きっかけは
それは、私のお腹にずしんと響いた。
どうしよう。大変なことになった。
セオドア・ウィリアム・ウォード・アレキサンダー
貨物列車が駅で止まったのと同時に、私は、いま目の前にいる人物に起こされた。
貨物を降ろす人たちにバレないように外へ出ると、ホームの人混みに紛れて、駅の裏手にある自転車置場になんとか逃げ込み、息を整え、今に至る。
この人のお陰だけど、よく貨物列車から脱出出来たと思う。
いや、本当に。
完全に、無賃乗車だもん、これ。
金になるものを代わりに置いたから大丈夫って、この人は言ってたけれど、そういう問題じゃないよね………。
そのうえ、アレキサンダーって言ったら、もうこの人しかいない。
それに――――。
「あはは……あぁ、いちおう、本名………だ。」
その姓を名乗った当の本人は、私の目の前で、気まずそうに額をかいて、苦笑いをしている。その人の首からぶら下がっている銀色のペンダントは、私に残酷な現実を突き付けた。
ただの偽物である可能性が残されていれば。
嘘っぱちを私に言っている怪しい人だって疑えたら。
どんなに良かっただろう。
丸い形をした銀色の飾りには、いくつも重なった円が刻まれ、円のフチには草花が絡み合っていて、とても綺麗。そして、その真ん中で、銀色の鷹は大きな翼を悠々と広げている。
紋章の中で気持ち良さそうに翼を広げている銀色の鷹は、私に気づいてこちらを向くと、じっと睨んできた。
どんな有能な詐欺師でも、さすがにこれは作れない。
時々羽を動かしては鳴き声をあげて、足の爪をこちらに向けてくる。
獰猛そうな銀色の鷹の仕草は、その人がその人であるという、唯一絶対の、確かな証拠。
普通のペンダントなら、飾りが鳴き声をあげて人を威嚇なんてしない。
「うん? エステル?」
その人が自分の胸元を見て小さく呟いた。
銀色の鷹の名前かなぁ……。
「おはよう、エステル」
その人はペンダントに人差し指を当てると、そっと銀色の鷹を撫でた。
一瞬目を細めるが、まだエステルは私を睨んでる。
敵意はないよ!
私は心の中でハンズアップをした。
この人に怪しい人だって思われちゃう。
気持ちが通じたのか、銀色の鷹は私から目を反らすと、大人しく"ご主人さま"の方に視線を向け、キューとひと鳴きしてから普通のペンダントの飾りに戻った。目元はなんだか少し微笑んですらいる。
私、何もしてないよ?
初対面でペンダントに睨まれる覚えはない。
あれは仕方なかったんだもの、不可抗力だよ。
「うん、大丈夫、ありがとうエステル。――――あぁ……えと、これはエステル………あ、そっか、あんたは知らないだろうけど、俺は」
「――――わ、分かってる!」
自分のことを、説明し始めようとした本人の言葉で硬直が溶けた私は、急いでその言葉を遮る。
ほんと、危機感がまるでない。
私が悪い人だったらどうするの?
びっくりして叫んじゃったら?
それで、セオに気づいた危ない人に襲われたら?
今の私じゃ、守ってあげられないよ?
「そんなの……エステルを見れば分かるよ」
「へっ!? あ、あぁ……そっか、良かった」
ほっとしたようにその人は言う。なんでだろう。
「良かったって……何のこと??」
「あぁ、いや……何でもない、こっちの話だ。おどろかせてごめん」
苦笑いしながらその人は言う。
そんな表情は見せないで欲しい。
人の気も知らないで。
こっちは気を緩めないようにするのに精一杯で、大変なんだから。
私はわざとしかめっ面を作って、対抗する。
「謝るくらいなら最初から嘘ついてよね」
「ご、ごめん……」
その人は、私の目を真っ直ぐに見て、謝罪する。
どうしよう。
絶対に、こんなこと、ありえない。
絶対に、こんなことが、起きてはいけない。
絶対に、こんなこと、起きるはずがない。
絶対に、出逢うはずがなくて、
絶対に、出逢ってはいけない人。
絶対に、想ってはいけない人。
「あ、あのさ?」
目の前にいるその人は、言葉が出てこない私の顔に、手の平をヒラヒラとかざして、私の硬直を解除した。
「だ、大丈夫……か?」
そんなわけない。
「ううん、ダメ」
私は、ぼーっとその人を見ながら答える。
きのうの夜も思ったけれど、吸い込まるような綺麗な黒い瞳。
夜空をぎゅっと詰め込んだような感じ。
そういえば、きのうは綺麗な満月だった。
「まぁ……そう……だよな」
「うん」
5秒、会話が止まって、
「ウィリーとかの方が良かったかな……あはは……」
その人は、私から少しだけ視線を反らしてそう言った。そしてまたすぐ、様子を少し伺うかのように私を見る。その人の顔全体に、"しまった"とか、"やっぱり"って文字が見える。
「それだったら、ウィルの方がまだまし。ウィリーだと、なんだか風邪引きさんのイメージだもん」
遠慮も社交辞令もないけれど、仕方ない。
それをする余裕が、私にはないんだから。
吸い込まれそうなくらい綺麗な黒い瞳に、ビル風に揺れる綺麗な黒い髪。
整った形の良いその他パーツはもちろん、聞き心地の良い素敵な声。せっかく目の前にいるこの人の万人受けする格好良さを、堪能する余裕もない。
どうせなら、もうちょっとロマンチックな理由で、見つめ合いたかった。
「ああ、あのドラマか……」
「へ? 知ってるの? 」
びっくりしすぎて、かなりフランクな、すっとんきょうな声が出た。
「あぁ……いや。俺は見られない」
他人のびっくりした様子を見て、その人は少しだけ微笑んだ。
ふんわり柔らかい表情は、私の混乱している心を優しく包んでくれる。
「なら、どうして?」
また硬直しそうなところを踏みとどまる。
「ふたりの親友が、あらすじをこっそり教えてくれるんだ、しかも演技付きで。ひとりで何役もそれぞれこなしてさ!」
頬を緩めた嬉しそうな表情。
なんだ。
遠い存在だったけれど、私と同じ、ただの人間なんだ。
「ふたり……」
「アレックスと、リラって名前。リラは演技のレッスンとして、アレックスはリラのレッスンに付き合わなくちゃいけないから、っていうのが、二人の言い訳なんだ。それで、その時だけは、ロイは黙ったまま、邪魔しないでいてくれる。」
この人の、大事な人が三人出てきた。
アレックスと、リラと、ロイ。
忘れないように、私は口の中で呟いた。
でも、ロイって誰?って言葉は、飲み込んだ。
今は、この人のことをもっと知りたいから。
すると、
「それで?」
その人は腰に手を当てて、顎を少し上げた。
「それでって?」
思わず私は聞き返す。
いきなり言われても。 なんのこと??
「俺にぴったりな名前は?」
怒るでもなく、いたって平然とその人は言う。
「へ?」
なまえ???
「ウィルはまだマシだってだけで、ぴったりじゃないんだろ?」
「あぁ……確かにね。ぴったりってわけじゃない」
思わず私は頬に右の手のひらを当てる。
「だろ? だから言ったんだよ。俺は何て名乗れば良かった?」
その人は、楽しそうにニヤリとしてる。
よし、受けて立とうじゃない。
「う~ん……ジョンって感じでもないし、ヘンリーはなんか王子っぽい、なんか違う。ガスパーだと……なんかギャングにいそうだからなんかイヤ。」
「ふんふん、それで?」
ポチとかコロとかタロとか、変なあだ名でも良いかなと一瞬思ったけれど、それは辞めることにした。
長生きしたいし、それに、本名を聞いたときにすぐに思いついた呼び名が、ぴったりだと思ったからだ。
「やっぱりこれかな」
私はもったいぶって腕をくむと、
「セオがいい。」
「え……」
「私はあなたを、セオって呼びたい」
真っ直ぐに見つめて、笑顔で高らかに宣言した。
「………………………………………………………………………。」
「???」
今度は、会話が10秒、止まった。
私がセオと名付けたその人は、綺麗な黒色の目を丸くした。パチパチと瞬きをしている。ほんのり頬が赤いのは、どうして???
「あ、あの…………なんで? それにした理由は?」
「呼びやすいから」
「は? そんな理由で?」
セオは、パチパチとまばたきをする。
「うん、そうだけど……。え、だめ???」
「い、いや、別に。その、家族はだれも……使わないから。ちょっとびっくりしたっていうか……」
「ファーストネームなのに???」
「それはその、お守りだし。それにその……なんていうか……」
セオは私から目を反らした。
右手の甲を鼻に軽く当てて、ごにょごにょ言ってる。
「ねぇねぇ、お守りってどういうこと?」
不思議なことを言ったセオに、私は思わず聞き返した。
「そ、それは…………あるにぃが……その……」
セオはそれきり、口をつぐんでしまう。
まだ早朝。
出会って半日も経ってないし、まだ言えないこともあるよね……。
会話、進めようかな。
「使えばいいんじゃない? どうせバレないよ、ここは零地区だしね」
「は??」
「ん?」
「え??」
「へ?」
また5秒、会話が止まった。
セオは、目を見開いて驚愕の表情で私を見つめる。
「ここって…………限定地区じゃあ??」
「違うよ?零地区だってば。限定地区なわけないじゃない」
さっきのお返しに、腰に手を当ててみる。
分かってて家出したんじゃないのかなぁ……?
「はあぁ!?? ここ、限定地区じゃないって!??」
セオが大声を出したせいで、駐輪場に入ろうとしたスーツ姿の女の人が、びっくりしてどこかへ行ってしまった。素行不良のティーンだと思われて、避けられたみたい。
「そうだよ? 零地区にきまってるじゃない。ほら!」
私は、両手を広げて辺りを見渡すように暗に促した。
「そ、そんなの嘘だ! でたらめ言うな!」
「嘘じゃないってば、なにいってるの?ほら、あそこに壁があるじゃない!?」
私は手を少し上げて先を指差し、主張する。
「家の正門前に着地するように設定したんだ。多少ズレたとしても、なんで零地区なんだよ」
「ほんとに本当だってば! ほら、外をみてよ」
私はセオを引っ張って、駐輪場から出た。
「エレナ、あれは………」
「ほらね。だから言ったでしょ?」
電車の扉がしまる音、駅に来た人達の歩く音、話し声にかばんの揺れる音。ごく普通の朝の音。快晴で、とっても良い天気。
そこに不釣り合いなほど不気味な灰色のそれは、向こうとこちらを明確に区切る境界線。
どこにいても、どこからでも、絶対に見えるそれは、見るだけで人を畏怖させる。
「紋章が……ない」
限定地区からだけ、鷹の紋章が見えると学校で習った。
きっと、エステルと同じようなものが描かれてるんだろうなぁ。
「ここは……零地区だ」
「だからそう言ったの」
私がつっこむと、セオは静かに頷いた。
壁を作った理由は、"ミュリエル様とアルバート様を、再会させるため"。
"紋章"を持つ人を待ってるんだよね。
学校で習ったよ。
悪どい商人が、神聖な精霊の湖に死体………要は汚してしまい、精霊の主さまは大激怒。結果、世界中が障気で覆われて、世界人口が激減したんだよね。確か、75パーセント減少したはず。
それで、世界中を覆った障気を浄化するため、幼い頃から不思議な力を持っていたミュリエル様は、自ら人柱に。
障気から身を守れる精霊石を巡って起きていた、醜い世界戦争を止めるため、アルバート様は戦争の最前線に身を投じる。核弾頭を使おうとした強国を、止めに行ったんだよね。
自分たちなら世界を救える、と。
それは、たった半日の出来事。
ミュリエル様とアルバート様の、結婚式の前日の出来事。
何もふたりが自ら犠牲になることはないと、幼なじみだった青年は必死に止めたんだよね。でも病弱で体が弱かった青年では、ふたりを止められなかった。
それでも青年は、なんとかしてふたりが死なずに済むようにと、"アカシアの丘"で必死で精霊の主さまに呼びかける。誓約と契約を結ぶことで怒りを鎮めてもらうことには成功したけれど、既に世界中に溢れてしまっていた障気の浄化や、世界戦争を治めるために、結局、ミュリエル様とアルバート様は自ら犠牲となる。
世界の行く末を、青年に託して。
世界が救われた後、青年は、ふたりの魂が今度こそ結ばれるようにと、大きな教会を建て、その周囲の地区を壁で囲い、この星の、広い世界で、ふたりの魂が離れ離れにならないようにした。
そのうち、その地区は限定地区に、青年は世界を救った三人のうちの生き残りとして讃えられ、青年の家系は続き、セオに繋がる。
でもまぁ………これは世界書紀での話で、いわばおとぎ話。
実際は、他国からの侵略から町を守るための城壁だっていうのが、定説なんだよね。
「ロイが……住んでた地区……か」
「ロイ……さん?」
「ごめん、ロイ兄。俺のために……。」
「元気だして……」
他にかける言葉が見つからなくて、私はそっとセオの肩を擦った。それに応えるように、セオは私の手をそっとなでた。
「ロイは……その、なんていうか……」
「兄弟みたいな感じ?」
にぃ、とつけてるから、相当信頼して慕ってるはず。セオが辛い時、きっとそのロイって人も、側で支えていたんだろうなぁ……。
「まあ、ロイは俺が勝手に兄ちゃんって思ってて………。」
「そっか~。ロイお兄ちゃんとアルトお兄ちゃんかぁ……二人もいるなんて羨ましいなぁ…………。実はね、私一人っ子なの。」
「へ? ああ……うん、でも、アル兄はいないんだ。」
「いない? 会えないの? それじゃぁ寂しいよね……今はどこにいるの?」
ふわりと風が吹いて、私たちの髪を撫でる。
少し間を置いて、セオは言葉を続けた。
「亡くなった……らしい。ガキの頃言われたんだ。星になったから、もう会えないんだよって。」
「そんな! あの、ご、ごめんなさい……私……崩御されてたなんて……!」
思わず私は目の前の人から目を反らした。
学校では、皇主さまに兄弟がいるだなんて習ってない。
それどころか、まさか崩御されてたなんて。
「あぁ、別に謝らなくていいって。はらほら、顔上げろ。確か、元老院が口止めしてるから、知ってるのは限定地区の人だけなんだ」
セオは笑って私に言った。
「う、うん」
そろそろと私は顔を上げる。
知らないとはいえ、羨ましいだなんてひどいこと言っちゃった。
…………。
あれ?
「ねぇ、セオ」
「……あぁ、うん?」
慣れてないのか、私の呼び掛けに少し遅れて、セオは反応した。
「"らしい"って、どういうこと?」
「産まれてすぐに死んだって、侍従に言われたんだ。星になって、空にいるから、もう会えないんだよって。」
「そっか……。」
「だから、俺は一度も会ったことがなくてさ。アルト兄ちゃんは、俺んちの敷地にあるお墓の中で眠ってる。」
「うん……」
「一度でいいから……話をしたい」
「セオ……」
「キャッチボールも……したいかな。まあ、仕方ないけどさ」
「うん。だよね」
セオが明るく肩をすくめたから、私もそれに合わせる。
「素敵なお兄さんだよね。弟のセオがほら、笑顔になった」
「あはは! そうだな!」
「零地区なわけないって、あんなにパニクってたのに」
「おい、パニクってなんかないぞ!デタラメ言うな!」
「へえ~、そ~お?」
私はここぞとばかりに、にやにやしてからかってみる。
「うっ……。ちょっと……びっくりしただけだ」
「あはは!あのねぇ、それをパニクってるって言うんだよ」
私は雑談を止めた。
あれ? なんで私たち…………?
「ねぇセオ」
「ん? ああ、俺か。どうした、エレナ」
「なんで私たち、現在系で話してるの?」
「へ? 過去形にしたら、いよいよ亡くなったと認めることに……」
「私はそこまで考えてない」
「そ、そっか………それで? 」
セオの目が点になってるけど、この際それは無視しよう。
「アルトお兄ちゃんが死んだって、本当に??」
「はあ?」
「確かな証拠は?」
「んなもん知らねぇけど、でもみんなが!」
「もう会えないっていうのと、死んだっていうのは、同義じゃないよ。」
「あのなエレナ。気持ちは嬉しいけど、それは言葉尻をとらえただけで」
「で、でもでも!限定地区ではもう会えない、死んだも同然だけど、もしかしたら勘当されてて、零地区で一人寂しく暮らしてるかもよ!!ねぇ絶対にそうだよ!!こういうの、映画やドラマでよくあるじゃない!? ね!?」
「いや、でもっ!!」
「お墓に入ったところ見たわけ?DNA鑑定、自分でやって、本当に本当に、死んだって証拠をみたわけ?」
「それは違うけどさ………」
「人間、諦めたらそれで終わりだよ!セオがうっかりポカやって間違えたみたいに、うっかり零地区で生きてるかも!」
「だけど……っていうか、それじゃぁ俺がまるで」
セオに文句は言わせないように、私は強引に話を進める。
「みんながそういうからって、それが正しいとは限らないでしょう?ダメ元で世界中、探し回ろうよ!ね!?」
昨日の夜、ひとり静かに泣いていたのを、私は知ってる。
「エレナ……」
一緒にいたい口実で言ってるわけじゃないよ。
絶対に、違う。
うん、きっと。
「そ、それにそれに!スラム街は避けて限定地区に帰らなきゃいけないし!そうなると……ほら、安善第一で遠回りしなきゃだよ!北回りで……ね?ついでにアルトお兄ちゃんも探しながら……それがいいよ! ね?」
「いや……でもそれなら、南回りのほうが追手をまけるし」
「北回りがいい!寒い地区はケーキが美味しいの!」
「はあ?」
北国はおやつがおいしい。毎年夏はおばあちゃん家に行ってるけれど。そこで出してくれるケーキやタルト、クッキーはもう絶品なんだもん。
どうせなら、「にちょうめ 二号店」に行ってみたい。
初の支店で、イートインが出来るのは北国にある「にちょうめ 二号店」だけ。本店は、警察の大きな建物が近くにあるから、あっという間にセオが見つかっちゃう。そうしたら、お兄さん探しも出来なくなっちゃう。
これは二号店に行くしかない。
そこのスイーツを食べれば、きっとセオも元気になるはず。
「甘いもの食べれば元気がでる! さあ、いざ行かん! 」
「ち、ちょっと待てって! おい引っ張るな、ばかエレ!」
「セオ!」
「はあ?」
私はくるりと振り向くと、力強く高らかに宣言した。
「ようこそ、世界へ!!」