二人
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全身に感じる冷たい刺激に、俺は意識をとりもどす。
俺の頭部から顎にかけて、しずくが垂れる。どうやら水を浴びせられたようだ。
目にも侵入してくる水滴を拭おうと、腕を動かそうとするも、意思とは裏腹に何かで封じられて思うように動かない。目を瞬かせながら左右を確認すると、鎖を左右の腕に巻きつけられ、壁に拘束されていた。
「起きたか、人間」
自我のはっきりとしていない俺の目前で、仁王立ちをしたまま問うてくる老人。その周りを、特殊な民族衣装をまとった若い男たちが大勢取り囲んでいる。
その体格は総じて小柄で、一様に尖った耳を携えていることから、エルフ族だという事は把握できた。
俺は頭を犬のように振り回し、水滴を飛ばすと、老人に問い返す。
「ハミルはどうした、ここはどこだ、お前は誰だ」
「ふむ、質問の多い人間だ」
わざと反抗的な口調で尋ねる俺に、老人は鼻で笑う。
「ここは我ら、エルフの住まう聖域……霊森楼。わしはエルフ族の長老、ゾドム」
ゾドムの説明に、辺りを見回すと、見慣れないオブジェや独特の形状をした、木製の家屋がちらほら建っており、その周りを川や森の自然が囲んでいる。どうやらここがエルフの村のようだ。
だが、俺にとってそんなことはどうでもいい。
「ハミルはどうしたって聞いてるだろ」
「人間、そなたには感謝しておる。そなたがハミルの気を惹いてくれたおかげで、容易く捕えることができた」
「……」
「しかし、どうやって我らの領域に侵入した、ここは他種族のものでは認識すら出来ぬはずだが」
なるほどな、だからこそメアたちは俺を迎えにこれない訳か。
「ふむ、およそハミルが手引きしたのであろう」
「なんだってハミルを捕まえたんだ、ハミルが何をした」
「それをそなたに教える義理はない」
「ざけんなよ、この爺」
「貴様! 長老様に対してなんという口を!」
俺の暴言に、周りの若いエルフが怒鳴り声を上げた。しかし、それを手の一振りで制止するゾドム。
「残念だが、わしはこれから忙しい、人間ごときに時を割いている暇はないのだ」
「なんだと!」
「そなたの処遇は後に執り行う、見張りを一人残して、他のものは急いで支度をせよ」
「おい! 待てよっ!」
俺が必死に呼び止めるが、それを歯牙にもかけず、ゾドムは身を翻し去っていく、それに続く形で、続々とエルフたちが速足で去って行った。
「おいシグル、お前が見張りだ」
「え……あ、シグがですか?」
「当然だ、お前のような役立たずは、下等種族である人間の見張りがお似合いだ」
「ははは、似た者同士仲良くするんだな」
「ひぇっ……いっ、たた」
その中で、数人のエルフに突き飛ばされ、俺の眼前でみっともなく転げるエルフがいた。突き飛ばしたエルフたちは、その姿を嘲笑しながら、御多分にもれず去って行った。
見張り役を任されたのであろうそいつは、どうにもエルフらしくない少年だった。
尖った耳は揺るぎなくエルフであることを主張しているものの、おどおどとした雰囲気に、小柄なエルフ族の体躯を、さらに小さくしたような華奢な見た目に、幼さがほとんど抜けていない顔つき、深く被りこんだキャスケット風の帽子が、その幼さを増長している。
シグルと呼ばれた少年は、突き飛ばされた拍子に膝でも擦りむいたのか、座り込んだまま、足をさすっている。
そんなシグルに、俺は苛立った声を上げる。
「おい!」
「ひっ、は、はひっ!?」
俺の声に驚き、身をすくめるシグル。
「ハミルはなぜ追われていた、なんでお前たちは仲間をとらえたんだ」
「そ、それは……」
「俺は別に、お前たちに危害を加えたいだけじゃない……ただ、ハミルを助けたいんだ」
「あ、あの……どうしてそんなに、ハミル様のことを?」
「様? もしかして、ハミルはお偉いさんなのか?」
「はわっ!?」
的確に突いた一言に、シグルが口を抑える。
その様子では、肯定しているのも同じだ。
「頼む、俺はどうしても友達を助けたいんだ!」
「……とも、だち……ハミル様の、お友達なんです、か?」
「あぁ、あいつは友達だ、変わってるけど良い奴だしな」
「! そ、そうなんですっ、ハミル様は本当に優しくて良い方なんですっ」
「え、あ、あぁ……」
「あ……」
急に生き生きと語りだした相手に、俺が呆気にとられていると、それに気づいたのか、恥ずかしそうにシグルが再びうつむいてしまった。
こいつ、ひょっとして。
「なぁ」
「は、はい」
「お前、ハミルのこと好きだろ?」
「ふへぇぁ!??」
ずさぁっ、と仰々しく後ずさりし、頬を真っ赤に染めるシグル。
俺は妙案を思いつき、即座に実行する。
「ふぅん、なるほどな」
「そ、そそそんな恐れ多いことっ! シグみたいな落ちこぼれがっ、偉大な始祖の血族であらせられるハミル様にっ」
「ほう、ならどうしてそんなハミルが捕えられる! あれか? 変なことをするためか?」
「へ、変なってぇ……ち、違います!! ハミル様はそもそも悪いことはなにも」
「じゃあなんでハミルは逃げていたんだ」
「ち、長老様のゾドム様が、無理矢理に……他種族との婚姻を進めて……それを嫌ったハミル様は、エルフの村をお捨てに……」
「なに?」
おかしいな、ハミルの話によれば、エルフは他種族との交流を嫌い、今でも独自に生活をしていると言っていたが。
「どうして長老は、婚姻を強引に?」
「わ、わかりません……ゾドム様は革新派の筆頭だった方で、最近長老に就任されたので……」
「ほう、それで、その婚姻の日取りは?」
「詳しくは……でも、ゾドム様があれだけ忙しそうにしていたから、多分すぐにでも……」
「ほう、なるほどな……」
「……あ、あれ?」
「報告ご苦労」
「あわ、あわわわわわ!!?」
俺がにやりと微笑むと、シグルは顔面蒼白になってしまう。
全ては、俺の計算だとシグルが気付いたのは、すべてを話した後だった。
「し、シグを騙したんですね!」
「お前が勝手にしゃべったんだよ」
「そ、そんなぁ……」
がっくりと、シグルが肩を落とす。
「お前、なんかエルフっぽくないな」
「そ、そんなのわかってます、シグはみんなと違って頭もよくないし、魔法も苦手だし……役立たずなんです」
「? なに言ってんだ? そんな意味じゃねぇよ、エルフってのはさっきのゾドムって爺みたいに、威張り散らしてるイメージだったからさ、まあお前を突き飛ばしてたやつらを見る限り、大部分はそうなんだろうけど」
「……エルフは、少しだけ他種族が苦手なだけで、そういう風に思わないでほしいです」
「お前は大丈夫なのか?」
「……あなたは、ハミル様の友達なんですよね……な、なら大丈夫、です」
「」
「な、なんですか?」
「お前、良い奴だな」
「ふぇ」
俺の率直な言葉に、急速で頬を高揚させるシグル。まるで女の子のような態度に、俺は苦笑いを漏らし、本題へと移った。
「というわけで、だ、シグル……シグって呼ぶぞ」
「え、あ、えっと……は、はい」
「俺に協力してくれないか?」
「ふえ?」
「俺とお前で、ハミルを助けるんだ」
「……ほ、本気ですか?」
「当然だ、お前だってハミルを助けたいだろ?」
「で、でも、シグは」
「ハミルが嫌がるようなことを、強要するような奴を許せんのかよ」
「!」
「頼む、ここでは俺は右も左もわからない、シグの力が必要だ、頼む」
「し、シグが……必要?」
簡潔に言い放ち、頭を下げるとシグは熟考し、まるで自分に言い聞かせるように呟き始めた。
「……ハミル様は、シグみたいな役立たずでも……必要だと、優しくしてくれました……シグ、ハミル様を助けたいですっ」
決意の表情で俺を見つめるシグに、大きく頷く。
「よしっ、じゃあシグ! いっちょやってやるか!」
「は、はい!」
「っと、その前に、俺は船坂だ。異世界から飛んできた」
「い、異世界!? し、シグ……異世界人さんと始めて会いました」
「詳しい説明は後だ、とりあえずこれ取ってくれ」
両手を動かし、鎖の解除を促す。
「え? あ、あの」
「どうした? 早くっ」
「し、シグ、鍵もってないですよ?」
「え」
「ふぇ」
「ええええええええええええ!?」
「ふぇぇぇえ!?!?」
「なんだよ!! なんで鍵持ってないんだよ!?」
「だ、だってっ、シグも急に任されたからっ」
「ええいっ、この役立たずぅ!!」
「がーんっ!!」
余りのショックに、口から魂が抜けかけているシグをよそに、なんとか脱出出来ないかと考える。
「そうだっ、シグ!」
「は、はいっ?」
「お前、ナイフとかもってないか?」
「な、ナイフなら、狩用のダガーが」
「よし、それで俺の鎖を断ち切れ!」
「ふぇえ!? む、無理ですよぉっ」
「もうそれくらいしか手はないんだよ!」
「で、でも、シグ、力弱いし」
「馬鹿野郎! ハミルを助けるんじゃねぇのか!!」
「はっ……し、シグ、やりますっ」
シグは腰からダガーを取り出すと、俺の右手の鎖にあてがい、きりきりと削り始めた。
だが、本人も言っていた通り、力が弱く、鎖を断ち切るには到底至らない。
「このままじゃ、夜が明けちまうな……よし、シグ、俺も手伝うから、しっかり構えてろ」
「ふぇ?」
「せいっ!!」
「きゃっ!?」
俺が挙動範囲の限りを使い、シグの構えたダガーへと右手の鎖をぶつける。
驚いたシグが、悲鳴をあげるが、手ごたえがあった。
「これならいけるっ……行くぞシグ!」
「ふぇ!? ち、ちょっとまっ!?」
「おらっ!!」
「ひうぅっ!?」
ガキィッッ、と金属の弾ける音が響く。その一撃で、右手の鎖はばっちり千切れた。
「よっし!! やったなシ……グ?」
「……つい……その」
喜ぶ俺とは対照的に、なぜか俯いてぶつぶつと言っているシグ。
「おい、どうした?」
「な、なんでもありませぇん!」
「? と、とりあえず、ダガー貸してくれ」
「はぃ……」
おごそかに手渡されたダガーで、左の鎖も断ち切る。あまり丈夫な鎖ではないらしく、俺の全力なら容易く千切れた。あの長老が人間を侮っていたおかげか。
腕に巻きつく鎖も投げ捨て、ダガーをシグに返却する。
「よし、じゃあ行くか。ハミルの居場所は?」
「た、たぶん、聖域の境界線に、そこに集まるように言われていたので」
「わかった!、いくぞ!」
「は、はいっ!!」
どこか頼りないシグを連れて、俺は友を救うため、奔走した。
アルストレア豆知識:エルフの作る物品は、美しさと繊細さを兼ね備えた物が多い。そのため工芸品や美術品は価値が高い。その反面、普遍的な武器や防具などは作りがもろく、またエルフ自体の力も他種族に比べて弱いため、それに比例し物理的な脆弱さが目立ち、あまり需要がない。
しかし、それは物理的に限ってのことであり、エルフの作る武具の多くは、魔法により強化された「魔具」がほとんどである。その面からみれば、ある意味物理的な武具よりも役に立つため、品薄状態である。
ちなみに、物理武具といえばドワーフの専売特許であり、魔具ならエルフ製、武具ならドワーフ製を購入するのが常識。
もっとも、エルフは他種族を嫌っており、ドワーフは偏屈で知られるため、どちらの装備も一般的な市場に出回ることは、滅多にない。