清楚な花
◇
いつもの朝だ。
仕入れた花を仕分け、鉢植えには水をやる。
寝癖の取りきれない頭、洗いざらしのチェックのシャツにGパン。店のロゴの入ったダークグリーンのエプロン。
いつもの俺だ。
昨夜の出来事は、夢だったんだ。
そうでなければ悪趣味な映画かドラマだ。
そう思ってみる。
俺のシャツの胸ポケットには一千万円の印字がしてある通帳が入っているが、わざとそれを思い出さないように、忙しく働く。
あの温室のグラマラスで毒々しい植物にくらべれば、ここの花達は清楚で可憐だ。
心が癒される。
「店長、何で花見てニヤニヤしてるんですかあ」
そんな俺の様子を見て、不思議そうなバイト嬢。
「いや、花って良いなあ……と思ってさ」
「何言ってるんですか、今更」
あっと言う間に陽は傾く。
帰宅する学生や勤め人が通りを歩いてゆく時刻になった。
「すいませ〜ん」
涼やかな声が響き、バイト嬢が応えた。
「あっ、美佳ちゃん、いらっしゃい」
振り返ると、半袖のセーラー服を着た高校生が微笑んでいる。
彼女、そう言えば、今年から高校生だったな。
俺が花屋を始めた頃は、まだランドセルを背負った小学生だったのに。
花が好きで、小遣いで小さな鉢植えなんかを買って。
育て方も熱心に訊いた。
「美佳ちゃん、いらっしゃい、今帰り?」
作業の途中だったが、エプロンの裾で手を拭きながら店頭に出ていった。
「あっ、こんにちは、あの……こないだ買った花なんですけど花が咲かなくなっちゃって」
この間買った花は確か……
「ゼラニュウム?もしかして陽がよく当たってないかもしれないね」
「あっ……そうかも、曇りガラスの窓のところに置いてるから」
「今の時期だと、外に出しちゃった方がいいよ、暑さには強いから」
美佳ちゃんは、笑顔をさらに輝かせる。
「あっ、そうだったんですか、良かった……さっそく明日から外に出します」
「美佳ちゃん、花を大切にしてくれるから嬉しいよ。花、大好きなんだね」
美佳ちゃんの頬が赤いのは、夕陽のせいだろうか?
「いえ、花も好きだけどもっと好きなのは……」
「うん?」
「あっ、なんでも無いです。ゴメンなさい。今日お花買わなくて……聞いてばかりで……ありがとうございました」
「いいんだよ。また解らない事があったら何でも訊きに来てね」
目も、口も、半月形にして笑う。まるでニコちゃんマークみたいな可愛い笑顔。
ペコリと頭を下げて去って行く彼女を見送っていたら、バイト嬢のトゲのある声が俺の背中を貫いた。
「ロリコン店長。もうそろそろ店頭の切り花中に入れましょうよ」
「ロリコンって……妹みたいに可愛いなあ……と、思ってだな。そもそもそんな、やましい感情なんて……って、ロリコンはないだろう」
「はいはい、解りましたからちゃっちゃと働いて下さい」
バイト嬢は可笑しそうに笑いながら手を動かす。
全く、イイ性格だ。しかもこれじゃあどっちが店長でどっちがバイトか分かりやしない。
陽が沈む。
どことなく冷えた空気の夜が来る。
日常を楽しみきらないうちに非日常へと突き落とされる時間が迫っていた。
あの忌まわしい黒い蝶の舞う邸へ、俺はまた行かねばならない。