第六章 クーと秘密の屋根裏部屋
「……クー?」
ある朝、私が目を覚ますとクーの姿がベッドに、いえ部屋にありませんでした。
お手洗いでしょうか? そう思って探しに出かけようとした時でした。
ドサッ!
「……っ!?」
天井からベッドに何かが落ちて来たのは。
「くぅ?」
……お願いですから驚かせないで下さい、クー。天井から降ってくるって、どこの世界の挨拶ですか。
そう思いつつも、この子の無邪気な様子を見ていると体の力みも消えて苦笑するしか無くなってしまうんですけど。本当、クーに弱いのですね私は。
そうして上を見上げると、ぽっかりと天井に空いた出入り口。
「屋根裏、ですか」
どうやらクーはベッドに寝転ぶと目に入る、天井にあったこの扉が気になったらしく一人で探検をしていた様子。子供ってこういう所、好きですよね。秘密基地とか。私自身、小学生の頃に自宅の屋根裏に登って探検した覚えがあります。ともあれ、翼を翻して屋根裏に出てみます。
「これは……」
意外なことに、ただの屋根裏ではなくきちんと作られた屋根裏部屋でした。現在は使われてはいないようでしたが、ちゃんとした入り口が廊下側にあって。梯子を下ろして出入りするみたいですね。
「結構いい部屋ですね」
明り取りの窓からは朝日が差し込み、緑の山々が見えました。
「ハイジの部屋みたいです」
「くぅ?」
「屋根裏部屋? ああ、出入りが大変なんで使っていなかったんだが、どうかしたか?」
クーを通じて釜茹で亭のご亭主と交渉です。
「使ってないなら、貸してもらえないかって」
「んん? そうだな……」
私の名前を伏せたまま伝聞形式でしゃべるクーの言葉にわずかに引っかかった様子を見せたご亭主でしたが、元々舌足らずのクーの言うことですからそのまま流して下さいます。
「あそこなら通常の半額…… お前さんとは小麦と引き換えに半年間部屋を貸す約束をしてたから、一年間使ってもらっても構わないぜ」
よしっ。えらいですよ、クー。よくちゃんと交渉してくれました。クーは体が小さいし身軽なので、屋根裏部屋でも問題ないでしょう。どうも狭い所の方が落ち着くらしくクーも屋根裏が気に入っている様子ですし、宿代の節約にもなります。釜茹で亭のご亭主の許可も受けましたし、午後からは屋根裏部屋の掃除と寝床の準備ですね。
ちなみに午前中はと言いますと目の前にある、まな板の上の鶏がら。
ダン!
ダン!
ダン!
これを、分厚い肉切り包丁の背で繰り返し叩きます。そうして鶏骨を叩き潰して行くと中からエキス、骨髄が出て来て。それがつなぎとなって骨団子が出来上がるのです。この釜茹で亭では鶏の骨まで無駄なく調理されてしまうんですね。
ただ、骨を徹底的に砕いて滑らかにするには、最低でも一時間くらいかかるらしくクーがそれを昼食と引き換えに行っているのでした。筋力トレーニングにもなるし一石二鳥ですね。
「がんばって下さい、クー」
「うん」
そうして出来上がった団子は、昨晩の残り物と共に立派なスープに。そういえば私も冷蔵庫の中身の掃除の時は、チャーハンを作ったり鍋にしたりしましたね。チャーハンと違って鍋は洗い物が楽で良かったです。最初に鍋をして雑炊とか。ポトフを作って残りにホワイトソースを入れてシチューに。更にグラタンやシチューコロッケまで使いまわしたら、さすがにくどいと祖父に文句を言われましたっけ。
ともあれ、クーのおかげで美味しい骨団子のスープが出来上がりました。骨のエキスを丸ごと取れるのですから栄養も満点です。
「おいしー」
クーも自分で手がけた料理を美味しそうに食べていました。こうして、少しずつでもいいですからお料理なども覚えて行って欲しいですね。
そして、午後からは屋根裏の掃除です。掃除道具を借りて、塵はたき、箒がけ、そして水拭き、空拭きと。忙しく、くるくると働き回るクー。長い間放置されていたにしては意外と汚れは少なく、ぴかぴかに磨き上げることができました。
「くぅ?」
その掃除の最中にクーが見つけたのが、薄汚れた小さな仕掛けの付いた箱。上に重石が乗せてありますが。
「何でしょうね?」
釜茹で亭のご亭主に聞いてみると、
「これは、仕掛け罠だな。ここをこうして……」
くいっと箱の中の紐を引っかけて、
「この部分に餌を付けて置くと獲物がかかる。ネズミ捕りのために用意しておいたもんだが」
なるほど、そういうことですか。
「何だったら要るか?」
「うん」
大きさから言って小動物しか獲れないでしょうけど、山に仕掛けて見るのもいいかも知れませんね。
ともあれ、今はベッドの用意です。納屋から干草の束を何度も運び込み、寝床を用意します。
新しい干草は、太陽の光を吸った、いい匂いがしました。シーツを被せ完成させると、ごろごろと寝転ぶクー。本当に気持ち良さそうですね。これでクーと私だけの秘密基地の完成ですか。釜茹で亭のご亭主は体格が良すぎて出入りに苦労しますから、ここにはよほどのことが無い限りいらっしゃらないと仰っていましたし。
ちょうど明り取りの窓から夕暮れの空が見えて。一休みしてからクーは、釜茹で亭のウェイトレスのアルバイトのため下へと降りて行くのでした。
「アーヤ」
屋根裏部屋の明かり取りの窓から月を眺めていた私にベッドから声がかかりました。
「クー、まだ起きていたんですか?」
ばさりと翼を翻して振り向くと、視界に入った私の黒髪と白い翼が月光を弾いて輝いていて。私の体と翼が作る影が、まるで十字架のように部屋の床に落ちていました。こうして見ると改めて天使になってしまったのだな、と実感します。
「アーヤどこにも行かない?」
クーの声は切実なものを孕んでいて、本当に不安がっている様子が伝わってきました。私は安心させるために微笑んで答えます。
「月が綺麗だから見ていただけです。心配しなくても、どこにも行ったりしませんよ」
かぐや姫ではありませんから、月に帰るなんてしませんし。望郷の想いがまったく無いとは言いませんが、今はこの子のことを見守ってあげたいという願いの方が強いですから。
先ほど考えていたのも自分の正体とクーのこと。私は一体どういう存在なのか、そして私はクーのためになっているのかどうかということでした。
「アーヤの髪、夜の空みたい」
「夜、ですか」
私の髪をカラスの濡れ羽色と褒めてくれたのはいつも文学を読んでいる物静かな友人でしたが、確かにそれぐらい黒くて真っ直ぐな髪です。この身にまとったセーラー服も今時珍しい古風な黒染めですしね。
「でも、羽と手が白くて」
クー?
「お月様みたいに綺麗過ぎて、目を閉じたら居なくなりそうで怖い」
この子は……
「クー、私はここに居ます。あなたが眠るまで見ていてあげますから、もう寝て下さい」
ベッドの横に腰を下ろし、クーのことを見守りながら優しく囁きかけます。
「おやすみなさい、クー」
「……おやすみなさい、アーヤ」
「クー?」
私が目を覚ますと、クーの姿がありませんでした。見慣れない部屋に驚き、そして屋根裏部屋に移ったことを思い出します。
「それはともかく、クーはどこに行ったんでしょうか?」
「アーヤ!」
入り口の扉を跳ね上げて、屋根裏部屋に顔を出すクー。その手にはイタチのような小動物の姿があって。
「獲れてたー!」
ああ、この屋根裏部屋で見つけた仕掛け罠を山の方に仕掛けて置いたんでしたっけ。気になって、朝一番で見に行ってたんですね。朝まで私がついていてあげたことで安心したのでしょう、クーの表情には昨晩の翳りは見当たらず。
「良かったですね、クー」
私は朝日の中、微笑んであげました。
ちなみに罠で獲れたのは、何とミンクらしくて結構な値段で売れて行きました。この世界ではファッション以前の問題で、実用の防寒具としての毛皮に需要があるみたいですね。
この罠は、クーの仕掛け方が良いのか、今後も時々獲物を捕まえてくれて。獣の害に悩む街の人たちと、クーの懐を助けてくれるのでした。