第十二章 はちみつと妖精と
「アーヤ?」
「ううん、何でもありませんよ、クー」
またです。
最近、視界の隅を横切る影。目を凝らすと消えてしまう。でも目を離すと何かが映っている。
最初は気のせいかとも思ったのですが、どうやら違うようで。どうにもイライラが募ってきます。
「クー? ちょっと体を借りていいですか?」
「くぅ? いいよー」
クーはこの一体感がお気に入りのようで、私が体に入るとべったりと心が擦り寄って来るのが分かります。物理的に触れ合うことの出来ない私たちだからこそ、こういった心の交歓がクーを喜ばせるのでしょうね。母親の腕の中で眠るような無条件の安心感を持って私に心をゆだねてくれるクーに、私の心も喜びで満たされます。祖父と二人暮らし、小さな子供と触れ合う機会もなく高校まで育ってきた私でしたが、母性本能とも言うべき保護欲が自分にもあったことに驚きます。
まぁ、依存が過ぎるのも怖いので必要な時以外は行わないようにしているのですが、それはともかく、
「だーるまさんがー」
クーの口を借りて、ゆっくりと言葉を紡ぎます。こんなので引っ掛かってくれるといいんですけど。
そして、素早く。
「ころんだっ!」
叫ぶと同時に振り返る!
「じゅ、呪文まで使ってダマスなんてずるーイ!」
そこには虫の羽を持った人形のように小さな人影。プンプンと非難の声を上げる妖精さんが居たのでした。
「はぁ……」
何気なく口ずさんだ「だるまさんがころんだ」でしたが、これって呪文だったんでしょうか。妖精さんの気を引くのには成功したようですから効果自体はあったんでしょうけど。
昔、御伽噺で聞いたように釜茹で亭のご亭主から分けてもらったミルクでお持て成し。小さな妖精さんがスプーンを皿の代わりにしてミルクを飲む姿は、それはかわいらしいものでしたが。
「くぅ……」
この世界の住人であるクーにしても妖精の姿は珍しいものなのでしょう。両耳までそろえて向けてテーブルの上の妖精さんを見詰めていました。
「で、どうして私たちに付きまとっていたんですか?」
ミルクを飲んで、けぷっと小さく息をつく妖精さんに改めて聞いてみます。
「助けてもらおうと思って」
「助けですか?」
「帰れなくなったの」
「どこへ?」
「仲間のところ!」
「そこに行くにはどうしたらいいんですか?」
「妖精の輪をくぐる。ニンゲンには知られてはいけないところ!」
思考か言語の形態が異なるのか、断片的にしか話さないこの妖精から少しずつ状況を聞き出していきます。
「私たちはいいんですか?」
そう答えるといかにもおかしそうに笑って。
「何がおかしいんですか?」
「だってこの子、妖精憑きでしょ」
クーを指差して言います。
妖精憑き。であれば、私はクーに取り憑いた妖精ですか?
天使だとかアイオーンだとか妖精だとか。言葉は異なりますが同じ状況を指しているのでしょう。私の存在故にクーがヒトの範疇から外れて認識されてしまうのに引っかかりを覚えてしまいますが。
「だから助けて」
ともかく仲間だと思われているってことなのでしょうね。まぁ、粗略に扱うと呪われるのがこういう類のお話の典型的なパターンですから、選択肢が無いとも言えます。
でも、昔から妖精譚にはギフトが付き物。助けてあげれば、お返しがあるかも知れません。
「それでは、私たちは何をすればいいんですか?」
クーのスカートのポケットに隠れた妖精さんの案内で森の中に入って行きます。妖精さんは説明が面倒なのか思考が短絡的なのか「とにかく来て」の一点張りでしたので。
複雑な道筋を辿るのは、どんな意味があるのか。魔術的な意味があるとも考えられますし、この妖精さんが気ままに彷徨った道筋を何も考えずに辿っているとも考えられます。
それにしても、視界をよぎるモヤが段々はっきりと見えてきているんですが。てっきり、妖精さんが隠れていた影かと思いましたが違ったんですね。
「妖精さん、あれが何だか分かりますか?」
「私たちを捕まえる影。怖いから嫌い」
「っ!? 危ない物なんですか?」
「貴方の側は平気」
つまりは、私たちの側に居れば大丈夫だから助けを求めたということでしょうか? 危険が無ければ良いのですが、悪い気配がどうしても気になります。
「アーヤ?」
「いえ、何でもないです。先を急ぎましょう」
ぞくりと背筋を走る悪寒を振り払い、わだかまる黒いモヤから目を逸らします。
そしてたどり着いたのは、一本の老木でした。大変大きな木ですが若木のような勢いは無く、その幹には大きな洞が出来ているようです。
「あの木の中!」
なるほど、そこに妖精の輪があるということなんですね。確かに、人間にはまず気付かれないでしょう。
「それで、どうして帰れなくなったんですか?」
イタチや何かの小動物が巣にでもしてしまったんでしょうか? それならクーの持つ剣鉈で追い払ったり、パチンコで仕留めたりすれば問題は解決できます。
無造作にクーが足を進めようとした、その時でした。小さな、しかしたくさんの虫の羽音が聞こえてきて。
「まさか……」
その、まさかでした。木の洞から出入りしているのは、たくさんの蜂たち。
「クー、それ以上進まないで。身をかがめて、ゆっくり下がるんです」
蜂は横に動く物に反応しますから、手を払ったりしないように。
私の言葉にびくっと体をすくめ、恐る恐る後退するクー。
「蜂が巣を作って中に入れない」
いや、妖精さん。そういうことは先に言って下さい、先に!
「はぁ、驚きました」
「くぅ……」
ぐったりとしているクー。私も疲れる体は持っていませんが、精神的に疲れましたよ、もう。
つまりは、あの蜂をどうにかしないといけないということなんですね。
「どうするの、アーヤ?」
「そうですね、家の近くにスズメバチが巣を作った時、祖父は灯油をかけて燃やしていましたが」
「だめーっ!」
妖精さんに駄目出しをされてしまいました。そうですよね、木を焼いてしまったら、その妖精の輪とやらも失われてしまいますからね。
「となると煙で燻り出すか…… そうですね、クー、この間、拾ってきた真鍮製の水差しがありましたよね。穴の開いて使えないやつ」
「うん」
拾って例の道具屋さんに持って行ったものの、買い取ってもらえなかった物が部屋の隅に積み上げてあったはずです。
「それに、燃やすと煙を出すような生葉が必要ですね」
杉の葉辺りを詰め込めばいいでしょうか?
「今夜、行動です」
杉の生葉と火種になる枯れた小枝を集めて。真鍮製の水差しには、クーが剣鉈でガスガスと空気穴を開けます。切っ先を付けてもらうと、こういう作業ができるのが便利ですね。
夕方、酒場でウェイトレスの仕事を終えた後、釜茹で亭のご亭主にお願いしてランタンを貸してもらい森に向かいます。
「くぅ、真っ暗……」
「足元に気を付けて下さい、クー」
夜の森は昼間とはまったく印象が違っていて。夜行性の動物たちの息遣い。風が木を揺らす音。笹の葉がそよぐ音は沢の流れに似て方向感覚を狂わせます。
「道を覚えていないと行きはともかく、帰りは迷子になりそうですね」
いざとなれば私が上空に飛んで導けば何とかはなりますが。
そうしてたどり着いた老木は夜の森に、まるでお化けのような影を落としていました。
「くぅ……」
「大丈夫、私が付いています」
怯えるクーをなだめてあげます。
「ミツバチも夜は活動していませんからね」
それでも念のため、クーにはフードを被らせ目元を残して顔には手ぬぐいを巻かせます。
「さぁ、クー。水差しの中に火を付けて下さい」
水差しには、まず下に枯れ枝を入れて置いて火を着けます。その後、炎が見えなくなるまで杉の生葉を敷き詰めて蓋をすると、燻し出された煙が水差しの注ぎ口からもくもくと出て行きます。この煙を浴びせるとミツバチは大人しくなるのです。
剣鉈でもろくなった木の洞の口を広げ、水差しから出る煙で蜂を燻しながら刺されないように慎重に蜂の巣を取り除いて、あらかじめ用意しておいた袋の中に入れて行きます。一枚一枚、剣鉈で切り離すように、蜂の巣を取り出して…… 蜂の巣は六角形の穴の集合体で、洞の中で巣は何層にもなっているんですね。上部と下部、蜂蜜を貯める所と子供を育てる所に分かれているので、蜂蜜取りの人はその子供の入った所だけを残して巣が再生されるようにするのだそうですが、今回は巣を完全に取り除くのが目的ですから、区別無く取って行きます。ミツバチは温厚なので攻撃しない限り刺されないと言いますが、この作業には本当に神経を使いますからクーも大変です。
そうして最後に、
「おっきい蜂……」
「女王蜂ですね。巣が再生されないよう、外に追い出して置きましょう」
剣鉈の平ですくい上げ、離れた場所に移します。こうしておけば、働き蜂を連れてまた別の場所で巣を作るでしょう。
「さぁ、撤退です。麻痺した蜂たちが息を吹き返す前に、帰りましょう」
木の洞の奥には、まだ麻痺していない蜂も居るでしょうし。
そうして、その晩は帰途についたのでした。
翌日。
クーが採ってきた蜂の巣には蜜がたっぷりで、これは瓶詰めにしてクーのおやつ兼、非常食に。搾り取る際に指に付いた蜂蜜を舐めたクーは、甘味にびっくりした様子で丁寧に最後まで舐め取っていました。一生懸命な様子が微笑ましかったです。
また、蜂の子は珍味として釜茹で亭のご亭主に引き取られ。最後に残った巣のカスは蜜蝋の原材料として雑貨屋さんに売れました。
ミツバチが残してくれた自然からの授かり物は、こうして無駄なくすべて役立ってくれたのでした。
そして昼になってから件の老木に行って見ると、女王蜂を追い出したお陰かミツバチの姿はありませんでした。
「ありがとー。これは、お礼」
そう言って、妖精さんが歌ってくれたのは一節の歌。
もしもあなたが求めるなら
助けてあげる、この歌で
アイオーン降ろすは、自分探し
出会うが最初
次は質問
答えられる人はわずか
憶えておいて、自分のことを
強く念じて、自分の望みを
声高く歌って、自分のリズム
アイオーンは、一の太極と十二の原型が織り成す影
影は形を変え、あなたの心に顕れる
でも、それはやっぱりあなた自身
「それは……」
「じゃあ、バイバイ!」
声をかける暇も無く木の洞の中、妖精の輪へと去って行ってしまう妖精さん。
「くぅ?」
「アイオーンって、一体何なんでしょうね」
改めて、クーを見詰める私。風が無邪気に笑う妖精の声を伝えてくれるような、そんな気がしました。




