ────小泉 純 予選通過────

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