ただひたすら走って逃げ回るお話
ふと思いついて書いた作品。カッとなって書いた、後悔はしていない。
金属の擦れる僅かな物音と共に、僕はドアを開けた。とたんに眩しい太陽の光が、カーテンを閉め切り一切の明かりが消えた暗い部屋の中へと差し込んでくる。事前に瞼を閉じていたもののやはり朝の日差しは強烈で、僕の視界にはしばらく黒い染みが出来てしまった。
少し待って視野を正常に戻し、日差しに目が慣れたのを確認して僕は少し開いたドアの隙間から外を見た。視界に入るのはマンションの廊下の壁と床の一部だけ。それ以外は何も見えない。
また少し待ち付近で物音がしないのを確かめてから、ドアを前回にする。それと同時に素早く部屋の中から出て、廊下の左右を見回す。誰もいない。
ここに自分しかいない事がわかって、思わず安堵のため息を漏らす。そして無意識の内に腰に下げていた鉈に手を触れていたので、僕はゆっくりと手を鉈から離した。
世界がこうなってしまってから、武器を持ち歩くのはごく普通になってしまった。そうでなければ生き残れないし、たとえ武器があっても使いこなせなければ死が待っている。この鉈も幾度となく血を吸ってきたせいで、木製グリップの部分が赤錆色に染まってしまっている。
平日ーーーもはや死語だがーーーの朝だというのに、町は静まりかえっていた。車の走る音も、通勤通学中の人々の喧噪も聞こえてこない。代わりに耳に入ってくるのはカラスの鳴き声だ。
僕は廊下の壁から身を乗り出すと、双眼鏡を取り出して目に当てた。するとたちまち町の惨状が目に入ってくる。
民家のブロック塀に突っ込み、勢いが止まらず家屋に激突してひしゃげているトラック。
ぶつかって横転した乗用車。
火事で燃え尽きた、家だったらしい黒焦げの残骸。
走行中に正面衝突し、滅茶苦茶に壊れてしまった二両の電車。
……そして、電線を埋め尽くすように停まっている、数え切れないほどのカラス。
こんな光景が常態化してしまってから、もう二ヶ月が経つ。人類が築いてきたあらゆる文明や組織は、今や崩壊の一歩手前まで追い込まれてしまっていた。
双眼鏡で大通りのある方向を見ていた僕は、双眼鏡の視界の隅で何かが蠢くのを見た。素早くピントを合わせてそれを見る。
視界の中では、いくつかの人影が動いていた。一見普通の人間に見えるが、口の周りが真っ赤に染まり、手には何か紐のような物を握って引きずっている。よく見るとその紐は、人間の小腸のようだった。
そのすぐそばでは、人々が身を屈めて何かに群がっていた。まるでバーゲンの商品売場に群がるオバちゃんたちのようだったが、彼らが群がって食らいついていたのは人間の死体だった。
その死体は女性で、何人かの男が彼女に覆い被さっているところだけを見れば暴行を受けているようにも見えただろう。だが群がる人影の隙間からは、彼女が腹を食い破られて内臓を引きずり出されているのが見える。左腕は食いちぎられたのか肩の付け根から消失しており、力を失った右腕が人々の動きに合わせて誰かを招くかのように揺れていた。
余りに凄惨な光景だったが、僕は何も感じなかった。以前はスプラッター映画とだけでなく、テレビのドキュメンタリーなどで医者が手術をしているシーンを見るだけで目を背けていたのだが、人間何でも慣れなのだろう。この二ヶ月、数え切れないほど凄惨な死体を目にしてきたし、目の前で人間が喰い殺されるのを何度も見た。
双眼鏡で死体に群がる人々を観察していた僕に気づいたかのように、一人のサラリーマン風の男がこちらを向いた。口元には肉片がこびりつき、ワイシャツの上腕部は大きく裂け、そこから見える肌は皮膚が引き裂かれてズタズタになっていた。だが男は何も感じていないかのように視線を戻すと、しゃがんで隙間無く人々が群がる死体にかぶりつく。
僕は双眼鏡を下ろし、壁に寄りかかってずるずるとしゃがみ込んだ。人が人を喰らう、そんな光景はこの二ヶ月で見慣れている。どうしてそんな事になったとか、何で彼らがそんな事をするのか、というのを考えるのは最早放棄している。考えても無意味だし、考えるよりもまずは生き延びるための行動をしなければならない。
あの人々はーーー感染者は、僕が見ていたように人間を襲って喰う。詳しい事はわからないが、食欲と攻撃衝動に支配されていると聞いた事がある。ひたすら餓え、常に怒り、人間を見かければ攻撃して喰いたくなる。
原因はある種のウイルスだろうと、テレビやラジオが止まる前に報道されていた。そのウイルスに感染すれば数時間以内に人間ではなくなり、食欲と攻撃衝動に取り付かれた感染者へと変貌する。感染者は人間を敵(もしくは餌)とみなしひたすら襲うが、同じ感染者は仲間と思っているのか、単に興味がないのか襲う事はない。人間を人間たらしめている理性と記憶は失われ、「人の形をした凶暴な獣」と化してしまうのだ。
感染者は身体のリミッターが外れていて、常に火事場の馬鹿力を発揮しているような常態で人間を襲う。さらに身体も強靱になり痛覚も麻痺しているのか、普通の人間なら即死するような重傷を負っても生きている事がある。腕の一本や二本が切断されたくらいでは死なず、さらに出血にも強いのか大出血していても生きている。
まるで映画に出てくるゾンビのようだったが、感染者は一度死んで復活したわけではない。生きた人間がウイルスに感染し、凶暴化したものだ。だが腕が千切れようと足がもげようとひたすら人間を喰おうとする彼らを「ゾンビ」と呼ぶ人も多い。
そう呼ぶ人間自体がほとんど残っていないんだどね。
二ヶ月前に世界で同時多発的に発生した感染者は、たちまちその数を増やしていった。感染者の唾液には大量にウイルスが含まれていて、咬まれた人間は傷口からウイルスが体内に入って感染し、数時間後には感染者の仲間入りをしてしまうのだ。
ねずみ算式に数を増やしていく感染者に、世界各国は為すすべもなく崩壊していった。警察や軍隊は奮戦したが、戦果を挙げる代わりに被害も多かった。何しろオリンピック選手のような速さで走り、手足を撃たれても動き続けるような奴らが相手なのだ。おまけにこちらが失った戦力は、丸ごと敵の戦力と化してしまう。
日本も外国と同様に大量の感染者が発生した。今や日本人の九割は死ぬか感染者と化した、とラジオではやっていたが、そのラジオも電波が入らなくなって久しい。流通や人の動きはストップし、電気や通信のインフラもそれを動かす人間が死ぬか感染して止まった。人々は感染者から逃れようとあちこちに逃げたが、紛れていた感染者が各地に解き放たれ被害を増やすだけだった。
政府は既に機能しなくなっているらしい。警察と自衛隊の残存部隊がどこかに拠点を設けて戦力の回復に努めているという噂を聞いた事があるが、あくまで噂だ。全滅したという話も聞いたが、この現状ではそっちの方が信憑性がある。
僕は二ヶ月前まで普通の高校二年生だった。感染者が発生して物流とインフラがストップしてからは家の近くの避難所で暮らしていたが、避難して一週間もしない内に感染者の大群に襲われた。両親とはぐれ、必死に逃げて僕は今日まで生きてきた。
避難所から逃げてから何人もの生存者と出会ったが、例外なく彼らは死ぬか襲撃の際に分断されて行方知れずになってしまっていた。二十日前感染者の襲撃で仲間を失って以来、僕は一人でこの町で生きてきた。
そして今日、僕は一週間ネズミのように隠れていたマンションの一室から出ていく事にした。別にここを離れるわけではない、必要な食料や水を調達するためだ。
感染者は人間を襲う。だが見つからなければ当然襲われる事はない。感染者の身体のリミッターは外れ超人的な力を発揮しているが、感覚は痛覚を除いて人間のままだ。暗闇では物が見えないし、よほど強烈な臭いでもなければ嗅覚で見つかる事はない。車に乗ったり大声を出すなどすればさすがに位置がばれて襲われるが、息を潜めてひっそりと暮らしていれば感染者には見つからない。
そのため僕は数日の放浪の後、マンションの最上階の一室に引きこもるように暮らしていた。カーテンを全て閉め、夜に見つからないよう灯りもほとんど点けず、ただ息を殺して生きてきた。その部屋を選んだのは単に偶々鍵が開いていたのと、最上階にあって安全が確保出来ていたからだ。六階建ての最上階ならちょっとやそっとの音は地上の感染者には聞こえないし、エレベーターが止まっているから階段を封鎖すれば感染者の移動を制限出来る。
感染者は生きている人間を見つければ全力で追ってくるが、上手く隠れれば撒く事も出来る。見つかっても全力で走って距離を稼ぎ、建物などに隠れて息を潜めていれば感染者は人間を見失う。最初は逃した得物を捕らえようと見失った場所の近くを徘徊し、わずかな物音や臭いも逃さないが、やがて興味を失って離れていく。僕は何度も感染者に襲われたが、そうやって今まで生き延びてきた。
ちなみに僕が生き残れているのは、単に運と足の速さが理由だろう。子供の頃から外で遊ぶのが好きで、特に鬼ごっこが得意でいつも走り回っていた。そのおかげか中学高校では部活に入っていなかったが、新学期に行われる体力測定では陸上部の短距離選手に負けない記録を叩き出した事もある。
だが逃げる時に大きな荷物を抱えていては邪魔になる。このマンションの近くにはコンビニがあり、まだいくつか食料や水などが残っていた。この地区は早々に壊滅してしまったのか生存者は外部から逃げ込んできて以来見た事はなく、実質残っていた物資は僕の物同然だった。
だが一度にマンションに運び込むには、少し多い量だった。食料と水を蓄えてひたすら立てこもろうとして、物資の運搬中に見つかり動きが鈍くて追いつかれてしまったのでは本末転倒だ。だから僕は物資を機敏に動ける分量だけ持ってマンションに立てこもり、使い尽くす直前で再び外に出ては運んできていた。万一襲われた際に体力が無くては困るので食事などの極度な節約は行わず、そのため五日おきに外に出ていた。
僕はナップザックに僅かに残った水と食料、それと必要な物資を詰め込み、武器の点検をしていた。もし襲われたらまずは逃げるが、追いつめられたら戦わなければならない。そのための武器だった。
僕は頑丈な鉈と、アルミから削りだした警棒にもなるマグライト、それにバールを武器にしていた。どれも元から持っていた物ではなく、逃げ込んだ先の民家で見つけた物だ。銃があれば効率的に遠距離から感染者を排除出来るのだが、無い物ねだりをしても仕方がない。銃社会のアメリカなら期待できるけど、ここは日本だ。銃を持っているのは警官と自衛隊員、それに在日米軍の兵士と漁師くらいだ。反則として暴力団などの反社会的な団体も銃を所持しているが、都合よくそれらの死体に出くわして銃を拾うなんて展開はない。
ちなみに感染者は映画のゾンビなどと違って、弱点が頭しかないというわけではない。あくまで凶暴化した死ににくい人間なので、きちんと頭や心臓、肺などの生命維持に必要な器官に重大なダメージを与えたり、全身にバラバラにするなどすれば死ぬ。だから胸を狙っても死ぬのが救いだ、あまり嬉しくないが。
もっとも僕は、感染者と遭遇した場合まずは隠れる。それから逃げる。戦うのは最後の手段だ。
感染者が一体しかいない場合、鈍器などで倒すのは簡単だろう。だが二体いたら僕は様子を見るし、三体以上いたら迷わず引き返すか迂回路を探す。背後からこっそり忍び寄って頭に一撃、で倒す事も出来るが、それが出来るのは感染者が一体しかいない時だけだ。二体以上いたら一体目を倒した時点で気づかれ、ひたすら追いかけられる羽目になる。僕も短距離選手並の速度で走ってくる、人の形をした猛獣とやり合うつもりはこれっぽっちもない。
これが映画やゲームなどのノロノロ動くゾンビだったらまだ楽なんだけど。動きがトロいから鈍器でも十分やれるし、いざとなったら簡単に逃げられる。だけど感染者たちは獲物を見つけたら、視界から消えるまで全力で追いかけ続ける。本当、冗談抜きでどうにかしてほしいくらいだ。
車での移動は自殺行為だ。そもそも僕は免許を持っていないから確実に事故を起こす自信があるし、エンジン音で感染者に気づかれる。道路も二ヶ月前の大混乱で事故を起こした車などであちこちが塞がれていたりして、よほど地理と地形に詳しくない限り迂回路を探して迷走している内に追いつかれて窓を破られる。
ガソリンスタンドなどにはまだ燃料が残っているが、車で移動しないのはそのためだ。それに普通の車で道を塞ぐ感染者を轢いたら、タイヤは滑りエンジンは破壊されてすぐに動けなくなってしまう。山で走行中イノシシにぶつかったが、イノシシは何ともなく自動車が滅茶苦茶に壊れてしまったという話も聞くくらいだ。特別な改造をするしかないが、そんな技術も時間も道具も僕にはない。
荷物を全て持った僕は廊下に出て、階段の前に置かれたバリケード代わりの机やソファーを退かし始めた。電気が来ないからエレベーターは止まっているし、非常階段も同じように封鎖しておけば、感染者が六階まで上がって来る事はない。もしも発見された場合には、さっきまでいた部屋のベランダに出て、避難用の梯子を使って地上に降りる計画だった。
僕がリュックに入れた荷物は合わせて一〇キロもない。中には衣服や薬などの必要物資と水や食料が入っているが、水と食料は今まで部屋に立てこもっている間にだいぶ消費したので余り量はない。これは僕が全速力で走る時に持てる、最大の重量の荷物だった。
ついでに言うと部屋には何も残して来ていない。またここに帰ってこられるかわからないからだ。仮に感染者に見つからずスーパーで物資を補給出来たなら、また戻ってきて立てこもる。発見された場合、また部屋に戻るのは感染者に居場所を教える事になってしまうので、その時は部屋には二度と戻らず別の拠点を探すつもりだった。
今この町にいる普通の人間は、多分僕しかいないのだろう。このマンションに立てこもるようになってから度々外の様子を観察したが、動いているものは感染者と野生化した犬猫くらいしか見かけなかった。仮に皆が僕のように家に閉じこもっているのだとしても、ほんの数人しか生き残っていないだろう。もし僕が感染者に追いかけられていても、自分の身を守るために僕を助けてくれる事はない。頼れるのは自分だけだ。
そこで僕は再び双眼鏡を取り出すと、先ほど感染者たちが群がっていた死体のある方向を見た。満足して余所に行ったのか大通りに感染者の姿は見えず、無惨なバラバラ死体だけが残っていた。
あれだけ損壊が激しいなら、確実に死んでいるだろう。死んでいるなら感染者と化して襲ってくる事もない。僕はその女性の生存者が死んでいた事に、思わず安堵していた。
地上に降りた僕がまず行ったのは、道路の安全を確認する事だった。別に走ってくる車に気をつけているのではない、感染者の姿がないか確かめるためだ。というかこの数週間、車が走っているのを見たことがない。
もし見つかった場合家屋に逃げ込むなどして撒く事は出来るが、それまでは感染者の視界の中にある限りどこまでも追いかけられる。だから逃げる時はまず曲がり角で一旦奴らの視界から逃れ、それから見つからない場所を探す。なので僕は移動する時、曲がり角のあるルートを選ぶようにしていた。
だが曲がり角で感染者の視界から逃れられるという事は、僕からも曲がり角の先にいる感染者が見えないという事だ。だから移動する時は音を立てず慎重に、そして曲がり角や見晴らしの良い場所では注意して移動する必要があった。
まるで映画に出て来る特殊部隊のように曲がり角の壁に張り付き、顔半分だけを突きだして感染者がいない事を確かめる。この二ヶ月でこういった事に関しては、スムーズに行えるようになっていた。
感染者がいないのを確認したら、足音を立てないように慎重に進む。感染者の聴覚は人間並みなので、よっぽどバタバタ大きな音を立てない限りは見つからない。だがどこにいるかわからないので、あらゆる場所にいると想定して動く必要がある。
僕は移動する時に走らない。足音が出るし、何より体力を消耗する。もし見つかった時に疲れて動けなければ連中の餌になってしまう。だから僕は動く時は素早く、でも音は立てずに走らない事に注意していた。目的地を目の前にして早くたどり着こうと走り出し、結果音を出して見つかった上に疲れたため追いつかれて殺された人々を僕は何度も見た事がある。
目的地のスーパーは先ほど女性が殺されていた大通りを挟んだ場所にあった。大通りなどの広い場所は見晴らしがいいので、動いていれば遠くからでも感染者に見つかってしまう。こういった場所だけは、発見されるリスクを抑えるために走って移動するしかない。
大通りの左右をよく見て感染者がいない事を何度も確かめ、それから隠れていた廃車の陰から飛び出す。五〇メートル走で六秒台を叩き出す足でもって全力で走ったが、ほんの数十メートルの距離がまるで数百メートルもあるかのように感じる。遅々として進んでいる気がせず、このままでは見つかるという考えが頭の中に生まれ始めた直後、僕は大通りを渡りきって横転していたトレーラーの陰に滑り込んでいた。
その位置からスーパーまでは、文字通り目と鼻の先の距離だった。僕は窓や自動ドアのガラスが全て叩き割られたスーパーへと、慎重に足を踏み入れる。
スーパーの中はまるで台風が通った後のように荒らされていた。略奪があったのだろうが、意外と商品は残っている。暴徒が略奪しようと襲ったが、騒ぎを察知してやって来た感染者がその暴徒を襲ったーーーといったところか。今やこの町はほぼ無人と言ってもいいので、略奪後改めて残った物資を奪いに来る人も少なかったのだろう。
だが残された品も、僕が何度か取りに来て消費したため少なくなってきている。このスーパーに頼れるものあと数週間といったところか。ここの物資が尽きたら、他から調達して来なければならない。あのマンションは立てこもるのに結構条件が良かったので、出来れば離れたくないのだけど……。
食品コーナーの棚は空だった。以前僕が来た時に、他にやって来た生存者に持ち去られないよう移動させておいたのだ。僕も貴重な物資をみすみす他に渡したくはないし、他の生存者もそう思っているだろう。このスーパーの食料は、分け合うには少なすぎる。
会計所に向かい、六番レジの下のビニール袋などを入れるスペースに手を突っ込んで、中からいくつか中身の入った袋を取り出す。中には水や食料がいくつか分類されて入っているが、持ち去られた形跡はない。僕はその中から、必要だと思われる一週間分程度の食料と水を取り出してリュックの中に入れ始めた。
会計所を見ればいくつかレジが壊され、現金が床に散乱していた。ここを襲った暴徒か生存者が持ち去っていったのだろうが、このご時世に現金を持って行ったところで何の役に立つと言うのだろうか。今や金よりも物資の方が大事だし、命の方がもっと大事だ。現金を出したところで物を売ってくれる店があるわけでもない。
現金の価値を保証する日本政府は今や壊滅寸前だし、生き残った人々が集まるコミュニティーでも物々交換しかやっていないと聞く。
この騒ぎが収まり、再び通過が効力を持つようになれば現金を盗んでいった人々は大金持ちになれるのだろうが、そんな平和な未来が来ると僕は思えない。
缶詰等が振動で音を立てないようタオルで梱包してリュックに入れ、チャックを閉めて背負おうとしたその時、入り口の方で何かが動いたのが見えた。とっさに姿勢を低くして、レジの陰から入り口を伺う。
誰かがスーパーの中に入ってきていた。数は一人、だが逆光で顔が見えない。感染者か生存者か、どちらだろうか? だが相手が一人なら倒すのは容易だ。
僕はバールとマグライトを握り、人影がこちらに近づいてくるのを待った。マグライトは警棒にもなるが、あくまでライトだから何度も何度も人を殴るための代物ではない。だから僕はバールを使って感染者を倒すようにしていた。バールは手頃な長さで重さもそこそこ、持って走るのに邪魔にならず、振り回すにはちょうどいいし威力もかなりある。よくニュースで「バールのようなもの」として犯罪に用いられるのがよくわかる。それに某ラノベでは「名状しがたきバールのようなもの」として大活躍しているし。
その人影は店の中を慎重に確認しているようだった。感染者ならそういったまどろっこしい事はしないし、そもそも何かを確認するような知性も残っていないので、おそらく人間だろう。
だが人間だからといって気を抜くつもりもない。無法状態になったこの世界で、楽しみ半分で人を殺そうとする輩はたくさんいる。生きるため、という理由を付けて人を襲う連中はもっと多い。油断する事は出来ない。
人影は周囲を伺いながら、食品コーナーへと進んでいく。食品コーナーへ行くにはこの六番レジの前を通るのが一番早いので、人影もどんどんこちらへ近づいて来ている。僕は人影がレジのちょうど前を通るのを待って、立ち上がった。
「誰だ!?」
低く小さいが、しっかり聞こえる声で誰何し、ライトの光を当てる。「きゃっ!」という悲鳴と共に、人影が腰を抜かすのが見えた。
僕の目の前にいたのは、中学生くらいの少女だった。黒髪をショートカットにして、学校の制服らしいセーラー服を着ている。スカートを穿いた状態で地面にへたり込んでいるが、下にスパッツを穿いていたため下着は見えなかった。
……別に残念だと思ってないけどね!
「あ、あんた誰……?」
震える声で少女は言う。手を確認して武器らしい物を持っていない事を確認すると、僕はマグライトの光を消した。可能性は低いだろうが襲われた時の事を考え、バールはまだ握っておく。
「君こそ誰だ。この町の住民か? どこから来た、他に生存者はいるのか?」
「わ、私は余所からここへ逃げてきたの。避難していた場所が襲われて……」
「一人か?」
そう尋ねると少女は頷いた。そして自分がベラベラ情報を話してしまった事に気づき、不審の目で見てくる。相手が考える隙を与えず質問を続ければ、思わず答えてしまうという事を聞いた事があったのだが、まさか実践する機会があるとは思わなかった。
その後僕が名を名乗る事で彼女の警戒も解けたのか、色々と質問に答えてくれるようになった。
彼女の名前は橘結衣、中学三年生。二ヶ月前の感染者の大量発生以降、ここから数十キロ離れた避難所で両親と共に暮らしていた。避難所には銃を所持した猟師が何人もいて安全で、物資も豊富だったらしい。
だが数日前、その避難所が感染者たちに襲われた。生存者の不注意が原因だったらしいが、そんな事はどうでもいい。避難民の多くが殺され、生き残った者たちも散り散りになって逃げたという。
結衣もその混乱の中で両親とはぐれたが、どうする事も出来なかった。避難所に戻るわけにはいかないし、かといって両親を捜す手がかりもない。とにかく感染者から離れようとひたすら東へ向けて走り、今朝この町へたどり着いたそうだ。
突然の事で荷物は一切持ち出せず、とりあえず餓えと乾きを満たそうとこのスーパーへ入ったところ、僕と遭遇した。これがここに彼女がいる理由だ。
「あんたもしかして、一人?」
「そうだけど」
いきなり年上の人間に向かってとは思えないような態度を取り始めた結衣に少しいらっとしつつも、僕も質問に答える。こっちだけが尋ね続けては彼女の不審を買ってしまう。
「あんたよく、何週間も一人で生きていられたわね……」
結衣は驚いたように言ったが、僕からしてみればこの町にたどり着くまでずっと走っていたという彼女の方が驚きだ。
「まあ奴らに見つからないよう隠れていたからね、ほとんど引きこもっていたようなもんだよ」
「この近くに住んでるの?」
一瞬、答えるかどうか迷った。もしイエスと答えれば、行く当てのない彼女が保護を求めてくる可能性が高い。だが僕が隠れているマンションは安全とはいえ、数が増えればそれだけ発見される確率も高くなる。それに二人で暮らせば消費される物資の量も当然二倍になる。今の僕にそこまでの余裕はない。
だが口を開こうとしたその時、入り口の方で何か音が聞こえた。とっさにその場にしゃがみ、小声で結衣に「隠れろ」と言う。彼女も今の音が聞こえたのか、姿勢を低くしたまま隣のレジへと移動する。
プレゼンなどで使用される伸び縮みする指揮棒の先に小さな鏡をくっつけた代物をポケットから取り出し、レジの陰から少しだけ突きだして入り口の方に向ける。曲がり角などでも先の様子が分かるように自作した物だがなかなか使い勝手がよく、重宝している。
鏡に映った入り口から、一体の感染者がスーパーの中へと入ってきていた。舌打ちしたくなる衝動を抑え、そのまま観察を続ける。結衣がスーパーに入って行くのを見て後をついてきたのかどうかはわからないが、まだ僕たちは発見されていない。
だがここで音を出したり動いたりすれば、確実にあの感染者に見つかる。それだけはなんとしても避けたい。
感染者は低いうなり声を発しながら、フラフラとスーパーの中を徘徊する。普段はああやってウスノロな感染者だが、獲物(人間)を見つけた瞬間餌を見つけたライオンの如く全力で走り出す。その足の速さで何億人が逃げても追いつかれて喰い殺され、連中の仲間入りをしただろうか。
早く行け、ここには何もない。そう念じて感染者が行ってしまうのを待つ。一体だけならば倒せない事もないが、相当のリスクを犯す覚悟が必要だ。
感染者は入り口付近をウロウロし、数分もすると反転して入り口の方へと向かい始めた。逃げ切れたか、安堵して胸を撫で下ろそうとした時、チャリ……と金属が擦れる音が僕の耳に届いた。しかもその音は、結衣が隠れている隣のレジから聞こえた。
感染者の動向に夢中で、僕はすっかり結衣の存在を忘れてしまっていた。身体の姿勢を変えた拍子に床に散らばった硬貨を下敷きにしてしまったのだろうが、原因はどうでもいい。音を出してしまった事が問題だった。
隣のレジから結衣が息を呑むのがわかった。僕も息を殺し、指揮棒を少しだけ出して入り口の様子をうかがう。
僕の願いに反して、やはり感染者は今の音を聞いていたようだった。足を止めて周囲を見回し、それからこちらに顔を向ける。そして最悪な事に、こちらに向けて進み始めた。
一歩一歩近づいてくる感染者の顔が、鏡によく映る。学生服に身を包んだ高校生らしい男子だ。感染者の運動能力はある程度人間だった頃の状態に左右されるので、高校生男子といえば成長真っ盛りで運動能力も高い。それが感染者となれば、まさに化け物じみた運動能力と力を発揮するようになる。敵にするには厄介な奴だった。
来るな、来るな、来るな……! ただそう願う事しか出来ない。だが感染者は僕の願いなど無視して、どんどん近づいてくる。
そして、
「いやぁああああああッ!」
ついに緊張に耐えられなくなったのか、パニックに陥ったらしい結衣が悲鳴と共に立ち上がり、もう一つの位置口へ向けて逃げ出した。当然感染者がそれを見逃す筈もなく、大きく吼えた感染者は結衣を追い始める。
こうなっては隠れても意味がない。僕も立ち上がり、叫ぶ。
「走れ、走れ!!」
そう叫びながら、今まで握っていたバールを構える。結衣を追おうとしていた感染者は僕に狙いを変えたのか、こちらに向けて全力疾走してくる。見る見る内に距離が縮まり、血の混じった涎を口の端から垂らして走る感染者の姿が大きくなってくる。
今すぐ背を向けて逃げたくなる衝動を抑え、冷静に距離を測る。感染者が僕と一メートルの距離まで近づいてくるのに、あと二秒もない。
感染者が僕と一メートルの距離まで近づいた瞬間、バールを思いっきり斜め右上から振り下ろす。ゴッと鈍い音と感触と共に僕めがけて全力疾走していた感染者の左側頭部が大きく陥没し、血が噴き出す。惰性でそのまま突っ込んでくる感染者の身体を避けると、感染者の死体はしばらく進んでスーパーの床に倒れた。
感染者はあくまでウイルスに感染して凶暴化した人間なので、人間と同じく生命維持に必要な組織や器官が活動停止したら死ぬ。ただグリズリー並に死に難いだけだ。
感染者を倒した僕は、すぐさま荷物を背負い全力で結衣の後を追う。ちらりと背後を振り返ると、さっき男子高校生の感染者が入ってきた入り口から、アリの如くワラワラと感染者たちがスーパーの中に飛び込んでくるのが見えた。
感染者は獲物を発見すると吼える癖があるらしく、それに釣られて他の感染者も集まってくる。一体に見つかったら近くにいる感染者全員に追われる危険があるのだ。
僕を追う感染者はわざわざスーパーの入り口を通り、店内を通ってくれているので直線距離で追うよりも時間をロスしてくれている。感染者には知性がないので、先回りしたり近道を通って追うなどの合理的な判断が出来ず、ただ食欲に身を任せてひたすら後を追う事しかしない。行く先々で感染者が待ち伏せしている危険が無いのはうれしいが、全力で追いかけられている状態では何の有り難みもない習性だ。
大通りには枝分かれした道が少ないので、ひたすらまっすぐ走り一番近い曲がり角を曲がる。もし追われている人間ならとりあえず感染者の視界から一度逃れようと、進路を変えるはずだ。
予想通り、角を曲がるとすぐに結衣と再会した。だが彼女は転んだようで、膝に血が滲んでいる。
「大丈夫か!?」
「っつ……!」
痛む膝小僧を押さえる結衣を立たせようとしたが、彼女は小さな悲鳴と共にしゃがみ込んでしまった。転んだ拍子に足首を挫いたらしい。
「クソッ!」
そう罵るしかなかった。走れなければすぐに感染者に追いつかれ、殺されてしまう。
一瞬結衣をここに置いていこうかという考えが頭に浮かんだ。元はと言えば感染者に発見されたのは彼女の責任なんだし、僕が彼女を助ける義務も義理もない。はっきり言って赤の他人を助ける余裕はないし、ここに置いていって彼女が襲われている隙に、僕はーーーーーー。
その悪魔のような考えは、「助けて」と訴える結衣の声でかき消された。痛みと恐怖で目を潤ませ、足を押さえて見上げてくる彼女を、僕は見捨てる事は出来なかった。
それがどうしてなのかはわからない。数週間ぶりに人間と出会って情が湧いたのか、それとも元々こういう人間だったのか。とにかく僕は結衣を置いては行けなかった。
大通りの方からは感染者の絶叫が聞こえ、しかもどんどん大きくなってくる。後数秒で通りの角を曲がり、僕たちを再び視界に捉えるだろう。今から近くの民家に隠れる余裕はない。
僕は結衣をいわゆる「お姫様だっこ」の格好で抱き抱えると、前へ向けて全力で走り始めた。背中には荷物、両手には中三の女子と一気に身体が重くなり、当然走るスピードも落ち始めた。いくら地面を蹴っても全然進んでいない、そんな気さえしてくる。
一瞬荷物を捨てようかとも思ったが、そんな暇はないしここで食料や水を失うわけにもいかない。この付近で感染者に発見された以上もうあのマンションには戻れないし、さっきのスーパーで物資を調達する事も出来ない。いつどこで物資が補給出来るかわからない以上、荷物を捨てていくわけにはいかなかった。
「来たわ!」
僕に抱き抱えられた結衣が後ろを見て叫び、同時に感染者たちのうなり声が大きくなったように感じた。彼女を抱えている以上一々振り返る暇はない、早くどこかへ隠れなければ……!
ここ数週間この町に滞在していたが、外に出たのは数えるほどしか無いので町の土地勘はない。だが何度も地図を見て屋上から双眼鏡で町を観察していたので、地形はだいたい把握している。
確かこの先にガソリンスタンドがあったはずだ。そこならわざわざ塀を乗り越えたりする必要もなく逃げ込める。頭の中の地図と目の前の道路をつき合わせてルートを確認し、そこまでの最短距離を導き出す。
重い荷物と少女を背負っている割には、僕は速く走っていたと思う。後ろから追い続ける感染者の叫び声と、それを聞いて手の中で震える少女。その二つが僕を必死に動かしていた。
やがてガソリンスタンドが見えてきた。最近のガソリンスタンドはコンビニも併設してある場所が多いが、あのガソリンスタンドは個人経営店らしいので従業員の休憩室兼待機所しか無いだろう。だが隠れる事は出来るかもしれない。
僕の身体は限界に近づいていた。腕は少女を抱えているので重く、リュックの紐は肩に食い込み、口の中は乾き、心臓と肺はパンク寸前で、休息を求める身体は熱かった。
そしてガソリンスタンドから五〇メートルも無い距離まで近づいた僕は、最後の力を振り絞ってまっすぐ突っ込んでいく。従業員休憩室らしい小さな建物の入り口には乗用車が突っ込んでいたが、その脇に人が通れそうなほどの隙間があった。その割れたガラス戸から身体を室内に滑り込ませ、僕は隠れられそうな場所を探す。
休憩室の中は机と椅子、ソファーや雑誌の棚などくらいしか置いてなかった。だが部屋の隅に清掃用具を納めたロッカーがある。ここで我慢するしかない。
一旦結衣を下ろすと背負っていた荷物を床に放り出し、ロッカーを開けて中の箒やモップを外に全て出す。それでもロッカー内部の空間は人が二人どうにか隠れられるかどうかというほどしかないが、この際仕方がない。隠れなければ死ぬだけだ。
「入れ」
手を掴み、結衣をロッカーの中へ引っ張り込む。何か言い掛けたようだが気にせず、僕はロッカーの扉を閉めた。
確かにロッカーの中は狭かった。近いというか、僕と結衣が全身を密着させているような状態だ。
僕は左手で結衣の身体を抱き抱え、右手で彼女の口を押さえていた。背後から抱き締めるような格好だ。口を押さえているのは、またパニックになって喚かれたらたまらないからである。
ちなみに左手に何か柔らかい物が当たっている感触がするが、気にしないでおこう。自分の姿勢からして僕の手が何に当たっているのかは大体想像がつくが、非常時だし仕方がないよね。それにしても、あまり大きくないな。
結衣が何か呻いたが、僕は「シッ」と言ってさらに口を押さえた。窒息死されては困るので、当然鼻は押さえない。
ロッカーの扉上部に入った細長いスリットから外の様子を伺う。狭いロッカーの中にいるせいで音はほとんど聞こえないが、外の様子は見える。
すぐに、車が突っ込んで大破した休憩室の入り口から、僕たちを追ってきた感染者たちがぞろぞろと室内に入ってきた。結衣が息を呑むのがわかり、恐怖で彼女の身体が震え出す。僕は無意識の内に、彼女を落ち着かせるため強く抱き締めていた。
感染者たちは涎を垂らしながら、あーうー呻いて室内を徘徊する。ロッカーの前に僕の荷物や箒が散らばっていても、それが何を意味しているのか理解する事が出来ない。そのため人間なら真っ先に誰かが隠れていると疑うロッカーにも、感染者たちは無反応だった。
もっとも今音を出せば、確実に感染者たちは僕たちに気づく。だが僕たちが一切動かず音も出さなければ、感染者たちにとってこのロッカーはただの物体の一つとしか認識されない。
何体かがロッカーの前を通り、その度に結衣の身体は電流が流れたように大きく震える。僕も逃げ場の無い恐怖に呑み込まれそうになったが、今は結衣を守らなければならないという義務感でどうにか精神を保たせた。
知性のない感染者は何故ロッカーの前に僕の荷物や本来中にあるはずの箒が散乱しているのか、そこから推測する事が出来なかった。僕たちを見失った感染者たちは次の獲物を求めて、潮が引くように休憩室からぞろぞろと出ていった。
念のために最後の感染者の姿が見えなくなってもしばらく待ち、一〇分後、ようやく僕たちはロッカーの中から出た。狭い空間に二人で密着して入っていたため中は蒸し暑く、ようやく地獄から解放されたような気分だった。
油断せず素早く室内の安全を確認した後、ガソリンスタンドの周辺にも感染者がいない事を確かめて、ようやく一息つく事が出来た。ずっと走っていた上にクソ暑い場所にいたので口の中はカラカラで、リュックからミネラルウォーターのボトルを取り出した僕は一気に乾きを癒す。
「飲むか?」
結衣に半分中身が残ったボトルを差し出すと、彼女はひったくるようにして水を飲み干した。そして口を拭い、開口一番、
「あんた、私の胸触ったわね……!」
と思い切り睨んできた。
「いや、あれは不可抗力だし、というか狭かったんだから仕方ないだろ」
「でも他に手を置く場所くらいあったでしょ!?」
「というか、あんな小ささじゃ触った気がしな……」
次の瞬間、結衣の投げた空のボトルが僕の頭を直撃した。痛かったが、こうして二人とも生き残り馬鹿なやりとりをしている事に、思わず笑ってしまう。遠回しに貧乳だと言われ怒っていた結衣も、僕の笑いが感染したのかくすくす笑った。
さっきまで彼女の事を厄介だと思っていたのに、こうして困難を切り抜けた今では、大切な存在のように思えた。
ああ、生きているって素晴らしい。僕は改めてそう思った。
「……それで、あんたこれからどうするのよ?」
荷物をまとめ立ち上がった僕に、結衣がおずおずといった感じに話しかけてくる。さっき転んで擦りむいた箇所は消毒し、足首には濡れタオルを巻いて冷やしてやっているが、一人で歩き回るのはしばらく無理そうだった。走るのはもっと困難だろう。
「もう隠れ家には戻れないし、長くここに留まるのも危険だ。さっさと別の町に移って安全な場所を探すさ」
「へ、へえ、そうなの」
そう言うと、結衣は何かを訴えるような目で僕を見上げた。でもそれを口にするのは恥ずかしいのかプライドが許さないのか、すぐに床に視線を落とす。
……仕方ないか。
「ま、仲間が欲しいとは思っていたんだよな。それにお前の足も心配だし」
仲間云々は嘘だが、足を心配しているのは本当だ。それに何だか、ここで別れるのはかなり惜しい気がする。
僕はニヤッと笑い、続けた。
「一緒に来るか?」
その言葉で結衣は顔を上げた。心なしか、瞳が輝いているように見えた。
「うん!!」
こうして、独りぼっちだった僕は、新しい仲間を得る。
この先彼女といつまで一緒にいられるかはわからない。面倒が増えたのも確かだ。だが僕は、仲間というかけがえのない存在を手に入れる事が出来た。
人類は滅亡の一歩手前に立っている。
だが世界が終わろうとも、僕の世界は終わらない。最期の時まで、僕は足掻き続けるだろう。
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