1・邂逅する運命
ぎらつく太陽に目を細める。視線を下に落とすと見慣れぬ風景が広がっていた。どこかで見たような古びた石の建物。所々に苔やひびがあり、木の根が建物に絡むように這っていた。
昔テレビで見た探検家の映画を思い出す。あの頃は謎の遺跡や、まだ見ぬ秘境に想いを馳せたものだ。探検家きどりで近所の林を散策したのは良い思い出だ。
「…っじゃなくて!」
慌てて辺りを見渡す。如何にもな雰囲気を纏った遺跡、岩、木、崖、木、木、岩、道…に化け物、木、木、遺跡!
「どこだよ!」
まて、待て、まて、まて、待て待て!何があった!あたしに何があった!
必死になって頭を回転させる。人生初のフル回転だ。
何か大切な物が擦り切れる音を聴きながら、彼女は思い出す。そうだあたしは…!
《土緒鈴子》平凡で平均的な普通の女子高生。普通の県立高校に通い、普通にバイトして、普通に友人がいて、普通に家族がいて、普通に生きていた普通な女の子。そんな普通を三乗したような存在、それがあたしだ。
ならばこれはどういう事だ。普通か?…普通じゃねぇよぉ!誘拐か?!いやそんな事、あったか?ないな、ない!なら、…はっ。
「…黒い…霧…?。」
「ドスン」背後から何か大きな物が落ちた音がする。土緒鈴子は肩をびくりと震わせる。嫌な予感がする。こんな一面木だらけな森の中だ、いる人間は限られる。森の管理人とか猟師とならいい、人であってもマトモでない変態とかだったら…どうしよう怖い死ぬ。熊とかだったら死ぬ、ほぼ間違いなく死ぬ。怖いとかの次元じゃない死ぬ。
鈴子が振り向く事に躊躇していると、背後の何かがゆっくり近づいて来る気配がする。「ドスン」「ドスン」と迫ってくる。
あれ、待てよ。さっき周りを見渡した時、何か見たな。
たしか如何にもな雰囲気を纏った遺跡、岩、木、崖、木、木、岩、道…に化け物、木、木、遺跡!
道…に化け物?
鈴子がゆっくり振り返る、そこにはトカゲの頭をもつ人型の化け物が舌を出して「シューシュー」鳴いていた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!?」
鈴子の悲鳴に反応したのかトカゲ頭は、腰元にある反りのついた剣を抜き放つ。
「シャァァァ!」
威嚇のように一声放つと前傾姿勢で鈴子にじりじり迫ってきた。
やばい死ぬ。滅多刺しにされて、小間切れにされて、塩コショウされて美味しくいただかれる。
目の前の生物について知識があるわけではない鈴子。それでも、伝わる捕食特有の獲物に向ける視線が否応なしに危険物だと判断する。鈴子は身震いする。逃げるべきだと本能が緊急警報を鳴らす。
鈴子は一瞬の迷いもなく遺跡へと駆け出した。唯一の逃げ道と呼べる場所にトカゲ頭が陣取っている以上残された選択肢は多くない。崖は論外として、逃げるべきは森か遺跡なのだが。土地勘の欠けられもない鈴子には、森という見知らぬ場所へと逃げる勇気はなかった。遺跡を選んだ理由は実に安直で、知らない所より知ってる所がいいと言うシンプルな考えからだ。
土緒鈴子は遺跡を駈ける。息切れしながら火照った顔で辺りを見回し逃げ道を確認する。
遺跡内部は思っていたより広く、先ほどのトカゲ頭も元気に剣を振り回しながら追いかけて来るほどだ。「キシャァ!」とか奇声が聞こえる。もう嫌だ。
散々に走り回った鈴子は一際大きな部屋へと辿り着いた。
王座の間と言うのだろうか。今まで通って来た部屋や通路とは違った雰囲気のある部屋だった。周り見渡した鈴子は驚愕から目を大きく見開く。出入り口が見当たらないのだ。引き返そうにも来た通路から足音と共に奇声が響く。
「ははっ…。」
引きつった笑いが部屋に響く。何でこうなったのだ。あたしは普通に暮らしていたじゃないか。何か悪い事したのか。悪い夢でも見ているのか。
「ドスン」
足音と共に生暖かい気配が背後に迫る。涙が溢れる。体が震える。喉が乾く。汗が噴き出す。鼓動は跳ね上がり、脳が走馬灯を見せる。
あたしは死ぬのだ。ワケもわからずに、知らない場所で、誰にも看取られず、こんな化け物に…。
いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ!死にたくない!あたしはっ!まだ何も、何もっ…!!
トカゲ頭の剣が高く振り上げられる。鈴子は身動き一つとれずにそれを眺めるしか出来ない。ついに恐怖から鈴子は腰を抜かす。「どさり」と崩れ落ちたその時もう一つの音が響く。
「何者だ。」
静寂が流れる。
背後から投げかけられたその声に、鈴子は呆然とトカゲ頭を見つめたまま反応出来ずにいた。極度の恐怖が鈴子の行動と思考を停止させていたためだ。トカゲ頭は即座に声の主へと顔を向ける。鈴子は気づく事はなかったが、トカゲ頭の表情には明らかな恐怖の色が浮かんでいた。
この一帯の森にはある掟が存在する。
知能の低い魔物は勿論、力のある化け物達ですら厳守する絶対の掟。
遺跡の主を怒らせないこと。
トカゲ頭は必死に考えていた、遺跡主を不快にさせず、獲物を得る方法を…。一見すると知能が低そうな生き物に見られがちな彼だが、知能は人間の10歳程度はあり、思考をめぐらし獲物を罠にかけることも出来る。
トカゲ頭は考える。ここの主は縄張りに入り込む程度ならば些細な事と怒りはしない。寧ろ縄張りを彷徨く害獣を排すると言うのなら、寛大な態度を見せてくれるだろう。…しかしだ、声の重さに冷たいものを感じる。怒らせたのか?だとすれば獲物は諦めざる得ない。
トカゲ頭は弁解する為口を開く。上手く交渉出来ればお咎めもなく、獲物にもありつける。一週間ぶりの飯だ、出来れば独り占めにしたい。
「…シャァ。」
声をあげたその一瞬、トカゲ頭は白く尖った牙を眼に捉える。「グシャッ」と言う音と共にトカゲ頭の顔が噛み潰される。辺りに血が撒き散らされ、「ドシャ」とトカゲ頭の体が床に叩きつけられる。
「貴様には聞いておらん。」
呆然としていた鈴子は倒れたトカゲ頭から目を離せずにいた。ようやく視線を動かせるようになった頃、鈴子は自分の隣を通り過ぎた影の行く先を見る。
王座を照らすよう崩れていた天井の下。その隙間から差し込む光で、王座と共に体を照らされ黒を輝かせる一匹の犬が佇んでいた。
「もう一度、尋ねよう。お前は何者だ。」
そう言うと、黒い犬の尻尾が楽しげに揺れた。