美味なる色
◇
名前も解らない、樹の枝を剪定する。
かなり太いので剪定鋏で切れるのか?と思ったが、思ったより柔らかく、鋏の刃が入る感触が小気味良い。
切り口からはドロリとした樹液がほとばしり、地面へと糸を引いた。
ふと、人間を切ったらこんな感じなんだろうか?
と、思ったりした。
“鈴木依子”の死体は無かった。
骨も、髪の毛の一本も見つからない。
幼虫達が昨夜のうちに食べ尽くしてしまったのだろうか?
それともあれは、やっぱり夢だったのだろうか?
あの悪食の幼虫達はどこを探しても見当たらない。
その代わり、蝶は増えた。
背後で、温室の扉が開く音がした。
「昨夜はお疲れ様」
夜羽だ。
旅行とやらから帰ってきたらしい。
手には何故か、赤い金魚の入った金魚鉢。
池に放すのだろうか?
「これ?アロワナの餌よ」
そう言いながら、鉢から手で金魚を掬うと、アロワナの池に放した。
広い池に放されて、気持ち良さげに泳ぐ金魚だったが、次の瞬間、アロワナに喰われた。
夜羽は微笑んでそれを見ている。
「今夜も、“仕事”はあるのか?」
「そんなに毎日は無いわ、蝶が増えすぎても食べきれないし」
……え?
今、何て言った?
「蝶もアロワナの餌なのか?」
だったら、わざわざ金魚を買って与える意味も無いだろう。
「私が食べるのよ」
まさか、と思っていると、夜羽は目の前に飛んでいた蝶を捕まえ、薄焼きのガレットでも食べる様に口に運んだ。
「な……!」
味わうように咀嚼し、まるで極上のスイーツでも味わったかのような笑顔になり
「ああ、美味しい」
などと言う。
しかも、名残惜しそうに指についた鱗粉を舌で舐め取っている。
この女は狂っているのか?
俺は余程、呆けた顔でそれを見ていたのだろう。
「黒い蝶が一番美味しいのよ、黒い蝶を育てるにはね」などと、夜羽は説明めいた事を話始めたが、俺の疑問とはズレている事に気付いていない。
「幼虫に“悪人”の死体を食べさせるのよ」
ちょっと待ってくれ。
彼女が狂っていないと仮定した場合、これは一体どういう事になるんだろう。
幼虫に死体を食わせる為に、俺は人殺しをする。
黒い蝶にする為には悪人の死体が良い。
幼虫に死体を食わせる。
夜羽は蝶を食べる。
頭が混乱して来た。
いや、こんな話を理解出来る人間がいるとしたら、そいつは間違いなく狂人だ。
夜羽に何か確認したいが、何を聞けばいいのか解らない。
「じゃあ君は悪人退治をしているって訳?」
最初に見た死体の男も昨夜の“鈴木依子”も“悪人”なのか?
「退治?」
夜羽は既に五匹目の蝶を口に入れている。
「そのう……君は、いわゆる“法で裁けない悪人”を退治する正義の味方なのか?」
昔、そんな映画やテレビドラマを見た事がある。
「正義の味方って何よ!馬鹿にしないで!」
……何故、そこで怒るのだろう?
「あなたのような“おバカさん”でも解るように説明してあげるわよ」
参った。
狂人かもしれない女から、“おバカさん”呼ばわりされるとは思ってもみなかった。
夜羽の説明が始まった。
どうせまた論点がズレているんだろうけど。
「普通の人間って言うのはね、“善”と“悪”の比率が丁度五分五分なのよ、ごくたまに、どちらかの比率が多い人間がいる。“善”が多ければ善人、“悪”が多ければ悪人」
いわゆる、“性善説”と言うやつか。それはまあ、理解出来る。
「蝶の幼虫に“悪人”の死体を食べさせると、幼虫の体内で魂の“悪”の要素が精製されて、羽化した時に黒い蝶になるのよ」
「“善人”の死体を食べさせるとどうなる?」
「不味くなる」
色を訊いたつもりだったが、味を答えられるとは思わなかった。
「何故、不味くなるんだい?感覚的に“善”の方が旨そうじゃないか」
「知らないわ。昔からそう決まってるし、私は“悪”の味が好きなのよ……話が逸れたわね」
夜羽は更に話を続ける。
「最初は自分で“悪人”を狩って来て、与えていたけど、私も何かと忙しくて、だからあなたに頼んだのよ」
“狩って来て”のニュアンスが“買って来て”と同じに聞こえる。
「じゃあ、俺が最初に見た男も、夕べ殺した女も“悪人”なんだな?」
「そうよ、二人の“悪”の比率は八十パーセントを超えていたから、とっても良い素材だったわ」
八十パーセント……
その数字はどうやって計測するんだろう?
“悪人”と訊いて少しばかり気が軽くなったが、それでも、人を殺す罪悪感は拭いきれない。
「ちなみに、俺が殺した女はどんな所が“悪”だったんだい?」
「説明するの、面倒だわ。あなたも蝶を食べてみればいいのよ。そしたら解るから」
絶句した。
そんな嗜好はない。
「大体、“悪人”が美味いと言うなら、あんたの死体を喰わせたら極上の蝶になりそうじゃないか」
理由はどうあれ人に殺人を依頼する。これが“悪人”と言わずして何と言う?
いきなり、夜羽がけたたましく笑った。
「あら私、人間では無いもの」