友達
霊森楼と呼ばれる村を抜け、暗く染まった山道をひた走る。シグの説明によると、霊森楼から北にまっすぐ行けば、聖域の境界線へはすぐにたどり着くらしい……のだが。
「はぁっ……はぁ……まっ、て……くだ……さい」
「……」
エルフに発見されるのを避けるため、見つかりにくい獣道の草木を切り開いて進む、俺の後ろでシグが息絶え絶えのまま立ち止る。
「お前なぁ……しっかりしろよ、仮にもこんなド田舎で暮らしてるんだろ?」
「し、シグは……エルフの中でも……力もないので、いつも裁縫とかのお仕事しか……はぁ……」
なるほど、つまりシグは自他ともに認める、能な「能無しとか言わないでくださいぃ!」
どうやら心の声が漏れていたようだ。
俺は一つ溜息を吐くと、未だ息を切らしたまま動かない、シグの元に向かう。
「仕方ないやつめ」
「ふぇ?」
俺は何も言わずに、シグの右手を取る。その行為になぜかシグはびくぅっとん体を震わせた。
「なななっ、なにをっしゅるんですかぁ?!」
柔らかそうな頬を、リンゴを彷彿とさせる色に染め上げ、あわてたせいで呂律の回ってない口を動かすシグ。
「ん? いや、手つないでおけば、お前も楽だし俺も迷わないだろ」
「ででもぉっ……シグっ」
「何照れてるんだよ……とにかく行くぞ?」
意味は分からないが、赤面して目を伏せたまま、視線を泳がせるシグの手をしっかりと握る。
「っ……シグっ……男性と手つなぐの……はじめてでっ……」
何やらぶつぶつと呟く、シグに俺は首を傾げつつ、俺は境界線への道を急ぐのだった。
――――――――――――
「こ、ここです……あの丘から向こうが、結界の外になってます」
あれから十分ほど歩くと、隣のシグが足を止めて指をさした。開けた小高い丘に、多数のエルフが集合している。
俺たちは丘からは視認されない森の出口から様子を見つつ、シグに対して疑問を口にした。
「うーん、結界が透明だとイマイチ境界線がわからんな……エルフには見えてるのか?」
「視覚では認識できないですけど……エルフにだけ感じ取れる魔力が流れているので、大体の位置なら……ちなみに、他種族では認識すらできないので、エルフの聖域は発見することは不可能、なんです」
「そうか……だからエルフは他種族には見つからずに生きている訳か」
こいつはずいぶんと、面倒な場所に迷い込んだもんだ。
「って、そんなことより、やっぱここにエルフが集まってるってことは、ハミルもあの爺さんもここに……」
「……た、たぶんですが、ゾドム様はここで婚姻の儀を行うつもりです……」
「だろうな、じゃないとこんな場所に集まる理由もねぇ」
恐らくは結界の外に、その婚姻の相手が待ち構えているんだろう。
「その相手側の種族が気になるが、とりあえずハミルを救出するのが先だ」
「は、はい」
どうするのが最善か、黙して策を練る。見える範囲だけでも数十人は集まっている。
あれだけの数を相手に、ハミルを救い出すのは難しいだろう。シグはどうみても戦力にはならないし、俺も魔法をつかうような種族相手にどこまでやれるか……。
「うぅむ……」
「……あ、あのっ」
「ん? どうした」
「し、シグは何をすれば、いいんでしょうか?」
「あ、あぁ……」
正直、ここまで案内してくれただけで十分すぎるほど役に立ってくれたが、目に宿す闘志と、ハミルを想う健気な心に打たれた俺は思い直し、シグの頭をぽんぽんと撫でる。
「ひゅっ!?」
「そうだな、お前も友達を助けに来たんだもんな」
「ぁ、あのっ……」
「じゃあ、お前に頼みたいことがある」
赤面症なのか、顔を赤らめるシグに作戦を伝える。
「いいか……今からお前は、丘に集まってるエルフたちにこう言うんだ……『人間が逃げ出した』とな」
「し、シグが?」
「すると、集まってるエルフたちは俺を探しに行く、そうして戦力を分散させておき、隙をついてハミルを助ける」
「お、おぉ……! す、すごいですっ、それなら本当にハミル様を!」
「バーカ、本当に助けるんだよ」
関心するシグをたしなめ、俺は作戦に補足する。
「いいか、うまくいったら俺に合図をくれ、そうすれば見つからないように出ていく」
「わ、わかりました……ちょっと怖いけど、頑張りますっ……? あ」
シグは頷くと、そのまま森を出ようとするも、そういえばずっと手を繋いでいたのを思い出す。俺が手を離す前に、慌ててシグが手を離した。
「ぁ、あのっ……ありがとうございまし、た……」
「あぁ、気にすんな」
目線を右往左往させながら、礼を述べてくるシグ。ふむ、どうやら手を繋ぐのが相当恥ずかしかったらしいな。それもそうか、男同士でなんて嫌だよな、普通。
「で、ではっ、行ってきます!」
「あ、待てシグ」
なんてことを考えている間にも、勇んで作戦を開始しようとするシグを呼び止める。
「もし、お前が危ない時は、俺が絶対に守ってやる」
「ふぇっ?」
「だから、安心しろ」
「ひぇ……!
……は、はひっ!」
相手の不安を少しでも和らげてやろうと、にこっと微笑んでみせる。
すると、シグの表情は見る見るうちに紅潮していき、まるで逃げ出すように森を駆けていった。
どうしたんだ? あいつ。
「なんか、ほっとけないんだよなぁ……弟とかいれば、こういう感じなんだろうか」
シグの背中を見送り、苦笑気味に独りごちつつ俺は気を引き締めて、身を低くし辺りの様子を伺う。
シグがエルフの集団に接近し、身振り手振りで嘘の報告をするのが見て取れる。するとエルフたちは、しばらくざわついた後、丘に集まっていたエルフの集団は三々五々に散らばって行った。
シグは周囲の安全を確認するように、キョロキョロとしたのちに俺を手でちょいちょいと呼んでくる。
それに応じた俺は素早く、音をたてないように小走りでシグと合流した。
「よし、上手くいったな!」
「は、はいっ……シグ、がんばりましたぁ!」
やや興奮気味に肯定するシグの頭を撫でつつ、丘の道を注意深く進む。
「戦力があのエルフたちだけって筈もないし……恐らく、この丘の頂上には……」
「い、いっぱい……」
俺たちは互いに緊張を隠し、身構えたまま歩みを進めた。次第に自然の遮蔽物が少なくなり、頂上が近いことを知らせてくる。
「こうなったら、真っ向からやり合うしかねぇ……いいかシグ、俺が敵の注意をひきつける、お前がハミルを救出する……役割分担だ」
「……わかりましたっ、シグ、やりますっ」
気合を入れ直し、後続のシグに強く頷き、俺は一気に頂上へと駆け上がった!
『ん?』
『なんだ!』
すぐさま、俺の存在に気付いた幾人のエルフを視認する、俺は躊躇せずに、右の拳を近場の若い男エルフに振るう!
「手加減するからよ!!」
「ぐえっ!?」
全力の五分の一程度の力で殴ったのだが、若いエルフの体は軽く、想像よりも遠くへ吹っ飛んだ。
そのまま隣にいたエルフに裏拳をお見舞いする。
「おらよっ」
「あぐっ!?」
やはりそのエルフも、適当な裏拳で倒れると、意識を失った。
あれ……? もしかしてエルフって……。
「き、貴様はっ! なぜここっにぃぃ!?」
「……なんか、ごめん」
残ったエルフが、魔法を詠唱するように構えを取る。が、この至近距離でそれを許す筈もなく、俺の拳が相手の腹部に決まった。
目の前で泡を吹くエルフに、なんとも言えない気持ちで謝罪する俺。
そして、俺の疑惑が核心に変わる。
エルフ、超絶弱い!
これ、普通の人間よりも貧弱じゃない!?
魔法を使えばとんでもない強さを発揮するのだろうが、近寄ってしまえば何とかなりそうだ。
と、そんなことを考えている場合ではないので、俺はできるだけ多くの注意を惹きつけるため、俺は奔走する!
丘の下り道に、多数のエルフ。それを先導するゾドム……その後ろで拘束具をつけられている友を発見する。
「ハミルっ!!」
「」
反射的に俺は叫んだ。
その声にハミルは振り返ると、暗いままの表情を見せる。俺はすぐさま助けに向かいたい気持ちを抑え込み、俺は俺の役目を全うする!
「今すぐ助けるからな!!」
「貴様っ、なぜここにっ!!」
わざと大きく名乗りを上げて、エルフの集団に突っ込む! 魔法を唱えられる前に薙ぎ倒す!
突撃する俺に、焦りを感じさせる声色でゾドムが声を荒げる。
そんなゾドムを挑発するよう、俺は鼻で笑う。
「月並みなセリフだな、じゃあ俺もありきたりなセリフで返してやるよ……ハミルを、助けに来たんだ!」
宣言しつつも、周りのエルフをけん制することを忘れない。目の前のエルフを蹴散らし、俺はゾドムの前に進み出た。
「くったばりやがれぇ! 爺さん!!」
「なっ!」
間髪をいれずに、ゾドムの顔面に向かって拳を繰り出す! いける!!
「まてぇ!! ハミルがどうなってもいいのか!!」
「!! くっ」
そんな俺の慢心は、目前に現れたハミルの姿で即座に砕かれる。
俺はどうすることも出来ず、静かに拳を下ろす。
抵抗の意思が消失したのを確認し、周りのエルフが魔法を発動させる、俺は見えない鎖で何重にも拘束された。
「くくっ、さきほどまでの威勢はどうしたぁ? 人間?」
「ぐっ……は、ハミルっ」
身じろぐことも出来ず、地に這いつくばる俺を見下し、勝ち誇った醜い顔で踏みつけてくるゾドム。
その後ろで伏し目がちなまま、虚ろな瞳を俺に向けるハミル。
「無駄だ、今のハミルには負明の封術を仕掛けている……誰の声も届かんさ」
「! 封術……?」
「一種の呪術よ……術者を倒さぬ限り、ハミルはただの操り人形だ」
「てめぇ……どんだけ腐ってるんだよ……」
憎しみを込めてにらみつけるが、今の状況じゃ負け犬の遠吠えだ。
「……ハミルの自由を奪って、そこまでするほど……婚姻ってのは大事なのかよ」
「ほう、そこまで知っておるか……ならば教えてやろう。
ハミルの婚姻相手は……アノンだ」
「ア、ノン……!?」
予想を超えた一言に、俺は絶句する。
ゾドムは嬉々としたまま話を続けた。
「我らエルフ族は、かの古より続く神聖な種族……そんな我らも徐々に数が減り、独立した生を続けることが難しくなってきた……そこで、わしは考えた、今のアルストレアで最も繁栄し、最も力をつけているのはどの種族か……」
「それが、アノン……」
ゾドムは黙って首肯する。
「アノンこそ、最高の種族ではないか……勢力はもはや王族すら超え、その力はゴーレムより強く、その生命力は竜族よりも高く、エルフの持ちえないものを全て持っている……そんなアノンと我らエルフの子を成せれば……我々は衰退することなく、永劫の安寧を得ることになるのだ」
自らの弁論に酔いしれるようにゾドムは口角を吊り上げると、俺の顔を足蹴にする。
「そのため、始祖の血族であるハミルには、エルフのためにアノンと交わってもらおうと……思ったのだが、どうも理解が得られなくてね、こういった強行手段を取らせてもらった」
「正気、か……アノンは、世界を滅ぼす害虫なんだろ……!」
顔に乗せられた足に邪魔をされながらも、俺はあくまで負け犬の遠吠えに徹する。
「それがなんだ……所詮今のアルストレアでは、いずれアノンに蹂躙されるのは時間の問題。ならば、我々がアノンと関係を持ち、実質的な権力を握れば世界はエルフの物……長らく目障りだった愚かな他種族は消し、エルフのための世界を手に入れるのだ! ふ、ふっははは!!」
己の野望を吐露し、高笑いをするゾドムにあわせるように、周りのエルフたちも卑下た笑いを漏らす。
ただ一人、自我を失ったハミルを除いて。
「ふっ」
ゾドムを中心にした賑わいを断ち切るかの如く、俺は眼前であざ笑うエルフたちを鼻で笑う。
「何がおかしい、人間よ」
「これが笑わずにいられるか」
「何?」
「あぁ、でもこれで納得したよ……ハミルもそりゃ逃げ出したくもなる。こんな能無し根性なしの腑抜け野郎どもじゃあな」
『なにぃ!?』
俺の言葉に、ゾドム以外のエルフが過剰に反応する。しかし、俺は怯まずに言を続ける。
「まず一つ、アノンと組んで権力をどうとか言ってたが……無理だろ。
だってお前ら弱いじゃん」
「」
「俺みたいな人間一人に、ここまで追い込まれてよ……魔法が使えなきゃお前らなんて愚かな人間以下だ。そんなお前らがあんなに強いアノンに取って代わる? 思い上がりも甚だしいな」
「貴様言わせておけばぁ!!」
「ぐっ……」
辛抱たまらなくなった一人のエルフが、俺の腹に蹴りを繰り出す。だが、俺は薄く笑いを浮かべて続けた。
「な、んだ……怒るってことは図星かよ、しょうもねぇ……あとさ、エルフの平和とか高尚ぶった理由つけてたけど、要は権力と金が欲しいだけだろ? 平和だけが望みなら、このまま今まで通り引き籠って、穏やかに健やかに穏便に生きていけばいいんだもんなぁ?」
「……お主」
ゾドムが俺の顔から足を退け、神妙な顔つきで睥睨する。
「結局はお前らも、愚かで馬鹿な人間とかわらねぇんだ……いくら綺麗ごと並べて勘定合わせても、やってることは三下なんだよ!! いずれ蹂躙される? じゃあ抗えよ、抗ってみろよ、神聖なエルフなら戦ってみせろよ!!
お前らの平和ってのは、仲間を、歳端もいかない少女を使って、害虫と手を結ぶのがてめぇらの平和か。
それがお前らの平和だってんなら―――
さっさと滅びろ」
『』
腹の底からひねり出す言葉に、周りのエルフが沈黙する。
「お前らの中にはな、役立たずだと、能無しだと言われても、それでも、大切なもののために勇気を振り絞ってるやつだっているんだ。
お前らの中にはな、怖くても泣かず、追われても泣かずに、必死にごまかして生きていた奴だっているんだよ。
そんなすげぇ奴らの名前を汚すな、お前らみたいな臆病者、腑抜けはとっととくたばれ。
バーカ」
舌を出し、究極の暴言を吐く俺に、無数の殺意が突き刺さる。そのオーラは肌が泡立つほどに強く、冷や汗が滝のようにあふれ出る。
その中で、ゾドムが目を見開き、宣告した。
「滅せ」
その一言で、その場にいる、全員のエルフが一斉に魔法を唱えだす。
全ての意識が、俺に向いているこの瞬間。
俺はにやりと笑った。
「今だシグっっ!!!!」
「は、はいっ!!」
「な、何ぃ!?」
俺の満を持しての合図に、シグが近くの茂みから飛び出し、俺に気を取られ放置されていたハミルの前で構える。
「おらよっ!!」
『ぐあっ!?』
さらに、今度はシグに気を取られたエルフたちを、身を跳ね起きさせ、蹴り飛ばす! その蹴りで術者が倒れたのか、俺の魔法拘束が解ける。その好機を逃すまいと、俺は慌てふためくゾドムの首を掴んだ。
「っぐ……お、のれぇ……」
「形成逆転だな、爺さん? おっと、動くなよ? 動いたら、わかるよな?」
周りのエルフにわかるように、ゾドムの首を締め上げる。エルフたちは先程までの怒りは忘れたかのように、委縮してしまった。
「それじゃあ、爺さん……あんたに頼みがあるんだ」
「ふっ……な、んだ」
「ハミルの呪術を解きな」
「こ、ことわっがはっ……!?」
ゾドムの言葉尻を待たずして、俺は腕に力を込める。
「いいか爺さん、なんなら今すぐ皆殺しにしてもいいんだぞ? これは俺とシグの温情だ」
「ぐっ……わ、わかった」
ゾドムはしわがれた声で承諾すると、何やら唱えた。
次第にハミルの周りに光の魔法陣が現れ、輝きと共に魔法陣が消え去る。
光の途絶えたそこには、あの時の、初めて会った時の純粋な瞳のハミルが、友達がそこにいた。
「! は、ハミル、さま……」
「……シグ、船坂」
「ふぅ、世話のかかる友達だな」
ようやく、取り戻した絆に、シグは涙目で俯き、俺は苦笑を漏らす。ハミルはすべてを把握しているように、目を伏せた。
「僕は、すべて見ていたのです……シグや船坂が、僕のためにここまで来てくれたことも、いっぱい傷ついたことも」
「そうか」
「ごめんなさいなのです……僕のために、二人を危険な目に―――」
「おいおい、勘違いすんなよ、俺はただ約束を果たしに来ただけだ」
「?」
俺はあえて軽い口調で、あっけらかんと告げる。
「あっちむいてホイ、やるって約束したろ?」
「!!」
にっこりと笑えば、ハミルはしばらくうつむき肩を震わせる。泣いているのかどうかは、俺の距離では判別できなかったが、シグがハミルの背中をさすってやっていることから、察知した。
ハミルが落ち着くのを待って、一言声を掛けてやる。
「おかえり」
「ただいま、なのです……船坂、シグ」
「! は、ハミルさまぁ……!」
晴れ晴れとした笑顔を浮かべるハミルに、今度はシグが号泣しつつ抱き着いた。
その様子に心を和ませていると、手元のゾドムがほくそ笑んだ。
「? おい、何がおかしい」
「これが笑わずに、いられるか」
まるで意趣返しと言わんばかりに、先ほどの俺の言葉を模倣してくる。
その視線を辿り、やっとその意味に気付いた。
「シグっ!!!」
シグとハミルの傍にある茂みから、潜んでいたエルフがダガーを片手に飛び出す。
俺はゾドムを突き離し、全力で駆け出すが、ダメだ、間に合わない。どう見積もっても間に合わない!
くそ、くそくそくそくそッ!!!
なんでだよ!! なんで俺はいつもこうなんだ!!! 俺はなぜこんなに遅い!!
『お前が危ない時は、俺が絶対に守ってやる』
くそっ!
『だから安心しろ』
ちくしょうッ!!
焦燥感に駆られる脳内は、エルフが放ったダガーが、ハミルとシグに触れる寸前で、暗転していくと、闇に溶けていった。