勅使河原さんとお昼休み
「ウェイトレスさーん。」
その夜。バイト中。
呼び出しチャイムでではなく、
お客様に直接呼ばれた。
「はい。ただいま。」
「違う違う男じゃないし、
ウェイトレスさん呼んでんの。」
ウェイターの高橋さんが
返事をするとすぐに、
不機嫌そうな声が返ってきた。
そのテーブルに居たのは
大学生くらいの、
男性だけの3人連れのお客様。
来店した時には
すでにお酒のにおいがしていた。
こちらに向かって
手を振っている。
……
今、お店で
ウェイトレスは私1人。
たまにこんなふうに
呼ばれることもある。
「ご指名で来ましたか。」
「うーん。酔っ払ってるなあ。」と
心配そうにこちらを見る店長や
高橋さんに私は、
「大丈夫です。」
と
うなずいて、
改めて返事をした。
「はい。ただいま。」
そしてそのテーブルに向かった。
緊張してるのは隠して。
「お決まりですか。」
「うん、君をちょうだい。」
「え。」
「ぶははは。」
爆笑された。
「な。よくね?」
「あー。まあ。
宮守さん女子高生?」
名札を見られた。
「あ。は、はい。」
「おお。」
「え。それやばいって、
合意あってもマジ犯罪じゃん。」
「だからそこはあれだよお前」
よく判らない会話が続いた。
私は気を取り直してたずねた。
「お決まりではありませんか?」
「あ。はいはい。」
お客様達は吹き出しながら
それぞれメニューを開いた。
そしてその内の1人、
ピアスをしてるお客様が言った。
「あー。じゃあさ。
宮守さんのおすすめは何?」
私は答えた。
「セットメニューは
いかがでしょうか。
そちらのページから
メインディッシュをお選び頂くと
それにライスかパン、
その他ミニサラダとドリンクが
付いてお得です。」
「あっそう。」
髪をソフトモヒカンにした
もう1人のお客様がこちらに
メニューを向けながら言った。
「んじゃさ、
このジャンバラヤって何?」
「あ。はい。
メニューにもある通り、
アメリカ南部ルイジアナ州風
炊き込みご飯です。」
「ルイジアナ?
何でルイジアナ風なの?」
「あ。はい。
それはケイジャンスパイスを
使っているからで」
「ケイジャンスパイス?
ケイジャンって何?」
「あ。はい」
と。
そこで私は固まった。
それ以上ジャンバラヤのことを
知らなかったから。
ケイジャンスパイスとは、
色々なハーブの入った
スパイシーな調味料のことだ。
そこまではメニューにも
書いてある。
でも。
私は改めてメニューにのってる
ジャンバラヤの写真を見た。
その色は
全体的に赤っぽいオレンジ。
チキンとパプリカとオニオンの
入った、
見た目ピラフっぽいご飯系で、
確かに辛そうな感じなんだけど。
ケイジャンって何だろう。
と。
「え。判んないの?
ダメだよ宮守さーん。」
「す、すみません。」
私は頭を下げた。
「つか下の名前は?」
「え。」
「あとメアドも教えて。
もういいやジャンバラヤ。
ケイ何とかスパイスの説明は
宿題にするからさ。」
「え。」
私は困って、固まってしまった。
……
と。
「失礼します。」
後ろから声がした。
振り向くと勅使河原さんが、
立っていた。
いつもと変わらない、
無表情に見える整った顔。
でも。
身長185cm超のその長身は何故か
いつも以上に大きく見えた。
だから。
見上げて思わず圧倒された
私とお客様達を、
勅使河原さんは見下ろしながら
続けた。
「…ケイジャンスパイスとは
パプリカ・オニオン・にんにくに
塩・こしょう・唐辛子、
それにオレガノ・タイム等の
ハーブを合わせた調味料です。
味はそちらのメニューにも
ある通りスパイシーです。
また、ケイジャンとは
『アカディア人』を意味する
『アケイディアン』
が変化した言葉で、
はじめ北米のアカディアに移住、
その後現在の米国ルイジアナ州に
居住したフランス系移民の人々の
ことを意味しています。
ケイジャンスパイスは彼らの
食文化から生まれました。」
……
(お、おう。)
お客様達が
そんなふうにうなずく側で私は、
胸が熱くなるのを感じていた。
すごく感動して。
だって。
勅使河原さんの話は
すごく勉強になったのと、
後、こんなに長く、
ひと息に話した勅使河原さんを
見るのは初めて、だったから。
と。
「ご希望でしたら
他のメニューについても
説明致しますが。」
そう続けた勅使河原さんを見て、
私ははっとした。
その顔が一見無表情なのは
やっぱりいつもと変わらない。
口調が淡々としているのも。
それは普段同じ様に他のお客様に
メニューの説明をしている時と
変わらない。
でも。
違っていたのだ。
その時とは明らかに様子が。
何だろう、
視線にやわらかさが無いとか。
いつもより目が細いとか。
言葉にしにくい
微妙な違いというか。
でも。
感じたのだ。
勅使河原さんはこの時たぶん、
怒っていた。
と。
ピアスをしたお客様が、
はっと気を取り直したように
眉をしかめて答えた。
「つかいきなり何?
俺ら宮守さんに聞いてんだけど」
「待て。」
と。
髪を明るめに染めている3人目の
お客様がそれを制した。
その目が勅使河原さんの胸元、
名札にくぎ付けになっているのに
私は気付いた。
ソフトモヒカンの髪型のお客様も
そこを見てはっとなっている。
そして。
「おい、もしかしたらこいつ。」
「あ。」
そんなふうに
囁き合ったように聞こえた。
そして。
視線を交わしたお客様達の顔に、
緊張が走った様に私には見えた。
「?」
どうしてだろうと、
もしかしたら知ってる人達だったのだろうかと、
不思議に思って私は改めて
勅使河原さんを見上げた。
けれど。
勅使河原さんに
特に変わりはなかった。
そして。
「ご注文は、お決まりですか?」
勅使河原さんは改めて言った。
「あ。」
お客様達はそれに皆あわてる様に
一斉にメニューに目を落とした。
そこには先ほどまでの、
お酒に酔ってふざけていた感じは
どこにも残っていなかった。
そして。
全員ジャンバラヤの
セットメニューを注文した。
その後。
……
「「お疲れ様まよちゃん。」」
と。
テーブルから戻った私は
店長と高橋さんに、
ホールのお客様方には聞こえない
ようにひそひそ声で、
でもすごく
熱烈な様子で迎えてもらった。
それから。
「さすが勅使河原さん。」
「勅使河原君はボディーガードと
してもいけそうだね。
静かなのに凄い迫力感じたよ。」
続いて一緒に戻った
勅使河原さんを高橋さんと店長が
そうほめるのを聞いて、
私はさっきの3人連れのお客様の
態度の変化を納得した。
そうか、勅使河原さんの迫力に
圧倒されちゃったから、
ふざけるのやめたんだな、と。
勅使河原さんの名前に反応した
ように見えたのは、
やっぱり気のせいだったかな、
と。
それから。
私は改めて勅使河原さんに
頭を下げた。
「有難うございます、
勅使河原さん。
私ももっとちゃんとメニューの
説明出来るように頑張ります。」
と。すると。
勅使河原さんはこちらに
視線を向けてうなずいた。
だから。
私はまた
胸がどきどきするのを感じた。
もしかしたら勘違いかもしれない
けれど、
さっき私をからかっていた
お客様達を勅使河原さん、
怒ってくれたんじゃないかな、
と。
もしそうだったら嬉しいな、
なんて思って。
だから。
私はその後休憩時間が来て、
バックヤードに入ろうとする
勅使河原さんに更に続けた。
「勅使河原さん、私、
まかないに良さそうなレシピ1つ
お勧めあるんですけど。
今度
提案してみてもいいですか?」
勅使河原さんは振り返った。
そして。
もう一度うなずいてくれた。
だから。
……
翌日。
高校のお昼休み。
さっそく私は勅使河原さんのいる
2年生のクラスに、
校舎の2階に向かった。
先日理佐達に試食してもらい、
合格点をもらった
ホットドッグ入りのバスケットを
持って。
何故なら。
昨夜助けてもらった勢いで、
もっと勅使河原さんに
近付きたいと思ったからだ。
2年生のクラスに、
1年生が用事でたずねていくのは
一応珍しいことじゃない。
けれど。
それでも男女の先輩方がちらちら
こちらを見てくるのが判った。
私は緊張した。
でも少しわくわくもしながら、
端の1組から順番に通り過ぎる
ふりをしつつその教室をのぞき、
勅使河原さんを探し始めた。
1組、いない。2組、いない。
……
と。
「誰か探してんの?」
不意に耳の側で話しかけられた。
「!」
びっくりして振り返った。
そこには男子の先輩が、いた。
すごく近かったので、
私は思わずすごく後ずさった。
すらっとした細身の整った顔。
どこかいたずらな、
猫っぽい目をしたその先輩は、
私の顔を見るとにっこり笑った。
「1年生かな?
俺じゃないなら残念。
でも手伝おうか?
誰?探してんの。」
「あ。」
私は答えようとして止まった。
その時。
猫目先輩の背後に、
誰かが立ったのが見えたから。
私は思わず弾んだ声を上げた。
「勅使河原さん!」
そう。
勅使河原さんがそこにいた。
やっぱり
無表情に見える整った顔で。
私は急いで続けた。
「勅使河原さん、私、
あの、昨日お話ししたまかないに
提案したいレシピ、
詩作してみたんですけど。
よかったら、
試食してみてもらえませんか?」
そうして
私が差し出したバスケットを、
勅使河原さんは見た。
そして。
うなずいた。
私は嬉しくて、
頬が赤くなるのを感じた。
いきなりお昼休み、
教室をたずねてのお願いだから、
断られても仕方がないな、
とは思ってもいたから。
でも。
私がバスケットを渡そうとすると
勅使河原さんは受け取らず、
踵を返しながら言った。
「こっち。」
「あ。はい。」
私はうながされるまま、
歩き出した勅使河原さんの
後に続いた。
その時。
私は少し後ろを振り返った。
私と勅使河原さんが話している間
猫目の男子先輩が何となく、
勅使河原さんを睨んでいる
ように見えたから。
でも。
「見つかってよかったね。」
猫目先輩はそう言って
笑って見せただけだった。
だから。
私はおじぎをして、
勅使河原さんの後を改めて
追いかけた。
それから。
……
私と勅使河原さんは、
校舎の屋上にたどり着いた。
今日は
春の盛りのぽかぽか陽気のせいか
他にも何人かいて、
そこでお昼を食べていた。
私は少しどきどきした。
だってそこにいたのは、
みんなカップル風だったから。
それから。
……
フェンスを背にして腰を下ろした
勅使河原さんの隣に並んで、
私も腰を下ろした。
本当はバスケットを渡したら
帰るつもりだったけれど、
こんな展開になってすごく
どきどきしている。
触れていないけど、
隣の勅使河原さんの体温が
感じられそうに思えた。
と。
「ん。」
勅使河原さんが手をこちらに
差し出してきた。
「あ。はい。どうぞ。」
私はあわてて
バスケットを開いた。
「あ。よかったらこれ、
お手拭き使って下さい。」
そうして勅使河原さんが
ホットドッグを取り出すのを私は
見つめた。
と。
「…頂きます。」
すぐそばで勅使河原さんが自分の
作ったものを食べるのを見る。
それが急にすごく、
恥ずかしく思えてきてしまった。
だから。
私はそれを隠すように、
早口で話し出した。
……
「それ、魚肉ソーセージの
ホットドッグです。
ほら、この前まかないで
勅使河原さんが作ってくれた
田舎カレー、
あれがすごくおいしかったから、
私も何かあやかろうと思って。
それで私、子供の頃に、これ
おやつに食べてたの思い出して」
勅使河原さんがうなずきながら
ホットドッグを頬張った。
私は頬が赤くなるのを感じた。
「一応冷めても大丈夫な
作り方意識しました。
あ。かかってるのは
ケチャップと洋がらしです。
あとパンの切れ込みには
トーストしてすぐ、
バターが塗ってあります。
そうするとパンが
しっとりしたままでいるから。」
勅使河原さんの喉が動いた。
私は更に赤くなった。
「あ。キャベツはですね、
炒めるというより最初さっと
火を通したら、
すぐ弱火にしてフライパンに
フタして、
蒸す感じで仕上げました。
そうするとぱさぱさしないで
甘みも残せるので。」
「…うまい。」
私は耳まで
真っ赤になるのを感じた。
勅使河原さんが、ほめてくれた。すごく、嬉しい。
だから。
「よかった。
ありがとうございます!」
私は笑顔で答えた。
と。
ふと見ると勅使河原さんの
体の脇に、
袋が置いてあるのに気付いた。
購買部のビニール袋だ。
私が座っているのと反対側に
置かれていたから、
気付くのが遅れたけれど。
きっとそれが今日、
本当の勅使河原さんのお昼ごはん
だったんだろう。
でも。
勅使河原さんはそれには
手をつけず、
バスケットの中のホットドッグを
お代わりしてくれた。
私も一緒に、
ホットドッグを手に取った。
春の盛りの風が気持ちいい。
私はふと、たずねてみた。
「勅使河原さん。」
「……」
「私やっぱり勅使河原先輩って
呼んだ方がいいですか?」
「……」
「どっちでも。」
「あ。じゃあ、
今のまま勅使河原さんって、
呼びますね。」
勅使河原さんは、
うなずいた。
私はそれに、笑顔を返した。
そうしてその日のお昼休み、
私と勅使河原さんは一緒に仲良く
ホットドッグを食べたのだった。
そして。
……
「それじゃあまた夕方、
バイトの時に。」
お昼休みの終わり。
そう言って私は、
うなずく勅使河原さんに
手を振って別れた。
すごい幸せで、
足取りが軽いのがわかる。
ふわふわしてるように感じる。
と。
そうして
1年生のクラスに戻ろうと階段に
着いた私は、
踊り場に立ってる人がいるのに
気付いた。
それはさっき勅使河原さんを
探している時、
声をかけてきた男子先輩だった。
猫のような目をした。
「どうも。」
先輩は片手を上げて
やっぱり笑顔で言った。
私もおじぎをして
通り過ぎようとした。
と。
「勅使河原さんと
付き合ってんの?」
そう言われて、私は固まった。
「い、いえ。」
「ふうん。」
猫目先輩は探るように
こちらを見ると、
再び笑顔で言った。
「でも好きでしょ。わかる。
勅使河原さんて背高いし顔いいし
大人っぽいしね、
無愛想だけど。」
私は固まったまま
猫目先輩を見つめた。
どうリアクションしていいか
判らなくて。
「俺は2年3組の北方。勅使河原さんとはクラスだけじゃ
なくて、
出身中学も一緒なんだよね。」
「え。」
私は北方先輩を見た。
北方先輩は続けた。
「でもね、
大人っぽいのは当たり前だよ。
だってあの人、
去年1年不登校で留年してる。」
「え。」
私は北方先輩を見た。
北方先輩は更に続けた。
「それどころか中学の時、
超不良ですごい荒れてて
色々事件を起こしたんだけど、
親が地元の有力者で
それ全部もみ消してたよ。
この学校だって
本当なら退学になるところを、
やっぱり親の力で
留年で済ませたらしいし。
だから。」
北方先輩は笑顔のまま続けた。
「こわいんだよ、あのひと。」
と。
……