金持ち風の女客
◇
俺が働いて居る花屋に、風変わりな客が来た。
「タビビトノキが欲しいんですけど」
風変わりと言っても、身なりは金持ちの奥様風だ。化粧が恐ろしく濃い以外は、見た目はマトモだし美人の部類に入るだろう。
ふらりと現れては普通の花屋には無い、取り寄せるのも困難な植物を注文する。
「えっ……?何ですか?」
名前すら聞いた事もない植物の名を口にするので、聞き返すのも度々だ。
「タビビトノキ。こう、孔雀が羽を広げたような形で……」
無いのが信じられない。花屋のくせに知らない。とでも言いたげな表情と口調で説明する。
「すいません。一応、探してみますが、なんせ小さい花屋なもんで、ご期待に応えられるか解りませんが……」
金持ちなら、チェーン店とはいえ、こんな潰れかけた花屋でなく、それ相応のコネで入手すればいいのに。
「あの人、店長の事気に入ってるんじゃないですかあ?店長、自分じゃ自覚してないかもしれないけど割りとイケメンだしぃ」
その客が帰ってから、バイトの女の子が冗談とも思えない口ぶりで冷やかす。
「やめてくれ、いくらこの歳で独り者とはいえ、選ぶ権利ぐらいある」
「そうですかあ?お金いっぱい持ってそうですよ?それに、30前ならまだまだイケますよ」
バイトは悪びれる様子も無く、さらりと言う。
だったら君は、金の為ならどんな男とでも付き合うのかい?
しかも、イケるって、何がイケるんだ?
喉まで出かかったが、言うのは止めた。
それでも何とか沖縄の問屋にまで問合せ、その“タビビトノキ”とやらを、仕入れる手配が付いた。
「え~?大丈夫ですか?その植物は寒さに弱いんですよ?後で苦情なんて入れないで下さいよ?」
問屋は不満げな声で念を押す。
それはもう、自己責任と言う事で納得して貰う他は無いだろうし、あんなに欲しがっているのだから、育て方ぐらいは解るのだろう。
こっちは売ってしまえば終わりだ。 我が儘な客には欲しい物をさっさと売り付けてしまった方が楽だ。
しかし、それが悪かったのだろう。その“金持ち風”の女はそれから何度も現れた。
大きな物やかさ張る物ばかり注文するので、必ず配達になる。経費節約でいちいち運送屋など雇っていられないし、しかも店には俺の他は、あの冷やかし好きのバイトしか居ない。
結局俺が配達する事になる。店のロゴの入った三トントラックで、見馴れない形の不気味な植物を配達するのが常だった。
“金持ち風の客”の家は確かに金持ちらしく、重厚な造りの大きな建物だった。
ユリの木やヒマラヤ杉に囲まれた、薄暗い印象のする邸。 植物を運び入れるのは、その重厚な邸の裏手にある温室。
大きさは邸と同じくらいある、と言っても大袈裟にならない程の立派な温室だ。
中には今まで俺が配達した物もあれば 、まるで見たこともない風変わりな植物もある。
ただ、毎回気になるのは季節を問わず温室の中で舞う
大きな黒い蝶。
「あの木の剪定をして頂けない?」
ある日、“客”は重いシュロの鉢の搬入を終えて、息の上がっている俺に言った。
「ウチは、販売と配達だけで、そこまでは出来ませんよ?馴染みの無い植物だと剪定の仕方も解りませんし」
「やり方なら私が教えるし、お金は勿論払います」
冗談じゃない!
これだから全く、金持ちって奴は!
金を出せば誰でも言いなりになると思って!
「折角ですが…」そう言って、帰ろうとしたその時、何かに足を取られた。
ずるり、と、何か柔らかいものが剥がれる感覚。 見ると、俺の靴にピンクと言うか、ベージュと言うか、そんな色の柔らかい物体がこびり付き、何とも言えない異臭を放っている。
異臭と気持ち悪さで絶句し、足を取られたその場所を見ると……
……俺は、それを見た事を後悔した。
何故、配達した後、さっさと帰ってしまわなかったのだろう?
いや、それより、
何故この我が儘な金持ちの注文を引き受けてしまったのだろう?
無数に蠢く、緑色の虫。
アゲハの幼虫に似ているが、遥かに大きい。
そして、その虫たちが食んでいるものは……
俺は耐えきれずに、その場で吐いた。
悪臭と、己れの吐瀉物の匂いで気絶しそうだ。
「見ちゃったわね……」
紅い唇を歪めて“客”が笑う。
俺は、どうなるんだ?見てはいけない物を見てしまった俺は、消されるのだろうか?
その刹那、“客”は信じられない事を言った。
「あなた、庭師になって頂戴。温室も邸も自由に使っていいし、お金も毎月たっぷり払うわ」
緑色の虫に食われながら横たわる男の死体。
それが睨んだような気がした。