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保留

男は夜の路上を行き交う人々を見ながら、唾を飲んだ。週末とあって、夜中でも街は賑やかだ。街灯やビル、看板の照明がチカチカとせわしなく辺りを照らす。時折通り過ぎる車のヘッドライトが顔に当たり、その度に男は顔をしかめる。腕に抱えている百貨店の紙袋の中には、目一杯白い粉が詰まったビニール袋がたんまりと入っていた。




「よっと……」




男は軽く袋を持ち直して、ふうと息を吐いた。紙袋の底を支えながら小刻みに震えている指にちらと目をやり俯くと、首を小さく横に振って、再び息を吐き、路上に視線を戻す。



何度も経験しているが、それは全て個人用ドラッグの売買だった。ズボンのポケットに予め詰めている小袋をするりと取り出して手のひらに小さく収め、客とすれ違いざまに握手をし、小袋と札をさっと交換する。札を小さく折り畳んで受け取り易くしてくれる客もいれば、広げたまま渡してくる客もいて、どんくさい連中は何人もお縄になっている、コツの要る職業だ。たまに、手の爪が伸びている不潔な奴がいるが、嫌なのはそれくらいだ。自分を頼りに遥々遠くから買いに来てくれる奴もいるし、人生相談をしてくる奴もいる。話を聞いてやれば解決もしていないのに涙を流して礼を言われる、やりがいのある職業だ。



ただ今回は、とある事情からテロリストに献上するために、苦労して最高クラスの品物を大量に用意した。自分を狙う男は彼らに始末してもらえるし、なおかつ彼らとの繋がりも出来て一石二鳥だ。ルールを守って誠実に商売をしていれば、資金力の豊富な彼らは最上客だ。後々彼らの紹介で得られるであろう顧客も、得てして皆、上客のはずだ。そこまで行き着くには、とにもかくにも、信用が要だ。





「へ。見てろよあいつ……俺のことを逆恨みしやがって。他人を恨むなら最初から自分でやれ(誘拐)ってんだ。俺はやるだなんて一言も言ってねぇっつーの。やっぱこういうのは、プロに相談するに限るぜ」





男は紙袋から片手を離し、上着の袖口で冷や汗を拭った。手を紙袋に戻し、背後にある廃ビルの窓ガラスに反射して写る、自分の表情を確認する。緊張し過ぎていても、へらへらしていても、商売相手として信用してくれない。自分も相手も、情報を無闇に売らない誠実な取引相手を求めている。どんな荒くれものも、やはり人間なのだ。表情や声色などを駆使して、敵ではないときちんと主張すれば、そして裏切らなければ、相手は必ず理解してくれる。





「チッ……わざとか? よっと」





男は腕の時計を見て舌打ちをした。再び紙袋を持ち直し、手の平の汗を上着の裾で拭い、もう一度紙袋を抱え込む。始めましての顔合わせの時、規模の大きな組織では格下の相手とは特に、約束の時間からわざと遅れて現れる。どんな人間かを見るためだ。




腕の中でやや温まっている紙袋に、男はもう一度目をやった。




「もうすぐ来るからな、待ってような」




紙袋を、とんとん、と赤ん坊をあやすように叩くと、男は足踏みをして筋肉をほぐしながら息を吐いた。





カチリ






車のエンジン音と人々の喧騒に混じって、微かに金属音が聞こえてきた。




「くそっ!」



「待て!」




男は悪態をつくと、すぐ横にある、隣接するビルの間から、路地裏に入り走り出した。雑踏の奥にいた、警官特有の紺色の上着が視界の隅にちらりと入ったのだ。視野を広く保ちながら周囲を警戒する自分の特技に感心しながら、男は全力で走る。





「エリア7、北東に向かって逃走中!」




――エリア6了解!ラタする! ――




――エリア3、4、5、アンセリ! ダンはアーロンがラタするまでコミイレ! 延ばせる!?――




「ええ! 了解です!」




若い男の声が無線に呼び掛け、それに対して、無線独特のややすれた感じで、太い男の声が応対する。続いて無線機から女の声が何かの指示を飛ばした。好みの良い声だと、男は走りながら口笛を鳴らす。最後に、追いかけてくる警官が何かの指示に対して了解だと言った。





「チッ、んでバレんだよ……!」




ただいずれにしても、自分を追っているのは明白だ。男は予め頭に入れた市内の地図を思い浮かべながら、全力で駆け抜ける。




「しつけぇな……あんな警官なんか巻いてやらぁ!」




敵が逃げる方面を仲間で共有しているのは容易に想像出来る。男は年下の警官を撹乱して巻いてやろうとジグザグに路地を曲がり始めた。





「警部、トロ方面、ユキヒラです!」




――了解! アーロン、コントリ! ――




――了解!――




――ダンはコミイレ!エリア4、5、至急ヨリサドから待機!――




「了解!」 ――了解!――




いくつもの声が交わされる。それもこれも全て、自分を捕まえるためだ。珍しいことに、司令塔は先程の良い声の女のようで、仲間に何かを指示している。無線機で解りづらいが、どこかで聞いた声だ。思い出そうとしたが、すぐに辞めた。今は逃げるのが先決だ。




壊れかけの廃ビルに、年期の入ったオフィスビル、古ぼけた小さなバー等、いくつもの建物を通り過ぎて、





「だぁっ、くそっ!――――はぁっ、はぁっ!」




ついには路地裏を突き抜けて郊外の小さな公園に出た。男の靴が芝生と土を踏み、じゃりっと鈍い音がする。本来は夜遅い時間帯のため人気はないはずだが、




「そこまでだ、観念しろ!」




ずっと追いかけて来ていた若い男の警官が、後方から叫んだ。公園のまわりには警察車両がいくつもあり、前後左右にも男女幾人もの仲間の姿がある。車両や照明器具、ビルや街灯の明かりで一斉に照らされて、辺りは一瞬で真昼のようになった。




「くそ、配備済みかよ……! はぁっ、はぁ……!」




「誘い込んだこちらの勝ちです。もう諦めてください」




生意気なことに、若い男の警官は息ひとつ乱れていない。



男の半歩後ろ、つまりはすぐそばまで歩み寄ると、やや威厳に欠ける頼りない右拳を腰に当て、低めの声で言った。万人受けするであろう端整な顔を、一生懸命きりりと引き締めるその様子が、なんともぎこちなく、たどたどしい。左手は所在なさげに左腰付近の宙をさ迷っている。悩み抜いた結果、拳を作り左腰に当てることにしたようだ。いそいそと拳を着地させる。なんだか、いもしない自分の弟のようで、庇護欲が掻き立てられる。こんな時はちゃんと警棒を持って構える方が良いはずだ。



ただ、唯一の逃げ道、つまり若い男の警官にとっての背中側の道はしっかりと塞ぎつつ、すぐ側までさらっと詰め寄ってくるあたり、そこそこの腕だと認め、男は足を微かに動かして筋肉をほぐし、()()をした。





「へっ、やっぱあんたらサツには敵わねぇや……参ったよ」




男はにやりと笑うと、両手をひらひらとさせて降参の意を示すした。予めしっかりと、武器がないことを示すのがミソだ。




「ども、恐れ入ります。――先輩、俺、褒められました!」




「ひな坊、それよか手錠だ、手錠!試薬して手錠だ!」



無線でアーロンと呼ばれて返事をしていたのと似た太い声で、やや離れた場所に立っている男の警官が叫んだ。どうやらベテランらしく、自分よりも年上だ。幸いにも後輩に指導中で、自分を確保するのは、隣に立つ、この若い男の警官の方らしい。男はしめた、と頬を緩めてほくそ笑んだ。




「先輩、そのアダ名で業務の指示は止めてくださいってば!最近は非番の日に外を歩いていたら、パトロール中の分署の人にまで呼ばれるんですよ、会ったこともないのに!もうどんどん広まってる……」




膨れっ面の若い男の警官は、口をとんがらせて、先輩のことはこけこっこって呼んでやると呟きながら、内ポケットから液体の入った試験管を取り出した。アーモンド型の綺麗な黒い瞳の中に、体を固くして警戒している自分が写っている。



「チッ!」




男はいよいよ視線が反らせなくなる前に、悪態で誤魔化しながら、若い男の警官の瞳から目を反らした。





「それじゃあ取りあえず……ポケットの中にある小さいのを出して下さい?」




若い男の警官がいたって軽い口調で言った。




「……んでばれんだよ、ったく。――ほらよ」




これでは、袋を渡されただけで何も知らないフリは出来ない。男はため息をつくと、ポケットから小袋を取り出した。仕方なく警官に渡す。



と、




「これは違うでしょう?もうひとつの方です。あるでしょ? 」




爽やかな笑顔でそう言って、ほら、と男に手のひらを差し出した。ちゃんと出せ、ということらしい。




「ちっ! くそったれ! ほらよ!」




「ども」




男は精一杯の抵抗として地面を踏みつけると、別の小袋を若い男の警官の手のひらに叩きつけた。自分用として、数ヵ月前の誕生日にかなり苦労して入手した、特別性の逸品だった。



「なあ、聞いてくれよ!それはダチから無理矢理渡されたヤツでさぁ! 俺は要らねぇって言ったんだけどよ? ああ、ほら!13地区のダチでさぁ!あそこなら合法なんだ!向こうで渡されてそのままこっちに来ちまっただけなんだよ!今回だけは!頼む!」



小袋から聞こえてくる助けを求める悲鳴に、男は必死で応えようと、駄目元で嘘っぱちを主張する。



なんとかしてこの逸品だけは守り通したい。




「そうですか?でも、こちらも仕事なんで。どんな物かちょっと失礼して、確認しますね……っと。うんしょ、あれ、開かない。こっちかな」




「おいおいおい!止めろよ、空けるな、何すんだよ!この俺様がすっげぇ苦労して手に入れたんだぜ!?大変だったんだぜ!?」




「すみませんね、これも仕事で。あれ……でもお友達から貰ったものでは?」




「っだ、しまっ! いや、それは……その……さ。あれだよ、あれ。な? なぁ兄ちゃん、頼む!マジくそ頼む! 頼むよぉ後生だからさぁ……な? な? な?」




「申し訳ありませんが、どんなに頼まれても無理ですよ。あなたを見逃せば最終的に、俺の所属するチームのボスの評価点数が、不祥事ってことで駄々下がりになるんです。そんなことは何があっても、絶対に出来ません。あの人の枷を代わりに持つために俺は一課にいるんです。枷になるわけにはいきません! 絶対に!」





「はあ? 何言ってんだてめぇ?」





「こちらの話です。あ、開いた。よしっと、少~しだけ……」





男の懇願もなんのその。若い男の警官は袋を空けて、とん、と傾けると試験管の液体に粉を入れる。試験管はくるくると揺らされ、あっという間に、液体の色が透明から赤色に変わった。白い街灯に照らされて、憎たらしいほどに光輝いている。場違いなほどに、とても綺麗だった。




「うん、確かに。何の種類にしろ、とにかく違法なお薬ですね」




「おい~!マジで止めろよ俺の楽しみを奪いやがって!てめぇぜってぇ許さねぇからな! このクソガキ! ひよっこ野郎! ピー助! 殻を叩き割って目玉焼きにしてやらぁ! 楽しみにしてたんだぞ!!分かってんのかてめぇ!! おお!? ああん!!?」




「ほらほら、深呼吸、深呼吸。あんまり暴れると公務執行妨害が付いちゃいますよ? ね? そうそう。大変申し訳ありませんが、あなたを正しい道に導くのが俺達の仕事なので。ね?」




若い男の警官をぶん殴ろうとして、あっさりと抑えられる。男はこれ以上ないほどに目を丸くすると、すんなりと拳を降ろした。




「くっっそおぉ……苦労したんだぞ! 楽しみにしてたんだぞ! この気持ちどうしてくれんだよああん!? てめぇ責任取れよな! 」



「ええ、ええ。あなたのことを調べていたので、入手に苦労してたのはちゃんと分かってますよ? でもそれを使って、ショック症状で亡くなった方が何人もいらっしゃいますし……どうかご理解ください。間に合って本当に良かったです」




「……。」




ね?と優しく笑いかけて来たため、男は慌てて、もう一度若い男の警官から目を反らした。




かくして、余った残りは、別の仲間、ひげ男の警官の手によって、証拠品回収用と書かれた透明の袋にひょいと入れられてしまった。そしてあっという間に警察車両に連れていかれてしまう。いつ使おうかと楽しみにしていた小袋は、回収用袋の中で力なく揺られ、哀れにも無惨な姿に見えた。




ひげ男の警官は、隣に立っているこの若い男の警官に手錠だ!と大声で叫んでいたあのベテラン警官に、何やら話しかけている。




「もう、アーロン先輩のせいですよ~?この人にまで言われたじゃないですか!」




若い男の警官が、ベテラン男の警官に軽口で呼び掛けた。




と、




「がはは!知るかよ、ほーれほれほれ!ほい、ピー助~?」




「うわったった! ちょ、ピー助って!それは却下ですっ! 」



若い男の警官は、呼び掛けに応えて寄ってきた、自身を雛呼びしたアーロンとやらに、わしゃわしゃっと乱暴に髪を撫でられる。頭はたちまち、ボサボサになったが、それはそれでちゃんとサマになっているのは、嫉妬のシの字も出ないほどに整っている、その容姿のせいだろう。




「右~、左~、ほ~らよっと!」




「うぁっとっと……」





若い男の警官は、この先輩警官の力がよほど強かったのか、体ごと左右にととっ、とよろけたあと、




「ようっし! じゃあひな坊に戻してやろう! ほれ!」




「あうっ! それはどーも。ふぅ……」




ぽん、と頭をはたかれる。文句のわりには妙なアダ名を楽しんでいるのか、嬉しそうな膨れ面で、先輩警官に軽く抗議の仕草をした後、




「薬物取締法違反容疑で現行犯逮捕します」




すぐに、先程と同じでぎこちない、きりっとたどたどしい表情に戻して、男に罪状名を告げると手錠を取り出した。




「マリー先輩、記録お願いします。8日月曜日、23時32分」




「りょ~かい」




女の警官が何かに記録する。若い男の警官は、利き腕である右手から、手錠をするようだ。




男は、手首に手錠がかけられる直前を狙って、左手で拳をつくり、





「――っと、ばればれよん?」




女の警官に塞がれた。




「くっそぉ……!」




「ん~、良いところまではいってたんだけどね」




そして、




「はい、左もね」




若い男の警官の手によって、男の両手首にはあっさりと手錠がかけられる。





「観念しろって言ったでしょう?」





若い男の警官は平然とした表情で、ね?と肩をすくめて言うと、警察車両へと男を促す。あの車に入ったら最後、ブタ箱行きだ。下唇を噛みながら男は最後のスキを探す。人間、諦めたらそこで終わりだ。




「チッ……。」





男は諦めたフリをして、大きくため息をつくと、警官と共に歩き出す。





一歩、





――上着の袖口に仕込んである針を指でそっと触れて、




二歩、





――そうっと手を振り、針を手のひらへ、




三歩。





――人指し指と親指で針を掴み、





右、左、周囲を観察する。




大人しく連行される様子に警官仲間は安心したのか、皆、各警察車両へと意識が向いている。若い男の警官は自分の左隣に立ち、両腕に掛けられている手錠を抑えている。相棒の女の刑事は半歩先を歩き、制服のポケットから警察車両の鍵を取り出している。




男は深呼吸をし、全神経を左の指先に集中させた。





一瞬が勝負だ。






ちくり、と刺せればこちらの勝ちだ。





逃げられはしないだろうが、小袋の怨みは晴らせる。





「お薬のこと以外で、あなたに聞きたいことがありまして」


「ふうん。なんだ……よっ!」



若い男の警官に針を指す直前、





タンタンタン!





矢継ぎ早に、連続して3発の銃声がした。





と同時に、若い男の警官が数十センチ吹っ飛び、腹を抱えてドサッと地面に倒れ込む。





逃げろ!






地面を蹴ったその瞬間、





「はい、こんばんは~?」





「ぐぁっ!」




後ろから誰かに羽交い締めにされた。




そして、




「むぐっ!」





「では、おやすみなさい」






妙な薬を嗅がされた。































































「……。」




背中に冷たいコンクリートの感触が凍みて、男は目を覚ました。ぼんやり霞む視界には、同じくコンクリートでつくられたであろう鈍い灰色がある。視線を動かし、右にはコンクリートの壁、左には鉄格子があり、その奥には明かりが滲んでいた。




両足、両手、口、舌、歯、ひくひくと動かせる鼻、頭を横向けて床に触れる耳、瞬きで確認する瞼と、男は自分の体の状態を確認する。どうやら五体満足で無事のようだ。背骨や踵が固い床に当たり、両手の甲には砂利がまとわりついていて、微かに動かすとじゃり、と鈍い音がした。固い床が僅かに振動し、男の背中にもその振動が伝わる。男はぼうっとする頭で必死に思考すると、ふにゃふにゃの体に気合いを入れて、寝返りをうった。





男はカラカラに渇いた口を唾液で懸命に湿らして、





「あれは……粗悪品じゃねえ、安心……してくれ」





自身の予想よりもかなりよわよわしい、か細い声で言った。




「ああ、俺達は奴らじゃないよ。悪いね。おはようさん、気分はどうだい?」




近づいて来たのは、羽交い締めにされた時と同じ声だった。全く悪びれのない、朗らかな口調だ。自分の頭のそばに、屈む気配がする。屈む際に、装備品の金属同士がガチャリと擦れ合い、なんとも嫌な音を立てた。




「まあ、最悪だろうな」




すぐに次の声が出ない自分に替わって、別の男が歩み寄り、発言してくれた。




「はぁ、はぁ……」




そうだそうだと主張するため、男は懸命に頷く。




ようやく整ってきた視界をフル活用して、ようやく男が二人いるのを認めた。一人は自分の側で片膝をつき、もうひとりはその後ろで立っていた。二人とも黒髪で、自分と同じくらいの年齢に見える。やはり武装しており、黒光りする金属が、じっと男を睨んでいた。先程の嫌な音の正体だろう。



声からして、片膝をついているの男に羽交い締めにされたようだ。男は意識をよりクリアにしようと、深く息を吸った。






「上から正式に許可が出た。アレン、そいつから話を聞いておけ」




立っている男が、感情の読みにくい淡々とした声色で言った。




「あれれ、先輩は?」




片膝をついている男が、飄々と応える。




「昼までに戻る」




「おや、もしかして昨夜の件で姫殿下へ御詫びですか? なら実行した俺も一緒に」




「必要ない。仕事をしろ」




「了解」




後ろで立っていた男は相方に命令すると、さっさとその場を離れてしまった。




「ありゃま、残念。せっかく姫様に会える超絶貴重な機会なのに、先輩が独り占め、多めにゴム弾を撃ち込んだ甲斐も無し。でもい~よなぁ~あの人と幼馴染みって。マジうらやまだわ……」




残った男は、何やらぶつくさ文句を言っている。


どうやら立ち去った男の方に権限があるらしい。助かった、と男は安堵してゆっくりと上体を起こすと、唾を飲んで喉の震えを静めた。ブタ箱行きはどうにか免れたようだ。彼らは誰だろう、過激派の敵対組織だろうか。


男は声を出すために、ひゅっと酸素を吸い込むと、




「へっ、あの発砲は今立ち去った男の指示かよ? ありがとな! いやぁマジで助かったぜ! なんせサツにパクられる寸前だったからなぁ!」




自分の味方だと願望を込めて、残った男に意見を求めた。




「なあ。あんたらが誰か、ここがどこだか知らねぇけどよ。礼ならちゃんと後払いすっから町に戻してくれ。な? いいだろ?」




「さーてーと。ロイさんも()()()に行っちゃったことだし……」




残った男は、やれやれとため息をつくと、




「話、聞きましょうかね」




優しげな口調と、冷たく鋭い視線。



まるで、獲物の前にした肉食獣のようで、男は瞬間、全身が力むのを感じて思わず息を止めた。














































「――っせぇんだよ、出しやがれこらぁ!!」




「悪りぃのは奴らだろーが! あのガキぶっ殺してやる!!」




「話聞けやてめぇら!!」





「――っらぁあああああああああああ! 出せごらぁ!!」





薄暗い牢獄に、何人もの怒声が響き渡る。聞き取れる罵詈雑言から獣のような叫び声、鉄格子を揺らしたり蹴り飛ばす金属音で、男は、力なく首を振った。




「くそぅ……」




とんでもない場所に移され、もはやため息をつく気力もない。




「俺、どうなるんだよ……」





知っていることは、アレンという人物に全て話した。




酒浸りで、お腹の大きかった母を楽しそうに殴り殺した父。




そんな父から逃げるように飛び出し、職を転々としながら見よう見まねで今の技術を身に付けたこと。




ある時、知らない男から儲かる話があると持ちかけられたこと。




大きな布袋を持って来るから、それをワゴン車に積んで、港まで運んで欲しいと言われたこと。





怪しい男の身ぶりや声色、表情等からなんとなく、布袋の中身は人間だと推理したこと。





自身にとってはリスクが大きいと踏み、渋ったこと。




怪しい男は自分に前金を握らせてきて、仕方なく一度は承諾したが、直前になってやはりリスクが大きいと、断りの文句を言い、男にも止めておけと警告したこと。ちゃんと前金は返したこと。




決行当日の深夜は、北西部地区の中央市、郊外の住宅地をぶらぶらとしていて、ある一戸建て住宅の2階に忍び込んだこと。




というのも、その家の窓際に立った白い肌の少女の髪色が、とても綺麗な、そして珍しいブロンドだったこと。




自分はこじんまりとしているよりも、ちゃんと手でぎゅっとわし掴みが出来るような大きさで、張りがあって形の良い、吸い付きたくなるような胸が好みであること。大前提として、白くきめ細かい柔肌は、まず外せないこと。それでいて、すらりとした、片腕で持ち上げられそうなくらいに細身ながらも、グッとそそられるような、ちゃんと掴める理想的なくびれが必須であること。なおかつ、程よくふわふわの、可愛らしい小ぶりの綺麗な形の尻でないと、自分の()()のご機嫌が()らないこと。




因みに、今ターゲットにしているのは、とある駅前にある黄色い看板のパン屋で見かけた、自分と同じ年くらいの女であること。月に2.3回ほど、朝食用なのか、早朝にいつもひとつ、クロワッサンを買うこと。きめ細かく白い柔肌に茶色の艶やかな髪で、造りの綺麗な顔であること。歩き方や、支払い時の仕草、その声や表情、アーモンド型の吸い込まれそうな茶色の瞳、何から何までが極上であること。今言った自分の条件に、全て完璧に合致するどころか、むしろそれ以上であること。どれかひとつは必ず妥協していたのが常であり、こんなことは初めてであること。サツの本庁がある市なので、今、慎重に調べていること。クロワッサンにちなんで、ターゲット名は"月の女神"にしたこと。




そんなだから、少女は未成年なうえにまだまだ発展途上で、自分の好みにはまだ達していない。あと5年くらいしてから襲うくらいで、ちょうど良いだろうと考えたことから、今回は手を出す代わりにちょっとばかり綺麗な髪を拝借して、人体収集のマニアに高値で売り、安全に小遣い稼ぎをしようと思ったこと。




ベットの上で恐怖に固まっている少女に、妹の薬代を稼ぎたいと言って交渉しようとしたところ、いきなり現れた少年に蹴り飛ばされ、開いていた少女の部屋の窓から外にぶっ飛んで、庭に落ちたこと。




何やら声がしたあと、少年と少女も庭に落っこちて来たこと。




二人とも怪我はなかったこと。




少女は少年に礼を言いつつ、あなた誰?と少年に尋ねていたこと。




少年は辺りを見渡して、やや混乱しているように見えたこと。




二人の様子から、少年と少女は初対面にみえたこと。





自身は少年に邪魔をされて腹が立ち、少年を殴って殺そうかとも考えたが、ややこしいのは面倒な上に未成年なため、ここはこちらが寛大になり、やり合うのは避けようと考えたこと。そして、その場から立ち去ったこと。




話しを持ちかけられたことは言わないと約束してやったのに、後日口封じに殺そうと、当初話を持ち掛けてきた男が、自分を狙いにきたこと。




ひたすら身を隠しながら、対抗策を考えたこと。





悩んだ末に、返り討ちにするために、ちゃんとしたプロ(過激派)に依頼し男を始末してもらおうと考えたこと。




何かと世話を焼いてやっている顧客やら知り合いのツテをここぞとばかりに頼りまくり、いよいよ彼らに逸品を献上しようとしていたこと。




「くそぅ……」




男は拳を握りしめた。





廊下を挟んで向かい合うようにして牢獄が並んでいる。




向かいの牢獄にいる男と目が合い、




「ぎゃはは!てめえも鉄パイプで殴り殺してやる!あのクソガキ、今ごろはとっくにお陀仏だぜ! おもっきし頭を殴ってやったからなぁ! 生意気なこと言いやがってさ!ソッコーぶっ倒れてやがんの! いひひひひ!てめぇ、腹か頭、どっちがいいよ!?」




5分と間を置かずに、ほぼ同じ台詞をひたすら言ってくる。




自慢したいのか、ラリってるだけか。こちらが反応するまで延々と繰り返す気らしい。ああいうのとは、関わったら最後だ。




男は向かいのお仲間から、すっと目を反らした。




「ここは何なんだよ……ったくよぉ……」




うるんだ声で弱気な悪態をつきながら、男は両腕で体を包んだ。




すると、コツコツ、と足音がして、





「おい、9番」





先程ロイと呼ばれていた男が、自分の鉄格子の前に立っていた。





「……ん、だよ」




男は体の震えを精一杯両腕で抑えて、敵をきっと睨みつける。




「少年をそのまま見逃したという話は、本当だな?」




辺りに響く怒声の中、ロイとやらが落ち着いた声で、静かに尋ねた。




「ほ、ほんとだって!本人に聞きゃぁ分かる! 深夜だからガキは家に帰んなって捨て台詞……じゃない、忠告まで!俺はしてやったんだ! こ、子どもが!あ、あぶねぇだろ!? な、そうだろ!?」




咄嗟に鉄格子を掴むと、男は相手の目をしっかりと見ながら、全身全霊、粉骨砕身、まさに全力で気持ちを込めて返事をした。




「そうか」




短く言うと、ふむ、と無表情なりにも少し眉を潜めて、男をじっと見つめる。男は拝むように、必死に相手を見る。




すると、新たに一人、やって来た。




「お疲れ様です」




同じ装備をした、しかし、見たことのない男だった。自分やロイとやらよりも、ほんの少し年下に見える。




「ああ、1番か?」




ロイとやらが、新たに現れた男に尋ねた。




「はい。上から許可が」




「そうか、頼む」




「はい、右は暫く立ち入り禁止になりますので、お願いします」




「左隣の部屋じゃなくてか?」



「ええ、予定よりも早く浚えたので。ノーマンとオリヴァーが頑張ってくれました。これで少しは余裕が生まれますね、予定がパツパツでしたから」



「そうか、分かった、こちらでも共有しておく。二人には後で労っておこう」



「ありがとうございます、喜ぶと思います。おや、9番……新人さんですか。あ~、分かった!どおりで!」




「なんだ?」



「いやね。さっきアレンさんが、"ストーカーしてる女のことをひたすら力説された!後で資料を読んでみろ!月の女神のところだ!"って俺に言ってきたもので。な~るほど、この9番の彼のことだったんですね。アレンさんのことだから、職権乱用でその人を誘うつもりですよきっと。自分が守る!とでも言って口説くのでは……――――あぁ先輩、面倒でしょうから処理ついでに、この彼のことも処理申請しておきましょうか? 」




「いや、9番は保留なんだ。大佐にはこの後すぐに話を通す。じきに、そちらにも正式に通達が行く」




「そうですか、かしこまりました。では、適切に処理致しますので」




「ああ、よろしく頼む」




新たにやって来た男は、ひとしきり会話をすると、めっずらしぃ~、と呟きやがら、向かいの鉄格子の中にいる鉄パイプ男に何かをシュッと吹き付ける。ギャーギャーと騒ぎまくっていた男は、コテッ、と眠り、そのまま連行されてしまった。廊下の奥で、足を持て、と別の誰かに指示する声が聞こえることから、どうやら待機でもしていた他の仲間と二人がかりで、隣の部屋へ運ぶらしい。




「なんだ? おい、あんた。あいつはどうなるんだ?適切な処理って何だよ、まさか釈放か!?釈放なのか!? 誰かを鉄パイプで殴り殺したあいつは釈放なのに!ヤクを持ってただけの俺は!ずっとここなのかよ! そんな! そんなおかしな話が! あるか! ああん!? なんとか言えてめぇ!おらぁ!」




「落ち着け。大人しくしていろ」




「なあ!これからは真面目に()()だけに専念する! 他の悪さはしねぇからよ! な!? 誓うよ、頼むよ兄ちゃん!」




「大人しくしていろ。三度目はないぞ」




やれやれとため息をついて立ち去ろうとするロイとやらに、





「ああ、じゃあさ! 今あんたらが言ってた、"適切な処理"って、一体何なんだ?」





もう一度聞いた。





「適切に処理をすることだ」





「はあ~あ? だーかーらーさ! それを聞いてんの!意味わっかんねぇし! あんた馬鹿なのか?え、そうなんだろ!? 言ってみろよおい! なあ!?」




男は、ガン、と鉄格子を腹立たしげに乱暴に鳴らす。





「おい、なんとか言えよ、てめぇおらぁ!!」





男の問いに、相手は表情ひとつ変えず、じっ、と視線を男に合わせると、






「1番を適切に処理する。以上だ」







一言、静かにそう告げて立ち去った。







「……。」








9番の番号をあてがわれた男は大人しくなり、それからは、もう二度と、悪態をつくことはなかった。






















本当はこのモブキャラさん、処理させる予定だったんですが……。思いの外、書いていると楽しくなってきて気に入ってしまい、(特に気に入ったのは、“庇護欲掻き立てられる“ところと、“力説の回想“のシーン)急遽路線変更となりました。


近々、また更新します。

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