苛烈なる姫は高らかに笑う
話は一年前。フレアの結婚した日の夜にさかのぼる。
ハタカに来てから王太子が身分の低い愛妾にのぼせていることをフレアは知った。国から連れてきた侍女が噂話として拾ってきて、事実であると確認してからフレアに懸念材料として伝えてきたのだ。
どうりで誓いの言葉もおざなりで、態度がそっけないはずだ。
しかし、それはどうでもいいことだ。誰をどう愛そうが、やるべきことを怠らなければとりあえず世の中はうまくいく。
王族の義務は国を治め、子孫を残すことだ。他所で愛妾を可愛がり子供を作ろうと、王位継承権は正妻との子供が優先される。
王族で一人の愛妾も寵童もいないとあれば、逆に不能ではないかと疑われる。だから王太子のそれも許容範囲内だった。
――こんなことをされなければ――
式の後、王太子はフレアの前に姿を現さなかった。代わりに部屋には武装した兵士が押し入ってきた。
「なんという無体なことを! 王太子殿下はどうなされたのですか? これは陛下も承知のことなのですか!?」
フレアの代わりにオルタンスから連れてきた侍女が叫び、フレアをかばうように兵士達の前に立ちはだかった。
身分が高いらしい男が前に出て、フレアに向かっていった。
「王太子妃殿下、申し訳ございませんが、部屋を移っていただきます。これは王太子殿下のご命令でありますれば」
フレアに用意されていたのは代々の王太子妃のための部屋である。それを追い出されるという意味は明白だった。
「つまり、殿下は私を正妃として認めるつもりがない、ということかしら? 妻として遇するつもりもなければ、通う気もないと。あれだけの諸侯の前で誓っておきながら? オルタンスの面子を踏み躙ると?」
フレアの指摘に男は怯んだようだった。
王太子の結婚には国内の諸侯はもちろん、周辺諸国から貴賓も来ていたのだ。ここでフレアを追い出しても、なかったことにはならない。
ことはオルタンスへの宣戦布告に等しいのだ。
「で、殿下のご命令でありますれば」
「それがどんな結果になるか、分かっていっているの? ――ここにいない人のことを言っても始まらないわね。あなたは命じられただけ――けれど、ことの重要性に思い至っていれば陛下に報告したでしょうに」
(凡愚が)
フレアは目の前の男も夫もまとめて心の中で罵った。
「私はどこへ行けばいいのかしら?」
「姫様!」
侍女がわっと泣き崩れた。
「まさか、身一つで移れとは言わないわよね」
男は目をそらした。
「抱えられるだけの手荷物でしたら……殿下は特になにも言われませんでしたので」
「ライーサ。荷物をまとめてちょうだい。ああ、そういえば、この子はどうなるの? オルタンスから連れてきた子よ。まさか、送り返すつもりではないでしょうね?」
「それも、特に何も言われませんでした」
「王太子殿下はなんと?」
「ここから離宮に移られるようにと……」
「陛下はこのことをご存知? 私の祖国にこのことが知られてもいいと?」
「それは――」
兵士は言葉を濁したが――おそらく国王は知らない。祖国に知られたときの対応も考えてはいないのだろう。たぶん、望まぬ婚姻への苛立ちに、フレアを遠ざけた。
そういう事なのだろう。
「この子はこの国に何も繋がりがないわ。私が居なくなって、この子一人が取り残されたら、どうなるのかしら?」
「それは――」
王太子妃づきの侍女である。王太子妃がいなくなれば居場所がなくなる。
「この王宮のどこかで使うの? それとも――放逐するのならこの子はオルタンスへ帰ると思うのだけど、そのときは――」
王太子の所業がオルタンスに知れる。
兵士が慌ててどこかへ人をやった。
おそらくは王太子の判断を仰いだのだろう。
侍女は泣きながら荷物をまとめていた。
しばらくあって、伝令に走った者が帰ってきて兵士の耳元で何かを囁く。
「王太子妃殿下、来ていただきます。そちらの侍女も一緒に」
「わかったわ」
フレアは武装した兵に脅され、王太子の管理する宮の一番端の離宮に押し込められた。離宮は真新しい塀に囲われていた――おそらく周りと隔離するため突貫で作り上げた塀だろう。
フレアと国から連れて来た侍女一人を離宮に押し込め、立ち去った。ここから出てはならないと言い残して。
二人は離宮の中を確認するため歩き回った。
離宮の中はもちろん無人だった。
フレアが持って来た嫁入り道具を運び込んだ様子もない。
調度品の類もなく、人が暮らしていくということに配慮がされていない。どこもかしこも見事に空っぽだった。
寝台やテーブルすらない。カーテンがかろうじてある程度だ。
「これは……飢え死ににしろということかしら?」
兵がいる間、荷物を抱えてめそめそと泣いて怯えていた侍女は、兵がいなくなったとたん、ぴたりと泣き止んだ。
「姫様、いかがなさいましょう?」
その姿には恐れも何もないが――こちらの方が地だ。今までのは兵士を欺くための芝居。
ふっとフレアは唇を歪めた。
「これがハタカのオルタンスに対する態度なのね」
ふふふふっと笑っていたフレアはベールを剥ぎ取り、高笑いを始めた。
「ハタカはオルタンスと戦争がしたいのね! いいわよう、受けてたつわ!」
このときフレアは未亡人になることを決意した。
いくら白い結婚とはいえ、王族の婚姻である。派手に諸外国に知れ渡った。なかったことにならない。
ならば、王太子の首を取り、未亡人となってから再婚する。
あの王太子の首、絶対取る。
「姫様、御召し替えを」
抱えた荷物の中からフレアの好む男装用の衣装を侍女が差し出した。
「気が利くわね」
フレアはドレスを脱ぎ捨てて男物の衣装を纏った。
「この様なものしかございませんが」
侍女が携帯用食料と竹筒の水を差し出した。
「ここは敵地だもの。贅沢は言わないわ」
王太子妃と侍女は粗末な食事を摂った。
「ハタカにオルタンスの密偵宿はある?」
侍女が頷いた。
「ございます。すぐに連絡を取りましょう」
「あなたの特技が役に立つわね――こんなことのためにあなたを選んだわけじゃないけど」
「滅相もない」
侍女――ライーサは密偵、いわゆる影だ。
フレアの英雄好きは表だけに止まらない。密偵や細作の中でも腕利きの人間が大好きで、その中の一人をわざわざ侍女としてハタカに連れて来ていた。
いざというときの護衛、もしくは本国への連絡手段を確保するため――という口実だったが、実はフレアの趣味である。まさか本当に活用することになるとは。
「ここ、周りを囲う塀が新しいわ。それなのに建物が新しくない――私達を閉じ込めるために離宮を急遽囲ったということよ。本来人を閉じ込めておくための建物でないならば、王侯貴族の常として、抜け道があるはずなのよ。明日探してみましょう」
「はい。ですが姫様、あの程度の警備ならどこからでも抜け出せます」
「まあ、頼もしいわ」
「抜け道が見つからずとも、姫様に必要なものはすぐに用意いたします。姫様がもってこられた品々も取り返しましょう」
「頼りにしているわよ、ライーサ」
運び込まれたはずの品物を見つけ出すと侍女は言っているのだ。
「準備が整いましたら、すぐにオルタンスへ帰りましょう」
「まあ、それは駄目よ。ライーサ。それではハタカには苦戦するわ」
逃げ帰ることなどいつでもできたが、それでは人妻という立場はなかったことにはならない。こちらを悪役にして、身柄の返還を求めることもできるのだ。
「ではいかがいたしましょう? 姫様をこのようなところにおいておくなど、私には」
「一年。少なくとも一年の準備期間が要るわ。オルタンスに有利な状況を整えなければ、戦はするべきじゃないわ。国内の戦力を整え――伝を総動員して与力してくれるところを増やすべきね。やるのなら、叩き潰すところまでやらないと駄目よ。そのためなら、耐えて見せるわ」
「姫様、なんと逞しい」
「ライーサ、なんとか一年暮らせるだけの物資を手に入れて。ここは広さだけはあるもの。密偵の根城として使えるでしょう」
「はい。姫様」
「見てらっしゃい、馬鹿王太子。地獄で後悔させてあげるわ! あの馬鹿の首、絶対とってやるわ!」
準備万端に整えて叩き潰す。
あの王太子に制裁を。このような扱いを許すハタカに報復を。
翌日、本当に忘れ去られていた抜け道が発見され、二人は自由に外に出られるようになった。
そして苛烈姫の暗躍が始まったのである。
城外の密偵達はとりあえず生活できるだけの物資を提供してくれた。オルタンスからの密偵は様々な物資を運び込み、フレアの暮らしはかなり楽になった。
離宮を宿として密偵はハタカの内部事情を調べたが、一番役に立ったのは離宮が王宮内ということである。離宮から王宮内部に忍び込み、ハタカ側の密偵に見つからず様々なことを密偵達は調べられた。
姫様、強い……