不幸者と天使と護衛
……こまの簡単な力関係。
ご主人>ラストメア>アノン(下級)>>うるさいの(アルド)>覚醒ご主人>>越えられない壁>>……こま。
……こま、強い。
「どうしたものか……」
「……? ご主人?」
結局、狛彦に手を引かれるまま、道を聞かれるまま、我が家へたどり着いてしまった。
俺の右手を、小さい掌で握りながら、狛彦が小首を傾げている。俺は長い逡巡の後、狛彦に説明を始めた。
「実はだな、いま俺の家には……こう、なりゆきなんだが、嫁っぽいものがいるんだ、俺は認めてないんだがな?」
「……お嫁さん?」
「そうだ、だからお前を連れて帰宅したら……」
「ん、しゅらば?」
意外にも明察な答えを返す狛彦、そう、まさに修羅場になりかねない。あいつ、いかにもそういうことに五月蠅そうだしなぁ。
というか、なぜ俺はこんなことで悩んでいるんだろうか。別に婚姻云々も、メアが勝手に言っているだけなのだし、気にすることもないような気がするが、事の成り行き上、責任を取ってやらなければ、人としてどうなのか……。
俺は大きく嘆息すると、狛彦に向き直った。
「とにかく、そいつを刺激しないように、初めは黙っていてくれ、な?」
「……こま、静かにしてる」
「うむ、いい子だ」
素直に頷く狛彦の頭を一撫でし、俺は玄関のドアを開け放った。
と、同時に、視界が闇に覆われ、体に衝撃が走る。何が何やらわからぬまま、俺は尻餅をついてしまった。その衝撃の主は、案の定と言うか、メアであった。
「旦那様!! 遅いですっ!! すごく心配しました!」
メアは俺に馬乗りになると、胸倉をつかんで揺さぶってくる。
「わ、わるかった! いろいろあってだな!」
「色々ってなんですか! 私がどれだけ心配したと思ってます!? 急に異世界のゲートが開かれた気配はするし、でも旦那様に家から出るなといわれているし! もう!」
メアにしてはめずらしく、感情を露わにして、叱ってくる。それだけ、心配してくれていたという事だろう。そんな彼女に罪悪感を感じつつ、俺は頭を下げた。
「ほ、本当に悪かった……だが、そろそろ降りてくれないか?」
「! …………晩御飯の時刻もとうに過ぎてますよ、さっさと起きてください」
馬乗りになっていることに、いまさら気づいたのか、恥ずかしさを隠すように、僅かに頬を染めながら、メアは悪態をついた。
「はいはい、ほらよ、弁当」
「……ありが――!!」
弁当を受け取ろうとした、メアの視線が俺の背後で止まる。そこには指示通り、黙って一部始終を見守る狛彦がいた。
まずい、瞬時に危機を感じ取り、あわてて俺は言い訳を開始した。
「あ、あのなメア、この子は――」
「ひーちゃん!!!」
突然、目を輝かせたメアが、受け取った弁当を空へとかなぐり捨て、狛彦に抱き着いた。
「ひーちゃんじゃないですかー! こっちに来ていたんですねー」
「……ラストメア、いたい」
「久しぶりのひーちゃんですから良いじゃないですか―、もふもふー」
親しげに話す二人に、俺は目をぱちくりとしながら、疑問を投げかけた。
「お、おい、お前らって知り合いだったのか?」
「知り合いというか、同僚ですよー、私は神様の傍仕えで、ひーちゃんは護衛係です、ねー? ひーちゃん」
「……」
いつもの三倍くらいテンションの高いメアに、頬ずりされながら、無表情でされるがままの狛彦。
どうやら、先ほどまでの危惧は、いらぬ心配だったようだと、俺は息をついた。
――――――――――――――――――――
その後、浮かれた様子のメアが、ひとしきり狛彦を撫でまわし、良い加減にしろと俺が止めに入り、ようやく家に入れた。
「なるほど、ひーちゃんが旦那様を助けてくれたんですね」
「……うん」
リビングにて、買ってきたからあげ弁当を食しながら談笑するメアと狛彦、始めはメアが一方的に懐いているだけなのかとも思ったが、どうやらそうでもないらしく、雑談をしているうちに狛彦も、やはり表情こそ変わらないものの、柔らかい空気を発するようになった。本当に二人は仲が良いようだ。
友達のいない俺としては、うらやましい限りだ。
俺はというと、自分の分の弁当を狛彦に取られ(異世界人は大食いなのか?)することもなく、ソファーに座って彼女たちのようすを眺めていた。
すると、そんな俺に気付いたのか、メアが水を向けてきた。
「ところで、その旦那様を襲った、アルドという男ですが、アルストレアでは、かなり有名な殺し屋ですね」
「やっぱりそうか……」
「通称“夜烏”アルド……闇にまぎれ、まるで嵐のように標的を抹殺することから、暴風とも呼ばれています」
「確かに、すげぇうるさい奴だったな、急に叫んだり、情緒が不安定な男だった」
「彼は民間人を多数殺害し、追われの身の筈です」
「そのアルドが、ゲートを使って、俺を狙いに来た……ゲートってのは、簡単に使えるものなのか?」
俺の質問に、メアは首を横に振った。
「ゲートはアルストレアでも、限られた者しか使用できません、そもそもゲートは神様のいらっしゃる、王城の地下に備え付けられたものと、古代の遺跡に、投棄されたものと二つしかないはずです……でも、ひーちゃんがこっちに来たということは……」
うつむくメアの顔に、暗い影が落ちる。それに応じるように狛彦が口を開いた。
「……現在、アルストレアの情勢は不安定……アノンの度重なる襲撃、アノン革命軍の増幅、王家は劣勢……って、神様がいっていた」
「! なら、まだ王城や神様は?」
「……無事、でもこのままじゃ危ないから、こま、ここに来るように言われた」
「アノン革命軍?」
どうにもアルストレアに知識のない俺は、話についていけていない節がある。面倒でも逐一聞いておく方が賢明だろう。
「アルストレアでは、大きく分けて二つの勢力が戦争を行っています。一つは我々の主、神様も主席を務める王族王家の勢力、アルストリウス王国軍。
もう一つが、アノンを利用しアルストレアを乗っ取ろうと企む、アノン革命軍です」
「乗っ取るって、人間がアノンの味方してるのかよ?」
「上位のアノンは、服従したものに危害を加えません、民間人のほとんどは、アノンに洗脳されたものか、恐怖に屈して無理矢理戦わされているだけです……ですが、人間以外の種族の中にはアノンに魅せられたものや、アノンを利用して、世界を征服し、のし上がろうとする輩も数多く参戦していますね、件のアルドも、おそらくアノン革命軍の幹部に、雇われたんでしょう」
なるほど、それなら狙われた意図にも合点がいく。
「つまりアノン革命軍は、アルストレアを侵攻する傍ら、アノンにこっちの世界を滅ぼさせて、ついでにいただいちまおうって考えているわけか」
「……有り体に言うと、そうなる」
俺の問いに、狛彦がゆっくり頷く。
腹の中が、静かに唸る。そんな卑怯臭いやり方で、俺たちの世界を?
「ふざけやがって……メア、これから俺たちはどうするんだ?」
不意に水を向けられたメアは、思考するしぐさを見せると、すぐに答えを出した。
「本来なら、私と旦那様はこちらの世界に現れるアノンを、駆逐するだけでよかったんですが、状況が変わってしまいました……このままでは、アルストレアが先に落とされかねない。
旦那様」
凛とした、初めて会った時のような声色で、メアが俺に向き直った。もはや弁当などには目もくれていない。
「こちらの勝手な都合ではありますが……お願いします、私と一緒にアルストレアへ渡ってください」
正座をしたまま、丁寧にお辞儀をするメア。
小さく息を吐き、しばらく考える。
目前で懇願するメアを見据え、俺は答えをだした。
「あのなぁ、今更変に気使ってんな。
こっちは婚姻までさせられてるんだ、こうなりゃ世界でもなんでも、軽く救ってやる。んで、元の日常取り戻してやんよ」
自信満々に、薄く笑みを見せると、メアの顔にいつもの明るさが戻る。
「いや-さすがは旦那様ー、不幸者だけど男前ですねー」
「一言余計だ!」
不幸者だって、やるときはやる。それを証明してやるさ!
―――――《また――の?》―――――
「! いっ……」
「旦那様? どうしました?」
唐突に、脳内に響く声と鈍痛。
……最近は納まってたってのに。
様子のおかしい俺に、小首を傾げるメアに問題ないことを告げ、頭痛が納まるのを待っていると、心配そうに(無表情ではあるが)狛彦が顔を覗いてきた。
「……ご主人、汗すごい」
「あ、あぁ……そう、だな」
「……ご主人、こまがついてるよ」
まるで子供をあやすように、俺の頭をなでる狛彦。そのシュールな光景のおかげか、頭痛は遠ざかって行った。
「あ、りがとうな、狛彦」
「あー、ひーちゃんにデレてますね? 浮気ですね旦那様?」
「う、浮気ってお前なぁ……」
その様子に、わざとらしく拗ねた振りをするメア。
「……ラストメアもすればいい」
「それもそうですねー、では可愛い旦那様に……よしよし」
「お、お前ら……人を子供扱い……はぁ」
狛彦に促され、俺の頭を撫でてくるメア、それを見て自身も再開する狛彦。ちょっぴり心地が良い感覚に、文句を言う気もなくなった俺は、そのまま頭を撫で続けられた。
メアの簡潔メモ。
ひーちゃんの好物……ピザ。
ひーちゃんの好きなもの……お昼寝。
ひーちゃんの嫌いなもの……うるさいの。
ひーちゃんの通り名……ブラッディ・キャット。竜猫。
ひーちゃんかわわですねー。