姫様の優雅な幽閉生活
「表向き、私はどうなっているの?」
フレアの問いに答えたのは、フレアが見つけた抜け道から城内に入り込んだオルタンスの密偵達だった。
「姫様は体調が優れず、公の場に出られない――ということになっております」
「体調が悪い? 私が? あらあら、私、どこか悪くしているのかしら?」
フレアは密偵達が運び込んだ長椅子で優雅に茶を飲んだ。
「王太子が愛妾を連れて行くのに邪魔であるとの考えのようで。公の場であれば、正妃であらせられる姫様を立て、愛妾より優先させなければなりません」
「小さい男」
フレアは王太子を鼻で笑った。
そもそも表向きフレアを立てておけば、なにもかもうまくいったのだ。フレアは愛妾がいようとまったくかまわない。
王族の婚姻とは、国と国を結びつけるものだ。フレアを優遇しておいて子を産ませれば、次の王太子はハタカとオルタンス両国の血を継ぐものとなる。それが王となるなら、オルタンスはハタカを身内とみなし、様々な面で優遇しただろう。
現在の王はそれを見込んでフレアを求めたのだ。だが、王太子は個人の感情でそれを踏み躙った。
ハタカは自らオルタンスの姫を求めておきながら、殺しかけた――自分のほうから友好を求めておきながら、破棄したのと同じだ。
これを放っておいてはオルタンスの面目に関わる。
「王宮で働いているものですが――王太子より『あの女に関わるな』と命じられたようでございます」
「あら、それで誰もここに来ないのね」
フレアはこの離宮に閉じ込められた翌日抜け道を見つけた。城や屋敷には抜け道や隠し通路がつきものだ。どこの棟にいても逃げられるように、複数の脱出路を作っておくのが普通である。
この離宮の抜け道は一階の奥の暖炉の奥にあった。虚ろな音がしたので調べてみたら隠し通路へ続く出入り口があったのだ。抜け道は城外の人気のない林の中の涸れ井戸に見せかけてあった。
そこから城下町の密偵宿に駆け込み、母国への報告と当座の食料を確保した。そこから抜け道をたどって離宮に戻り、その通路を利用して城内に密偵達を引き込んだのだ。
その代わり密偵達は生活に必要なものを運び込んでくれていた。
しかし、その間離宮にはまったく人が来なかった。囲われた離宮には水場がなく、もちろん食事も届けられたことがない。
人は食べなくても水があれば十日は生きられるが、水がなければ三日もつかどうかだ。
「ライーサがいなければ死んでいるところだわ。なにを考えているの、あの馬鹿は?」
すでにフレアと密偵達の中で王太子レンシェンは『馬鹿』で通じる。
「使用人は王族の命にそむけません。餓死するかも知れないと思いつつも、あえて無視しているようです」
「それは仕方ないわ。王族の命に背けば――自分だけでなく一族郎党処刑されてもおかしくないもの。あの馬鹿はそこのところをどう思っているの? オルタンスに喧嘩を売っているという自覚はあるわけ?」
「ございません。餓死するという可能性にも思い当たらぬようで」
「馬鹿なのね」
「さようにございます」
密偵にも他国の王族に対する遠慮はない。自国の姫にこのような待遇を押し付けた者に遠慮する必要があるだろうか。
いや、ない。
軽蔑して当然の男である。
「見張りの兵は?」
「自分の当番以外のときに、誰かが食事を運んでいるのだろうと思っているようで」
「つまり、引継ぎがいいかげんなわけね。無能だわ」
フレアは王太子の兵にも見切りをつけた。
「もっとも、そのおかげでこうして暮らせるわけだけど」
「姫様なればこそです」
密偵達は隠し通路から物資を運び込んだり、別の隠し通路から他の宮に入り込み、情報と物資を持ち帰ったりしていた。
寝台や長椅子、数々の調度類や食料、水、飲み物。フレアの身の回りのことはライーサを初めとした女性の密偵が整えてくれていた。
しかし、並みの姫君ならこんな生活は耐えられない。そもそも閉じ込められた時点で立ち往生するだろう。
「あなた達のおかげよ。感謝しているわ」
「もったいなきお言葉」
ハタカに潜入しているオルタンスの密偵のまとめ役である男はフレアに深々と頭を下げた。
そうこうする内に、王太子に動きがあった。
「王太子の使いが来るですって?」
「はい。王より再三の打診があったにも関わらず、いっこうに姫様を公の場に出さぬので、お叱りを受けたとかで、今宵の舞踏会に姫様を伴わなければならなくなりました」
さすがに新婚なのに公の場に愛妾を連れてくるのはおかしいと王に叱られたのだ。
王太子は妃の不在を体調不良のためと言い繕っていたが、そう何度も通用するものではない。
仕方なくフレアを夜会に連れて行かなければならなくなった。
「まずいわね、この中を見られたら……」
フレアは焦りを覚えた。
離宮の中は最初の殺風景が嘘のように整えられていた。
「中に入るかどうかわかりませんが、いざというときは……」
「逃げるしかないわね。ここも破棄するしかないわ。その用意もしておいて」
「御意」
王は王太子の所業を知らないのだ。
オンエン王としては、自ら選んだ姫を気にするのは当然のことと言えた。
「まったく、オンエン王は立派な方だというのに、息子の教育だけは間違えたのね」
幸いフレアの心配は杞憂に終わった。
王太子からの使いは塀の向こうから呼び鈴を鳴らし、ライーサが顔を出したところでフレアの舞踏会の出席を命じて、迎えに来る時間だけを伝えた。そのときまでに用意しておくようにと。
そのまま帰っていった。
それを聞いたフレアは眉をひそめた。
「出席する用意をしろと? 何も持たせず閉じ込めておいて? この国の王太子は馬鹿なの? 命じればできると思っているの?」
これには王宮内部を調べている密偵が報告した。
「姫様の衣装や装飾品を用意しているようすはありません。また、姫様の嫁入り道具が消えていることも発覚しておらず――今までは王太子が命じれば周りの者が準備をしておりましたが、姫様の場合は『関わるな』という命令が優先されております――伝達の不徹底が原因かと」
「馬鹿ね。わかっていたけど、ほんっとうに馬鹿ね」
「さようにございます」
フレアは鼻を鳴らすと立ち上がった。
「ライーサ仕度を。恥をかくわけには行かないもの」
「はい、姫様」
むろん密偵達が取り戻したものの中には衣装も装飾品もある。いくらでも装えるのだ。
舞踏会にフレアが参加するということは、フレアの口からいつ冷遇の事実が伝えられてもおかしくない。王太子はそう考えたのだろう。
フレアを迎えに来た一行はライーサを拘束した。
久しぶりに見る夫は開口一番言い放った。
「余計なことは言うな」
ライーサは人質なのだろう。
冷遇のことは隠しておきたいらしい。
「ライーサをどうするつもりですの?」
「お前が大人しくしているのなら返してやるが、そうでなければ――」
フレアは表情を硬くしたが、内心では夫をせせら笑っていた。
ライーサは腕利きの密偵である。その気になれば脱出することもたやすいだろう。王宮内にもぐりこんでいるオルタンスの密偵も多い。
「あの子は……私の唯一の侍女ですわ。返してくれなければ困ります」
「お前の心がけ次第だ」
横柄に言い放つと、王太子は不機嫌そうにフレアを伴って会場に向かって歩き出した。
王太子は弱っていないフレアを見ても不審に思わないようだった。おそらく、誰かが言いつけを破って世話をしているのだと思っていたのだろう。言葉の端々にそんな感じが見て取れた――このお坊ちゃんは王族の言葉の重みを知らないようだ。「あの女に関わるな」と王太子が言えば、その言いつけを守る。その結果フレアが死ぬことになっても、使用人は主の言いつけを破れないのだ。
短慮な粗忽者――フレアの、夫レンシェンへの評価は下がる一方だった。
姫様および密偵達は、王太子とその使用人すべてを馬鹿と判断しています。
反論できんね。