何も言わずに
荻野君がいた。
端正な顔立ちで、いつも無口で。でも誰かが困っていたり喧嘩が起きるといつだってさっと助けたり、間に入って仲裁してしまう。事が収まると、いつの間にかその場からいなくなる、そんな人。特別目立つ人ではないけれど、みんなから頼りにされている人。
私ももちろん、助けてもらったうちの一人だ。
女子同士のマウントの取り合いで、悪口を言われているときに助けてくれたのだ。ありがとうと言ったら、別にいい、とポツリといってスタスタといってしまったけど、思春期真っ只中の女の子が誰かを好きになるには、十分すぎるほどの出来事だった。
その荻野君が、少し先の廊下にいる。
張り出されているポスターを見ているようだった。
「ほら、いたよ荻野君!
早く声かけてきなよ、行っちゃうよ!?」
大親友であるゆらちゃんが私の肩をパシパシ叩きながら言った。行っちゃうよと言われてあっさり声をかけられるなら苦労してないよ。どんな人とも仲良くなれるゆらちゃんとはちがうんだから……。
「いや、でももうすぐ体育の時間始まっちゃうし……」
「だから早くって言ってるの! 学校の授業終わったらいっつもケイトを家まで送っていっちゃうし、戻ってきたと思ったら部活でしょ? 廊下で見かけた時くらいしかチャンスないじゃん!高校の最後に、最高の思い出を作るんでしょ!?ほら、グタグダ言ってないで、いってらっしゃい!」
「きゃあ! ちょっと!」
グイッと背中を押されて、私は荻野君の横に並び立つことになった。
「………。出るのか?」
荻野君がポツリと言った。
「へ? あ、」
荻野君が見ているのは、プロムクイーン応募のお知らせのポスターだった。卒業式後に学校の体育館で開催される卒業パーティーだ。クイーンに選ばれるためにドレス選びに気合いを入れる女の子は大勢いるが、私のような黒目黒髪、地味な顔造の人にはあまり関係のない催しだ。
「い、いや私は別に………ケイトは出るんでしょ?」
出場しようとしていると思われるのも、こいつが?と思われそうでちょっとアレだし、かといってこのまま会話が終わるのもなんだか寂しいので、私は彼の幼なじみの女の子の名前を出して場を繋いだ。それに、普段は言葉数が少ない荻野君も、彼女関連の話題なら、わりといろいろしゃべってくれる。
学校イチどころか世界一かわいい女子高生などと、本人が応募もしてないのに勝手に雑誌に掲載されてしまうくらいの美人さんなのだ。かわいさも兼ね備えて勉強も運動もできる。しかも性格だってすごく真面目でとても優しい。1学年のときにクラスにまったくなじめなかった私を心配して、昼休みになったらちょくちょく様子を見に話しかけてきてくれるような、まさに完璧な人。
男子たちが勝手に作ったファンクラブとやらのせいで、つけ回されて危ないからと荻野君が行き帰りは必ず家まで送ってるんだとか。ほんとに羨ましい。
「出るにはでるが……」
応募したら絶対にクイーンは彼女で決まりだろう。
「これ……」
荻野君がおずおずと小さく指差したのは、ポスターに景品として載っているティアラ…………ではなく、
「おまんじゅう?? なにこれ?」
「この和菓子がティアラと一緒に景品としてもらえるらしい。ケイトが食べたがってる」
和菓子屋さんの名前は、聞いたことがあった。普段は皇家や限定地区にしか卸していない老舗中の老舗でとてつもない有名店だ。たしか、世界書記にものってると教科書にもあったほどだ。
つまり、創業は2~3000年は軽く経ってるはず。
「な、なんでそんな有名店が!?」
「これ…………」
ポスターのすみっこに、極小の文字で経緯が記されていた。
その店の先代がこの高校出身で、学校創立80周年を記念して、皇家に許可をとって特別にプロムの景品として送ってくれることになったらしい。
はぁ、とため息をつきながら、荻野君が応募方法をメモしていた。本当に憂鬱そうな表情だ。ちらっとメモをみると、なんだか躊躇っているような字体で、"キングについて"と項目をかいているところだった。
「荻野君も出るの?」
ポスターには申し訳程度にキングの選定についても記載がある。
「ケイトが………。まんじゅうを貰える確率をあげておきたいからって。」
やれやれとため息をつく荻野君。
いやいやいや、心配しなくても彼女は絶対に大丈夫だろう。
「彼女は……大丈夫だと思うよ?」
「…………」
荻野くんは仏頂面だ。
キングへの応募が嫌なんだろうけど、そんなに困ることはないと思う。特別目立つ人ではないけれど、どちらかというとおとなしい部類の女子生徒たちには、実は絶大な人気がある。誰に対しても分け隔てなく誠実だからだ。しかも喧嘩にもめちゃくちゃ強い。 モールの駐車場でケイトに絡んだ大学生の不良絡グループ15人を、10秒でのしたんだとか。あれ、30人だったかな………まあいいや。
「だ、だいじょうぶだよ、荻野くんなら、その、」
絶対選ばれるから自信を持って!
そう言おうとしたけど、
「出たらいい」
言えなかった。
荻野君はポツリとひとことそう言うと、メモをポケットに入れて、予鈴がなり始めると同時にクラスへ戻ってしまった。
「どうだった? プロムに誘えた?」
「だめだった………」
「も~、いくじなし!」
ゆらちゃんは膨れっ面で私に文句を言った。
「で、でもねでもね!」
私はゆらちゃんの耳元に寄ってささやいた。
「なあに?」
「プロムクイーンに出たら?って、言ってくれたの!」
もちろん、ゆらちゃんはめちゃくちゃ喜んでくれた。
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「ろーーーーーい、ろーーーーーーーーーーーい!」
「うるさい」
またケイトが俺を呼んでいる。
家がとなり同士で、自分の部屋の窓をあけると、期待満々な笑みのケイトが自分の部屋から手を振ってきた。
俺はなれているが、学校の他の男子なら、それだけでもっていかれてしまうくらいの笑顔だ。
「出したんでしょ? ね? ね?」
おまんじゅうおまんじゅうおまんじゅう、と呪文のように毎夜毎夜内線をかけられたんじゃたまったもんじゃない。
となり同士で一応親戚だからといった理由で、親同士が、ケイトと俺がいつでも話ができるようにと内線を引いてしまったのだ。
卒業したら、絶対にこの家を出ていってやる。
「……出した」
「よし、これで確率は少し増えた! 今年はみんなおまんじゅう目当てだから、倍率が高いと思うの!そうだロイ! あなたも一緒にいくパートナー、おまんじゅうが嫌いな子にしてね、それでクイーンに応募してもらってもしよ、もしその子がクイーンにあたったら」
「まんじゅうをよこせ、っていいたいのか?」
みんなの目当てはティアラなのに、なぜこいつはまんじゅうなんだ。
「もちろんよ! あ、それから、2学年の男の子でおまんじゅう嫌いな知り合いがいたら、キングに応募してもらって……その辺はロイよろしく! がんばって! あとは………」
真剣な表情でいかにしてまんじゅうを手中に納めるか、考えを巡らせているようだ。
まんじゅうのためにそんなにいろいろ作戦を考えているのか。
馬鹿だろ、こいつ。
まぁ、結局言われる通りに応募してやった俺は、もっと馬鹿だな。
「はぁ……その食い気をどうにかしたらどうだ?」
「だっておにーちゃんにプレゼントしたいんだもん」
膨れっ面しやがって、この食いしん坊。
「………」
「ねぇ、ロイ! 私どーしても食べたいの!協力、」
「一人勧誘しておいた」
「!!!」
「クイーンに応募するかは……知らない。ただ……」
ケイトの表情がみるみる輝く。
「お前が欲しいと言えば、たぶん………くれる………と思う。その、ひとつくらいは………たぶん。」
「ロイ大好き!!!!!! おやすみ~!!!!」
「ちょっ! それよりだれと!」
「じゃね!!」
ものすごい声量でものすごいことを言ってから、ケイトは窓をパタンとしめ、カーテンをかけた。電気も消したようで、少しだけ自分の部屋が暗くなった。
「………っ!」
家の前の通りに、隣町に住むバイト帰りの同じクラスの男子がいた。
目が会う前に、おれは部屋に引っ込もうとしたが、
「♪」
にやっとした顔で手でハートマークを作られた。
「………」
俺はそれに気づかないフリをして、そのまま部屋にもどった。
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「へぇ、じゃぁこのドレスが、卒業パーティーの時に用意してもらったものですね。」
「うん、お兄ちゃんが張り切って用意してくれたの」
「でしょうね」
ひなちゃんがふんわり笑いながらアルバムの写真を見てる。
ぱた、と黒皮のソファーの背もたれにもたれると、私に視線を向けた。
アーモンド型の瞳は、私を小さく映している。プロムに出たとしたら、間違いなくキング確定ね。私も絶対票を入れる。
警察官になったお祝いに、兄から貰ったマンションの部屋の中でも、一番のお気に入りの家具だ。金額の桁数は恐ろしくて未だに聞けないまま。3人掛けの大きさに、今は私とひなちゃんで、ゆったり座っている。
ローテーブルに並んだ2つのマグカップには、ひなちゃんのお手製ラテがたっぷりと入っている。これが本当においしい。世界一だと思ってる。たまにシナモンモカも作ってくれるこの後輩君は、本当に有能。邪心だけど、引き抜いて本当に良かった。
マグカップのうちのひとつは、たまごの殻をおむつのようにしたかわいいひよこの絵が描いてある。はじめて見たとき、ひなちゃんは思いっきり嫌がってたけど、無理矢理愛用品にさせたのよね。
「結局おまんじゅう、貰わなかったんでしょ?」
「立てこもり事件でお兄ちゃんが戻ってこれなくてね」
「ドレスを泥だらけにして本庁まで迎えに行ったんですよね?マリー先輩から、話だけは前に聞きましたよ。」
「そ。」
本庁のエントランスでワルツの相手をしてもらったのよね。
懐かしいなぁ。
みんなに兄を見せびらかそうと思って、パートナーは誰にも言わずに内緒にしてたのよね。
「おまんじゅう、食べ損なったのよね……」
結局誰がおまんじゅうを貰ったのか、知らないままだ。普通なら、限定地区の人しか食べられないし、もう仕方がない。兄は謝り倒してくれたけど、当時はそんなことより兄の身が無事かどうかで精一杯で、おまんじゅうどころではなかったし、働かずに行儀見習いしろと母から決められていた進路を無理矢理急遽変更し、同じ警察官になろうとその時に決めたから、おまんじゅうのことなんて今のいままですっかり忘れていた。
「ふはっ!」
ひなちゃんが思いっきり吹き出した。
「そんな顔、しないで下さい、あはは! 二丁目のモンブランで、機嫌直して、あはは!」
お腹を抱えてひーひー言ってる。
私、そんなに食い意地張ってたかしら……。
ん?
「モンブラン!? 二丁目!!」
「そ。俺、ここに来てすぐ、冷蔵庫に箱を入れたんです。
ほら、先輩はお湯を沸かしてくれてたでしょう?」
ひなちゃんが自分のひよこマグカップを手に取って、軽く掲げた。ラテの甘くて柔らかいミルクの匂いが、部屋に広がる。
去年の誕生日プレゼントに、ひなちゃんがくれたコーヒーメーカー様々だ。
まぁ、使ってるのは、ひなちゃんしかいないけど。
難しくて、私使えないし、自分で淹れたのじゃなくて、ひなちゃんのラテが私は好きなんだもの。
「ひな、偉い!」
「でしょう? ほら、食べたら新しい単元、お願いします、ね?」
ひなちゃんはテキストを鞄から二冊出すと、私に表紙を見せつけた。一つは小学校の理科の教科書、もう一つは刑事課の特例試験対策テキストだ。それぞれ、私と兄のお下がり。学校に行ったことのないひなちゃんは、この週に3日の勉強会をとても楽しみにしている。教えるのがあまり苦にならないのは、教師である両親の血を引いてるからかも。
「分かってる、お古のビーカーもちゃんと借りてきた。
さ、食べよ!!」
「はーい」