すればいい
「それでは早速、お仕事にまいりましょう!」
意気揚々と立ち上がるラストメア。それを急いで制止する。
「待て待て! お仕事ってなんだよ? 第一俺はまだ動けないんだからな!」
「救世主さまとあろうお人が、その程度の傷で動けないわけないでしょう」
「いやいやいや、たぶんこれ……背骨にひび入ってるぞ?」
「ひびが入っていると、動けないんですか?」
「当たり前だろ……すげえ痛いんだからな」
「そうですかー、私はひびくらいなら即治してしまうのでー」
「え? お前治癒的な魔法みたいなの使えるのか?」
「魔法って……そんなファンタジーな表現しないで下さいよー、漫画の読みすぎですよ」
「ファンタジーの塊みたいなくせして何言ってんだ……」
「まあ治癒能力は私の特技ではありますね」
「おぉ、じゃあ今すぐ俺の傷治してくれよ!」
くっく、治してもらえばすぐさま逃走……こんな面倒そうな奴に関わってられるか。
……しかし俺の不幸体質は、ついにこんなファンタジックな存在まで呼び寄せてしまったようだな。まっこと不幸だ。
「えー、船坂さんをですか?」
「そうだ、治してくれたらその、話もちゃんと聞くからよ」
「でもー……船坂さんの性格上、傷を治したらすぐに逃げられて、また探すのに苦労しそうなんですよねー」
こ、こいつ、俺の中身を把握してやがる。
図星をつかれて、バシャバシャと泳ぐ目を必死に抑えながらも俺は口を動かす。
「な、なにを言うか、俺だってその世界の危機? はなんとかしたいしさ。だから頼む、な?」
「うーん……でもー……あ、でしたらこちらの書類にサインをいただけます?」
「書類?」
ラストメアは両手を合わせると、どこからか一枚の紙切れを取り出した。そこにはおよそ人間の語とは思えない文体で、形式ばった文字の羅列が書かれていた。
「あ、なるほどな、ちゃんと世界を守りますよみたいな誓約書か?」
いやしかし、これにサインしたらそれこそこいつの思うツボじゃ――
「あ、いえ私のペットになるという誓約書です」
「ふっそおおおいいいい!!」
体の痛みに耐えながら、俺は全力で誓約書を千切れにする!
「あー、何するんですかー」
「何考えてんだよ!? なんでこの状況でお前の下僕にならなきゃならんのだ!」
「正しくはペットですけど」
「そこ別に重要じゃないんだよ!!」
「あははー、冗談ですよ。はいこちらが本物」
「まったく、さっさとよこせよ」
「あ、それ「おでんに入ってるハンバーグになります」の誓約書でした」
「せえええええいい!!!」
俺は誓約書を宙に投げると、右手で突き破る! その姿はまさに天を穿つかのようだったであろう! 我が生涯に億片の悔いあり!
「毎度毎度破らないでいただけますかー? 資源は有限ですよ?」
「なら間違えないでいただけます!? 俺もう少しでおでんの中で最も求められてない具材になるところだったんだぞ!!」
「はいはい、じゃあこちらが本物ですよ、今度は間違いじゃありません」
「本当だろうな?」
「はい、お望みの「からしレンコンを鼻に詰めることを怠らない」という誓約書です」
「いつ望んだ!! 俺がいつ熊本名物を鼻に詰めることを望んだ!!」
「それはもう日課にしたい程。とおっしゃっていましたよね」
「どんな日課だ!! もういろいろめんどくせぇよ! いいから傷治してくれよ!」
「あ、ちなみに私の治癒能力、自分にしか効果ないんでー」
「じゃあ今までのくだりなんだったんじゃあああああああああああ!!!!!」
肺の中の息をすべて吐き出さん勢いで絶叫していた。近くの木からカラスが豪速で逃げとんだ。
なんだよ! この時間すげえ無駄だよ!!
「ちょっとちょっと、あんまり叫んでは体に毒ですよ?」
「大部分はお前のせいですけどね!!」
「でも……困りましたね、船坂さんが動けないとなるとー、私も身動きできないですし」
「はぁ、もういいよ……俺みたいな不幸もんの事はあきらめて、別のやつ探せよ」
正直、満身創痍な体での漫才に疲労が蓄積してきた俺は、上半身を大地に預けると、半ば投げやりに言い張った。
するとラストメアは再び俺の頭付近にしゃがみこみ、眉を吊り上げた。
「ですからー、船坂さんじゃないとダメなんですってー」
「なんでだよ……幸せもんならごろごろいるじゃないか、適当に運がいいの見繕えよ」
「中途半端な幸運の持ち主では話にならないんですよー、運のいい人を「守人」にするなら、それこそ宝くじの一等に100回当選するくらいの幸運をもってないとー。
そんな幸運を持つ人間は、私の知る限り存在しません」
「だから俺ってか?」
「はい! どんなに幸運な方でも「死なない」人間なんていませんから、決して死なない「不幸体質」な船坂さんはまさに適任なんですよー。まあ、もう一つ大事な理由もあるんですが」
まるで俺を不死身のように思っているのか、悪戯っぽくつぶやくラストメア。そんな奴にカチンと来た俺は口元を緩めつつ囁く。
「どうでもいいけど、この位置関係……気づかないのか?」
「はい?」
「白か」
「」
「~っっ!?」
俺が意味深ににやけると、ラストメアの表情が凍りつく、かと思えばすぐさま顔を真っ赤に高揚させ、とんでもない勢いで立ち上がり、俺から距離を取った。
「み、見たんですか?」
「なんだ、意外と可愛い反応するんだな」
「さいってーです……いたいけな美少女のスカートを覗くなんてぇ……」
「いや、実はギリギリ見えてないけど」
「はっ!?」
「本当に白だったんだな」
「なな!??」
あ、こいつの事まだほとんど知らないけど、一つだけ確信した。実はいじりやすい。
もはや顔中をトマトのように染め上げたラストメアは、口を尖らせた。
「もういいですー、船坂さんみたいな人はもう助けてあげません、治るまでそこで寝てればいいんです」
まるで拗ねたようにそっぽを向くラストメアに、やれやれと嘆息する俺。
刹那――
「!!」
「な、なんだこの地鳴り!?」
突如、辺りが音を立てて揺れ動く。とっさに俺が起き上がると、ラストメアは苦々しい表情を浮かべていた。
「そんな、予想より早い……もうアノンが!」
「アノンってのはなんだ?」
「異世界からの侵略者のことです! まずいです、このままじゃ」
そんなラストメアの言葉を体現するように、地響きは激しくなり、天は凄まじい量の黒雲に覆われ、周囲は薄暗くなってしまう。
明らかな異常事態に寝ている訳にもいかず、俺は体を庇いながらよろよろと立ち上がった。
「ど、どうするんだ? このままだと、どうなる?」
「アノンがこちらの世界に干渉しすぎると、世界は不和崩壊を起こし、アノンの個体差もありますが、早ければ数日後には消滅します……この異常事態がその初期状態です」
「数日後って」
おいおい……俺が考えていたよりも、事態は深刻なようだ。
「本来ならばすぐさま船坂さんにアノンを撃退していただくところですが……その怪我では戦うことすら」
ラストメアが傷だらけな俺の体を一瞥し、唇をかみしめる。どうすることもできない俺は、ただ彼女の言葉を待つしかできない。
「! 船坂さんっ、下がってください!」
途端、ラストメアがいきなり俺の前に歩み出る。その視線の先には。
「!? 黒い渦?」
そこには、宙に浮く黒渦が発生しており、みるからに禍々しいオーラを放っている。あからさまな不可思議物質に目を疑う。
「あれはアノン専用のゲートです……あの渦の先には異世界が広がっていて……!」
ラストメアの説明を待たずして、黒渦から巨大な影が現れる。それは予想通りの存在だった。
「あれがアノン……世界を破滅に導くものです」
ラストメアが嫌悪感を隠さずに、アノンをにらみつける。が。
どうにも俺の頭は違うことでいっぱいだった。なぜならば、
超巨大なウサギが、こちらに向かっているからだ。
俺の身長(169㎝)の軽く4倍はあるかという巨躯に、愛らしいそのプリティフェイスは、あまりにもミスマッチだった。たとえるなら着ぐるみのような容姿に、完全に死んでいる眼球、血だらけの両手に握られた大斧を除けば、ひょっとすると遊園地なんかで雇用されるかもしれない。
そんな不気味と違和感の塊に、俺の緊張感は根こそぎ消え失せた。
「おい、あれ……あの気味の悪い着ぐるみがアノンなのかよ?」
「間違いありません……見た目に騙されないでください、中身は凶悪な怪物です」
ラストメアの至って真面目な対応に、再度緊張感を取戻し、俺はウサギ野郎に向き直った。どう見てもゆるキャラのグロい版というべき存在は、俄然こちらに向かって歩いてきている。
目の前のウサギ野郎からは目線を外さず、ラストメアがつぶやく。
「こうなってしまった以上、仕方がありません……船坂さん、アノンの目的はあなたです」
「は!? 俺!?」
「私たちがあなたを守人に選任しようとしていることに感づいたんでしょう、まずは船坂さんから抹消するつもりです」
確かに、あのうつろな目先は俺に向いているようにも見える。
「ですから、いますぐ逃げてください、私が時間を稼ぎます……あなたがもしも抹消されては、世界は終わりです」
言い終わるや否や、ラストメアは背中から件の純白に輝く翼を現すと、俺に向かって笑いかける。
「といっても……このままアノンを放置しては、どのみち世界は崩壊します……ですから!」
「! おまっ」
俺が声をかける前に、ラストメアは猛スピードでウサギ野郎の頭上に跳躍する、そのまま全体重をかけ、相手の脳天に蹴りを入れた。
細く華奢な体のどこにそんなパワーがあるのか、頑丈そうに見えるウサギ野郎の頭部がぐしゃりと陥没する。
奴の背後に着地したラストメアは、間髪入れずに数発蹴りを叩き込む。圧倒的な連打にウサギ野郎はたまらず吹き飛ぶと、校舎の壁に叩きつけられた。
強い。その一言で完結するほどに、単純に美しく強い。
が、ラストメアの表情は暗かった。
「船坂さん、あのアノンは私が差し違えてでも倒します! ですから早く逃げてください! 怪我の治療に専念してくださいっ」
「え? 差し違えてって、お前の方が優勢だろ!」
「今のは不意を突いただけです! 力量差は――っ!?」
突然、視界から少女が消え去る。
一瞬、何が起きたのかわからなかったが、すぐに理解した。
土煙の只中で、ラストメアの首を片手で締め上げるウサギ野郎。苦しげに呻く相手をあざ笑うように力を強めている。
そんな……あれだけ強かったラストメアが、こんなにあっさり……。
いまさらながら、彼女の言うとおり、速く逃げればよかった。足が震えている。
さすがに、洒落にならない不幸だ。
愕然とする俺に、ウサギ野郎から殴打されながらも、必死に何かを伝えようとしているラストメア。
唇の動きから察せたのは、3文字。
《にげて》
「……」
そうだ、逃げればいいんだ。
どうせ俺みたいな「不幸者」が何したって、あんな化け物には勝てない。
第一、俺はまずただの人間だ。こんな異常な事件に巻き込まれることこそおかしいんだ。あの少女だって数十分前に出会っただけの他人だ。
見殺しにすればいい。
逃げろと言われてるんだ、見殺しにすればいい。
体中が悲鳴を上げているんだ、見殺しにすればいい。
あの子を助けることができるのは俺だけだが、見殺しにすればいい。
今でも彼女は俺のために、血を吐き肉を裂かれ、ボロボロのグチャグチャに嬲られているが、そんなの気にしないで見殺しにすればいい。
そうすればこんな不幸から逃げれるんだ、見殺しにすればいい。
そう、それでいいn
「 良いワケあるかよ 」
ブヂっと、頭の中で何かが千切れる音がした。
先ほどまでの足の痛みなど意にも介さず、猛然と駆け出す。目指すはクソウサギの背中。
すべての神経を、右腕に集中させる。
ただ、"打ち破る"それだけだ。
人間としてのリミットを外せ。なんなら死んでもいい。
あのウサギ野郎も道連れだ。
「おい!」
俺の呼び声に、ゆっくり振り向くウサギ野郎。
それに合わせて、打ち込む。まっすぐ。
「ッッらぁぁぁぁ!!!!!!」
全身全霊の、俺の拳がウサギの頬にぶち当たる。ウサギの顔が原型を無くし歪みながら崩れていく。勢いを落とさずに殴り飛ばす!
ウサギは最前のラストメアに蹴られた時よりも、なお遥かにぶっ飛びながら、まるで嵐に吹き飛ばされた看板のように、遠くに転がり落ちた。
開花。