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Psychopath  作者: 東都湖 公太郎
シザーハンズ
9/45

7




 地下とは思えないほど広大なトレーニングルームで、ふたりの少女が踊る。

 身軽なスポーツウェアに身を包んだ、異能の力を持つ少女たちが、珠のような汗をほとばしらせて踊る。


「ふふっ、そんな速度ではいつまで経っても終わりませんよ?」

「っ……! やっぱり速いっ……!」


 莉子は幾度となく亞璃紗に襲いかかる。

 青白い炎を湛えた右手を伸ばすが、その手は亞璃紗の髪の毛すら掴むことが叶わず、空を切る。

 亞璃紗は最小限の動きで莉子の攻撃から逃れ、涼しげな表情で小さな金属片を手に持ち、ひらひらと見せつける。

 その金属片は鍵だった。

 このトレーニングルームの隅に置かれたふたつの箱。

 それに施錠された錠前を開くためのものである。


「ただ特訓するのでは面白みに欠けますわ♪」


 にこやかな笑顔で亞璃紗がそう持ちかけたのは、かれこれ8時間前のことだった。

 彼女が提案したゲーム……それは簡単な鬼ごっこ。

 細い鎖で作られた鍵の付いたネックレスを亞璃紗から奪い取り、箱の中の景品をゲットするというもの。

 中になにが入っているかはお楽しみ。

 そういうのに弱い莉子は俄然やる気が倍増し、現在に至る。

 しかし、亞璃紗には精神エネルギーを用いて驚異的な瞬発力を得る加速アクセルがある。

 手加減しているとはいえ、加速アクセルなしの莉子ではまるで勝負にならない。

 加速アクセルを追い落とすには、加速アクセルしかない。

 速く、もっと速く。

 その願い、その意思を、莉子の精神から引きずり出し、加速アクセル異常技能アブノーマルスキルを覚醒させることが亞璃紗の狙いだった。

 そして、それは狙い通り……いや、狙い以上の効果をもたらした。


「とああーーーっ! そこだぁーーーっ!!」


 莉子の何十回目かのアタック。

 一瞬、亞璃紗はその襲撃速度を見誤った。

 わずかに伸びる手。

 その指に絡まる、細い鎖。

 亞璃紗の首に下げられた鍵付きネックレスが、いともたやすく引きちぎられる。


「と……取った! 取ったぁーーーっ!!」

「まぁ、わたくしとしたことが。油断してしまいましたわ」


 ひとつめの鍵を手に大喜びする莉子。

 いそいそと宝箱に駆け寄る彼女の背中を見て、亞璃紗は感心していた。


「やったっ! バナナだ! ちょうどお腹空いてたんだよねー」


 第一の箱の中身、それはバナナの房だった。

 動き疲れた肉体に適度なエネルギーを補給し、精神的にも重要な脳に糖分を与えてくれるバナナは、武闘派の精神異能者サイコパスには欠かせないマストアイテムである。


「ふふっ、教師が優秀なのか教え子の才能なのか……どちらにせよ面白い子ですわ……」


 明日からは本格的に加速アクセルを使っても大丈夫そう……そう思いながら亞璃紗は呟いた。

 あのスピード、微弱ではあったがあれは紛れもなく加速アクセル

 莉子は持ち前のポテンシャルで、早くも加速アクセルの基礎を掴み始めていたのだ。


「さて、では今日はこのくらいに―――」

「むぐむぐ……もぐもぐ……もぁ? もうひょっひょふほいへもはいひょうふはひょー」

「あ、あの……食べるか喋るか、どちらかになさってくださいませんこと?」

「……もぐもぐ」

「た、食べるほうを選ばれるのですね……」


 頬をぷっくりと膨らませながらバナナを貪る莉子を見て、苦笑する亞璃紗。

 そんな亞璃紗をものともせず莉子はひとつ、またひとつと大きな房からバナナを引きちぎり、皮を剥く。

 3時間ノンストップで動きまくった莉子は、加速アクセルを効率よく使っていた亞璃紗と違い、体力の消耗が著しかった。

 その小さな体躯は、消費されたエネルギーをいち早く補給しようとしていたのだ。

 大口を開けて下品にバナナを貪り食う莉子を見ていると、ある“欲求”が亞璃紗を突き動かす。


「一之瀬さん……そのっ、わ、わたくしにも……」


 亞璃紗はそう言って、莉子の隣に座り込んだ。

 莉子に合わせてほんの少し加速アクセルで逃げているだけのつもりだった亞璃紗。

 この程度で消耗する予定ではなかったが、さすがのお嬢様も食欲には勝てなかったといったところだろうか。

 ……いや、亞璃紗にはもうひとつ別の目的があった。


「んくっ……ん? 剣さんもバナナ食べる? ひとつでいい?」

「ふ、ふたつ……」


 控えめな口調で指を二本立てる亞璃紗。

 莉子のために用意したバナナをねだるなんてはしたないと思っていたが、莉子はそんなことを気にするような繊細な娘ではないと亞璃紗はタカをくくっていた。


「いっぱい動いたもんね。はいっ」


 実際、その通りだった。


「い、いただきます……」


 バナナを受け取ると、丁寧だがどこかぎこちなく皮を剥いて一口一口小刻みにバナナを齧っていく亞璃紗。

 莉子はそんな亞璃紗を見て、先程までの彼女とは違う“妙な違和感”を感じた。 


「……? ……?」

「い、一之瀬さん? あの、そんなに見つめられると、食べづらいのですが……わたくしの顔になにか付いていまして?」

「あ! ご、ごめんなさいっ! い、いやぁ剣さんって口元も可愛いから、なんか、汗だくでバナナ食べてるところが絵になるなーって、見蕩れちゃった! あは、あはは……」

「汗だくでバナナを食べるわたくしが……? って、い、一之瀬さんっ!? あ、あああ、貴方っ! 一体どんな想像をっ!?」

「いたっ! あはは、ごめんごめん……」


 莉子は飛んできたバナナの皮を顔面で受けながら平謝りした。

 咄嗟に彼女の口から出た言葉。

 それは1ヶ月ほど前、教室で弁当のデザートに入っていたバナナを齧っていたときにクラスの男子に言われたフレーズを、少しアレンジしたものだった。





 翌日―――


「ここだっ! 加速アクセルっ!!」


 莉子の右手に宿った青白い炎が、吸い込まれるように消える。

 その精神エネルギーは体中を駆け巡り、脚周りの筋肉に干渉して常識では考えられない瞬発力と化す。

 地を蹴り壁を蹴り、莉子は攻勢をかける。

 どうやら莉子には加速アクセルの適性があったようで、初歩的ながら加速アクセルを扱えるまでになっていた。


「いいタイミングですわ。ですが―――」


 しかしそれでも、師である亞璃紗には遠く及ばない。

 追われる立場にもかかわらず、彼女は冷静に莉子の動き……その限界点を見極め―――


加速アクセル

「うぇぇっ!?」

「ふふっ、残念でしたねっ♪」


 最小限の加速アクセルでかわす。

 莉子が伸ばしたその手、その指が、亞璃紗の首にぶら下がった鍵を軽く小突いてはじく。

 それは亞璃紗の目論見通り、紙一重の回避。

 だが、莉子にとってはあと一歩のところで逃した機会チャンス

 奥歯を噛み締めて悔しがる莉子を尻目に、亞璃紗は減速挙動に入る。

 が、その瞬間、先ほどまで苦虫を噛み潰したような顔をしていた莉子の口角がつり上がった。

 笑顔……まるで、いたずらを思いついた子供のような、無邪気な笑顔。

 そして、点火イグニッション


「だったら、もっかい加速アクセルっ!!」

「なっ―――!?」


 その場の思いつきだった。

 加速アクセルしたところを、加速アクセルで突き放されたのなら、もう一度加速アクセルで追いつけばいい。

 非常に単純で莉子らしい理屈。

 しかし加速アクセルは、精神異能者サイコパスは、そんな簡単なものではない。


「もらっ―――!」

「一之瀬さんっ!!」


 莉子の脚がもつれる。

 それは加速アクセル中に、精神異能者サイコパスの燃料・エネルギー源である精神力が途切れた結果だった。


「あ……れ?」


 前のめりに倒れかかる莉子を、すんでのところで抱きとめる亞璃紗。

 無理に加速アクセルを連続使用したせいで精神力を消耗し、莉子は気絶した。


「もうっ、無茶するからですよ? ……あら?」


 すでに意識を失っている莉子に向かって、言い聞かせるような口調で囁く亞璃紗。

 だが、その莉子の指には“あるもの”が絡み付いていた。

 それは鎖……

 ふたつめの鍵が下がった質素なネックレスの、鎖だった。


「抜け目のない子ですわね」

「……でしょ?」

「まぁ、意識がありましたの?」

「今起きたの」


 よろよろとしながら自分の脚で立ち上がる莉子。

 そして、自分の指に引っかかったそれを亞璃紗に見せながら、控えめに告げる。


「あ、これってセーフになる……かな……?」

「ふふっ、いいですわよ♪」

「やったっ! 剣さん優しいっ!」


 許しを得て大喜びで鎖をちぎる莉子。

 ふたつめの鍵を入手し、はやる気持ちを抑えながらふたつめの宝箱を開ける。

 箱のなかには、白磁のティーセットとポット、大小いくつかの小瓶。

 そして、花柄のシートが入っていた。


「ん……? なに? これ……」

「それはわたくしがブレンドした特製のハーブティーですわ。お淹れしましょうか?」

「ハーブティー!? うわぁーオシャレー! あたし、緑茶かドリンクバーの紅茶しか飲んだことなかったから憧れてたんだよねー!」

「うふふっ、それはなによりですわ♪」

  

 手馴れた手つきでハーブティーを淹れる亞璃紗。

 それをまるでこどものように目を輝かせて見守る莉子。

 トレーニングルームの隅に咲いたシートの花園に今、小さな茶会が開かれた。


「さぁ、第2ステージのご褒美を存分に召し上がってくださいな♪」

「んん~っ! いい香りっ! それではお言葉に甘えて……いただきますっ!」


 莉子は並べられたクッキーをかじりながら、一杯、また一杯とハーブティーを飲みまくる。

 一方の亞璃紗は、そんな莉子を笑顔で見守り、お茶のおかわりがあれば甲斐甲斐しく彼女のカップに注いでいた。


「はぁ~、不思議な味わい……剣さん、このハーブティーにはどんなハーブが入っているの?」

「ジュニパーベリー、ダンデライオン、チコリにフェンネル、レモンピールとローズヒップ、それとローズマリーが入っていますわ♪」

「うーん……よく分からないけどとにかく美味しいっ! 剣さんも飲みなよっ!」

「いえいえ、わたくしは結構ですわ。だってこのお茶を飲むと……後が辛くなりますから」

「……え?」


 3杯目のお茶を莉子が飲み干した直後、亞璃紗は満面の笑みを浮かべて軽やかに立ち上がった。

 なぜかうっとりしたような、その恍惚混じりの笑顔を見て、莉子は軽い悪寒を覚える。

 そして、その悪寒を後押しするように低いモーター音がトレーニングルームに響き渡り、部屋と外を繋ぐ出入り口のシャッターが下りる。


「あ……あの、つ、剣さん? な、なんでシャッター閉めちゃうの……?」

「くすくすっ♪ おめでとうございます一之瀬さん♪ ここからいよいよ第3ステージ突入ですよっ♪」

「え? で、でも鍵と宝箱はふたつしか無いし……」

「あるじゃないですか。第3の宝箱は、この部屋全部。そして、鍵は……このカードキーですっ♪」


 亞璃紗はとても楽しそうな様子で、ひらひらと右手に持ったカードキーを見せつける。

 対する莉子は、彼女にもうひとつ聞いておかなければいけないことがあった。

 いやな予感で背筋が凍りつきそうだったが、それでもなんとか震える唇で言葉をつむぐ。


「え、えっと……出来ればさっきの『後が辛くなりますから』って言葉の意味を、お、教えて欲しいんだけど……」

「ふふっ、わたくしが先ほど挙げたハーブの種類を覚えていまして?」

「う……その、なんとかライオンにピロリにレモンヒップ?」

「ジュニパーベリー、ダンデライオン、チコリ、フェンネル、レモンピール、ローズヒップ、ローズマリー……この7種に共通する効能は―――」


 視線を動かし、亞璃紗は答えをもったいぶる。

 1秒、2秒……焦らされる莉子を眺めて楽しんでいるのだ。

 剣 亞璃紗。彼女は根っからの―――


「利尿作用ですわっ♪」


 ドSだった。


「り……りにょうさよう……?」

「ふふっ、下腹部がむずむずしますでしょう? ハーブの効能で、おしっこが膀胱にどんどん溜まっている証拠ですわ♪」


 莉子の顔色は一気に青くなった。

 なぜならトイレは、このトレーニングルームの外にあるからだ。

 利尿効果のあるハーブティーをたらふく飲ませてからトイレを取り上げる……そんな悪魔の所業を、天使のような笑顔を浮かべてやってのける剣 亞璃紗という少女に、莉子は戦慄を覚えた。


「あ、あははっ、で、でもっ、そのカードキーをゲットすればあたしの勝ちなんでしょ? だったらまだあたしにも勝機が―――」

「もしかして貴方、あの程度の加速アクセルでわたくしに張り合えると本気で思ってますの?」

「……え?」

「わたくし、貴方にはまだ全力の2割も見せてませんのよ……? ちなみに、これがフルの加速アクセル


 その刹那、亞璃紗の右手が青白く燃え上がったかと思うと、その姿は音もなく消えた。

 なにかの気配だけが、風を纏って縦横無尽に疾走している。

 それは目で追うことすらバカらしくなる超高速の世界だった。


「ふぅ……さ、始めましょう♪」

「え、えっと……そ、そういえばあたし、無断外泊してたわよね? 家に電話しないと……み、みんな心配してるし! だから―――」

「ご安心くださいませ。おうちの方にはちゃあんと連絡しておきましたわっ♪」

「ぐっ……じゃ、じゃあ……えーっと……」


 莉子は小さな脳を高速回転させ、この場を逃れるための言い訳を考える。

 仮病を装う? ありきたり過ぎる。

 いまどきの女子高生よろしく携帯をチェックしたい?

 この際なら近所の用水路にいるシマドジョウにエサをあげに行きたいって理由でも―――


「一之瀬さんはいたって健康体ですし、お友達からのメールには今忙しいから後でメールを返す旨を代返しておきましたし、近所の用水路のシマドジョウにはセバスチャンがエサをあげに行ってますわ♪」

「ちょっ!? あたしの言い訳を先読みするのやめてよっ!」


 残念ながら、退路はすべて遮断されていた。

 戦前から連綿と続く大財閥の娘にかかれば、この程度の先読みは造作もない。

 そして、莉子に残された道は、たったひとつに絞られてしまう。


「さぁ一之瀬さん……ダンスを楽しみましょう。破滅へ向かうダンスですが……ね♪」

「う……や、やってみなきゃわかんないでしょっ!? 加速アクセルっ!!」


 莉子は吼え、右手にあがった大きな炎を加速の力に変換して駆ける。

 その拙い加速アクセルで、目に見えぬ風となったサディストを捉えるために。




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