第七章 革のエプロン
その日もクーは、夕方の釜茹で亭でウェイトレスのアルバイトをしていました。
釜茹で亭のメニューは基本的に、当日にあった素材を使って調理されます。例えばクーの獲ってきたカラスやキジバト、ザリガニなどもそうですね。
……ザリガニって食用にもなるとは聞いていましたけど、実際に調理されているものは初めて見ました。塩ゆでされたそれは、はさみにもみっしりと身が付いていて。小さなロブスターと考えれば違和感はありませんでしたが。
ともかく、そう言う訳ですからスープ一つ取っても日によって具が異なっていて旬の素材を活かした物になっています。その晩も、熱々のスープをお客さんに配っていたクーでしたが。
「うおっと」
「くぅっ!」
酔っ払ったお客さんが急に倒れ込んで来て。
「クー!?」
その拍子に、クーの持っていたスープがクーの体に降りかかってしまったのでした。
「大丈夫か、クー。ここはいいから早く表の井戸で冷やして来い」
「うん」
釜茹で亭のご亭主の勧めで、共同の井戸まで走ります。汚れを落とす意味もありエプロンを外したスカートの上から水をかけて応急処置した後、裾をめくり上げてみます。
「少し、太ももが赤くなっていますね」
「うん、でも大丈夫」
「火傷を甘く見てはいけませんよ。釜茹で亭の裏手にユキノシタが生えていましたね。あれの葉っぱを火で炙って患部に貼り付けるんです」
祖父から教えてもらったのですが、ユキノシタは葉が食用になるだけでなく、薬草として火傷やかぶれなど皮膚の炎症に効くのだそうです。
クーは私の指示に基づいてユキノシタを火傷した箇所に貼り付けると、包帯代わりの清潔な布を巻いて固定しました。これで何とかなるでしょう。
「はぁ、でも、やっぱりご亭主のように革のエプロンが欲しいですね」
「くぅ?」
釜茹で亭のご亭主は、火を扱う仕事をしているためか使い込まれた立派な革の前掛けをしていました。クーはウェイトレスですから丈は短いエプロンでいいのですが、それでも革の物を着せていれば今回のような負傷は防げたはずです。
「明日、お店を覗いて見ましょうか」
「うんっ」
お出かけが嬉しいのか、クーは笑顔で答えてくれました。
そして次の日。
以前、ミンクの毛皮を売り払った商人さんの紹介で、この街で唯一と言う革職人さんのお店を訪ねた訳ですけど、
「た、高い……」
何ですか、このお値段。価格の基本の単位が、銀貨ですよ銀貨。この辺ではめったに見ないと言うのに。
そして、それ以上に目立つのは必要以上に華美な模様付け。確かレザーカービングとか言いましたか。それが全面に渡って施された品々。
これって実用品じゃなくて工芸品、いえ美術品ですよ。はっきり言って、入るお店を間違えたとしか思えません。
「くぅ……」
物珍しげにバッグや小物入れに見入るクーには悪いと思いますが、これはないでしょう。
でも、
「あら、お客さん!?」
嬉しげな若い女性の声に、クーと私はお店を出るタイミングを失ったのでした。
「あら、そうなのー。エプロンをねー」
店の奥から出て来たのは、このお店を継いだばかりという若い女店主さんでした。お名前をコーネリアさんと言い、何でも王都で革細工の修行を積んで最近、故郷に帰って来たそうで。自分の腕には相当の自信を持っているようでした。
「でも、売れないのよね」
一転して、肩を落とすコーネリアさん。
それはそうでしょう。高価なのもそうですがあんな日常で使うのを躊躇しそうな芸術品、そうそう買えませんよ。
その辺、職人気質なのか考えが至らないようです。いい人みたいなんですけどね。
相当、暇な思いをしていたのか工房の中まで招いてクーにお茶を出してくれましたし。ハーブティーの仄かな香りが革の自然な匂いと調和していい雰囲気です。
「でも、物はいいのよ。革は手入れさえすれば長いこと使えるし」
いえ、そうではなくて。
装飾過剰に問題があるのではないでしょうか。
でも、
「このままじゃ、店を畳まないといけないかも」
ため息混じりにそんなことを言われると、今更お店を出にくいじゃないですか。
「エプロンだったら、どの革がいいかしら?」
革生地を見ながら、あれこれと楽しげに夢想するコーネリアさん。ちょっと待って下さい。止めるのは気が退けましたが……
「やっぱり広いから全面に模様を描いて…… 腕が鳴るわ」
実用のエプロンにどんな絵柄を付けるつもりですか、この人は。駄目ですクー。今すぐこの人を止めて下さい!
「くぅ?」
「あら?」
クーが見ていたのは革生地の中の一枚。何か紋様のような印が付いています。
「ああ、それ? 買った生地の中に紛れていた傷物よ。材質はいいんだけど、そんなに大きく真ん中に焼印が入ってちゃね」
なるほど、この紋様は焼印の痕ですか。中々、味がありますね。
「これ」
「ええっ!? こんなので作るの? せっかくの大きな作品なのに模様が……」
いえ、模様は要らないんです。模様は。クーの口を通じて説得すること三十分。
「……本当に模様は要らないの? お金が無いならサービスしてあげてもいいのよ」
どうもこの人、作品には模様を入れないと気が済まないようで、そんなことまで言い出しました。まぁ、ただでさえ経営が厳しそうな所に、そんなサービスをしてもらう訳にも行きませんからお断りしたのですが。
そうして、ようやくのことで焼印の痕をワンポイントとした、プレーンなエプロンを予算内で作ってもらうことをお願いしたのでした。
「それじゃあ採寸からね。ばんざーいして」
「くぅ? ばんざーい」
メジャーを使って採寸し、石版に白墨でそれを書き込んで行くコーネリアさん。クーは成長期ですから、それも考慮して頂いて少し大きめに作ってもらいます。型を作って、それに沿って裁断。
「革は牛のどこの部分を使って、どの方向に使うか見定めて切るのよ」
とは、コーネリアさんの言葉でしたが中々これも奥深そうです。使う部位によって品質は変わるのですが、完成してからでは物の善し悪しはともかく、どこを使っているのかはプロの職人さんでも見極めがつかないそうです。私にしても革細工の現場を見るのは初めてで、色々と興味深いものがありますね。
そして切り取った革の縁の角をナイフで丁寧に落とし、ヤスリで軽く磨き上げます。その後、縁に少量の水を含ませ表面がつるつるした堅い木の棒で強くこするのです。こうすると縁を固め整えることができるのだそうで、クーも少し手伝わせてもらいました。二人で作業を行う姿は、まるで親娘か歳の離れた姉妹のようで見ていて微笑ましさと少しの寂しさを感じました。
……まぁ、それ以前に私でさえ忘れがちになりますが、クーは男の子なわけですが。
ともかく、更に縁に革専用の染料を染み込ませ乾いたら仕上げにワックスを。このワックスは火で炙って溶かし、縁に十分染み込ませてから更にもう一度塗ります。これで縁の処理は終わりみたいですね。
そして櫛のような形をした工具でベルトを付ける縫い目を穴あけ。なるほど、布のように縫い針でいきなり縫うのではなく、まず下穴を開けるわけですね。クーも目を皿のようにして見詰めています。
そんなクーにハンマーと、その櫛型の工具で加工しながらコーネリアさんは、
「ねぇ、本当に模様、要らないの?」
と。いえ、ですからそれはもういいですから。
そうして、縫合。ロウ引きした麻糸の両端に針を付けて、8の字を描くように一針ずつ、きつく縫い上げて行きます。
この方法も独特ですね。一つの穴に針を通して糸を抜き、逆側からもう一本の針を通して逆側の糸を抜きます。糸穴の中で糸が交差し、これが連続して8の字を描いて行く訳ですね。縫い始め、縫い終わりは、ここは裁縫と同じように二重縫いにして丈夫に。最後は糸の始末をして完成です。
「さぁ、着てみて」
「うん」
作りたてのヌメ革のエプロンは、まだ堅くゴワゴワしていて。でも、革は使い込むほどに手油等が染みこみ、慣れて柔らかくなっていきます。きちんと手入れをして使って行けば、いずれは良い味が出てくることでしょう。
「ねぇ、本当に模様要らない?」
この人は…… でも、そうですね。いいことを思いつきました。
「おお、クーちゃん、いいエプロンを付けてるね。革屋の娘っ子の作ったやつかい?」
釜茹で亭でいつもの手伝いをするクーに、お客さんから声がかかります。
「くぅ……」
クーは恥ずかしそうにはにかんで頷きます。
なぜ、あのお店から買った物だと分かるのかと言うと、答えは胸元に入れられた模様にあります。そこには、あの革細工屋さんのお店の印が入っていて。
そう、私はクーを通じて革細工屋の店主さん、コーネリアさんにお店の印をエプロンに入れることを提案したのです。クーはこの街の憩いの場、釜茹で亭で働いていますから、胸元にマークを入れて置けば良い宣伝になります。
どうも、この世界にはそういう発想は無かったのか、それとも職人肌のコーネリアさんには思い至らなかったのか、しきりに感心した後、模様をタダどころか宣伝費を代金から割り引いて付けてくれました。
「私のお店にも釜茹で亭さんぐらい、人が来てくれるといいんだけど」
とは、その時の言葉。……割と瀬戸際、崖っぷちに居るみたいですね。藁にもすがるような気持ちで、模様を入れてくれたのかも知れません。
まぁ、そんな訳で胸元のそれと右下隅に焼印の痕が入ったエプロンを着ているのですが。
「なんじゃそれ、うちの所の牛の革じゃねえか」
そう言ったのは酪農を営むノムじいさんと呼ばれるご亭主。どうやらこの焼印は、このご亭主の飼っている牛に押されたものらしいです。世間は狭いですね。地産地消な世界故かも知れませんが。
「なんじゃ、ノムじい。あの口煩い小娘の所に革、卸してたんかい」
「あの娘っ子のお眼鏡にかなうんじゃ、相当のもんじゃの」
コーネリアさん、素材にこだわる職人さんと言うことでは知名度は高そうですね。そんなお話をしていると、商人らしき人が話に入ってきました。
「そうですな、うちは都に革を卸してるんですが、ぜひ、うちの商会に……」
と、何やら牛の宣伝まで。思わぬ所でトレーサビリティ、でしたっけ?品質保証の宣伝ができてしまったようです。
「嬢ちゃんのおかげで、うちの牛の革が高く売れそうだ。こいつをやろう」
ノムおじいさんが上機嫌で差し出したのは、小さな瓶に満たされた油。
「馬油だ。火傷にも切り傷にも良く効くぞ」
傷薬ってことですね。ありがたいです。
そう言えば馬油は昔はガマの油と称し万能薬として売られていた、とは私の祖父の言葉でしたが本当なのでしょうか? あの人が言うと、とたんに胡散臭くなるのですが。
一方で良からぬことを考える方も……
「焼印か、私も……」
「クーに手出しは止めて下さいよ!?」
「……人の台詞を遮るな」
不機嫌そうに言う魔王様でしたが、ここは譲れません。魔王様に印なんて付けられたら、クーが魔女狩りで捕まえられてしまうじゃないですか。
「そんなのは迷信だ」
ああ、魔王本人の口から迷信なんて言葉が聞ける日が来るなんて…… 誰も、望んでいないわけですが。
「物腰は上品なくせに案外、失礼なヤツだな貴様」
「祖父に鍛えられましたから」
誰も、望んでいないわけですが。
そして、後日。
「ありがとうクーちゃん。おかげで大盛況よ」
クーの宣伝が功を奏したのか、革細工屋さんは結構な賑わいに。
「買ってくれる人だけじゃなくて革を卸してくれる人も、ぜひ自分の所の物を使って欲しいってサービスしてくれるのよ」
それは例の焼印の効果ですね。
「でもお客さんはクーちゃんのように、模様を入れないシンプルな形の物ばかり欲しがって、腕を振るう機会が無いのよね」
非常に残念そうに仰るコーネリアさん。
それはそうでしょう。お値段のこともありますが、この人の創作意欲を満足させるような装飾過多な品々は日用品には適しませんから。
今回はクーのエプロンで、そういう物しか作れないわけではないんだよ、と宣伝しただけで。こちらもそれ以上は面倒見切れませんよ。
なお、焼印や傷痕を活かした素朴な革細工は後に国中で売れ出して。そのブームを作ったこの革細工屋さんも繁盛するのでした。
まぁ、コーネリアさんは益々不満になるのでしょうけど。
彼女は今日も、隙あらばカービングで模様を入れようとお客さんを狙っているようです。