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蝶を飼う  作者: 鮎川 了
第一章 黒い蝶
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魂の記憶





 夜羽が温室を出て行った後暫く硝子の夜空に浮かぶ満月を見ていた。

 ……人間じゃない……

 そりゃ、そうだろう。平気で人を殺せるんだ。人間である筈が無い。

 俺は?

 俺だって、金の為に人を殺した。

 一千万は大金だ。

 だが、人の命と比べたら、安過ぎる値段だ。

 あの、“鈴木依子”と言う女が、希代の悪人なら俺は、俺の罪を正当化出来るのだろうか?

 月が雲に隠れた。

 夜の温室は、不気味な静けさを漂わせる。

 ふと、夜羽の言った言葉が頭の中でリフレインする。

 ……蝶を食べればいいのよ……

 極楽鳥花にとまり、はねを休める蝶を一匹そっと捕まえた。

 蝶は黒い翅をばたつかせ、俺の指から逃げようとする。

 馬鹿げてる。

 あの狂った女の言う事を真に受けるのか?

 蝶を食ってどうなると言うんだ?

 でも、もし、夜羽の言う事が本当なら……

 蝶は不味まずそうだ。

 それ以前に気持ちが悪い。

 そう思っているのに俺は、蝶を口の中に押し込めた。

 口の中で蝶が暴れる……!

 鱗粉を撒き散らしながら狭い口内で翅をばたつかせ、細い六本のあしが口蓋垂にしがみつく。

 もはや味どころの騒ぎではない。

 とてもこれを、咀嚼したり飲み込んだりする気になれない。

 吐き出せば済むのだろうが、己れの口内でしわくちゃになり、唾液にまみれた蝶など見たくない。

 一気にそのまま飲み込もうとするが、引っ掛かって上手く飲み込めない。

 歯を閉じると、乾燥した物を噛んだ様な気味の悪い音がした。

 そのまま何も考えずに咀嚼し、飲み込んだ。

 堪らず、吐き気がこみ上げたが、あの、“鈴木依子”を殺した時よりは、遥かに軽い吐き気だった。


 温室の隅にある水道で口をゆすいでいると、妙な感覚に襲われた。

 目の前に、いや、実際には見えているのではない。

 これは脳中で繰り広げられる光景。



――――――――――



 よくある話だ。

 妻子の有る男と不倫。

 非常識だし世間体は悪いがこれだけで“悪人”のレッテルを貼られたんでは世の中悪人だらけだ。

 しかも結局、男は彼女より家庭を選んだ。

 当たり前と云えば当たり前の話。そこで終われば。 


 男の自宅に電話を掛ける鈴木依子。

 受話器の向こうの男の妻に今までの事を洗いざらいぶちまける。

 それを毎日。

 男の子供が通っている小学校にビラをまく。

 ご丁寧に自分と男の不倫現場、男の子供の顔写真と学年、名前まで印刷して。

 それが元で子供は酷い苛めに遭い、学校の屋上から飛び降りて自殺。

 妻に至っては毎日の電話ですっかり神経が弱っていたので、直ぐに後を追った。

 そして男も……


 鈴木依子にしてみれば、男まで自殺するとは全くの誤算だったらしい。 家族じゃまものが居なくなれば男は自分の元へ帰って来ると信じていた。 

  

 間接的にだが三人の人間を死に追いやった。

 しかし彼女の良心は全く痛む事は無い。

 


――――――――――


 何だこれは?

 まるで映画のようにその光景は頭の中に直接入り込んで来た。感情さえも感じる。否、見える。

 あの蝶の体の成分は、幻覚作用をもたらすのか?

 それともこれは幼虫が食った人間の記憶?

 そんな事って……

 

 我に返ると、出しっぱなしの水で体がずぶ濡れになっていた。

 蛇口を締めてもなお、今見た光景に思いを巡らせ、混乱した。

 しかし、これだけは確信出来た。


 俺は、たぶん関わってはいけない“モノ”に関わってしまったのだ。


 夜空を仰ぎ見ると、すっかり雲は消えて、明る過ぎる満月に俺は照らされていた。






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