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8.君の伸樹、俺の君

 伸樹(しんき)の胸には『彼女』が居た。比喩的表現では無く、物理的に抱きついているのだ。しかも彼の名を呼んで。

 彼は、『彼女』からは名字で『熊本君』と呼ばれていた。下の名前で呼ばれた事などかつて無い。非常に残念ではあるがそんな関係では無かった。

 だから、『彼女』が彼を『伸樹』と呼ぶ事に喜び以上に戸惑いを感じていた。抱きついて彼の名を連呼する『彼女』の体温を、Tシャツ越しに感じながら彼は固まっている。

 伸ばされた手は、『彼女』を抱きしめる事も、肩を抱く事も出来ず、ただ宙に浮いている。そんな彼らを囲む周囲の生徒達の大半も状況について行けず、固まっていた。

「彼女の知り合いなの?」

「恋人同士?」

「あっあれだ、中学時代から付き合ってるって言う、遠距離恋愛の相手。月に2・3回バイクで会いに来るって言う彼だ」

「えっ、でも、パラレルワールドなんじゃ・・・」

「それって、別の世界の恋人って事? マジ、何か凄くない?」

 どうやら、彼女の同級生が集団に居た様で、『彼女』と(彼らの世界の)伸樹との関係を知ってる様だ。

(恋人? 俺と『彼女』が恋人だって・・・ 中学時代から・・・)

 伸樹の頭の中は、更にパニックとなった。そんな彼に気付かず、多少落ち着きを取り戻した『彼女』は彼を見つめて話しかける。

「伸樹も来たの? ひょっとして助けに来てくれたの? ごめんね、迷惑掛けて」

 涙を拭きながら呟く『彼女』にどう答えて良いか、彼はしばし思いつかなかった。状況は分かったが、気持ちの揺れはこの世界に来て最大となっていた為だ。

 有る意味、彼の『彼女』をこの世界で初めて見た時以上の衝撃を感じている。

(恋人・・・ 俺が告白した世界? IFの世界。そうなったかもしれない世界・・・ 俺が得られなかった世界・・・)

「ねえ、どうしたの、何で答えてくれないの? 怒ってるの?」

 『彼女』は伸樹が黙ったままなので、心配になって、さっきとは違う意味で泣き出しそうになっている。だが、彼にはまだ答えるすべが浮かんでいなかった。

 そんな中、彼らの間に割って入ったのは、先ほどまで話しかけていた3年と思われる女子だった。

「チョット待ちなさい。その人は、あなたの恋人じゃ無いわよ。別の世界の人なの」

 急に脇から言われた事に、『彼女』はしばし理解できなかったようで、5秒ほどポカンとした後、表情をしかめて怒り出す。

「増田さん変な事言わないでよ! 伸樹だよ。間違いなく私の恋人の伸樹だよ。3年以上付き合ってるんだよ間違うはず無いでしょ!」

 彼女を囲む内周部に居る事情を理解している者達は、なんとも言えない複雑な表情をしている。哀れむ様な、痛い者を見る様な・・・

「あのね、落ち着いて聞いて、彼は間違いなく『伸樹さん』よ、でも、私たちとは別の世界、パラレルワールドから来た『伸樹さん』なの。貴方の『伸樹さん』じゃ無いの・・・」

「パラレルワールドって、何よそれっ! 変な事言わないでよ! ねえ、伸樹、伸樹は伸樹だよね。あの人が変な事言ってるけど、違うよね!」

 増田と呼ばれた3年女子は、困った顔をしている。そして、まだ事情が分かっていない、集まって来たばかりの者は状況がつかめずガヤガヤと騒いでいた。

 考えが全く纏まらない伸樹だが、さすがにこのままではマズいと思い、『彼女』の両肩をつかみ、正面から対峙した。

「ごめん、彼女の言うとおりなんだ・・・ 俺は伸樹だけど、君と付き合っている伸樹じゃないんだ。別の世界、多分パラレルワールドからこの島に落ちてきた別の伸樹なんだ」

「・・・・・・嘘、嘘よね、嘘でしょ! からかってるだけだよね、冗談だよね。やっと会えたのに、そんな冗談止めてよ!」

 泣きながら伸樹の胸を叩く『彼女』を、彼はどうする事も出来ず両肩をつかんだ状態のまま、身を任せた。

「俺は・・・いや、俺の世界では、俺と君は付き合ってないんだ。君の世界の事は分からないけど、俺は君に告白せずに君は転校した。その後は会ってないんだ・・・」

「冗談・・・じゃないの? からかってないの? ホントの事? 貴方は私の伸樹じゃ無いの? あの日告白しなかったって事?」

「うん、あの日ってのが何時かは分からないけど、何度か告白しようとして告白出来なかった。君の世界の俺は、そのどのタイミングかで告白したんだと思う。そして、俺は告白しないままで終わった伸樹だよ」

「・・・・・・別の世界・・・ パラレルワールド・・・ 漫画みたい・・・ 私の伸樹じゃ無い伸樹・・・ 言われてみると少し違うかも・・・ 髪型も雰囲気も・・・」

「時間のズレが発生していて、俺は今20歳なんだ。君の知ってる伸樹と2歳違う事になるよ。ごめんね、君の伸樹じゃ無くって・・・」

「二十歳・・・・・・」

 彼女はそれだけ呟くとガックリと膝を付いてしまった。伸樹はどうするすべも持たず、ただ見守るしか出来なかった。

 気持ち的には、抱きしめたかったが、『彼女』は彼の『彼女』では無いのだ。そう自分に言い聞かせて自分の中の衝動を抑え込む。

 そんな彼らを囲む周囲では、事情を知っている者が、後から来た知らない者に教えており、それによって騒ぎが拡大していた。

 しゃがみ込んで泣く『彼女』を見守る伸樹に、周囲から質問の雨が浴びせられる。『彼女』を気遣いながらも彼はその質問に答え続けた。

「じゃあ、他に同じ『北泉高校の生徒』が2ついるって事か?」

「いや、完全に同じじゃ無いだろう、年がズレてるんだから、完全に一致してるのは3年生の組だけだろう。後は居たり居なかったりって事だろう」

「パラレルワールド・・・普通なら嘘って言うんだけど、異世界に落とされてるから・・・否定出来ないよね」

「免許の日付も1年後だったし・・・ 嘘言っても意味の無い事だしね」

「島って言ってたよな。ここって島なのか?」

「でも、恋人に会えたと思ったら、別の世界の恋人って・・・ショックだよね。喜んだ途端突き落とされ感じ?」

「だね・・・ 劇的だけど、本人は完全な悲劇だよ」

「だけど、『重力の宝珠』に『若返りの宝珠』か! となれば『次元移動の宝珠』ってのも十分期待出来るよな!」

「おお! 明日から『宝珠』探索に使う時間を増やそうぜ」

 伸樹の話を聞いた者達は、彼の話を元にガヤガヤと互いに話し始めていた。

 伸樹は、昨日同様に、『俺の世界での事だが』と前置いた上で、元の世界のその後の事も語った。最後は「君らの家族の事についての情報を持って無くてすまない」と言ってしめた。

「悪いけど、ここに居ない人にも、今の事は教えておいててくれると助かる。同じ事を何度も説明するのはキツいからな。頼むよ」

 そう言った彼は、彼を見つめたままの『彼女』を(いざな)って集団から離れた所へ行く。

「ごめんな」

「・・・貴方が悪い訳じゃ無いから」

「そっか、ありがとう。えーと、俺はさっき言った様に生徒の身内の情報は持っていないんだけど、君の家族については別なんだ。だからある程度知ってる。それを話すよ」

 驚いて目を見開く『彼女』に、彼はあの事件以降の『彼女』の家族の事を語った。テレビで見た事、岩下美由紀(いわした・みゆき)から仕入れた話、彼が直接行って聞いた話、全てを語った。

 伸樹は、あの事件後1年経って、彼女の家を訪れていた。元同級生と言う事と、別の用事で通りかかったからと言う言い訳で訪れたのだが、彼女の母親は彼の事を朧気ではあったが覚えていて、温かく迎え入れてくれた。

 そして、彼は1時間近くを『彼女』の家で過ごし、家族の思いと状況を聞いたのだった。それを聞いた『彼女』は再度泣き出し、彼に抱きついてきた。

 伸樹は、今度は優しく背中に手を回して、彼女が泣き止むまで抱きしめ続けた。彼の心の中は複雑だったが、同じように『彼女』の心も複雑だっただろう。

「そっか、伸吾(しんご)は郡山高校に入ったんだ・・・」

「ああ、最初は北泉高校のつもりだったみたいだけど、両親が大反対して、って事らしいね。実際、あの後北泉は一気に定員割れしたからね。別に学校じたいに問題があった訳じゃ無いんだけど・・・」

 『彼女』はまだ伸樹に抱きついたままの状態だ。彼もそれを良しとしている。

「あ、一応、君らの世界の未来はまだ確定していないから、年内に帰れればまた違った未来に成ると思うよ。俺の世界は俺が来た事で、3年後までは確定してしまったけど」

「何だか、難しい話だね・・・、SFだ。ファンタジーのつもりだったのに、いつの間にかSFになってる」

「ま、俺も分かってて言ってる訳じゃないよ、小説や映画からかじった知識だから、間違ってる可能性高いし」

「帰れるのかな・・・」

「帰すよ。絶対に」

「私は、貴方の世界の私じゃないんだよ・・・」

「優先順位的には、俺の世界の君の次で申し訳ないけど、君も、もう一人の1年生の君も絶対に帰すよ」

「私の貴方が居たら、同じ事言うかな?」

「言うさ、俺はどこまで行っても俺だからな。全てに優先するのは『君』だから」

「でも・・・貴方は、貴方の世界の私と付き合ってないんでしょ?」

「・・・・・・まだ、好きなままだからね」

 二人の間にしばしの沈黙が訪れた。その沈黙は1分ほど続く。

「告白しないの? 絶対大丈夫だよ。私が保証する」

「(笑)ありがと。まあ、今は良いよ。先ずは元の世界に帰すのが先だよ」

 伸樹の胸に顔を埋めていた『彼女』はゆっくりと、少し未練げに身体を離した。伸樹も彼女の背中に回していた手を放す。

「2年後の伸樹・・・少しやせてるみたい」

 伸樹の顔をまじまじと見て、ほほに手を伸ばした『彼女』は呟く。端から見れば完全な恋人同士にしか見えないだろう。現実は有る意味赤の他人である。

「こっちに来て食生活がね(笑) 魚と貝とニラしか食ってないから」

「駄目だよ! ちゃんと栄養考えて食べなきゃ!」

 しばらくの間、彼女による説教タイムとなったが、伸樹の顔は嬉しそうだった。別段マゾという訳では無く、彼の『彼女』では無いとはいえ、『彼女』と身近な立場として会話できることが嬉しいのだ。説教であろうが。

 その後、彼女達がこの世界に来た後の事を教えられた。それによると、3日後には『宝珠』に気付き、それによって家造りを全員で協力して行った様だ。

 多分、彼女達の関係が良好なまま維持されているのは、絶望にうちひしがれる前に『宝珠』を手にし、まとまりがある内に全員で協力するという行動を取った事が大きいのだろう。

 完全に同じ人員では無いとはいえ、状況次第でここまで変わるのか、と驚かされる違いだ。人とは、状況次第で善にも悪にも簡単に変わる、移ろいやすい存在なのだ。

 この北泉高校の集団では、向こうではクズとして扱われている木口屋守(きぐちや・まもる)も、2年生で普通に他の者と協力し合いながら生活している。上野桜(うえの・さくら)も殺人者とは成っていない。

 ここでもIFの世界が展開されていると言って良い。多分、このグループが現状一番良いIFのフローチャート上に居るのだろう。

「なぁ、『宝珠』とか困ってないか? 『治癒の宝珠』とか10個位は渡せるぞ」

「10個! そんなに持ってるの? ひょっとして、向こうには一杯あるの?」

「いやいや、違うよ、川の淵に纏まって沢山有ったからね。北や北東の川で大量に漁ってきたんだよ」

「えっと・・・伸樹が良ければ貰えると有りがたいけど、大丈夫。大事な『宝珠』でしょ。レアだし」

「ああ、大丈夫、10個渡してもまだ同じぐらいは有るし、問題ないよ」

「嘘! そんなに有るの! 川か、やっぱり川なんだね。でも、大きな川って無いんだよ近くには。山を越えれば有るみたいだけど・・・遠いし」

 この山に囲まれた平野部は、多の2カ所より遙かに狭い。そして、大きな川が全く無い。伸樹達が住む場所の川も小さめでは有るが、ここの川は完全な小川だ。

 その為、流れ込んでいる『宝珠』の数も少ないのだろう。ただ生活するだけならは、特に問題の無い土地ではあるが、『宝珠』の事に関しては良い場所とは言えない様だ。

 結局、伸樹は彼らに手持ちの宝珠の大半を渡した。無論、『若返りの宝珠』と『重力の宝珠』以外だ。『液化の宝珠』は3つだけだか渡した。

 もう1カ所の北泉高校と比べて多めに渡したのは、ここの『彼女』の為なのは言うまでもない。

 『宝珠』を配布している間に、山や林に入っていた者達が随時帰って来て、伸樹の事を聞いて驚き、質問を投げかけてくるのは前の2回と同じだった。

 その日の昼は、彼女達の食事を貰って食べた。彼らは細かなグループでは無く、大きなグループで生活しており、実質全員で協力して生活している状態だ。

 その為、食事や薪集め、食材採取、『宝珠』集めも全員で分担している。初期はある程度トラブルがあった様だが、現在は人員の仕分けが完了し、上手く回っている様だ。

 食後しばらく質問攻めに遭った伸樹は、彼らから『宝珠』の礼に大量の松茸を貰う。あの林に有った松は赤松だった様で、かなりの数の松茸が採れるらしく、それを貰ったのだ。

 松茸と聞いて、秋の食材と言うイメージを持つ者も多いが、実際の旬は夏場で、夏場から秋にかけて収穫出来るキノコだ。

 彼は、その松茸を貰ってそのまま帰るつもりでいたのだが、カゴの中の栗を見て有る事を考えついて、実験する事にした。

 集落の外れにある、林との間の何もない所に移動し、その地面に栗の実を埋める。そして、『若返りの宝珠』を使って、『成長』の力を掛けていく。

 10秒ほどで昨晩の様に空回り感を感じ、力を止めると、ピンクの光を放った双葉が土を割って生え、そして葉を増やしながら5分ほどで40センチの高さまで伸びて止まった。

「凄い、魔法みたい」

 付いてきていた『彼女』が呟く。一緒に居た別の生徒も同じ様な声を上げている。

 伸樹は、腰に下げた孟宗竹製の水筒から水をその栗の木の根元に掛ける。その上で、周囲から腐葉土とおぼしき土を集めてきて根元に盛っていく。

 その上で、再度『成長』を掛けると、今度は5秒ほどで効果が空回り、3分ほどの間成長が続いた。そして、木の高さは1メートル程になっていた。

 試しに、そのまま再度『成長』を掛けてみると、予想通り最初から力が抜ける感覚が有り、ピンクの光も纏う事は無かった。

「直ぐにって訳にはいかないみたいだな。でも、水と、栄養と日光を与えればこの調子なら1週間程度で実が成るまで行く気がするな」

 伸樹はそう言うと、10個の『若返りの宝珠』と10粒の栗の実を『彼女』に渡した。

「良いの?」

「良いよ、正直まだ先が見えないから、食糧は多いに越した事無いだろ? 若返りってそれほど需要無いしね。教師達を除けばさ」

「あーー、先生達が騒ぎそうだぞ、こりゃー」

「絶対騒ぐ、太鼓(たいこ)先生辺りとか絶対!」

「向こうの太鼓先生って25歳ぐらいになってるんでしょ? だったら私もって言いそう」

「個人の目的の物は個人で見つけて貰わないとね」

「そうだ、却下だな、栗優先! 主食っぽい物食いたい!」

「秋にはドングリの予定だったけど、栗の方が絶対良いし、若返りは無しで行こうー」

 伸樹は少し笑うと、『彼女』の手にあと3つの『若返りの宝珠』も追加した。

「トラブルに成ると後が面倒だから、念のために予備を渡しておくよ。君達はせっかく上手く行ってるから、この関係は出来るだけ維持してくれよ」

「ありがとう。うん、気を付けるよ。人間関係って一度こじれると大変だからね」

 伸樹は一息つくと、『彼女』に別れを告げる。

「じゃあ、俺は行くよ。もし、帰る方法が見つかったら教えに来るから、君らが先に見つけたら家の前とかに看板みたいな感じで文字で彫り込んでおいてくれれば良い。『重力の宝珠』が無いと移動はキツいからね」

「行っちゃうんだ・・・ そうだよね、貴方は私の伸樹じゃ無いんだったよね・・・ 私の伸樹はどうしてるかな・・・」

「先ず間違いなく、飛び回って君の行方を捜してるよ。神社仏閣にお参りしながらね。そして、君の事を絶対に忘れない事も俺が保証する。絶対だ」

「私の伸樹もこの世界に来るのかな?」

「どうかな、IFの世界だからな・・・ ただ、今居ないって事は、俺と同じ流れは取ってないって事だと思う。もう1つの世界の俺も来てないし、確率は低いかも知れないな」

 しばらく俯いて黙っていた『彼女』は、急に顔を上げ、伸樹に抱きついた。

「ごめん、私の伸樹じゃ無いって分かってるけど・・・ 少しだけこのままで居させて」

 伸樹は、黙ってうなずくと、彼女の背に手を回して優しく抱きしめた。周囲の者も、羨ましげに、微笑ましげに彼らを見守っていた。

 そして、1分ほどの後、彼らは離れ、伸樹はカゴを背負うと彼らに見送られながら空へと舞い上がった。彼の後ろ髪は全力で引かれていたが、何とか振り切り南の山を越えるべく高度を取っていく。

 山の()に彼の姿が消えるまで『彼女』は伸樹を見送り続けた。そして、伸樹も『彼女』を何度も目で追っていた。その為、幾度となく山に突っ込みかけた位だ。

(恋人・・・ そうなれたかも知れないIF。俺が必ず帰してやるから、絶対に『彼女』を幸せにしろよ!)

 彼は、もう一人の自分に向かって、宣言した。別の世界の自分では有れ、自分で有る以上彼女に対する思いは同じはずだ、絶対に不幸にしない事は分かっている。

 だから、『彼』の元に帰してやればそれで良い。後は『彼』が『彼女』を幸せにするはずだ。伸樹はその事には自信が有った。自分の事なのだから。

 彼が山を越えたのは、午後2時近い時間だった。そして、眼前には海が広がっている。見える範囲で南東方向も全て海だ。これで完全にここが島である事が確定した。

 そして、その島の南西部に当たるそこには、今まで回ってきた場所で一番広い平野部が広がっていた。奥行きも5キロ以上有り、しかも扇状地では無く帯状に広がっている。

 海岸線も長く、彼らの住むあの長い砂浜とさして変わらない長さがある。ただ、こちらには砂浜は無く、全てが磯、岩場に成っている。

 伸樹は、その場から一気に上昇していく。途中3回の耳抜きを経てかなりの高度まで上がり、そこから眼下を見下ろすと、四国に似た形の島が見えた。

(初めから、こうやっておけば良かった・・・)

 そんな今更な事を後悔しながら、島の細部を見つつ彼は降りていく。彼が居た広い平野部を東に進み、岬になっている山を越えれば、彼らの居たあの砂浜が有る。

 そして、島の中央には、以前山に登った際に見た湖が有り、あの時見たよりかなり大きな湖だと分かる。

 あまりに高度が高い為、細部は見えないが、まだ直接見ていない中央部にも、これと言って人工物の様な物は見当たらない。山の一部が実はピラミッドである、などと言う事も無さそうだ。

 途中風の為、東へ流されたが、どのみち東へ移動するので問題は無い。移動中、一度『重力の宝珠』を交換する為降りたが、その後は海岸の1キロ内陸部辺りを東進し続けた。

 その平野部は、森、林、荒れ地、草原地帯が入り乱れており、景観は豊かだった。そして、ここにある唯一の大きな川に到達した彼は、河口へと移動し、『宝珠』の探索を開始した。

 北の川と同じように、河口部にはかなりの密度で『宝珠』が埋まっていた。それをローラー作戦で回収しつつ上流へと登っていく。水深が深くなると、背負いカゴの下部に石をはめ込み、浮かべた上で手で引いて運ぶ。

 その後、夕方の6時までその川の探索を行い、宝珠の確認はせずそのまま飛行して本来の住処(すみか)へと向かう。

 川を出る際に、探索終了地点を、川岸に石を詰む事でマークしたのは北の川と同じだ。後日また探索に来るのは決まっているのだから。

 そして、『流体の宝珠』の推進力を調整しながら、ゆっくりと進み、山越えでは無く岬を海側で回り込んで砂浜へと降りた。人目に付く事を警戒したからだ。

 その地点から彼の住処(すみか)までは10キロ近く有ったのだが、しばらくは砂浜を歩いて移動する。当然その間、足下の『宝珠』は回収している。

 さすがに7時を回ると人の姿は見えなくなり、問題ないと判断した彼は、再度『重力の宝珠』と『流体の宝珠』を使用して飛んでいく。

 集落近くになると、『流体の宝珠』の使用は止めて、それまでの慣性で移動し、それが空気抵抗で止まると地上へ降りて歩き出す。

 彼がその住処(すみか)へとたどり着いたのは薄暗くなってからだった。そして、そこには有るべき物が無かった。

 先ず気付いたのはトイレだった。3日前には有ったトイレの囲いが無くなっており、よく見ると近くに崩れて落ちている。

 更に、崖面に掘った洞窟の半分を隠していた、石のブロックで出来た石垣も崩れ落ちていた。

(強風でも吹いたのか? そんな記憶は無いけど・・・)

 そんな風に考えながら近づいた伸樹の目に映ったのは、鋭利に切断された石垣の面だった。斜めに切られて崩れている。

(誰かが『切断の宝珠』で切ったのか? 何の為に? いたずら? わざわざ『宝珠』まで使って?)

 彼の頭には疑問符しか浮かばない。そして、洞窟内を見ると、そこは焼けて炭に成った敷き草と、その際舞い上がった灰が付いた壁面が有った。

 ため息をついた彼は、敷き草の灰を払いのけ、その下にははめて有った石の板を外して、中の穴から入れてあった『宝珠』を取り出して背負いカゴに移す。

 そして、その場を後にして、水場の反対側に簡単な穴を作り、そこを本日の仮の宿にした。

 その後、暗い中で磯に行って食糧を確保して夕食にし、ある程度環境を整えた午後9時に彼は動き出す。

 『重力の宝珠』を2つ持った彼は、集落の近くまで歩いて移動し、その二つの『宝珠』で浮かび上がる。

 そして、各家々を回り、屋根の上に停止した状態から、『治癒の宝珠』を『テレポート』で家の中に放り込んでいく。全ての家にだ。

 強姦組の2軒にも放り込んでいく。無論、彼は強姦の事は知らず、彼らの立場の知らないのだが・・・

 本来は、『彼女』にだけ渡せばそれで良いのだが、それをするとトラブルを逆にまねきかねないと考え、全てのグループに配る事にしたのだ。

 そして、彼が配れば、それはそれでまた面倒な事に成りそうなので、表に出ない様にこの様な形で配る事に成った。

 彼は、一通り配り終えると、『彼女』が住む家へともう一度立ち寄った。裏側の壁沿いに有る2段ベッドの2階に彼女は寝ていた。

 外観上特に問題は見当たらない。ただ、『範囲認識能力』越しではオーラは見えない為、『彼女』の健康状態は不明だ。明日の確認を心に誓う。

 そして、彼は彼女が眠る直ぐ側の壁にもたれながら、ここに居る『彼女』と今日会っていたアノ『彼女』の事を考える。

(どちらも幸せに成って貰わないと・・・)

 彼は、その場に20分ほどたたずんだ後、仮りの宿へと帰っていった。


 挿絵(By みてみん)

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