商談
◇
邸の中は、思った通り、成金趣味の設えだ。
金箔に包まれたミロのビーナスのレプリカ、虎の皮の敷物、何やら高そうだが悪趣味な置物。
“客”は、ビロード生地のソファに包み込まれるように脚を組んで座り、細く長い煙草をくゆらせる。
「随分吐いたわね」
当たり前だ。
あの光景を見せられて平気な奴がいるか。
さっきまで、胃がひっくり返るまで大理石の洗面所で吐いて来たところだ。
「で、さっきの話なんだけど」
そんな、俺の状況などお構い無しに“客”は煙草の煙りを吐き出しながら話す。
「警察は……?」
吐きすぎて喉が変だ。ガラガラになった自分の声に驚いた。
「えっ?」
「警察に通報しないと」
「黙って、人の話をお聞きなさいよ、こっちは客なんだから」
少し、ムッとした表情で“客”は俺の申し出を跳ね返す。
あの男は……事故や病気で死んだのではない。
殺されたんだ。
たぶんこの女に。
だから警察沙汰にはしたくない。
そういう訳か。
“客”はまだ半分も吸っていない煙草を、クリスタルガラスの灰皿で揉み消すと、俺の目を真っ直ぐに見た。
どこまでが目なんだろう? 随分太いアイライン。おまけに長く濃い付け睫毛に縁取られ、物凄く目が大きく見える。
「警察なんかに言ったら、あなたもあの男と同じ目に遭うわよ」
やっぱり……!
あの男を殺したのはこの女か!
「何故?」
「そんな事知らなくてもいいじゃない。どうするの?私のさっきの話は」
“庭師になれ”とか言うあの話か?
「あれはどう言う事だ?口封じのつもりか?」
いざとなれば、こんな成金女、押さえつけられるだけの力はある。
そう思って、帰ろうと立ち上がったが……
脚が、
脚に力が入らない。
何でだ?吐きすぎて目が回るとは言え、つい今しがた、洗面所からここへ自分の脚で歩いて来たのに。
「心配しないで。商談が成立したら、ちゃんと帰してあげるから」
洗面所で、この女にミネラルウォーターのペットボトルを差し出された事を思い出した。あれに何か入ってたに違いない。
「ねえ、私の話聞いてる?」
殴ってやろうかと思ったが、腕にも力が入らない。
「ああ……聞いてるよ」
「あなたに、温室の管理を任せるわ。月百万でどうかしら?それと、蝶の幼虫の餌を運んで来てくれたら一体につき一千万払うわ」
「蝶の幼虫の餌……?」
あの男の死体を喰っていたのは蝶の幼虫なのか?
……と、言う事は……
「あんまりハッキリ言わせないでね。たぶんあなたが今考えてる事が正解よ」
“客”は、これまた成金趣味なブランド物のバッグから札束を取り出して、俺の前に投げた。
「お金に困っているんでしょ?借金もかなりあるようだし、私の言う事を聞けばお金には困らない筈よ?」
心臓を掴まれたような衝撃が走った。
「何故それを知ってる?」
女は心底同情しているふりをして、眉を寄せながら
「可哀想に……これまでずっと独りで頑張ってきたのね」
などと言う。
何故知ってる?
この女、何者なんだ?
「あなたのような人を探していたの、私の言う通りにすれば絶対に捕まらないわ。ね?雨宮真人くん」
いきなり、自分の名を呼ばれ、鳥肌が立った。
いや、名前など、店に来た時にネームプレートでも見たのだろう。気にする事はない。
だが、
「雨宮真人二十七歳、独身、莫大な借金を残して父が失踪。残された母と借金取りに追われる毎日、母は心労で体調を崩し、入院中」
事務的に紅い唇から次々と、俺がひた隠している事を繰り出す。
「何故知ってるんだ?」
「お金さえあれば、こんなの容易く調べられるのよ」
また金か……!
「お父様の残した借金、お母様の入院治療費、大変だったわね。でも、もう安心していいのよ。私の言う事さえ聞けば。ね?」
女は、聖母の様な慈悲深い表情を造り出しているつもりなのだろう。
しかし俺の目には発情期の虎にしか見えない。
機嫌を損ねたら、鋭い牙で骨まで砕かれる。
確かに、女が言うように、俺には金が必要だ。 何で俺だけがこんなに苦労しなきゃならないんだ?と、遊び回ってる同じ年頃の奴を見る度苛立ちを感じた。
この借金を残して消えた父親を殺したいとさえ思った。
廃人同然の母と、心中しようとも思った。
俺は、いつの間にか泣いていた。
今まで背負って来た心の重荷に押し潰されて泣いていた。
「……商談は成立ね。私の名前は本郷寺夜羽、宜しくね。“庭師”さん」
女……夜羽は、高らかに笑った。
魔女か悪魔が笑ったら、こんな声だろう。
そう思える程、邪悪で、陰険で、そして美しい笑い声だった。