苛烈なる姫の嫁入り事情
白馬は一気に駆け抜けて、約束の場所にたどり着いた。
「フレア」
「お兄様」
護衛をつれた、懐かしい兄の姿を認め、フレアは白馬をとめた。ひらりとよどみなく降りる。
「よく無事で」
「この子がよく走ってくれましたもの」
フレアは白馬をねぎらった。よしよしと白馬を撫でるフレアの目は優しい。
ジェイクスは無茶な計画をやり遂げてしまった妹に溜息をついた。
(なぜ、女に生まれたんだ、妹よ)
逞しすぎる。この忍耐力と行動力。男に生まれていれば自身が英雄となれただろう。
そもそもフレアの婚姻はハタカとの関係強化という目的もあったが――もうひとつには新たな婚姻というめでたい出来事で国民の目をそらすという目的も確かにあった。
数年前、ジェイクスはカガノの祝宴に招かれたとき、その国の姫オルシェッタを見初めた。帰国してすぐ両親の承諾を取り、彼の姫君への縁談を申し込み承諾された。
しかし、彼の姫君はその国の若き英雄と謳われていたケイシ・エタルの婚約者であり、婚姻間近だったそれを解消しての縁組だったのだ。
すでに婚約者がいると断ってくれればジェイクスも諦めただろうが、カガノの国王はケイシより他国の王太子をとったのだ。
ジェイクスは知らなかったが、横槍をいれて花嫁を奪ったといわれても仕方ない。
ジェイクスが強行した婚姻が、他国の英雄の花嫁を奪うものであったことはすぐに知れ渡り、ジェイクスも花嫁であるオルシェッタも歓迎されず、国民の目は冷たいものであった。
「困ったことになったのう」
父王の言葉にジェイクスは顔をしかめることしかできなかった。
結婚してから数ヶ月――カガノから嫁いだオルシェッタに対するオルタンス国民の目は冷たく、貴族の中には以前の婚約者であるケイシの子が腹にいるのではないかという話を面白おかしく影でしていた。
月の穢れが来てそれは否定されたが、未だにオルシェッタに対する態度は否定的だ。
それはジェイクスへの評価にも繋がっており、次代の王への忠誠心は揺らぎつつある。
「あら、私、事前に忠告してあげたはずですけど、なんの手も打たなかったのですか? お兄様」
いち早くその事情を把握していたフレアが発言した。
フレアは英雄が好きでその動向を常に注目していた。ジェイクスの結婚にもオルシェッタがオルタンスについたその日に忠告している。半月後に結婚予定だった婚約者を奪う形になったのだと。
その場では嫌がらせとしか思えなかった。ジェイクスもオルシェッタを慰め、ただの中傷だと気にしないようにした。しかし、フレアの言ったとおり噂はすぐにオルタンスにも届いて――その後は針の筵だ。フレアの忠告を聞いてすぐになんらかの手を打っていれば、ここまで酷いことにはならなかっただろう。
「私が掴んだ情報では、彼のケイシ・エタル殿はすでにカガノを出ておりますわ。家督を三つ上の叔父に譲り、何処かへ旅立ったと。まったく、カガノの王はなにを考えているのやら。どうあっても手許にとどめておくべきでしょうに」
フレアは首を振った。
王級“加護持ち”は最強の切り札だ。切り札は手許になければ相手の手札になりかねない。カガノの王はなんらかの手を打って、ケイシ・エタルを国内にとどめておくべきだったのだ。それこそ他の姫を使うとか、王族ならば誰でもいい、とにかく手放すべきではなかった。
「おかげでカガノにおけるお兄様に対する評価は地を這っていますわ。国を護る頼もしい英雄を失うきっかけになったのですもの」
元々カガノの王族に対する忠誠はあまり強いものではない。より強い後ろ盾を求めてオルタンスとの縁組に飛びついたのだろう。
しかし、それは失策だったとしか言いようがない。オルタンス国内の王太子への軽視、カガノ国内でのオルタンスへの敵愾心と王族への不審。
失うものばかりだ。
だがジェイクスには打つ手がない。
「フレア」
「なんでしょう、お父様」
王がフレアを指名した。
「ハタカより婚姻を望む話がきておる。行ってくれるか?」
「父上! それは、それではあまりにも」
それはオルシェッタとの婚姻から目をそらすための婚姻。慶事を作って皇太子のそれから国民の目をそらそうというのだ。
「承知いたしましたわ。お父様」
「フレア!」
妹はあっさりと政略結婚を承諾した。
「なにを驚いていますの、お兄様。私はオルタンスの姫、王族ですのよ。国のためならば、どこの誰の許にでも嫁ぎますわ」
ジェイクスは愕然とした。
「王族の姫の役割は、国にとって有益なものの許へ嫁ぎ、絆を結ぶことですわ。それが国内のものであれ、他国のものであれ、することは変わりありません。誰かの許に嫁ぎ子を成す。私はそのために国民に養われていたのですわ。王族としての義務を果たすのに、なんの躊躇いもありませんわ」
フレアの態度は毅然としたものだった。
「よく言ってくれた、フレア。彼の国と険悪になるわけにはいかぬのだ、頼むぞ」
「お任せを。お父様」
ハタカはオルタンスと比べても遜色ない大国だ。そこから縁談を申し込まれれば、確たる理由がなければ断りづらい。
妹を犠牲にしてしまうのか、とジェイクスは内心落ち込んだ。
「ハタカといえば、オルタンスと比べても遜色ない大国。その戦力は馬鹿にできませんわ。特に、名将と謳われるハルフ将軍がいますのよ。トリア戦において圧倒的に不利な状況をひっくり返した方ですわ。加護持ちでないにもかかわらず、王級加護持ちに率いられた軍を退けたほどの戦上手」
「フレア?」
「そうそう、まだ若いのですが、ボルグ将軍という人が加護持ちだという噂がありますわね。敵に回したくありませんわ」
(英雄が目的か! 妹よ!)
敵に回したくない、と口にする妹の顔は期待に輝いていた。
それが幸福な婚姻であれば何事もなかったのだろうが――ハタカにある密偵宿にフレアから便りが届いた。それはフレアから救援を求めるものであり、ハタカの冷遇を知らせるものだった。
離宮に押し込められたフレアは、王侯貴族の屋敷に抜け道はつきもの――という考えに従って離宮を調べ上げ、見事に抜け道を発見した。
そこから城外に脱出。城下のオルタンスの密偵宿に駆け込んだ。食料をある程度確保し、助けを求める便りを出したのだ。
これだけでも逞しいが、妹はさらに突き抜けていた。
フレアへの冷遇を知った父王はすぐさまフレアを取り戻そうといきり立ったのだが、便りの続きを読んで思いとどまった。
どうせハタカとの戦争が避けられないものなのであれば、確実な勝利を掴むべくハタカを調べ上げてしまおうというのだ。そのための密偵宿に自分の押し込められた離宮を提供するとまで言ってきたのだ。
逞しすぎる。
オルタンスは食料や身の回りの生活必需品を密偵に持たせ、フレアの元に送り届けた。呆れたことに、本当にフレアの知らせた抜け道を使えば、城の奥深くにあっさりと入り込めたのだ。
フレアは派遣された密偵を使いこなし、着々と情報を集めた。もちろん、これはハタカ側が冷遇をやめる――もしくは少しでもフレアを気にかければ露見することだったが、一年――本当に一年ことは露見しなかった。
ハタカが節穴すぎるのか、フレアが巧妙なのか、判断は避けたいところだ。
そして計画通りフレアはまんまと逃げ帰ってきた。
……もはやなにも言うまい。
自分のせいで苦汁を舐めることになった妹のためにも勝つしかないのだ。
「砦に行こう。お前の侍女も先についている」
最後の砦への訪問にあわせて離宮は破棄された。侍女とともに密偵は脱出し、別ルートですでにオルタンスに逃げ込んでいる。
ハタカに近い砦で落ち合うことになっているのだ。
フレアの乗ってきた馬は疲労しているのでここで馬を替えることにした。
ここからはゆっくりしてもかまわないだろう。
フレアが兄におねだりした。
「お兄様、私早く再婚したいので、とっとと王太子の首を取ってくださいましね」
フレアは朗らかに笑った。
ジェイクスは愕然とした。
(妹よ、この一年でなにがあった?)
それは元々恋愛話をするより英雄譚や兵法書を読み解くのが好きで、刺繍や楽曲より武術の教えを乞い、美しい宝石より馬や武具を喜び、絹のドレスより特別誂えの軍服を好む妹であったが――あれ? 変わってない?
そんな馬鹿な。
確かに前はもう少ししおらしいというか、娘らしいところがどこかに――確かにあったはずだ。
少なくとも表面は姫らしく装う程度のことは怠りなかった。
ジェイクスは必死に結婚前と後の差異を思い出そうとしたが、それは中々うまくいかなかった。
姫様にも楽しみがあってもいいじゃないか。