氷の淑女
「お断り致します」
光り輝くシャンデリアに鏡のように磨き上げられた大理石のダンスホール。壁一面につけられた天井まで届きそうな窓からは月明かりと星の輝きが宝石のようにまたたく。色鮮やかなドレスを身に纏った大勢の貴婦人達がこの場所を一層華やかに美しくさせている。
ただし、この場に相応しいワルツの音楽は不自然な韻で止まったまま。ダンスを見物するだけであった者も、歓談に夢中になっていた者も、ダンスに興じていた者もみな、ホールの中心に視線を向けたまま静まりかえってしまっていた。
(思っていたよりも声が低くなってしまったわ)
ホールの中心で私の右手をつかみ目の前で膝をつき、そのまま固まってしまっている男を冷めた眼で眺めながら私、ティアル・レインツリーはこの面倒な状況をどう逃げようか考えていた。
「な、なぜだ」
残念。動き出す前にあっちが持ち直してしまった。男は先ほどの体勢のまま顔を赤くしてこちらを睨んでいた。派手な金髪を後ろになでつけ、そこかしこに金をかけたと分かる衣装は貧乏貴族の私からしてみれば不愉快以外の何者でもない。大体私はそこに跪いているもやしよりも扉を警護している騎士様の方が何倍も格好良く見える。
「売れ残りのお前を体裁良くもらってやろうとしているのになんだその態度は」
「まず、この衆人環視の中でプロポーズするという相手への配慮のなさが信じられません」
予定を変更し、相手の鼻っ柱をへし折って復活する前に退場する策に出る。
「『自分が断れるわけがない』というナルシストな思想には寒気がしますし相手が断れない状況で人生の決断を迫るのも紳士のやることではありません。それと」
そう言いながら私は赤を通り越して黒くなっている男の顔に近付き、
「上手く隠していらっしゃるようですが、わたくし方々に子供を作っている殿方に嫁ぐ位でしたら嫁き遅れた方がマシですわ。たしか5人でしたか?23歳ですのにずいぶんと励まれていらっしゃるのですね?」
と小声でささやいてやった。
黒くなっていた男の顔が真っ青になるのを確認してから青のドレスを翻しその場を後にする。
「さすがは『氷の淑女 アイス・レディ』だな」
「公衆の面前であんな手ひどい振り方をなさるなんてね」
「今をときめくフェザーフロスト家の跡取りをあんなにして」
「没落した侯爵家が偉そうに」
そんな声がちらほらと聞こえた気がしたが、聞こえないふりをして歩き続ける。相手にしていたらきりがない。
『氷の淑女』
社交界でいつの間にかつけられていた私のあだ名だ。
私の家の名に釣られてくる男たちをあしらっていたら『どんな男にも靡かない冷たい女』と言われるようになってしまった。
私の家であるレインツリー侯爵家はクリスタ公国の北方を治めるアクエリス公爵家に代々仕えている騎士の家だ。何代か前まではアクエリス公爵家に並び、『法』のアクエリス、『剣』のレインツリーと言われるほどだったそうだ。
過去形なのはこの北方地方は北は隣国から隔たれた『蒼の海』があり、それ以外の西、南、東は公国内の別領土という比較的外敵に護られた地形をしていたため、内乱が収まると騎士団は勢力を衰えさせていったからである。
おまけにその頃から武勲ではなく商業の面から国を発展させたとして爵位を授かった『振興貴族』が幅をきかせてきたのである。結果、武勲でしか支えられなかった貴族は次々と没落、振興貴族に吸収されたり爵位を返上する事態に陥った。