不幸者と暴風とねこと
「楽しいなぁぁぁ?? おぃぃぃぃl!! 船坂ぁぁぁぁぁはははははは!!!!」
「俺はちっっっとも楽しくねぇよ!!」
時折、薬物の禁断症状からか、僅かに体を痙攣させながらも、その筋骨隆々の体躯には、とても似つかわしくない身のこなしで、まるで暴風のように追跡してくるアルドを背にし、俺は逃走を続けていた。
逃げ始めてから、どれほど時が経っただろうか。一心不乱に逃げているのも事実だが、考えなしに逃げている訳じゃない。
あのまま戦いになれば、近隣の住民が危険に晒される、メアがいない今、結界を張れないのと同義だ。つまり、巻き戻しがきかない。
俺の不幸に、他人を巻き込むわけにはいかないんだ。
そうして見慣れた街並みを、出来るだけ人通りの少ない道を選び、逃げ惑う。
俺の肺が限界に達する頃、ようやく目的地である河川敷へと到着する。ここなら誰にも迷惑をかけない。
俺が脚を止めて振り返ると、意外にも、アルドも同じように停止した。有無も言わさず襲ってくると思ったんだがな。
「なんだぁ? おい? もう鬼ごっこはおしまいかよあぁ!?」
どうやらこいつにとって、今までの追走はお遊びに過ぎないらしい。
「あぁ、お前の相手をしてやろうと思ってな……大体、お前みたいに危ない奴、放置してたら何しでかすか……」
「うれしいいいなぁ? ようやくやり合えんのかぁ? 男同士のヤリ合いってなぁ!?」
「鳥肌の立つこと言ってんなよっ! いくぞ! 覚醒!!」
俺は闇に染まった空に向かい、腕をかざし、叫ぶ! 普段の俺なら弱いままだが、今の俺はメアとの契約で、超人的な力を得ているのだ。
それを使えば、目の前の怪物とも対等に――
「」
「」
「」
「おいおいおいおい? なんだそりゃ?」
アルドが苛立ったように声を荒げる。
おかしい、なぜ覚醒しない!? え!? なんで!?
「がっかりだぜ、お前には期待してたのによぉぉぉ!!?」
「っぶねぇ!?」
混乱している俺に向かい、素早くナイフで切りかかるアルド。ナイフにしては巨大な刃を、間一髪でかわすと、踵で地面を決飛ばし、相手との距離を取る。
どうやら、公園の時のような、完全なる不意打ちでなければ、避けることは可能のようだな。
「は、へへへへ、さぁ、俺を殺してみろよ!! 不幸者の船坂くんよぉ!!」
「くっ、ざっけんな!」
アルドが右手のバタフライナイフを、器用に指で回しながら接近してくる、覚醒できない俺は、とにかく防戦一方で反撃に出れない!
消耗が激しい、このままじゃやられちまう!
「オラオラオラぁぁぁl!」
「っしま!?」
アルドの斬撃をいなしきれなかった俺は、足元の草弦に躓くと、尻餅をついてしまった。
「ダスビダーニャァあはははは!!」
にたりとほくそ笑む相手に、背筋が凍る。
やられる、その事実に、とっさに目を瞑ってしまう――
「な、んだ!」
「」
「!?」
唐突に、辺りに響き渡る金属音。
薄く目を開けると、そこには、先ほどコンビニで出会った少女が、身の丈よりも長い刀で、アルドのナイフを受け止めていた。
あまりに突然のことで、呆気にとられて言葉が出ない。
アルドのナイフを、少女は悠然と受け止めたまま振り返り、俺に語りかける。
「……お礼」
「え?」
「……お弁当」
どうやら、先ほどのピザフライ弁当のお礼に、助けてくれた、ということらしい。
うん、ますます俺の混乱は激しさを増した!! この子何者!?
「おいおいおいおいおいおいおい!! 俺と船坂の邪魔すんじゃねぇよ!!」
苛立ちの募った声色で、アルドが少女を威嚇する。しかし少女は物ともせず、綺麗な無表情を崩さずに、アルドのナイフを弾いた。
その反動で、アルドが後退する。
おいおい、あの怪力を押し返すのかよ……。
「てめぇ……ただの人間じゃねぇな、獣人族……いやいやいや、竜族か?」
「……」
アルドの問いかけに、少女は答えず、黒いフードを深く被りなおす。
その様子に、アルドは嬉々として表情を変える。
「こいつぁ最高だぁ!! 船坂に竜族まで釣れるなんてなぁ!! アルストレアでもめったにあえねぇ上物だぜははは!!」
「俺をそういった強者のカテゴリにいれるなよ!!」
こんな状態でも、ツッコミを忘れない自分に拍手を送りたい。
「さぁ、どっちだ!? どっちからくるんだ!! 両方でもいいぜぇ!!?」
「……嫌」
いきり立つアルドに、冷たく明確な拒否を示すと、少女は踵を返して、歩き出す。
……しばし、沈黙が流れる。
……。
「よっし、来いよ船坂ぁ!!」
「待て待て待て待て待てぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
まるで、少女の存在をなき者にしたように、仕切りなおすアルドに待ったをかける!
俺は急いで少女の後を追うと、その袖をつかんだ。
「?」
「えっとあの!? 助けてくれるんじゃないのかな!?」
「……お礼はもう済んだ」
「ええぇぇぇ!? あれで終わり!? いや確かに助けてもらったけど!! どうせなら最後まで助けてよ!」
「……?」
なんで? と言わんばかりに首をかしげる少女に、頬がひくつく。
「おい! いつまで待てばいいんだ船坂ぁ!!」
「! あ、あぁもう少しだ!!」
律儀に俺を待つアルドが、地団太を踏んでいる、まずい、早くしないと、いつ暴れだすか!
「頼む! 今の俺じゃ、あいつにやられる! 助けてくれ!」
「……依頼?」
「え? あ、あぁそうだ! 頼んでるんだ!」
「……雇用?」
「あぁ!! そうだっ……て、え?」
「……わかった」
別の方向へ首をかしげる少女に、急いで首肯する。が、雇用の一言に俺も首をかしげた。雇用って?
そんな俺をよそに、なぜか納得したようすで、少女は再びアルドに向かって歩き出す。その歩みに一切の躊躇いはない。
「お? なんだやっぱりてめぇが相手か!! あぁ!?」
「……」
やはり、アルドの問いには答えず、腰の長鞘から精練された刀を抜く少女。
その後ろ姿には、どこか美しさすら感じ入る。
「風壁」
少女がなにやらつぶやくと、その小さな体の周りに、突風のようなものが発生する。
その風圧はすさまじく、俺では目を開けるのがやっとだ。アルドも例外ではないらしく、身動きが取れないように、顔を歪めている。
「その力っ……てめぇ、伝説の!!」
「……うるさい」
ようやく、少女が問いかけに答えた。
それに満足したのか、アルドは喉の奥をくつくつと鳴らし、風圧に任せるように、高く跳躍する!
「はははっ! 面白くなってきたぜ!! 今日は薬切れだ! またな船坂!! ブラッディキャット!!」
そのままアルドは、高笑いを残したまま、空間の闇に消え去った。
相手の消失に、少女も風の壁を吹き止ませる。レベルの違う戦いに、俺はただ見入っていた。
あの規格外のアルドを、軽くあしらう、この少女はいったい何者なんだ?
そんな疑問に、頭を悩ませていると、少女が俺に向かって近づいてくる。
「あ、た、助けてくれてありがとうな?」
「……」
「えっと……やっぱり異世界人だったんだな、コンビニの時からそんな気はしていたが」
「……」
「……あの、その」
俺の言葉に、一切反応がない少女。もとより物静かな子だとは思っていたものの、ここまでとは。
黙したまま、可愛らしい紅眼で見つめてくる少女。
俺が次の話題に困っていると、ついに少女が口をひらいた。
「……次のおしごとは?」
「へ?」
「……雇われた」
少女の言葉に、俺はようやく意図を理解する。あの時の雇用とは、読んで字のごとく。俺が彼女の雇い主になってしまったということだろう。
傭兵のような仕事をしているんだろうか。
俺は彼女の目線に合わせて、身をかがませると、返答をする。
「あっと、実はもう仕事はないんだ、さっきの奴が急に襲ってきてさ」
「……」
「だから、もう大丈夫なんだ……えーと、お金を払えばいいのか? それとも報酬みたいな?」
「……」
俺の問いかけに、少女は答えず、自身の上着のポケットから一枚の紙を取り出し、感情のこもらない説明口調で語りだした。
「……雇用内容1『雇用の際、契約期間は雇い主の生涯とすべし』」
「……ん?」
「……雇用内容2『雇い主の死亡、失踪、行方不明時には、雇用内容をすべて破棄し、契約も切れるものとする』」
「え、あの」
「……雇用内容3『契約金、報酬等は一切受理しないものとする』」
「ちょ」
「……雇用内容4『契約期限の過ぎた時、雇い主の「もっとも大事なもの」を報酬として受理するものなり』」
「」
「……雇用内容終『以上の内容を守り、用法用量を守って正しく扱いください』」
「……」
「……おわり」
俺の待ったを聞き流し、少女は言い終えると、ふぅと息をついた。
「え? ええええええええええええええええ!?」
「……なに?」
「え? なんて!? 俺の生涯!??」
「……うん
かえろ」
「いやいや! まてまて!! 聞きたいことが多すぎる!!」
「……はい」
「え?」
不意に、少女が右手を差し出す。
と同時に、左手で頭のフードを後ろへ取った。
俺はつい見とれてしまう。
月夜に浮かぶ、純碧の双角に。
その角は小指ほどの長さでしかないものの、紛れもなく少女の頭から生えており、その根元からはまるで猫のような獣耳も生えている。
俺が口を開いたまま、間抜け面を晒していると、少女はその獣耳をぴこぴこ動かすと、首を傾げた。
「……狛彦」
「え?」
「……こまの名前」
「あ、あぁ、狛彦ちゃんっていうのか?」
「……ご主人の名前は?」
「俺? 俺は船坂だけど……」
「……りょうかい、かえろ。
ご主人」
「え! ちょっまてぇっ、おわぁ!!?」
狛彦と名乗った少女は、妙に納得したような顔で、俺の腕をつかみ、走り出した。
狛彦の身長は145㎝です。