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Psychopath  作者: 東都湖 公太郎
The long long summer vacation
43/45

5




 恋愛とは、競争原理の下で繰り広げられる仁義無き戦いである。


 競い合い、奪い合い、蹴落とし合い、たったひとつしかない頂を目指す過酷なレース。

 その争いはライバルが多ければ多いほど、強ければ強いほど激化する。

 そして、そんな血も涙もない競争原理の果てにあるのが、過当競争である。

 異常なまでに加速した競争原理はもはやその形を成すことも出来ずチキンレースの様相を呈す。

 尻に火が付いた馬車馬は焼け爛れ、焦げ付き……

 最後に待つのは……自滅。


 霧島 雪。

 彼女は今まさに、そのチキンレースに片足を突っ込みつつあった。

 それというのも、最近異常に競争率が高まった想い人……一之瀬 莉子のせいに他ならない。

 実際、当初の雪のマル秘莉子籠絡計画には、このような性急なプランは含まれていなかった。

 彼女の想定していた計画はもっと長期的で、もっとソフトで、もっとプラトニック。

 その心の内に秘めやかに綴っていた計画とは一体どのようなものだったのか。

 それは、彼女の心を覗き見しなければ計り知ることは出来ない。

 では、少しだけ覗いてみよう。




 わたしの当初の計画では……

 ゆっくりとふたりの絆を深めて、少しずつ思い出を積み重ねて……

 進路も頑張って莉子の学力を上げてふたりで同じ大学に入って、ルームシェアって名目で同棲とかもしちゃったりして。

 もちろん男なんてシャットアウト。

 まぁ同性の友達くらいなら許してあげてもいいけど、基本的にはわたしと莉子だけの素敵なひととき。

 そんな甘い時間をしばらく満喫して、キャンパスライフにも余裕が出来てきた頃に……

 わたっ、わたしのほうから告白してっ……

 それに莉子が優しく応えてくれて……

 き、きっと最初は多分っ、乗り気じゃないと思うのっ。

 なんだかんだで、莉子ってノーマルだしっ……

 でもでもっ、莉子ってノリがいいからっ、きっとわたしの気持ちを受け止めてくれると思うのっ……

 そしたらっ……

 その時こそっ……

 勇気を出して、おクスリの力も借りて、大胆に攻めようと思ってたのに……っ!

 思ってたのにっ……!

 せっかくのわたしの計画がっ、滅茶苦茶になっちゃった……っ!

 それもこれも……っ、全部ぜんぶぜ~んぶっ、莉子のせいなんだからね?

 莉子が……っ、あ、あんなふしだらな女に靡いちゃうから……っ!

 え? 西山君は別にいいのかって……?

 ……うん。確かに気に入らないよ?

 莉子があんなに男の子に興味を示すなんて初めてだもの。

 ……でも、彼は脅威じゃない。

 分かるの。わたしには……

 きっと彼は……莉子の一番にはなれない。

 けど……っ、あの子……剣 亞璃紗は違う。

 その事実を……、あの戦いでまざまざと見せつけられた気がするの……

 彼ら……えっと、なんて言ったかな。

 うーん……確か、よん……よん……四バカ?

 そう、四バカさん達との戦い。

 あの時の莉子は……、最初から最後まで、ずっとわたしを気にかけてくれた。

 確かにそれはとても嬉しいこと……だけど。 

 ……だけどっ!

 それは、わたしが莉子と肩を並べられていない証拠でもある……っ。

 勝てない……

 ……とてもじゃないけど、勝てない。

 数ヶ月前、わたしの家の庭で繰り広げられた、あの戦い……

 あの夜……笑顔で、全力で、無慈悲な一撃を、莉子と競うように浴びせ合っていたあの子には……敵わない。

 お互いを信頼しあっていなければ……あんな無遠慮なことは絶対に出来ない。

 全力で斬りかかっても笑顔で笑い合える、深い愛情がなければ……

 お互い『こんな攻撃じゃ絶対に倒れない』と想える、強い絆がなければ……

 あんなこと……っ、出来るわけがない。

 激しい鍔迫り合い、火花散らす精神武装ミリタリア……

 あの戦いを振り返るだけで、わたしがどれだけ莉子に相応しくない存在なのか……それを痛烈に思い知らされてしまう。

 ……そして今夜も、痛烈に思い知らされて『しまった』。

 わたしをお姫様して、大切にしてくれる莉子……

 ちょっと前までのわたしなら、それだけでバカみたいに浮かれて喜んでいたと思う……

 ……けど、今は違う。

 莉子に気遣われる度に……あの子との違いを痛感する。

 わたしはこのまま、ずっと莉子に守られるだけの存在になってしまうの……?

 こんな調子じゃ……あの子に負けちゃう。

 嫌っ……

 嫌だよ……

 そんなの……っ、嫌っ……!

 ……だから、莉子には考えを改めて貰わなくちゃいけないの。

 わたしを、お姫様扱いするんじゃなくて―――




 雪は、そんなことを思いながら黙々と莉子の脚にアロマオイルを擦り込む。

 オイルによってぬらぬらと妖しく照り輝く莉子の素肌は、素人でも判別がつく程にきめ細やかな肌触り。

 触ればしっとりと吸い付くようで、それでいて小動物のようなじんわりとしたぬくもりが伝わってくる。

 出来ることならいつまでも触っていたい。

 むしろ莉子はこのもちもちお肌で飯を食べていけるのではなかろうか?

 そんなつまらない考えが、雪の脳裏を過る。

 むにゅむにゅ。

 にゅるにゅる。


「……ちょっと雪っ? 百歩譲って変な触り方は目を瞑るけど、いくらなんでもあからさまに変なこと考えながらあたしの脚触るの……やめてくんない?」

「ふぇっ!? や、やだなぁ莉子ってばっ……、わ、わたっ、わたしっ……別にそんなっ、変なことなんか考えてないよぉ~……」

「……よだれ」

「えっ!? ……はっ!」


 ジト目でそう指摘した莉子の言葉に思わず反射的に口元を確認してしてしまった雪。

 そこで初めて気付く。

 莉子の仕掛けたブラフに。


「むー! やっぱりあんた……!」

「ち、ちがっ……くはないけどっ、べ、別にそんなに変なこと考えてないもんっ……!」

「ホントぉ? すっごく怪しいんだけど」

「ほ、本当だってばっ……、ただ、莉子の肌がすっごくすべすべのもっちもちだから、『ずっと触っていたいなー』とか『これお金取れるんじゃないの?』って……思ってただけだもん……! 変じゃないもんっ……!」

「変だよ!」


 愛しの莉子に疑いの眼差しを向けられ、濡れ衣を晴らそうと声を張り上げる雪。

 しかし、彼女の必死の弁明はたった一言で一蹴されてしまった。


「ていうかお金取れるってなに!? 肌触り如きでお金出す人なんてどこにいるの!?」

「いっ……いるよっ? す、少なくとも……ここにひとり……っ」

「…………」


 そう呟いて、雪はおずおずと右手を挙げる。

 どうやらアピールのつもりらしいが、さすがの莉子もこれには呆れた。

 思わず頭を抱えるほどに、呆れた。

 考えてもみて欲しい。

 十年来の親友に『君の肌に触れるならお金払ってもいいよ』などと言われて、嬉しいだろうか?

 否、ドン引きである。

 雪の好意がちょっと行き過ぎていることはさすがの莉子も承知の上である。

 『いじめて欲しい』程度の言動ならまだ許せる。

 『キスしたい』もこの際OKとしよう。

 しかし。

 しかしだ。

 いくら頭のおかしい雪でも、その発言はいけない。

 いくら莉子に飢えているといっても、その発言はまずい。

 本気で言っているなら尚更だ。

 冗談であって欲しいと淡い期待を抱きながら、莉子は躊躇いがちに言葉を紡ぐ。


「あ、あははっ……もぉ雪ったら冗談キツいなぁー」

「……わたし、本気っ……だよっ」


 ドグシャアッ!!!

 莉子の頭のなかで壮絶な崩壊音が響いた。

 抱いていたささやかな希望は、その音と共に潰えた。

 雪の重戦車的変態願望に、無残にも踏み潰されてしまった。

 熱を帯びてまっすぐと莉子を見つめる瞳からは、彼女の妄執的な気迫が伝わってくる。

 纏めきれずに垂れ下がった黒く長い横髪はしっとりと莉子の素肌に纏わり付き、まるで彼女の本質を如実に表現しているようであった。


「あ、あんたねぇ……! いくら親友でもそういうセクハラ発言は―――」


 しかし、莉子はそんな雰囲気に耐え切れなかった。

 なんとかこのピンク色の空気を払いのけようと莉子は右脚を振り上げ、妄言を垂れる雪の頬に軽く一撃を食らわせ―――


「―――っ!?」


 ……られなかった。

 おかしい。

 こんなはずでは。

 莉子は予想外の出来事に動揺を隠せなかった。

 脚が、動かない……!

 痺れ……

 そう、明確に表現するなら、脚が痺れたような感覚。

 しかし、これはただの痺れではない。

 なにか……人為的なものを感じずにはいられなかった。


「うふふふふふふっ……、莉子? どおしたの? 顔色が悪いよ……?」

「あっ……あんたッ! また変なクスリ使ったのね!?」

「んもぉ、莉子ったら疑り深いんだからぁ……♪ わたし、怪しいクスリの類なんて使ってないよぉ……? 少なくとも今回は♪」


 雪には前科がある。

 莉子に麻薬まがいのクスリを盛った前科が。

 しかし、今回の仕込みでそれは用いなかった。

 だいたい、一度痛い目を見た莉子である。

 いくらなんでも同じ手が二度通じるほど、莉子はちゃらんぽらんではない。

 それは雪も重々承知している。

 故に、今回は趣向を凝らした。

 雪の脳内には莉子を籠絡するための秘密作戦が数多く格納されている。

 その数、およそ48!

 今回はそのなかのひとつ『ラブオイル作戦』を実行に移したのだ。


「っ……! も、もしかして、この妙にいい匂いがするオイルが……ッ!?」

「うふふふっ……正解っ♪ でも、天然由来成分100%だから健康には差し支えないよっ……♪ むしろ……」

「む、むしろ……?」

「むしろその逆……っ♪ このオイルには―――」


 雪は舌なめずりをしながら、説明を始める。

 一体、『ラブオイル作戦』とはなんなのか?

 このオイルの正体はなんなのか?

 説明せねばなるまい。

 このオイルには、筋弛緩効果のある薬草や薬効ハーブから抽出したエキスがふんだんに溶け込んでいる。

 おまけに雪の手によって品種改良を済ませた強力なもので、その効能は絶大。

 塗布されれば筋肉はゆるやかに脱力し、余計な力が入らなくなったら身体は血の巡りが良くなり疲労回復や美容の増進に大きく貢献する。

 一歩間違えれば悪用されかねない程の悪魔的な効き目ではあるが、故に価値がある。

 現に、雪が調合したこのアロママッサージオイル『イナモラータR』は、いまや霧島一家のシノギなかで脱法ドラッグに次ぐ勢いで収益を伸ばしている。

 その顧客は高級エステ店からプロスポーツ選手まで幅広く、皆このボトル1本で諭吉が軽く吹き飛ぶシロモノをこぞって愛用している。

 しかも、今塗っているのは販売ルートに流しているものより薬効作用が3倍強い特別版。


「―――というわけなの……。どう? 凄いでしょ……? ここまで精製するの、結構大変だったんだよ……?」

「あ、あんた、またそんなしょーもないモノ作って……はぁーあ」

「しょっ……しょーもなくなんてないよっ……!」

「どうだか。どうせあんたのことだから、痺れてろくに動けなくなったあたしに変なことしようって動機で作り始めたんじゃないの?」

「ぎくっ」


 図星であった。

 この作戦は本来、前回莉子に敢行した『ラブドラッグ作戦』が失敗したときのことを想定して準備されていたもの。

 つまり雪は、莉子にいやらしいことをする為だけに、こんないかがわしい効能のマッサージオイルを作ったのだ。

 『しょーもない』と言われても、致し方ないのかも知れない。


「ち、ちがっ……ちがちがっ、違うよぉ! こ、これはあくまでもっ、莉子の身体を癒すために作ったんだもんっ……! その証拠にっ、ほらっ! 脚からいい感じに力が抜けて、すっごく気持ちいいでしょ? ね?」

「うっ……ま、まぁ、確かに」


 確かにその通りだった。

 いくら動機がいやらしくても、この薬効は大したものである。

 少なくとも、脚部に蓄積していた肉体的な疲労はかなり軽減されたような気がする。


「うふふふふふっ……♪ だからねっ……い~~~~っぱい塗ってあげるっ……♪」

「なっ……!? ちょっ、い、いいわよもうっ! だいぶ楽になったし、マッサージはもうおしまいっ!」

「あんっ♪ 逃げちゃダメだよぉ……」

「っ……!?」


 莉子はなんとかオイルの効果を受けていない腕と上半身の力だけで脱出を試みる。

 ……が、雪はそれを察知してすかさず精神武装ミリタリアを展開した。

 秘めたる鋼の(ワンサイドラブ)片想い(ワイヤー)……鋼線を凌ぐ強度を誇る精神武装ミリタリアで編み込まれたワイヤー。

 それが、莉子の手首にきつく巻き付いていた。


「まだ上半身のマッサージが済んでないでしょ……?」

「じょ、上半身!? い、いいわよそんなとこっ! ていうかそれって単に雪が触りたがってるだけでしょ!?」

「違うよぉ……♪ だってわたしが触りたいのは……莉子の、大事なところ……だもんっ♪」

「だ、大事なところってなに!?」

「うふふふふふふふふふふふふっ……♪」


 雪はだらしなく舌を出して下品に微笑むと、自らのその豊満な胸にたっぷりとマッサージオイルを垂らした。

 瞬く間にぬるぬるとした香油によって彩られる雪の肢体。

 一体なにをするつもりであろうか。

 そう思って訝しがる莉子の身体に次の瞬間、予想だにしない感触が襲った。


「ひゃあっ!? ちょ! ちょっと雪っ!?」

「うふふっ♪ 莉子っ……どう? 気持ちいーい……?」


 それは鮮やかなる奇襲。

 それは問答無用の強襲。

 それは紛れもなく急襲。

 莉子の起伏の乏しい丘に、ずっしりと重みのあるやわらかな山脈が強襲揚陸してきたのだ。

 密着。

 完全なる密着状態。

 ぬぬりを帯びたマッサージオイルが、肌と肌の摩擦を限りなくゼロに近付けている。

 その結果、ふたりにどのような変化が起きるのか?


「うぅ……っ、な、ちょっ、やだぁ~~~……すごいぬるぬるするんだけど~……」

「あぁんっ♪ 莉子の肌がっ♪ ぬくもりがっ♪ ちっちゃなおっぱいの感触がっ♪ 余すこと無く伝わってくるよっ……♪」

「悪かったわね小さくてッ!! ていうかあんたこそ少し痩せたほうがいいんじゃない!? すっごく重いんだけど!?」

「うぅ……っ、莉子ってば酷いよっ、これでも頑張って65キロ台で抑えてるのに重いだなんてっ……! だいたい、重たくなってるのはおっぱいだけだもんっ……! わたし、悪くないもん……」

「は、腹立たしい……ッ!! 悪気がないところが余計ムカつく……ッ!」


 貧相な莉子の胸板の上でスライムおっぱいをむにゅむにゅさせながら、雪は必死な面持ちで抗議する。

 異性間なら嬉しいシチュエーションかもしれないが、こんなことをされて喜ぶ同性がいるであろうか?

 おそらく、大抵の貧乳系女子は莉子と同じ感情を抱くであろう。

 強烈な敗北感。

 そして、ほんの少しの……殺意。


「雪っ……! あんた……ッ! 後で覚えてなさいよ……ッ!?」

「うふふふふっ♪ きゃー莉子こわーい♪」

「…………」


 精一杯凄んでみても、逆効果である。

 何故なら雪はマゾヒスト。

 『後で痛い目を見るぞ』などという脅し文句が通用するわけがない。

 むしろ莉子に痛めつけられるシチュエーションなど彼女にとってはご褒美に過ぎない。


「んもぅ、そんなに怒らないで……? 今からた~~~~っぷり、まっさぁじ♪ してあげるから♪」

「うわわっ!? なっ……! ちょ、や、やめ―――」

「ほらほらっ……♪ どう? 気持ちいいでしょ? うふふっ……♪」

「ゆ、雪っ……! あ、あんたっ……っ! はぅっ!?」


 オイルにまみれた雪の身体がゆっくりとスライド。

 彼女の柔らかな肢体が、莉子の身体をにゅるにゅると刺激する。

 くすぐったくて、気持ち悪くて心地良い……そんな、いままで体感したことのなかった未知の感触に、莉子の腰がビクリと跳ねる。

 危機感。

 これ以上雪を野放しにしておくと、なんだかとんでもないことになりそうだと思った莉子は、身体を強張らせてその奔流に耐える。


「ねぇ莉子っ……ほらっ、こっち向いて? ね? ……気持ちいいでしょ? わたしの身体っ……♪」

「っ……! し、知らないわよっ! いい加減どいてっ!」

「莉子が素直に答えてくれたらどいてあげるっ……♪」


 莉子にしっかりと抱きつきながら、彼女の耳元で囁く雪。

 熱く湿った吐息が、かすかに耳にかかる。


「はぁ……あーはいはい。気持ちいい気持ちいい。ほら、答えたよ? どいて」

「そんな投げやりなのじゃダメっ……」

「な、なにさ、別にいいじゃない。気持ちいいのはホントのことっ……んっ、なんだし……」


 視線を逸らしながらぶっきらぼうに呟く莉子であったが、その言葉は真実であった。

 このむずむずとした感覚。

 それは認めてしまえば確かに快感としか言いようがないものだった。

 しかし、そんなやる気のない反応では雪の気が済まなかった。


「……ねぇ莉子っ、わたしっ……頑張ってるよね……?」

「えっ? な、なに? 急にどうしたの?」

「あ、あのね……? わたしっ、今こんな大胆なことしてるけど……これ、結構恥ずかしいんだよ……? わたしの身体っ、莉子みたに引き締まってないし……っ、無駄に大きくて可愛くないしっ……で、でもっ、わたし……どうしても莉子に喜んで欲しくてっ……、莉子に、わたしのこと、好きになって欲しくてっ……あの子に負けたくないからっ、が、頑張ってるんだよ? ……そ、そりゃあ、自分の欲望を満たそうともしてるけどっ……けどっ……わたしっ、莉子の一番になりたくてっ……」

「……?」


 莉子に跨りながら、雪はふいにモジモジごにょごにょし始める。

 そんな彼女を見ていると、莉子はなんとなく安心感を覚えてしまう。

 何故か。

 理由は簡単だった。

 彼女の表情……それは彼女が時折見せる、不安そうな面持ち。

 今日雪の家に来てから初めて見た気がする、彼女本来の表情。

 それを見て、莉子の心が落ち着いたのだ。


「……うんっ、雪は頑張ってるよ」

「莉子っ……?」


 先程からずっと嫌そうな声色しか出さなかった莉子の唇が紡いだ、柔らかな声。

 その魅惑的な旋律に、雪はハッとなる。


「まぁ、このマッサージはちょっと……ううん、かなりエッチだけど……っ、よくよく考えればあたしにここまで尽くしてくれる子なんて世界中どこ探しても雪だけだと思うし……すっごく嬉しいよ。ありがと……雪っ」

「ッ!? ……ッ~~~~~~~~!」

「ゆ、雪?」

「……っ、っく、はぁ……はふっ、だ、だいじょうぶっ……、ちょ、ちょっと嬉し過ぎてっ、驚いただけだから……っ」


 自分の頑張りを大好きな人に認めてもらう。

 それは恋する少女にとっては、声を押し殺して身震いしてしまうほど嬉しいことであった。

 そんな雪を見て……


「……ふふっ、あははっ」


 莉子は思わず微笑んでしまった。

 顔を真っ赤にして必死にしがみつくオイルまみれの雪が、たまらなく可愛く見えてしまったから。

 莉子に褒めて貰おうと、莉子に気に入って貰おうと、莉子の一番になろうと、必死に頑張る雪が……

 とても……愛おしく思えた。


「雪はホント、可愛いなぁ~。手が動かせるなら撫でてあげたいくらいだよ」

「あっ……ご、ごめんねっ、秘めたる鋼の(ワンサイドラブ)片想い(ワイヤー)で縛ったままだったね……っ、すぐ外しちゃうね」

「ううん、いいよそのままで」

「……? な、なんで……?」

「だってさ……っ、触るんでしょ? あたしの……っ、だ、大事なところ」

「えっ!? い、いいいい、いいの!?」

「うーん……、よ、よくはないけど……いい、よ? っ……、で、でも、優しく……だよ?」

「……!」


 莉子は頬を染め、視線を泳がせながら……精一杯に踏ん張っていた太腿の力をそっと緩める。

 それは一時の気の迷いか、はたまた戯れか。

 それとも献身的な雪へのご褒美なのか。

 恐らく莉子本人にもうまく説明は出来ないだろう。

 ただ、なんとなく……そうするのが正しいような気がして、莉子はその身体を雪に預けてしまうことにした。

 それは、莉子が雪に対して初めて友情以上の気持ちを抱いた瞬間でもあった。


「じゃ、じゃあっ……え、えええ、遠慮なく……っ!」


 雪はごくりと生唾を飲み込み、意を決する。

 莉子の鎖骨をいじっていたその指を、ゆっくりと滑らせていく。

 小さなふくらみが丘を通り、シミひとつないお腹平原を駆け抜け、程よく柔らかい太腿岬のその奥へ……

 指を―――


「あ、あれ……?」

「……? ゆ、雪?」


 ふいに、莉子の身体にずっしりとした荷重が加わる。

 それと同時に、あともう少しというところまで進んでいた雪の指の感触も途絶える。

 一体なにがあったのかと、至近距離にまで迫っていた雪の瞳を、じっと見つめる莉子。

 雪は困ったような、それでいて気恥ずかしそうな面持ちで、ぽつりと呟いた。


「……ち、力が、入らなくなっちゃった……」

「えっ……? そ、それって―――」


 そう。

 雪は大好きな莉子の身体を触りまくることばかりに夢中で、肝心なことを見落としていた。

 このマッサージオイルの効能・筋弛緩効果……それが、今になって現れたのだ。

 塗る側である雪の身に。

 興奮のあまり失念していた。

 このオイルが通常の3倍という強烈な薬効作用をもたらす、諸刃の剣であったことを。

 結果、雪は自爆した。

 調子に乗って己の全身をオイルまみれにしたせいで、あと一歩のところで力尽きてしまったのだ。


「ううぅ~……せっかくのチャンスなのにっ……! えいっ! 動けっ、動けっ……!」

「ちょっ、雪っ……や、やめ、……っ、……もうバカっ! あたしの上で暴れないでよっ!」

「だ、だってぇ~~~……」


 雪はろくに身動きが取れない身体をじたばたさせるも、虚しく莉子の身体をぬるぬると刺激するだけであった。

 悔しい。

 口惜しい。

 ようやく莉子が心を開いてくれたというのに。

 ようやく莉子が身体を許してくれたというのに。

 喩えるなら、もう少しのところで終電を逃してしまった時のような気分。

 喩えるなら、もう少しのところで敵のトーチカを陥とせるという局面で撤退命令を出された歩兵のような気分。

 あまりの悔しさに、雪の瞳が涙で潤む。


「うっ、ぐすっ……、ううぅ……っ、莉子ぉ~~~……」

「あーもー、こんなことくらいで泣かない泣かない」

「だってだって……っ、わたしっ……、せっかく莉子の一番になりたかったのにっ……」

「もう……そんなに思い詰めなくても、あんたはもうあたしの―――、……」


『あんたはもうあたしの一番だよ』

 ……その一言を言おうとして、莉子は言葉に詰まる。

 何故か、言えなかった。

 確かに雪は莉子にとって一番の親友であるはずなのに。

 その一言が、言えなかった。


「……? ……莉子? 『あたしの』……なに?」

「ん……? うん、なんでもないよっ♪」

「な、なんでもない……? だって、さっきなにか言いかけてたじゃない……、莉子? ちゃんと言って? わたしは『あたしの』……なんなの……? ねぇ莉子っ―――!?」


 突然、雪の言葉が途切れる。

 “なにか”が、彼女の唇を塞いだのだ。

 唇に、軽く触れるか触れないかという程度のくちづけ。


「っ……! り、莉子っ……!?」

「あはっ、なーに動揺してるの? 友達ならキスくらい普通なんでしょ?」

「う、うぐ……っ」


 その言葉は、いつか雪自身が放った虚言。

 莉子を言いくるめる為の方便。

 今更否定など出来るわけがない。


「そ、それはっ……そう、だけど……っ! な、なんでっ……?」

「なんでって……まぁ、話題を逸らすため、だけど?」

「うぅ……っ、やっぱりっ……! ひ、ひどいよ莉子っ!」

「あははっ、ダメだった?」

「ダメ……っ! じゃ、ない……、けど……っ、もうっ……ず、ずるいよっ……」


 お互いの吐息が感じられるほどの至近距離で、莉子が頬を染めながら微笑む。

 その笑顔を見ていると、話をはぐらかす目的でキスされても何故か許せてしまえる。

 惚れた弱みというやつである。


「てかさ、どうせふたりともしばらく首から上しか動かせないしさ。なんていうか、暇だし……もう少しだけ、する?」

「す、する? するって……な、ななな、なにを……?」

「くすっ♪」


 どもる雪を見て莉子は悪戯っぽく微笑み、策に溺れた哀れな策士の唇を……優しく奪う。

 この後、暇を持て余した莉子になにをされてしまうのか。

 そのことで頭がいっぱいになってしまった雪は、莉子が言いかけた言葉のことなどすっかり忘れてしまっていた。




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